学校が嫌い。学校という空間が嫌い。
 出る杭は打たれる。それが社会の常識ってことを、私は中学の時に思い知った。
 目立たないように息を潜め、高校三年間をやり過ごすしかないと思っていた。

 月曜日。高校に入学して一週間が過ぎた。
 狭い教室の中に、四十人もの生徒が個性を殺してすし詰めになっている。教師も生徒の成績にしか興味がないから、何を考えていようがおかまいなし。私にとって高校は、そんなところでしかなかった。
 ダークブラウンのゆるふわヘアが視界の端で揺れる。
「若月。ノート落としてるよ」
 松本衣織が、ページが開いたままの私のノートを拾い上げてくれた。お礼を言いかけた時、真っ赤なマニュキュアが塗られた爪が添えられたページが目に入る。
 しまったと思った。授業中にクラスメイトの似顔絵を落書きしたページだったのだ。
 松本さんは、好奇の目を私に向けた。異質なものを見付けて、面白がっているようだった。
「市松人形みたいな顔して、実はオタクだったんだ。傑作じゃん! あんた家で漫画描いてるタイプ? つまんない真面目女かと思ってたけど、そうじゃなかったんだ!」
 私が黙ったままでいると、森脇美鈴が助け船を出してくれた。
「その絵、山本くんでしょ? 咲久良、美術部だもんね」
「そうだよ。授業中暇だったから、ノートに似顔絵描いちゃったの」
 松本さんは明らかに不機嫌になった。オタクだと揶揄できる状況ではなくなったことが不服なようだ。
「誰か呼んだ?」
 机に顔を伏せていた山本尊が顔を上げる。
「俺が何?」
「そっくりだよね。山本くんをキャラクターにしたら、こんな感じになるんじゃない?」
 美鈴が山本くんとノートの絵を見比べて言う。
「ほら、山本くんも見てよ」
 美鈴が自然にノートを取り返してくれた。
 ノートを受け取り、山本くんは口角を上げた。寝起きの顔が一気にほころぶ。
「へえ。良く描けてんじゃん」
「これは何してるわけ?」
 松本さんが不貞腐れたように言う。真っ赤な爪の先には、指揮棒を持って宙に浮いたサッカーボールを操っているイラストがあった。
「中学の時、山本くんのポジションが、ボランチだって聞いたから」
「ボランチって何?」
 松本さんと美鈴が声をそろえた。私の代わりに、山本くんが応えてくれる。
「ミッドフィルダーのひとつで、攻守に関わる司令塔みたいなものかな。指揮者っていうのは、的を射てると思う」
「今も、ボランチなんだ」
 私の言葉に、山本くんは頷いた。
「先輩がいるから、試合には出してもらえねえけど」
 松本さんが人差し指を顎に添え、値踏みするように私たちを見比べる。新しいオモチャを見付けて、攻撃したくてたまらないようだ。
「あんたたち、前から怪しいと思ってたんだけど、ずばり、付き合ってるでしょ」
「ちょっと松本さん!」
 美鈴がすかさず咎める。
 私はといえば、予想外の指摘に全く反応できなかった。
「その沈黙は、肯定したってことでいいよね?」
 私はかぶりを振った。
「付き合ってないよ。どうして?」
 松本さんは唇を尖らせる。
「えー? 絶対そうだって思ったのに」
 松本さんはそのまま身を乗り出し、山本くんに詰め寄った。ボタンをふたつはずしているブラウスの胸元から、派手なキャミソールのレースが見えていた。山本くんには、下着まで見えてしまっているのではと、少し心配になる。
「でも山本は、絶対若月のこと好きだよね! ばればれだもん! 森脇だって気付いてるでしょ? 気付いてないの、本人だけ!」
 私は半信半疑で、山本くんに視線を向けた。
「そうなの?」
 山本くんは、私と目を合わさずに言う。
「俺は付き合いたいんだけど、相手にされないってわかってて、玉砕する勇気がないだけ」
「うわあ……結構露骨なこと言うんだ。爆弾発言だし」
 反応したのはやはり松本さんだ。私は目を見開いて絶句していた。
 山本くんが何事もなかったかのようにノートを返してくれる。
 チャイムが鳴ったので、会話はそこで終わってしまった。