W大学文学部史学科 三井歩ブログ『歴史家の散歩道』 Vol.30
非常勤講師・三井歩が新入生に歴史学の楽しさをレクチャー
「江戸時代におけるK島の支配体制について」
四ツ谷:前回は、除籍謄本を取り寄せて簡単な家系図を作ったわけだけど、次はなにをする必要があるんだ?
三井:次にやることは、言ってしまえば「勉強」だね。
四ツ谷:随分と簡単に言ったもんだ。何を勉強すれば良いの?
三井:ずばり、地方史だ。先祖調査には、先祖が暮らしていた土地の歴史を知ることが必要不可欠なんだ。産業、支配構造、文化……。
調査には、妥当性のある推理の積み重ねが大事。あらゆる情報を頭の中に入れておかないと、その推理がうまくいかないわけだ。
四ツ谷:なかなかハードルが高そうだね。
三井:正直、日本史について詳しくない人には難しいかもしれない。
今回は俺が案内役になるから、四ツ谷のルーツの地・K島について一緒に学んでみようか。
俺もK島については、これから知っていくわけだけど。まあ、四ツ谷は歴史に詳しくないとは言え、文学部出身ではあるから、古文も漢文も慣れればお手の物だろう。
四ツ谷:やってみよう。

三井:とはいえ、古代から学ばないといけないわけではない。江戸時代、それも後期の様子が頭に入っていれば充分だよ。一番大事なのは、支配体制と産業。どういう身分・職業の人々が暮らしていたか分からないと、先祖について推測すらできない。
さて、K島は天領、H藩の預地だったみたいだね。
四ツ谷:もう分からない。
三井:「天領」は幕府の直轄領のこと。「預地」はそのなかで、近隣の藩が管理を任されていた地域のことだね。
つまり、H藩から派遣された郡代、代官が島支配をしていた。郡代、代官ともに任期は3年。政庁は遠峰地区。
部下もたくさんいたから、離島だからといって、武士がいなかったわけではない。四ツ谷の先祖も遠峰出身だから、役人の可能性もある。
四ツ谷:島の役人って、なんかかっこいいね。
三井:郡代・代官の下で村を管理したのが、「公文」と呼ばれる上層農民。「公文」ってのはK島独特の呼称みたいで、ほかの地域で「庄屋」「名主」と呼ばれた人たちだね。ほか「年寄」「長百姓」という人たちが、実際に村を管理していたようだ。
ややこしいから、いずれも村長・副村長くらいの認識で大丈夫だよ。
四ツ谷:ふむふむ。俺の先祖が代官だったりする可能性もあるのかな。
三井:代官くらい身分が高いと、記録がしっかり残っている。四ツ谷姓の郡代・代官はいないから、少なくともその可能性はないみたいだ。
四ツ谷:だとしたら、普通のお百姓さんなのかな。
三井:そこを推理するために、まずは近代時点の職業別人口分布を見ようか。遠峰町の壬申戸籍に基づくデータを参照してみると、四ツ谷の本籍地は少し海から遠いけど、漁民はかなりいたようだ。割合で言えば漁民・商人の蓋然性が高いね。
※壬申戸籍:明治新政府による最初の全国的戸籍。身分差別的な記載も多く、現在では開示されていない。
それより、K島の歴史を調べていて、気になったことがひとつあるんだ。
四ツ谷:なになに??
三井:『K島町誌 下』によると、この地域に四ツ谷姓の家はかなり少ないと考えられること。下の引用を見てくれ。
遠峰の壬申戸籍を確認して特色と捉えられることは、加茂、山本、古館、原田等の特定名字の卓越である。一三一戸のうち苗字数は三五姓に区分されるが、うち加茂姓が五〇、山本姓が一八、古館姓が一〇、原田姓が七で、四姓で半数を超えている。
四ツ谷:ってことは何を意味するんだ?
三井:長くその土地に暮らしていると、同じ名字を名乗る子孫たちは増えていくのが普通だ。つまり、四ツ谷の先祖は、比較的新しい段階でK島に移住した可能性があるということ。
四ツ谷:でも「四ツ谷」という名字が一番多いのは、Y県らしいよ。
三井:そうなのか。となると、本土からK島に移ったのかも。
四ツ谷:そういえば、俺の祖父も自分の代で東京に移ったんだよね。曾祖父も台湾に移ったことが分かったし、根無し草の一族なのかもしれない。
三井:ちょっともう一度、除籍を見せてくれないか?
四ツ谷:はい。
三井:んーー?
四ツ谷:どうした??
三井:おい、気になることが書いてあるぞ。本籍地を見てくれ。「無家」と書いてある。
四ツ谷:家がなかったってこと? ひょっとして俺の先祖、浮浪者だったの?
三井:……。
非常勤講師・三井歩が新入生に歴史学の楽しさをレクチャー
「江戸時代におけるK島の支配体制について」
四ツ谷:前回は、除籍謄本を取り寄せて簡単な家系図を作ったわけだけど、次はなにをする必要があるんだ?
三井:次にやることは、言ってしまえば「勉強」だね。
四ツ谷:随分と簡単に言ったもんだ。何を勉強すれば良いの?
三井:ずばり、地方史だ。先祖調査には、先祖が暮らしていた土地の歴史を知ることが必要不可欠なんだ。産業、支配構造、文化……。
調査には、妥当性のある推理の積み重ねが大事。あらゆる情報を頭の中に入れておかないと、その推理がうまくいかないわけだ。
四ツ谷:なかなかハードルが高そうだね。
三井:正直、日本史について詳しくない人には難しいかもしれない。
今回は俺が案内役になるから、四ツ谷のルーツの地・K島について一緒に学んでみようか。
俺もK島については、これから知っていくわけだけど。まあ、四ツ谷は歴史に詳しくないとは言え、文学部出身ではあるから、古文も漢文も慣れればお手の物だろう。
四ツ谷:やってみよう。

三井:とはいえ、古代から学ばないといけないわけではない。江戸時代、それも後期の様子が頭に入っていれば充分だよ。一番大事なのは、支配体制と産業。どういう身分・職業の人々が暮らしていたか分からないと、先祖について推測すらできない。
さて、K島は天領、H藩の預地だったみたいだね。
四ツ谷:もう分からない。
三井:「天領」は幕府の直轄領のこと。「預地」はそのなかで、近隣の藩が管理を任されていた地域のことだね。
つまり、H藩から派遣された郡代、代官が島支配をしていた。郡代、代官ともに任期は3年。政庁は遠峰地区。
部下もたくさんいたから、離島だからといって、武士がいなかったわけではない。四ツ谷の先祖も遠峰出身だから、役人の可能性もある。
四ツ谷:島の役人って、なんかかっこいいね。
三井:郡代・代官の下で村を管理したのが、「公文」と呼ばれる上層農民。「公文」ってのはK島独特の呼称みたいで、ほかの地域で「庄屋」「名主」と呼ばれた人たちだね。ほか「年寄」「長百姓」という人たちが、実際に村を管理していたようだ。
ややこしいから、いずれも村長・副村長くらいの認識で大丈夫だよ。
四ツ谷:ふむふむ。俺の先祖が代官だったりする可能性もあるのかな。
三井:代官くらい身分が高いと、記録がしっかり残っている。四ツ谷姓の郡代・代官はいないから、少なくともその可能性はないみたいだ。
四ツ谷:だとしたら、普通のお百姓さんなのかな。
三井:そこを推理するために、まずは近代時点の職業別人口分布を見ようか。遠峰町の壬申戸籍に基づくデータを参照してみると、四ツ谷の本籍地は少し海から遠いけど、漁民はかなりいたようだ。割合で言えば漁民・商人の蓋然性が高いね。
※壬申戸籍:明治新政府による最初の全国的戸籍。身分差別的な記載も多く、現在では開示されていない。
それより、K島の歴史を調べていて、気になったことがひとつあるんだ。
四ツ谷:なになに??
三井:『K島町誌 下』によると、この地域に四ツ谷姓の家はかなり少ないと考えられること。下の引用を見てくれ。
遠峰の壬申戸籍を確認して特色と捉えられることは、加茂、山本、古館、原田等の特定名字の卓越である。一三一戸のうち苗字数は三五姓に区分されるが、うち加茂姓が五〇、山本姓が一八、古館姓が一〇、原田姓が七で、四姓で半数を超えている。
四ツ谷:ってことは何を意味するんだ?
三井:長くその土地に暮らしていると、同じ名字を名乗る子孫たちは増えていくのが普通だ。つまり、四ツ谷の先祖は、比較的新しい段階でK島に移住した可能性があるということ。
四ツ谷:でも「四ツ谷」という名字が一番多いのは、Y県らしいよ。
三井:そうなのか。となると、本土からK島に移ったのかも。
四ツ谷:そういえば、俺の祖父も自分の代で東京に移ったんだよね。曾祖父も台湾に移ったことが分かったし、根無し草の一族なのかもしれない。
三井:ちょっともう一度、除籍を見せてくれないか?
四ツ谷:はい。
三井:んーー?
四ツ谷:どうした??
三井:おい、気になることが書いてあるぞ。本籍地を見てくれ。「無家」と書いてある。
四ツ谷:家がなかったってこと? ひょっとして俺の先祖、浮浪者だったの?
三井:……。
