きっとこれは疲れた時に見る悪い夢のようなものなんだと思う。あの春の夜から私はただの気の迷いを恋だと勘違いしているのだ。


翌朝、リビングに降りたらソファでスマホを弄っていた千隼が怪訝な顔で私と大きな鞄を見比べた。



「どっか行くの?」
「一颯のところ。おばさんたちが旅行で留守にするらしいからその間泊まってくる」



じっと絡みつく視線を解き、冷蔵庫を開けた。



「ごはんは冷蔵庫に作り置きしてあるから。お米くらいは炊けるでしょ?何か困ったことあったらいつでも連絡して」



振り向いたら、すぐそばに千隼が立っていた。びっくりして離れようとしたら腕を掴んで壁に押し付けられた。



「ムカつく」
「ちょっと、離して」
「俺のこと弄んでる?」



怒りと悲しみが入り混じったちぐはぐな表情。心を揺さぶられそうになって目を逸らしたら、顎を掴んで上を向かされる。



「一颯が好きなの?」



間髪入れず頷かなければならないのに躊躇った。それを見抜いたように私を捕らえる瞳が光る。親指で唇をなぞられ、千隼の顔が近づく。唇が触れると思った瞬間、突然視界が明るく開けた。