「なんで逃げないの?一颯がいるのに」
全身の熱が一気に頭にのぼり、千隼の胸を力いっぱい押し返した。だけど、次にはそれ以上の力で抱き締められる。「離してよ!」と騒ぐ私を無視して腕の力がさらに強くなる。
「好きだよ」
私は驚いて千隼を見た。
「夕璃が一颯を選ぶなら邪魔しないって決めてた。なのに、思わせぶりなことばっかするからムカつく」
「⋯」
「夕璃はどう思ってるの?」
「どうって、⋯私たち姉弟になったんだよ」
「分かりきった答えで濁さないで」
私を捕らえる視線はまっすぐで迷いがない。姉弟という足枷さえ千隼の手にかかれば簡単に捨てられてしまう。
「一颯の所に行かないで」
千隼の手のひらが私の頬を優しく包み込む。頭の芯が熱くなって思考が溶ける。
「私も」
「ん?」
「私も千隼が好き」
言い終えると同時に唇が押し付けられる。渇いた心が一瞬にして滴るくらい甘く濡れるのが分かった。千隼の腕に支えられながらソファに倒れる。
その時、ポケットからスマホが滑り落ちた。着信を知らせる画面を見て、千隼がそれに手を伸ばす。画面から発光するブルーライトが私と似ても似つかぬ顔を照らした。取り返そうとしたら、手を掴んで遮られる。やがて、スピーカになったスマホから聞き慣れた声がする。
「夕璃?」
一颯の声。私に跨った千隼は地獄の門番みたいに冷たい目をしている。
「あとどのくらいで準備できそう?」
「⋯ごめん」
「え?」
「ごめん、行けない」
「は?なんで」
焦れたようにスマホを奪われる。千隼はそれを遠くの床に滑らせ、確認するように私を見つめる。不安げに揺れる瞳。私は安心させるようにその頬に触れ、耳朶に刺さる銀の環を指先で撫でた。