●山には醜い女神が住んでいる。女神は祟り神で、山に入った者を惑わすだけでなく、村に降りては悪さをした。
 その昔、高名な僧が村を訪れた。僧は山の頂に祠を立て麓に注連縄を巡らし、女神が山から出られないよう封じた。台風で注連縄が外れたり祠が壊れたりすると、しばしば麓の村で神隠しが起きたという。
…中略……
 一月、五月、九月の十六日は、山に入ってはいけない。
 なぜなら、山の神が神木を数える日だからだ。その日に山に入ると、木の一本として数えられ、その場から動けなくなってしまう。木として数えられた者は、あちらの世界に入り込み、二度と戻ってこられない。
 ある風の強い日のことだ。魔除けの鈴を着けた猟師が、鹿を追って山の奥へ奥へと入っていた。その日は昼だというのに暗く、山全体がざわざわと騒がしかった。
 鹿は木々の間へと消え、嫌な気配が漂い始めた。猟師は早々に引き上げようとした。すると腰に着けた鈴が、リーン リーンと鳴った。

 リーン リーン 

 共鳴するようにどこからか鈴の音が聞こえてきた。不思議に思って音を辿ると、まだ幼い雰囲気を残した青年が、三股に分かれた古木の根元で膝を抱えていた。
 青年はボロボロの着物をまとい、じっと俯いていた。声をかけても呆けた顔をするばかりで、立とうとしない。放っておけず、漁師は青年を背負って山を下りた。青年は骨と皮ばかりで驚くほど軽かった。
 家で白湯を飲ませるとようやく落ち着いたので話を聞くと、青年はいつから山にいたか分からないという。禁じられた日に山に入り、気がつくと真っ暗闇に浮かんでいたそうだ。
 膝を抱えて座ったまま立ち上がることができず、そのまま浮かんでいると、立派な大木に混じり、自分と似たような姿勢の者がいるのに気がついた。立派な着物に烏帽子をかぶった青年や、ボロをまとった童――他にもいたが皆一様に痩せ、青白い顔に無表情で浮かんでいたという。

 彼らは一体いつからそうしているのだろう。
 
 考えたら急に恐ろしくなって、なんとかここから出なくてはと思った。だが、どうしても動けない。声も出せず、あたりには耳の痛くなるような静寂が漂っていた。
 時おり闇の中を、悲痛な叫びを上げて逃げ惑う者がやってきた。そのうち、闇の向こうから怖気の立つような気配が近づいてきた。女だ。長い髪を振り乱し、青白い女が走ってくる。女は身の毛もよだつような醜い顔をしていた。
あれはきっと山の神だったのだろう。
 翌朝には青年は煙のように消え、布団の上には一握りの塵が残っていたという。

…中略……

 ●山の麓の村では、禁じられた日以外でも山に入る者は少なかった。神隠しがたびたび起こるからだ。特に夕暮れ時や子供の場合が多かったという。
 狩猟や採集に行く場合は決められた作法を守り、魔よけの鈴を持って万全の態勢で山に挑む。しかしそれも気休め程度で、山をよく知る猟師以外は、いつしか誰も●山に近寄らなくなっていった。
 だが時折、村の中でも神隠しが起きた。とくに盆など、この世とあの世の境が曖昧になる時期は、村の中で白い女の姿を見る者がたびたび現れた。また、月の無い夜には、村人は早々に戸締りし、朝まで雨戸を閉ざして家に篭ったという。
 やがて戦争が起こると●山は焼け、祠も注連縄も無くなった。その後、戦後の復興と共に山が拓かれ、今の●●●●町ができた。
●●●●町では年に七回ほどのペースで神隠しが起こった。そこで町の中に祠を建て、周囲の土地に注連縄を張り巡らせと、神隠しの頻度は減ったという。


 筆者はある種の納得とともに、本を閉じた。やはり白い女はこの地域の山の女神と考えていいだろう。問題は祠に封じられているはずの女神がなぜ、A君の前に現れたかだ。
 祠の場所は書物には記されていない。町中の神社や社をくまなく探せば見つかるだろうか。いくら狭い町といっても、四泊では厳しいかもしれない。
 それにしても、山の女神もとい白い女は、なんのために人間を連れていくのか。分からない。怪異にも一定の法則が存在するものだが、その法則性が人間の感性と頭では理解できない場合も多々ある。
 とにかくもっと情報が欲しい。書物だけでなく住民、それも戦争前のまだ●●●●町が山だった時代から、このあたりに住んでいた人に話を聞きたい。

 その後、筆者は古い定食屋で昼食をとり、町を歩き回って話を聞く相手を探した。町の集会所を何軒か回り、ゲートボールに興じている老人たちの一人に話を聞いた。