ザッ、ザッ、砂の混じったアスファルトを引き摺るような足音と、凍える体温に嫌気がさす。
 堤防の付近をただ歩いていくふたりの男。最近元恋人が結婚したガキなおれと、年齢不詳の年上ゲイ。そして今夜はクリスマスイブ。
 ここにはサンタもツリーもプレゼントもない。
 暗闇の中、微かな星の明かりと海辺のにおい。波打つ音はどこか違う世界みたいで心地が悪い。

「椿さん、今日おれに会わなかったら、どう過ごしてましたか」

 人ひとり分前を歩くガタイのいい男。案の定自分よりも大分背が高い。
 振り向きもせず、タバコをふかす。溶けていく白さが息なのか煙なのかは未だわからない。

「さあ? ひとりでここを歩いてたかもな」
「……なんでおれに声をかけてきたんですか」
「言ったろ、顔がタイプだったって」
「嘘つけよ、オープンにしてないくせに、そんな堂々とナンパなんてするわけない」
「じゃあおまえが、自分と似たような目をしていたからかもな」

 風が吹く。ウミネコが飛んでいく。
 おれは、今日、誰かを傷つけたくて仕方なかった。
 傷つけて、ずたずたにして、ぼろぼろに泣かせて、そしたら少しは気が晴れるのかもって。
 死にそうな目って言ったくせに。それが自分と似ているってなんだよ。ふざけんじゃねえよって。

「アンタ、こういうことして、人を救った気になってるんだろ」
「うん?」
「おれみたいな、人生どん底の奴にちょっとやさしくして、自尊心保ってるんだろ。そうじゃなきゃ、おれたちみたいなゲイは、生きていけないだろ」
「他のゲイに随分失礼なこと言うな、おまえ」
「少数派なことをずっと後ろめたそうに話すアンタに言われたくないです」

 タツキ、と。
 少し前を歩いていた椿さんが突然振り返る。金髪で、背が高くて、ガタイが良くて、ひどく綺麗な顔立ちをしている男。

「俺のこと傷つけたいならもっと他の話題で刺しな。もう何十年も向き合ってきたことに、今更何言われようが感情なんて動かねえのよ」

 傷つけたい。ずたずたにしたい。誰かをいっそのこと泣かしたい。
 
「悪いけど、救おうだなんてそんな大層なこと考えるほど俺は人間できちゃいねえの。クリスマスイブにタイプの男がいたから声をかけただけ。ま、おまえが同じゲイだったのは想定外だったけど」

 無性に、どうしようもなく、拳ひとつで握り潰したい欲求を、まるで掻っ攫っていくように。
 スポーツカーは突然現れておれを乗せた。走った。着飾る街と、音のしない静かな道を。
 椿さん、アンタ、やっぱりおれのことがタイプだったのかよ。つうか、あれがナンパのつもりなら、相当センスないね。

「悪いけど、おれはもう恋愛しないって決めてるので」
「勝手に話進めんなよ、大学生は対象外だっつったろ」

 じゃあ、なんなんだろうな。
 今日こうして、クリスマスイブを見ず知らずの男と過ごしている、バカみたいな話はさ。
 おれは同性愛者で、軽率に運命を信じていて、あっけなく初めての恋人に振られて、そうしてアンタに出会った。
 映画やドラマや漫画なら、ここでおれたち、恋にでも落ちてたかもな。

「……椿さん、年齢は?」
「32。10個も年上な」

 なんだ、もう、誤魔化さないのかよ。

「初めて自分がゲイだって気づいたのは」
「27の時だな。どうにも異性を好きになれなくて、ゲイバーに行ってはじめて自覚した。彼女はいたことあるけど、バイではないと思う」
「……最後に恋人がいたのは?」
「去年の冬。ま、でも恋人ってより、セフレに近かったけど」
「じゃあもしかしてちゃんと付き合ったことない?」
「まあそういう意味で言えばそうかもな。ゲイって気づくのが遅かった分、お前の言うとおり、引け目を感じることも多いしな」

 こんなに綺麗な顔をしているくせに、人の優しさに触れずに生きてきたのか。不器用で鈍感な奴。

「じゃあ好きなタイプは?」
「……睫毛が長い男」

 ふうん。すんげえわかりやすいね。

「おまえは?」
「え?」
「タツキ、おまえの好きなタイプは?」
「……だから恋愛はもうしないって」
「いいね、おまえのそういうブレないところ」

 潮の匂い。海のにおい。煙草の匂い。微かに香る冬のにおい。
 家に帰ったら真っ先に、あの人の連絡先を消そう。SNSも全てブロックして、もう思い出すことがないように。知らない場所で、勝手に不幸になってくれ。まあ、たまになら、幸せでいてくれてもいいけど。
 
「寒い、もう車戻りませんか」
「確かにな、付き合わせて悪かった。ていうか、そろそろ家に送り届けないとだしな」
「あのさ、コンビニ寄ってケーキでも買わない?」
「……へー、かわいいとこあんね」
「もちろん椿さんの奢りね」
「おまえ俺の家にでも来るつもり?」
「別にどこでもいいけど、ケーキくらい一緒に食べてくれたっていいでしょ」
「言っとくけど手ぇ出さねえよ? 大学生は範囲外って言ったろ」
「だから、おれももう恋愛はしないって」

 ふ、とガタイのいい男が目を細めてわらったから、俺もつられて笑みが溢れた。
 サンタもツリーもプレゼントもない。天使はここへやってこない。目の前にいるのは今日初めて出会った同じ性趣向の男だけ。
 史上最悪のクリスマスイブ。そんな名前をつければなんだか格好がつくかもしれない。

「椿さん、おれさあ、睫毛が長いのが唯一の自慢なんだよね」
「そうだろうと思った、綺麗な目ぇしてんだもんな」
「地獄みたいな目って言ってきたの誰だよ」
「コンビニ行くぞー」
「あ! 誤魔化した!」


 無性に誰かを傷つけたい。
 そんな衝動がぶつかった、クリスマスイブのこと。



【傷つけたくて仕方ない】2024.12.24 fin.
⁂BGM / 天使とスーパーカー by カネコアヤノ