君の匂いを知っている


「母さん、ただいま」

 玄関のドアを開けると、パタパタと二つのスリッパの音を立てて話しながら廊下へ出てきた。

「昴、遅かったね。夕飯できちゃったよ〜……って、誰、その背中の美青年は……」

「お兄ちゃんおかえりー……えっ?」

 背中にいるなぎに対して、困惑した二人に昴は「公園で拾ってきたんだ」とだけ伝えた。妹のりさにはケーキを冷やしてもらうよう頼んでから、昴はなぎを自分の部屋に運ぶ事にした。

 まず、なぎをベッドに転がしてエアコンで部屋を温める。

 着替えをクローゼットから出し、びしょびしょに濡れた服を脱がせると、ふとなぎの身体に目が止まった。
 痛々しい無数の傷跡が身体中に散らばっている。

「俺が見ていい物じゃ無かったよな……」

 きっと……いや、絶対に、見ず知らずの人間なんかに見られたくなかったはずだ。

 寝ているから聞こえないとはわかっていたけれど一応、ごめんと一言謝って昴のサイズアウトしたパーカーとスウェットになぎを着替えさせた。

 なぎの服を洗濯機に投げ込む前にポケットを確認すると、スマホと、とある免許証が出てきた。

『佐藤美穂』という名前の免許証とスマホをベッド横のサイドテーブルの上に置きながら昴は不思議とその女からは、なぎの面影を感じられた。

 転がせたなぎの隣に座って、白髪を指に通す。雪のせいか少し軋んでいる。ずっとその髪を触っているとなぎがぎゅっと昴に抱きついた。

 もごもご寝言を言っている。その言葉が微かに昴の耳に届く。

「行かないで、母さん、ばぁちゃん……。俺を1人にしないで」

 なぎに何があったのかは、わからなくても苦しい過去があるのは流石に鈍い昴でも察しがついた。

「大丈夫だよ、1人じゃないよ」

 なぎの震えた手を握って、背中をさすりながら昴は「大丈夫、大丈夫」と繰り返す。次第に、震えが収まってくる。真っ直ぐ落ちてくる涙を手でぬぐってあげると、なぎは息を吐き出して落ち着いたように眠りについた。

 なぎが寝ているのを確認して、昴は静かにリビングへ戻った。

 リビングに帰るなりすぐに昴は「あの子どうしたの?」とエプロンをつけた昴の母——最上(もがみ)実里(みのり)から尋ねられた。無理もない。事前の報告も無しで息子が見知らぬ男を連れて帰ってきたのだ。
 突然家に友達を連れて帰ってくる事は、昴でもりさでも以前一度もした事がなかった。
 何の用意もしていなかったから実里は昴を咎めようとしたのだろうが、ぐったりとした状態のなぎを見ても尚叱りつけるような厳しい親では無かった。

「公園で一人で寝てたんだよ。放っておいたら凍死するかと思って……あれ、俺のリュック無い」

 なぎを運ぶ時に、自分のリュックを地面に置いて、そのまま公園に置いてきてしまったのだと今気付いた。
 防水加工はされているから多少は大丈夫だろうけれど。このまま放置するわけにもいかない。

 ついさっきかけたばかりの濡れたコートを手に取った時、「昴ってば、昔からそういう所変わらないなぁ」と実里は眉を下げて笑った。

「どういうこと?」

 何を言っているのかわからない、という顔をする昴にりさは「お兄ちゃんは昔から優しいんだって事でしょ!」とにっこり笑った。