誰かを傷つけたくて仕方ない。
えんじ色のマフラーをぐるぐる巻きにして、両手は何年前に買ったのかわからないへたれたコートに突っ込んだまま。天使が吐いたみたいな一等星にむかって息をすると、そいつは煙のように形を纏ってふよふよ浮いていく。気持ち悪い。唯一の自慢である長い睫毛の先が凍って冷たくなって、だけど意識を手放すには何もかもが足りなさすぎる。人生経験、正しい知識、呆れた覚悟、そういうもの。
気持ち悪い。この世の全て、政治も宗教も家族も恋愛も教育も何もかも。全てとか知らねえし。全てなんて言葉を使うくせに、こんな数少ない事象しか出てこない自分の人生の怠惰さにも吐き気がする。
今、鋭い何か、刃物のようなもの、そういうものを持っていたら、危うく誰かを刺してしまうところだった。誰でもいいし、理由なんてないし、無性にどうにかこうにか傷つけたい。ずたずたにして、ぼろぼろにして、跡形も無くなって、そうして助けてくれとおれに縋って泣き喚く姿を見てみたい。知らない人間の幸せを願うどころか不幸を祈ってる。誰でもいいから自分より不幸になってくれよ。そうじゃなきゃこんなの何の辻褄も合わないだろ。
自分がひどく惨めで仕方がない。だから、誰かを傷つけたい。
「オニーサン、地獄みたいな目ぇしてるね」
ふよふよと。煙草の煙みたいに染まる白い息が邪魔をして、声の主を特定できなかった。或いは自分の視線が揺らいでいるからかもしれない。
クリスマスイブ。ツリーやイルミネーションがひかる街角の道路脇。
白い息の向こうには、赤いスポーツカーからこちらに身を乗り出す男がいた。
「喧嘩売ってますか」
「まさか、死人みたいな顔した奴にそんなことしねえよ」
「絡んでこない方がいいですよ、おれ、今何しでかすかわかんないんで」
「それは物騒な方の意味?」
「だったらどーするんです」
「そんな華奢な身体で何ができんのよ」
「……喧嘩売ってますよね」
「てか寒くない? 隣乗ったら?」
新手のナンパか何かか? おれ、男だけど。
じとっと車の窓から半身乗り出す彼を見ると、タバコを咥えながらわらっていた。なんだ、この白い煙ようなもの、息の暖かさじゃなかったのかよ。
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