ある日、私の父が幼少期の出来事を語ってくれました。父がある日、井戸に水を汲みに行ったときのことです。その日はまるで時間が止まったかのように、周囲は異様な静けさに包まれていたそうです。風もなく、鳥の鳴き声や木々のざわめきもなく、全てが静止しているかのような不気味さを感じたといいます。

井戸に近づくにつれ、冷たい空気が全身を包み込み、自然と背筋が伸びたと言います。水を汲む瞬間、父は耳を澄ませると、奇妙な音を聞いたのです。

「ぴちゃぴちゃ…」

その音は、まるで井戸の底から誰かが水を飲んでいるかのようでした。最初は風の音かと思ったものの、その音はあまりにもはっきりとしていて、まるで誰かが井戸の奥で水を飲んでいる感じがしたのです。

音は次第に大きくなり、まるで何人もの人々が同時に水を飲んでいるかのように聞こえてきました。水面が揺れ、音が周囲に響き渡る不気味な感覚に包まれました。父はその時、何かがおかしいと感じ、不安が胸に広がり、急いでその場を離れました。

周囲を見渡すと、誰もいないはずの場所に、目に見えない何かがひしめき合っているような気がして、恐怖が押し寄せてきたといいます。その音はますます大きくなり、まるで井戸の中に多くの人々が集まっているようでした。

父はその場を離れ、家に急ぎ、息を切らしながら祖母にその出来事を話しました。「あれは一体…?」と尋ねると、祖母は驚くことなく、淡々と答えました。

「そう、あの人たちが水を飲みに来てたんよ。」

父はその言葉に驚きました。「あの人たちって…?」と聞くと、祖母は平然とこう言いました。

「戦争で亡くなった人たちよ。」

その言葉を聞いた父は、震えが止まらなかったそうです。

父の実家には今も一つの井戸が残っています。

長崎では、原爆によって多くの人々が命を落としました。その霊たちが、この井戸を「命の水」として求め、集まってくるというのです。

戦争で亡くなった人々が生前の渇きを思い出し、永遠に水を求め続ける場所になっているのでしょう。

そして、今日もまた誰かがその水を求めて井戸を訪れるのだろうか。あの「ぴちゃぴちゃ…」という音が、今もどこかで響いているのだとつぶやきながら、父は静かにその話を終えました。