Y県検事局第八七五号
明治三十九年(1906)八月二十九日
殺人事件捜査経過報告
K島町遠峰村における四ツ谷弾左衛門の殺人事件について、捜査の経過は下記の通りである。刑事事件としては被疑者死亡による不起訴事件としておわるべきだが、事犯の特殊性に鑑み、本件の顛末を整理する。
一、被疑者 Y県K島町遠峰村〇ー〇 四ツ谷源右衛門方
貸金業手伝い 四ツ谷弾左衛門(26歳)
身体 五尺三寸(159センチ) 痩身 頭髪五分刈少し伸ひ居れり
ニ、被害者
四ツ谷源右衛門(65歳)
源右衛門妻 トモ(55歳)
保坂ミネ(15歳)
島木藤三郎(34歳)
三、被疑者の家庭の状況・素行経歴
被疑者は上記住所に父母と暮らしており、ほか常に数人の使用人が出入りしていた。同居する被害者の四ツ谷源右衛門とトモは、被疑者の養父母である。実父母はM市の素封家である木嶋惣次郎・キエの夫婦。惣次郎は地元の名士であったが、明治十六年九月十三日の海難事故で死亡。被疑者はK島に漂着したところを、源右衛門に助けられたすえ、養子としてむかえられた模様(但し、養子縁組の経緯・手続きに不審な点あり)である。当地では漂流民を神聖視する風習があり、これが被疑者を養子にむかえた原因と考えられる。
四ツ谷家は貸金業を営んでおり、極めて裕福。珍しい北山杉を植えた屋敷は、島内でも有名である。弾左衛門は貸金の家業を手助けするが、取立て行為などに関して常軌を逸するところがあり、債務者からは不満の声が上がっていた。
明治三十八年に被疑者を診断した吉田医院 吉田良淳院長曰く、被疑者は宣教師を名乗る越南(ベトナム)人グエンの元に通いはじめたころより、理解不能な言動を繰り返すようになったという。当該宣教師は遠峰騒動にて正義党を焚きつけ、島内を騒擾の渦に巻き込んだ張本人と聞く。遠峰騒動にて受難し、物乞いを経たのち、天啓を受けたと主張しはじめ、光順寺廃寺を拠点に奇怪な宗教活動を展開する。これを本報告書では「そうびえん(瘡ビゑん)信仰」と名付く。
調べによると、グエンはK島に上陸後、島民より悪質な差別を受けており、本人の意志に反し、強制的に去勢されていた形跡が確認された。外国人がK島に現れるのは史上初めてであったと考えられ、島民に拒否反応が生じた結果と思われる。以降、グエンは子孫繫栄の象徴である海毛虫を崇拝し始め、島民に対する強烈な呪詛の気持ちを「そうびえん」という言葉に込めたものと考えられる。光順寺廃寺の梁からは、グエンの体液で書かれたと思われる「そうびえん」の文字が複数発見されている。発見時、体液の文字には夥しい数の毒虫が群がっており、異様な光景であった。
現実的に、呪詛の言葉が人々の心を蝕むことがあり得るのか。現在、文学博士(宗教学)・宮島清三郎氏を中心に調査を進めている。
宮島博士の所感
通常は特定の言語に、発せされた音として、人間の心理に悪影響を与える力が付され得るとは考えられない(罵詈雑言など、意味として人間を攻撃し得る言語を除いて)。
一方で「そうびえん」という言葉に悪意を込めた事例は、恐らく本事案が世界で初めてであろう。そうである以上、この言葉によって呪詛が成立し得る可能性を検証もなく否定することは、科学の観点からすれば、避けるべき態度と言える。
「そうびえん」という言葉に人の心理を蝕む力がある可能性は否定できない。検証段階とは言え、無闇に発話してはならない。実際に当該言語を繰り返す佐々木キヌを尋問した尋問官は、尋常ではない状態になっている。従って、これは現実的な問題なのである。繰り返すが、「そうびえん」と発話してはならない。
四、事件発覚の端緒
明治三十九年八月十六日午前五時ニ十分頃、被疑者の兇行を知った島木藤三郎の妻・タエ(29)が息子の嘉太郎(4)を抱えたまま遠峰駐在所へ駆け付け、駐在巡査に報告したことにより発覚。タエは裸足のまま駆け付けたため、右足の甲からは枝が突き抜けていた。必死なるため、本人は怪我に気づかず。すぐに治療を施す。
明治三十九年(1906)八月二十九日
殺人事件捜査経過報告
K島町遠峰村における四ツ谷弾左衛門の殺人事件について、捜査の経過は下記の通りである。刑事事件としては被疑者死亡による不起訴事件としておわるべきだが、事犯の特殊性に鑑み、本件の顛末を整理する。
一、被疑者 Y県K島町遠峰村〇ー〇 四ツ谷源右衛門方
貸金業手伝い 四ツ谷弾左衛門(26歳)
身体 五尺三寸(159センチ) 痩身 頭髪五分刈少し伸ひ居れり
ニ、被害者
四ツ谷源右衛門(65歳)
源右衛門妻 トモ(55歳)
保坂ミネ(15歳)
島木藤三郎(34歳)
三、被疑者の家庭の状況・素行経歴
被疑者は上記住所に父母と暮らしており、ほか常に数人の使用人が出入りしていた。同居する被害者の四ツ谷源右衛門とトモは、被疑者の養父母である。実父母はM市の素封家である木嶋惣次郎・キエの夫婦。惣次郎は地元の名士であったが、明治十六年九月十三日の海難事故で死亡。被疑者はK島に漂着したところを、源右衛門に助けられたすえ、養子としてむかえられた模様(但し、養子縁組の経緯・手続きに不審な点あり)である。当地では漂流民を神聖視する風習があり、これが被疑者を養子にむかえた原因と考えられる。
四ツ谷家は貸金業を営んでおり、極めて裕福。珍しい北山杉を植えた屋敷は、島内でも有名である。弾左衛門は貸金の家業を手助けするが、取立て行為などに関して常軌を逸するところがあり、債務者からは不満の声が上がっていた。
明治三十八年に被疑者を診断した吉田医院 吉田良淳院長曰く、被疑者は宣教師を名乗る越南(ベトナム)人グエンの元に通いはじめたころより、理解不能な言動を繰り返すようになったという。当該宣教師は遠峰騒動にて正義党を焚きつけ、島内を騒擾の渦に巻き込んだ張本人と聞く。遠峰騒動にて受難し、物乞いを経たのち、天啓を受けたと主張しはじめ、光順寺廃寺を拠点に奇怪な宗教活動を展開する。これを本報告書では「そうびえん(瘡ビゑん)信仰」と名付く。
調べによると、グエンはK島に上陸後、島民より悪質な差別を受けており、本人の意志に反し、強制的に去勢されていた形跡が確認された。外国人がK島に現れるのは史上初めてであったと考えられ、島民に拒否反応が生じた結果と思われる。以降、グエンは子孫繫栄の象徴である海毛虫を崇拝し始め、島民に対する強烈な呪詛の気持ちを「そうびえん」という言葉に込めたものと考えられる。光順寺廃寺の梁からは、グエンの体液で書かれたと思われる「そうびえん」の文字が複数発見されている。発見時、体液の文字には夥しい数の毒虫が群がっており、異様な光景であった。
現実的に、呪詛の言葉が人々の心を蝕むことがあり得るのか。現在、文学博士(宗教学)・宮島清三郎氏を中心に調査を進めている。
宮島博士の所感
通常は特定の言語に、発せされた音として、人間の心理に悪影響を与える力が付され得るとは考えられない(罵詈雑言など、意味として人間を攻撃し得る言語を除いて)。
一方で「そうびえん」という言葉に悪意を込めた事例は、恐らく本事案が世界で初めてであろう。そうである以上、この言葉によって呪詛が成立し得る可能性を検証もなく否定することは、科学の観点からすれば、避けるべき態度と言える。
「そうびえん」という言葉に人の心理を蝕む力がある可能性は否定できない。検証段階とは言え、無闇に発話してはならない。実際に当該言語を繰り返す佐々木キヌを尋問した尋問官は、尋常ではない状態になっている。従って、これは現実的な問題なのである。繰り返すが、「そうびえん」と発話してはならない。
四、事件発覚の端緒
明治三十九年八月十六日午前五時ニ十分頃、被疑者の兇行を知った島木藤三郎の妻・タエ(29)が息子の嘉太郎(4)を抱えたまま遠峰駐在所へ駆け付け、駐在巡査に報告したことにより発覚。タエは裸足のまま駆け付けたため、右足の甲からは枝が突き抜けていた。必死なるため、本人は怪我に気づかず。すぐに治療を施す。
