千隼に初めて会った日のことは一生忘れないだろう。
一緒に暮らす前の顔合わせの日、ドラマに出てくるような洒落たなレストランで食事をした。食べたことのない名前の料理は緊張のせいで味がよく分からなかった。
そわそわして落ち着かない私とは裏腹に千隼は毅然としていた。綺麗に料理を食べて、自然に会話をしていた。私だけ場違いな気がして泣きたくなり、気分が悪くなったと嘘を吐いて先に店を出た。
お母さんの再婚には賛成だ。お父さんと別れてから女手一つで私を育ててくれたお母さんには幸せになってほしい。寂しいなんて甘えちゃいけない。
河原の土手に座ってぼんやりしていると隣に誰かが座った。驚いて顔を上げると千隼だった。
「疲れたな」
私は立てた膝に頬を乗せながら無心で足元の草を千切っては捨てた。熱くなった瞼を春風が冷ます。
不思議と沈黙が苦じゃなかった。むしろ心地良かった。千隼の周りを流れる空気はちょうどこの川のせせらぎのように穏やかで何も急かさない。
不意にガサガサと音がして見ると、千隼がプレゼントの包み紙を開けていた。家族になった記念だと言って渡されたプレゼント。千隼は腕時計、私はネックレス。
「分かりやすくご機嫌取られたな」
千隼が呟きながら人差し指で腕時計をくるくる回して遊ぶ。薄闇の中で光る銀色の環を見ていたら、突然千隼がそれを強く握って遠くに投げた。ポチャンと気の抜けるような音がせせらぎを一瞬遮った。
「⋯ウソでしょ」
「必要ないし」
そう言って千隼は猫みたいに伸びをしてごろんと寝転がった。ピアスをしていることに初めて気づいた。骨ばった指を回っていた銀色の環より柔い耳を貫くそれの方がキラキラして見えた。
必要のないものを軽く放って捨てられる千隼を羨ましく思った。私も真似してネックレスを放った。千隼がそれを見て笑った。
「秘密」
「うん」
「ねえ」
呼ばれて顔を向けた瞬間、唇が触れた。泡が弾けるみたいに一瞬の出来事だった。