ここまで『ある本』を読んで確信したことがある。白い女は世間一般にいう山の女神ではないということ、この怪異に関わった者はなんらかの形で他者を巻き込まずにはいられないということだ。
 A君がいい例だ。意図的にしろ無意識にしろ、まずは祖母を巻き込んだ。祖母は他者を巻き込む前に亡くなったが、A君は新たにTちゃんとE先生、そしB君にも白い女の話をした。結果、E先生は事故に遭い、Tちゃんは発狂、B君は行方不明となった。そしてA君の家の隣人Uは、A君もしくは彼の家族に白い女の障りをうつされた。

 探偵役だと思っていた筆者Nも、こうして本に纏めることで、より大勢を巻きこもうとしたのではないだろうか――…。

 だとしたらこの本に救いなんて無い。事実、どこかで『ある本』を手に入れたHが新たに白い女の怪異に見舞われ死亡、Hから本を貸りたR子は、同級生の話によると精神を病んで入院している。
 背中を冷たい汗が伝った。
 すでに私も輪の中に組み込まれているのだろうか。だとしらたら、すぐにでも手を引いた方がいいかもしれない。
 私は本を引き出しの奥にしまい、鍵をかけた。
 だがそれだけでは心許ない。少し考えて、ウオークインクローゼットの中の小棚に場所を移して鍵をかけた。さらに、インターネットからプリントアウトした魔除けの札を小棚の引き出しに糊で貼りつけ簡易封印する。糊は米を潰して日本酒でのばした特別製だ。駄目押しで小棚の鍵は鍵つきの箱に入れた。
 これで簡単には開けられない。だが、安心はできなかった。部屋の空気が重い。今にも天井がミシミシと音を立て、青白い手が窓や戸を叩きそうだ。

 気分転換しようと、一階に下りてコーヒー豆を挽く。
 がりがりがりがりと豆を潰しながら、香りを愉しんでいるうちに、心が少しずつ落ち着いてくる。豆を挽くなんて久しぶりだ。せっかくなので銀のスプーンに角砂糖を載せて、ブランデーをたっぷり浸みこませる。
 部屋に戻り、崩れかけた砂糖にマッチで火をつける。
 青い炎とともに、ブランデーの芳醇な香りが立ち昇った。豊かな三種の甘みが、口の中でまろやかに絡み合う。体の内側から温まり、ほっと息が漏れた。
 それにしても、白い女の話は不幸の手紙やチェーンメールに似ていないだろうか。もしくは古い邦画の、見た者が死ぬ呪いのビデオテープだ。違うのは他者に手紙やテープを回したところで、呪いからは逃げられないこと。
 ならばなぜ、白い女に遭遇した者は他者に話を伝えようとするのか。まるで怪異に、自己増殖していくためのプログラムでも組まれているみたいだ。

 いや、さすがにそれはないだろう。いくらなんでも、無限に増え続けていく呪いなどあり得ない。そんなものが実在すれば、たちまち日本中が呪われた人間だらけになってしまう。

 だが一度関わってしまえば、簡単に環から逃れられないのは事実だ。その影響は受け手側によって重さが異なるようだが、さて、私の場合はどうなるのだろう。
 R子は今、どうしているだろう。
 ふいに気になった。知りたいような知りたくないような…。
 Nが怪異を広めるためだけに本を書いたというのは邪推で、この先のページになんらかの解決が記されていればいいのだが。
 なんだか酷くモヤモヤした。罠に嵌められた感じが拭えない。
 早く続きを読みたいような、読みたくないような。この気持ちすらも、何者かに操られているような気がした。

 私はしばらくクローゼットを見つめていた。気がつくと、二の腕にびっしりと鳥肌が立っていた。怪談を読んで、こんなに怖いと思うのは久しぶりだ。
 ぜひこの怪異を深堀して傑作を書きたい。
 そんな欲望が胸の奥で燻っている。とはいえ死んでしまっては元も子もない。無謀で得られるのは後悔と絶望だけだ。慎重にことを進めよう。クローゼットの奥から漂う吸引力を振りきって、私はルールを設けることにした。

一、『あの本』を読む時はなるべく大勢がいる場所で、明るいうちにする。
二、読まない時には『あの本』を施錠した場所にしまい、簡易的な封印を施す。
三、少しでもおかしな気配を感じたら、白い女について考えるのをやめる。
四、風呂場以外では常にお守りを身に着けておく。

 これだけ念を入れれば、少しは安心できるだろう。
 気を取り直してノートパソコンを開く。先日、オカルト板で白い女について投げかけておいた。何か反応はあるだろうか。
ページを開くと、スレッドが十三まで展開していた。意外な反応のよさに目を瞠る。
ひとまず上から順番に読んでいく。たいていが冷やかしのコメントだった。こんなものかと思いながら、一応すべてのコメントに目を通す。
 するといくつか気になる書き込みがあったので、紹介する。なお同時刻および匿名の投稿については字数の都合上、コメント番号とコメントのみの表示とする。