その店は、通わない方が良い可能性がある。

処理課市職員の業務は多岐に渡り、激務でもある。
そのため、食事は近くの店で手早く済ますことが多い。

その忙しい中でも、足繁く通ってしまう店を紹介したい。

阿左美通りの先の丙玲(へいれい)横丁にひっそりとある「らーめん無在(むざい)」は、今でこそ知る人ぞ知る人気店だが、通い出したときは閑古鳥が鳴いていた。

メニューは無在ラーメンの一種類しかなく、値段は2000円。
チャーシューや味玉などのトッピングはもちろん、大盛りやライスもない。

よほどこだわりがあるのかと期待して食せばガッカリすることになる。
独特の香りこそあるが、ほとんど味がしないからだ。

透明なスープにちぢれ麺、ほうれん草や煮卵などのトッピングがあるごく普通の見た目だが、旨味も塩味も感じられない。
高いばかりの詐欺店だと怒って店を出ることになる。
店主の「ありがとうございます! またのご来店を!」という元気な声ですらも苛立たしくなる。

だが、無在ラーメンの真骨頂は、食べた後にある。

1時間後、ふと思い出したとき、ラーメンの味が変わる。
食べたときは味がしないと思っていたが、よくよく思い返せば、薄いがしっかり塩気はあったはずだと思い直す。

半日後に振り返れば、いや、ごく普通のラーメンだったと訂正する。
数日後には、少しばかり濃いめだったと考える。
3日後ともなれば、かなり濃かったと確信する。
1週間後には、口の中が塩辛さでいっぱいとなる。
2週間後ともなれば、何を食べても飲んでも一口で吐き出す。あまりに反芻しすぎたために、口にしたものを「この世のものとは思えないほど塩辛いものだ」と認識するためだ。

そうして、ふたたび「らーめん無在」へと足を運ぶことになる。

元気な店主を恨みを込めて睨みつけながらも出されたラーメンを口にすれば、すべては吹き飛ぶ。
この感動は、言葉では言い表せない。

一週間以上にわたり口中に塩を詰め込まれた苦しみを、涼やかさが洗い流す。
軽やかな香りが通り、麺をすすれば喉すらも清掃される。ほうれんそうは余計なものの一切を吸収し、煮卵はつるんと舌を慰撫し、口内に平和をもたらす。

味がないということもまた味なのだ。
一滴残さずスープを飲み干しながら、そう理解する。

呼吸すら塩気を感じていたというのに、食べ終わる頃には外気を舌で感じ取れた。
無在ラーメンとは、世界を味わうための料理だ。

「いやあ、材料費が高騰しましてね」

だが、ひとつ悲報がある。
元気な声で、笑顔のまま店主は言った。

「来月にはこの店、閉めるんですよ!」

移転や再開の予定は無いそうだ。