奇妙な家系図があるから調べてほしい、と依頼人女性の小林●●さんは私に言ってきたんです。
 ああ、失礼。いちおう個人情報保護なため下の名前はぼかしでお願いします。
 彼女との最初のやり取りは確かこんな感じだったと思います。

「あのですね、うちは探偵事務所、それも浮気調査とか迷子の犬猫探しがメインであって、テレビの鑑定団じゃないんですよ」
「わかっています。でも他に頼る場所がなくて。ちょっとだけでいいので見てください」

 私の了解なしに彼女はかってに巻物状の家系図をテーブルに広げました。
 ったく、と思いながら私は前かがみになってその変な家系図とやらを覗き込みました。
 話を聞いたところ、彼女の祖父母の家を片付けていたら蔵のなかから他人の家系図が出てきたとのことです。

「確かに名字は違っていますね」

 家系図の右上には筆文字で『●●家 家系図』と書かれていました。
 下のほうを見ても彼女の名前は書かれていません。もちろん、彼女が私に偽名を使っている可能性もありますが。

「一見するとただの家系図のようですがこれがなにか?」
「わたしも最初はそう思いました。でも変なんです。ほら、ここ。一度書いたあと、上から筆で書き足したように見えませんか?」
「え? ああまあ、そうですね。そう見えなくもないかな」

 明治時代中頃の夫婦の長女に『真子』と書かれていましたが子の字が上に詰まっていたんです。
 まるで一度『真一』と書いたあとに『了』の字を書き足したように。
 ちなみに真子さんは結婚していないのか子供は書かれていませんでした。
 すると小林さんはこう言ったのです。

「男の子だとなにかまずい理由でもあったように見えませんか?」
「理由」
「例えばそう、日露戦争とかどうでしょう」

 時期的に男児がそのまま青年になっていれば徴兵されていた可能性は考えられます。
 ただそれではこの夫婦がこの後、戦争が起きて、息子が徴兵され、そこで戦死すると予見してたかのようではないですか。

「確かに他の名前に比べるとバランスは悪く見えますがこれだけでは……」
「まだあります。よく見てください。関係を繋いでいる線は赤いですよね」
「そうですね」
「なんか、やたらと赤くないですか?」

 わたしは家系図を持ち上げて眼を凝らしました。
 細筆で引かれた赤線は、黒で書かれた名前と同じぐらい色濃く主張しています。
 この色はまるで……と一瞬、悪いことが脳裏をよぎりましたが、それを振り払うように私は頭を振りました。

「いやいや、赤い筆ペンだってあるでしょうに」
「でもこの家系図、書かれたのは戦前ですよ?」

 名前のとなりに書かれている生年月日。
 それを見るかぎりでは一番若い人でも1934年生まれ。まだ生きているかもしれないがこの人でも今年九十歳。
 これ以降のことは白紙になっており家が続いているのかどうかは一切不明です。

「物がない時代だったとはいえ、赤いインクや絵の具ぐらいはあったでしょう。神社の御朱印だってあったんだから」
「ではそうだっとして、これはどう説明できますか?」

 彼女の指が時代を遡り、十九世紀前半頃を指し示します。

「子供がたくさんいるのに、長男以外、大人になってからどうなったのか書かれていないんですよ」
「江戸時代ですし、家を継いだのが長男だったからぜんぶ書いてはきりがないと思ったのでは?」
「でも彼の子供三人は全員女の子で、誰と結婚したかも書かれているんですよ?」
「長女がお婿さんをもらって家を継いだのがわかるようにするためでしょう」

 私の言葉に彼女は納得がいかなそうな顔を見せました。

「違うと思うなにかがあると?」
「はい。1830年代ってなにがあったか覚えていますか?」
「1830年代?」

 数十年ぶりに頭の奥底に眠っている日本史の教科書を開いてみました。
 が、すぐに思い出せなかったので結局、文明の利器に頼って検索してみたんです。
 すると。

「天保の大飢饉」
「そうです。人間、飢えてどうしよもないときってどうするか知っていますか?」
「小林さん。私だって大卒だし、それなりに知識はあって、あなたがなにを言おうとしているのかもわかります」

 そういう歴史があったというのは知っていました。
 女の子だったら売りに出されたかもしれないが、男の子では口減らしとして……すみません、これ以上はあまり口にしたくないのでご想像にお任せします。

「もしかしたら長男は、罪悪感から下の子たちの名前を娘たちに語り継いだのかもしれません」
「こんな話もうよしましょう。すべてあなたの憶測だ」
「確かに幕末の頃なんて誰にもわかりませんよね。失礼しました。でも戦後間もない頃だったらまだ生きている人はいますし、消せないんじゃないでしょうか」

 再び時代は進みます。
 彼女の指先は1940年代まで戻ってきました。

「この当時の若い男性で、結婚もされておらずその後どうなったのか書かれていない方は戦争で亡くなったんだと思います」
「なにもおかしいことではありません」
「はい。ですがこのひと。なぜかこの方だけは二十歳で病死とはっきり書かれているんです」
「実際そうだったのでは?」
「では戦死もそう書くべきでしょう。特に時代的に戦死は名誉なことなのですから。ですが他の人は亡くなった歳や死因までは書かれていません。基本は生まれのみです」
「親がかわいそうだと思ってそう記したのでしょう」
「なるほど。ご両親はそういうことにしたかったのかもしれませんね」

 私が言ったことを拡大解釈して彼女はそう言いました。
 まるで死んだとしておいたほうが都合がいいとでも言いたげに。
 苛立っていたわけではないのですが、いちいち反論されてしまうと私もあまり気分はよくありませんでした。

「小林さん、あなた、私に調査依頼をしてきた割にはずいぶんとご自分でいろいろ調べているようですね。私がやらなくても良いのでは?」
「お言葉ですが調べてはいません。この家系図をずっと見ていたら、いろいろと考えが思い浮かんだだけです」

 まあ確かにすべては彼女の想像の域を出ません。
 そこで私はぴんと来ました。

「つまり、私にこの家系図のことを調べさせ、答え合わせをしてほしいと、そういうことですか」
「いえ、違います」
「え?」

 予想外の否定に私は固まってしまいました。
 では彼女はいったいなにを依頼しに来たというのか。

「わたしが知りたいのはこの家系図の続きです」
「続き?」
「はい。こんな昔のことを調査しろだなんてさすがに言いません。それよりも、この家系図の一番最後に書かれている方。もし生きているのならこの方にこれをお返しするついでに、この家がどうなったのか教えていただきたいんです」

 私は腕を組んで唸りました。
 うちの探偵事務所が請け負っているような依頼ではありません。ですが、家系図を返したいから探して欲しいという依頼内容は人助けにもなるし、ひとりの探偵として惹かれる仕事でもありました。
 なによりも、恥ずかしながら私自身、彼女の憶測を聞いてこの家系図に興味を持ってしまったというのもあります。

「わかりました。このご老婆も喜ぶかもしれません」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。あの、ところでこの部屋、ちょっと寒くないですか?」
「そうでしょうか。私はちょうどいいと思いますが。寒いならエアコンの温度を上げましょうか?」
「いえ。わたしはもうこれで失礼させていだきます」

 よろしくお願いします、と小さく一礼して彼女は出ていきました。
 そうして私は●●家の家系図の調査を開始したのです。