「どうして、こんな酷い事っ……」
「フフッ! わたしはお教えしましたよ? 『どれだけ善良に見えても赤目は黒魔法士ですよ』と」 
 ウォラクの赤黒い瞳が弧を描き、口元は上向きに歪んで喜色を湛えている。

「まったく、つめの甘い義姉君を持たれて公爵様もお可哀想に」
 今更ながらに、ウォラクの袖の血が誰のものか理解する。──ガルムだ。

「ガルムは!? ガルムはどうしたの!?」
 ピフラの必死な様子をウォラクは鼻で笑う。
 その笑いに応えるかのように、グラスの破片が音を立てて揺れ、床が鳴動を始めた。
 赤黒い蝋燭達は次々に猛炎を上げ、テーブルの天板に炎の五芒星が浮かび上がる。
 ウォラクの顔が炎に負けじと紅潮した。
 その表情は喜悦そのもので。
 
「"雨垂れ石を穿つ"。200年もの間、1人で生贄を捧げ続けるのは実に骨の折れる仕事でしたが……おかげで聖女の封印を弱体化する事が出来ました」
「なっ何をするの……」
 戦慄で声が震える。ウォラクは真っ赤な口を開けて嗤い、彼女の手に爪を立てた。
 鉤のように鋭く湾曲した爪が柔肌に突き刺さる。

「きゃあああっ!!」
 鉤爪が、ピフラの右手の肉を撫ぜた。
 麻痺した体に痛みはない。けれど異物が皮膚の下を蠢く残酷な光景に、ピフラはギュッと目を閉じた。
 全身麻痺のピフラは人形のようにされるがままで。ウォラクは爪を引き抜き、彼女の血塗れの手を天板の五芒星に翳した。
 鮮血の雫がピチャッ……と落ちる。

「これで《《完了》》です」
 ゴッ! 五芒星から火炎が音を立てて燃え上がり、燃え尽きたテーブルの跡を見やれば、巨大な円柱型の穴が出来ている。
 そこが見えない漆黒の奈落の穴だ。

「おいでませ! 我らが魔王!」

 轟音を立てて螺旋状に何かが湧き上がってくる。  
 やがて現れた何か──汚泥が勃々と噴出した。
 部屋一面に汚れが飛び散り、腐敗を極めた泥の悪臭にピフラは嗚咽する。
 涙目で仰ぐと、天井から床にかけ巨大な黒い繭が聳え立っていた。

(なっ……何あれは……!?)
 汚泥の糸で出来たその繭は、ピフラを前に1本ずつ解れていく。その遅々とした動きが、ピフラの焦燥感を殊更煽った。
 そして遂に繭の深部が見えた時、彼女は眼前の光景に目を疑った。
 深部から、人型の《《それ》》がずるりと出でる。
 ウォラクは恭しく頭を下げた。

「ああ魔王様……膨大な時間を要し辱く存じます」
「なに、完全復活するにはやむなし。良質な転生者を手に入れたな。大義であった」
 「魔王様」そう呼ばれた者をピフラは知っていた。
 濡羽色の長い髪、丸く大きな琥珀色の瞳、愛らしく庇護欲をそそる面立ち。
 この国のあらゆるイケメンを落としていく、その絶世の美少女は、

 ──乙女ゲーム『ラブハ』のヒロインだ。