湧き上がる感情を律し、ガルムは平静を装う。
 しかし直情的な声音は怒りを露わに、震える喉仏が声を掠れさせた。

「お前か……義姉(あね)に手を出したのは」
「フフッ、そうピリピリしないでください。何も同士討ちする必要はないでしょう?」
「俺はお前らとは違う」
 ガルムの拒否反応に応えるが如く、ウォラクの影が波打った。

「つれないですねぇ。《《世界を跨いだ》》ピフラ様を利用すれば《《あのお方》》が蘇り、わたし達赤目の時代の到来ですのに……ご興味ありません?」

 その問いかけをガルムは黙殺し、右手で虚空を掴んだ。すると拳から腕を取り巻き、空間が捻れて歪んでいく。
 畝る空中から腕を引き抜くと、ガルムの右手は何かを握っていた。
 以前、マルタと一戦交えた時と同じ戦斧だ。
 あの時よりもガルムの身長に合わせ巨大化しているが、刃の銀光(ぎんこう)は変わらず美しく輝いている。
 照準を合わせ、切先をウォラクに向けた。

(今までの奴等の倍……いや、それ以上の魔力だ。一体何人殺してきた!?)
 斧の()を握るガルムの手に汗が滲む。
 強張る彼の様子を見てウォラクは首を傾げた。
 
「しかし、不思議なものですね。本来なら貴方様がピフラ様を(あや)めるのですが」
「っふざけるな……!」
 全身が総毛立つ。越流したガルムの怒りは魔力の渦となり、意のままに部屋の物が浮き上がった。すると、寄り集まった物が弾丸となり、豪雨のようにウォラクに注がれる。
 床には幾重もの銀色の蔓が張られ、うつ伏せのウォラクが捕らわれた。
 ガルムは灰白色のウォラクの顔を足蹴にした。

「もういっぺん言ってみろ。誰が彼女を殺すだって?」
「フフッ……ハハハハッ! いやはや公爵様は本当に興味深い。ですが、お喋りはまた今度。あの方も交えてお茶会でもしましょう」
「何を──」

 ガルムの体が前後に大きく揺れ、膝から崩れた。膝は水溜りで濡れていき、斧は光の塵となって散らばっていく。
 ──腹が熱い。
 心臓の音がけたたましく、導かれるように腹をさすると掌が温かく(ぬめ)った。
 銀色に輝く月で、床の水溜りが赤い事に気がつく。──血だ。
 次の瞬間、麻酔が切れたように腹に激痛が走った。

「ガハッ……!」
 口と腹から滝のように血が流れ出る。
 ウォラクの瞳のような、赤黒い血の洪水。

「物凄いお力だ。いや本当に、羨ましい限りです。ですが公爵様はお若い。正面から戦いを挑むなど凡人のする事です。黒魔法士たる者、戦いは(うしろ)から強かに、スマートにいきませんと」
 眼前の床で縛られたウォラクを見れば、黙ってほくそ笑んでいる。
 しかしその姿は霧散し、ガルムの側に霧が出て中からウォラクが現れた。そしてガルムの頭を足蹴にし、一笑する。

「またお会いしましょう。公爵様が生きていたらの話ですが」

 そう言って義姉の姿鏡で身だしなみを整え、ウォラクは足早に去っていった。
(待て! 行くな卑怯者!)
 生温かい血の海が広がるたび、体の末端が冷えていく。
(起きろ! 起きろ起きろ起きろ! 起きるんだ!)
 けれど猛然たる意志に反し、体は痛みすら感じない。全ての感覚が失せていく。
 そして、部屋に静寂が訪れた。

 ぽちゃっと何かが血溜まりに落ちた。
 霞みゆく視界の中、赤目のぬいぐるみが静かにガルムを見つめていた。