「そういえば、椿さんは何も聞かないんですね」
「何を?」
「おれが同性と付き合ってたって言っても、普通に話進めるから、当たり前みたいに話しちゃいましたけど」
「ああ、それね、俺もゲイだから」
「え、」
「ていうかすっげえ悪趣味だと思うけど、車乗れば、なんてナンパだろ、普通に考えて」
「……は?」
「まあ、おまえが死にたそうな顔してたのは事実だけど。好みの顔してんのも気になった要因ではあるだろ」
「いや、何言って」
「じゃなきゃ咄嗟に声なんてかけねえよ、流石に俺もそこまで頭のネジ一本飛んでねえっつうの」

 さっきまで失恋話をしていたのに。
 突然何でこんな話になるんだ。ていうか、こんな日に声をかけてきた男が同じセクシャリティだなんて、出来すぎた話だろ。
 そしておれは、そんな男の車にのこのこ乗って、無防備な奴だよな。まあそれはもういいんだけど。おれだってもうハタチを超えた、法的に言う大人なのだし。

「へえ、じゃあ椿さんは、おれのことがタイプってわけだ」
「おまえ、突然生意気になるね?」
「そっちから吹っかけてきたくせに、よく言いますね」
「まあでも、悪いけど大学生は許容範囲外ってヤツ。悪いね」

 はあ? 自分から話をふっておいて、なんでおれがフラれたみたいになってんだよ。めちゃくちゃ腹立つ。

「……じゃあなんでわざわざ自分がゲイなんて打ち明けてくるんですか」

 言わなくてもいいのに。そもそも、見た目からして、普段からカムアウトしているとは思えない。そういうものは、言葉にすると難しいけれど、同じ属性だからこそなんとなくわかるものだ。

「おまえひとりにだけ言わせて黙っとくなんて卑怯だろ?」
「だからって、好みの見た目とか嘘つかなくてもいいじゃないですか」
「別にそこは嘘じゃねえよ」
「なんだそれ……」

 ぬるくなったカフェオレで喉を潤す。
 一体いつまでこのドライブは続くのだろう。

「おまえ、自分がゲイだって気づいたのいつ?」
「……突然そんなこと聞くんですか」
「自分から出会いに行って会うことはあるけど、こうやって偶然同じ奴に会うことってそうそうないだろ? タツキは興味ねえの」

 そう言われれば、そうだ。
 特におれは、そういった同じセクシャリティが集まる場所に進んで足を運んだことがない。つまり、初めてだ。こうして自らゲイだと名乗る男と話すのは。

「……いつだろ、気づいたら……中学生の時にはもう、性的対象が同性ってことはわかってて」
「へえ、結構早いな」
「そういうもんですかね? 椿さんは?」
「……いつだったかな、忘れた」
「はあ?」

 聞いておいて、ふざけんなよ。この人、そういうところあるな、そういえば。年齢も誤魔化されたんだった。
 窓の外は暗い。飾られた街中から離れたからだ。いくあてもなく走っていく車の中で、初対面の男と何をべらべらと話しているのだろう。急に冷静になると喉元がひゅっと音を立てた。

「タツキみたいに、真っ直ぐ相手のこと好きになるのなて、もう何年もしてないな」

 そして、陽気な音楽と共に、横からそんな言葉を吐き捨てる。
 
「真っ直ぐ、でもないですけどね」
「俺らみたいなのはさ、そういう、世の中に溢れてる当たり前みたいな幸せを、どこか傍観してたりすんだろ」
「まあ、そういうひともいますね」

 とくにそうだ。椿さんみたいに、きっと周りにカムアウトしていないような人。自身のマイノリティを誰かに明かすことは、誰もができることじゃない。
 どれだけ時代が多様性を謳っても、言えないことなんて山ほどある。

「だから、運命なんて信じてるおまえが、すげえかわいく見えるのかもね」

 運命を信じてるなんて、ガキみたいだろ。
 同時におれは、22歳にしてはじめて、恋愛なんてものがただの幻想でしかないことを知ったんだよ。

「……もう信じてないです、恋愛もしたくないし、おれはね、どうにかこうにか、ひとりで生きていくんですよ。誰かにのめり込んで自分を見失っていくのなんて、もう懲り懲りで」
「悪い大人に雑な扱いされたくらいでそんな意地張るなよ」

 悪い大人、か。確かに。
 結婚したあの人は、おれより10歳も年上の、優しい顔をした悪い大人だった。異性愛者のくせに、同性愛者に理解があるふりをして近づいてきて、簡単に手放していく。
 おれたち同性愛者は恋愛にひどく臆病だ。特に日常で出会う相手との感情の共有はお互い腹の探り合いで、オープンに出来ていないのには何かしら理由がある。
 そこに漬け込んでいたのかもしれない。あの人は、おれ以上に、誰かがそばにいないと駄目な人間だったから。誰かに依存されることで自分の存在価値を試しているような、そんな危うさに、ずっと絆されていた気がする。

「椿さんは、やっぱりオープンにはしてないんですか?」
「ああまあ、そうだな。知ってるのはごく僅か。タツキもだろ」

 今日が初対面のくせに、お互いのそんな部分が何となくわかるのは、おれたち側特有なのかもしれない。

「まあ、おれは別に、バレたらバレたでもいいんですけど。進んで自分からは言わないですかね」
「そ。俺は周りじゃフツウにしてるな」
「ふうん……」

 フツウと呼ばれるものが、異性愛者、だということは、もう痛いほどわかってる。

「いいの、それ、返事しなくて」
「しません。これがドラマや漫画なら、ここで元恋人に電話でもして、ありがとうとか言うんだろうけど。おれはたぶん、しね、ぜってえ幸せになんなよ、一生不幸でいろって、そんなことしか言えないし」
「殺してやるぐらい言えば?」
「椿さんの方が物騒だな」
「おまえの死にそうな目の方がよっぽど物騒だったよ」

 数分、いや数時間前、街中に佇んでいた自分のことか。
 ずっと光っていたスマホの電源を落としてやる。ひどく惨めな自分が送った最後のメッセージを、ずっと抱えて生きていけよ。おれは一生、あの人の前になんて現れてやるものか。

「椿さん、最後に恋人いたのいつ?」
「さあ、いつだっけな」
「あんた、おれには色々聞くくせに、自分のことは何も話さないですね、ムカつく」
「恋人って呼べるほど、誰かを信頼したことがなくてさ」

 おれの「ムカつく」に被せるように。わらいながら、なんでもないみたいにそう言うと、車がゆっくりと停車した。
 暗闇の中を走っていたからか気が付かなかったけれど、いつの間にか海の方までやってきていたみたいだ。

「どうせ暇だろ、ちょっと付き合ってよ」

 そういいながら後部座席のダウンコートを手に取って、ニット帽をおれへと放り投げる。こんな寒い中外に出ようだなんて、どうかしてる。
 だけど、数時間前まで誰かを無性に傷つけたかった自分のほうが、きっとどうかしていたな。