その誘導は、あなたを誘い込むためのものである可能性がある。

Tさんが見つけたのは偶然だった。

「靴を直してる最中、コンクリート壁にあったんだよ」

酷く不機嫌そうだ。

「あー、なんだっけ、QRコード? あの四角いブロックみたいなの」

近年では飲食店における注文や決済にも利用されているものだ。
それが、直している靴と同じ高さの壁にあった。

「たぶんシールかなんかで貼ってたと思う。普通に歩いてたらまず気付けないようなところにあった」

地面スレスレに隠れていた。

「まあ、暇だったもんだから、スマホで撮ってみたんだわ」

デッド・ドロップというものがある。
USBメモリのコネクタ部分だけが、飛び出るように壁に設置されたものだ。

スパイ同士の情報交換のためとも、芸術家による実験とも言われているが、実際にコネクタを刺せば情報を得られる。
十年近く前に流行ったものだが、その現代版ではないかとTさんは考えた。

「QRコードのリンク先にあったのは、場所だった。地図アプリと連携して、ここだ、って表示した」

さほど離れてはいなかった。

「まあ、な、割とワクワクしたんだよ。誰がどういうつもりかは知らねえが、こういうのは嫌いじゃない」

歩いて五分ほどのそこには、しかし何もなかった。

「地図アプリ使ったことがある奴ならわかるんだけどさ、ピンポイントでここだ、って風には教えてくれねえんだよな。店の場所は分かっても、隠れたQRコードまではわからんのよ」

Y字路の一角だった。
電柱、壁、自動販売機と調べたが、見つからない。
よほど上手く隠れているのか、誰かが剥がしたのか。

「まさか、と思って、自動販売機の上を覗いた」

そこにあった。
跳び上がるようにしてQRコードを視認したTさんは、腕を伸ばして撮影、スマホ画面に認識させた。

「そうしたらさ、変なアプリをダウンロードしろとか言ってくんのよ」

きっと手の込んだ詐欺だ。

「けど、そのとき持ってたのは、買い替えようとしてた古いスマホだった。スマホ決済もやってない。だから、まあ、最悪のことは起きないかなって、インストールした」

途端、後悔したそうだ。

「……やってたスマホゲームがあるんだけどよ。そこの宝石が5個分、とか言ってもわかんねんか。500円分がプレゼントされたって、ポップアップで表示が出たんだ」

それは、ゲームアカウント情報を盗られたことを意味した。

「次の行き先が地図アプリに表示されて、制限時間が表示された」

歩いて5分ほどであり、10分を表示するタイマーが減少を続けた。

「まあ、死ぬほど怪しいよな。こんなもんに関わるなんて正気じゃねえ」

後悔をにじませながらTさんは言った。

「……けどそんとき、俺は死ぬほど暇だった。友達との予定もなかったし、帰ってやることもなかった。ゲームのアカウント情報は盗られたけど、ここでジタバタしても仕方ねえと腹くくって、行くことにした」

どこか破れかぶれな気分だったという。

「着いたそこにもQRコードはあった。ちょっとした報酬があって、次の場所を指定された。だんだん距離と難易度が上がった。そして、なんかな、報酬も上がったのよ」

最初は500円だったが、1000円、2000円、5000円と段階的に上昇した。

「そこまでは、分かるんだ。いや金こそかかってるけど、金と技術あればできることだろ? クソ暇な金持ちが、汗水流して必死に小金を拾おうとしている俺のことを、こっそり覗き見て笑ってるんだってな」

違うと思えたのは、10000円の大台を突破した次だった。

「……俺が欲しがってたレアキャラが贈られたって、そう表示されたんだ」

そのゲームにプレゼント機能はなかった。
本人がガチャを引く以外に入手する方法は無いはずだった。

「慌ててゲームを開いてみたら、本当にありやがんの。あれはマジでビビった」

何回も確認したが確かにいた。

「次の指定先は歩いて一時間くらいで、時間制限も厳しかったけど、次はギフトカードを番号の形で贈るってあった」

ゲーム内の通貨と違い、現実にものを購入できる。

頭を冷やすためと、喉の渇きのために、Tさんコンビニに寄りスポーツドリンクを買った。

「……自動精算を使ったから、本当に少しの間だけだぜ? だっていうのに「あなたはルートを外れています、すぐに戻ってください」ってポップがすげえ出んの」

Tさんが歩き出した途端、表示は止まった。

「完全にこっちの動きを把握されてるって、それで分かった」

GPSの位置情報は本来、本人の同意がなければ他から入手できない。

「ここでギブアップすればよかったんだけどよ、その、な」

言いにくそうにTさんは言った。

「……金が、なかったんだよ。この程度で手に入るんなら、美味しすぎた」

無視することができなかった。
走って目的地にまで向かい、QRコードを探した。

「もう慣れたもんだったよ。これを作ったやつは、俺みたいな奴でも見つけることができて、そこらの通行人じゃわからない位置でいい、って考えたんだと思う」

リンク表示された番号を確認してみると、9万円と出た。

「マジで震えた。時給9万円だぜ? どんな闇バイトだよ」

次に行くべき地図表示も出た。
すぐ近くだった。

「本当に目と鼻の先だった。2ブロック先を行って右。楽勝だ。けど――」

足が止まった。

「9万円だ。確かに高い。高いんだけどよ。なんで9万円なんだ、って思った」

切りよく10万円ではない理由はなにか。
金を惜しんでの行動ではないはずだ。

「これさ、次に期待させるためじゃないか?」

確証はなかった。
だが、よく似た経験がTさんにはあった。

「あんた、ガチャってやったことあるか? あれって当たるときは当たるんだが、外れるときはトコトン外れる。沼にハマったとかって言うんだが……」

その「沼」の気配があったという。

「とんでもない大外れが連続する、こっから先は絶対に当たらないし、なにやっても無駄だって、頭の片隅で理解できるんだよ。俺だけかもしんないけど」

普段であれば無視してガチャを回すのだそうだが、その時のそれはあまりに強烈だった。

「だから俺は、近くのコンビニに寄って、待つことにした」

ルートを戻るよう促すポップアップ表示は繰り返し続いた。

「あんまりにもウザいから、途中で電源を切った」

急ぎ足で路地へ駆け込む、誰かの姿が見えた。

「たぶん、俺と同じように誘い込まれた奴だったと思う」

先程までTさんが浮かべていた興奮があった。

「で、そいつ、戻って来ねえの。その先って行き止まりのはずなのに」

次の行き先が提示されたのなら、もう出て来なければおかしいだけの時間が過ぎた。

「……俺がさ、戻って来なかったって言ったのはさ、信じたくなかったからなんだけどよ」

路地から出てきたのは二時間ほど経ってからだった。
同じ人間のはずだった。

「そいつ、警察官の格好してたんだよ」

入ったときは、Tさんさんと同類だった、怪しいアプリをインストールしてしまう程度には迂闊であり、金に目が眩んでいた。
本物の警察官のはずがなかった。

だから、通報することもできなかった。

「だってよ、もし通報したら「あの警察官」が路地に向かうことになるんだぜ?」

Tさんはスマホを再び開くことなく廃棄した。
9万円は心底惜しかったが、それすら諦めた。

「出てきた警察官の格好をしていた奴、周りすげえ見渡してたんだよ、まるで、誰かを探すみたいに」

Tさんは妙求市からの引っ越しを検討している。