昴はギィッというドアの音と共に、『Bar夜凪』に入ってきた。

 タートルネックのセーターの上から黒いナイロンジャケットを羽織って、ジャケットの上からは梛が一昨年のクリスマスに贈ったマフラーを巻いている。

「いらっしゃい……お! 昴、待ってたよ」と風さんが迎え入れる。

 昴はカウンター席に座って「風、いつも梛の事ありがとな」と笑った。昴の言葉は、風に感謝している言葉なだけのはずなのに、梛からすると惚気ているようにしか聞こえない。

その言葉の節々から、愛されている事を感じる。

「梛くんからも聞いてるけど、相変わらずラブラブだねぇ」

「まぁな、今年で十年目だから」

 あの日昴が梛を助けてから十年。ここで働き始めてからも十年。

 くだらない事で喧嘩したり、中身のない話で笑い合ったり。

 喧嘩しても仲直りするのはその日のうちで、お互いの文句はちゃんとまっすが伝えて。
 たくさんの思い出が今日までに出来た。

 初詣に二人で行ったり、バレンタインにもお菓子を贈りあったり、お互いの誕生日を盛大に祝ったり、花火大会もクリスマスデートもした。

 毎日が大切で、幸せだった。

「毎年絶対記念日にここで過ごしてくれるの、なんか誇らしいよ」

 風は本当に嬉しそうに微笑んだ。人の幸せを素直に喜べる風は凄い。

「去年はギリギリだったけどな……」

 去年の今頃は結局、昴が依頼人との電話が長引いて、夜11時40分くらいに店に来た。

 本当にギリギリだった。あんなにチャラそうでも、人気の弁護士なのだ。休みなんてなかなか手に入らない。

 だから、たまにある休みで一日中一緒にいれる時間がすごく貴重で重要な物だ。

 それに……もう、今日からは恋人同士じゃない。同性婚が合法化されて、早一年。ようやく今朝、二人で一緒に婚姻届を出しに行った。

「梛、カクテルよろしく」

 昴が微笑んできて、梛も頷く。

 シェイカーの中にホワイトラム、ホワイトキュラソー、レモンジュースを注ぎ込む。続けて、(ふち)いっぱいになるように氷を入れる。

 蓋をして、十五秒ほどシェイカーを振って冷やしてあるグラスに注いで完成。

「どうぞ」

 今の梛にこのカクテルはぴったりだ。
 昴は「ありがと」とカクテルを飲み干した。

 昴が店に来てから一時間ほど経って「梛くん、早く上がっていいよ」と風に言われた。

「……でも」

 梛は風が大変じゃないかと心配していたけれど風はそんな様子は見せずにくすっと笑った。

「今日だけ特別、結婚おめでとう」

 風は今も昔も変わらず優しい。梛はお言葉に甘えて早く上がらせてもらう事にした。

「……ありがとうございます! 昴、外で待ってて」

「うん、じゃあな風……あ、りさの事よろしく!」

「もちろん!」

 昴が外に出たのを確認してから、急いでスタッフルームへ行き、私服に着替える。

 ギィッと店のドアが開く。昴が帰ってきたのかと思いきや、お客さんが来ただけだった。

「いらっしゃい、お客様のお悩みは何ですか?」

「悩み……?」

「えぇ。この店のコンセプトはお客様のお悩みに合わせたカクテルを提供する形なんです」

 どうやら、こっそり聞いているとお客さんは一人らしい。梛はそれに安心して店を出た。

「お待たせ!」
 
 昴が思い出したかのように「あ、梛。ちょっと耳貸して」と言った。

 意味もわからず梛が頷くと昴はにっこり笑って耳元で口を開いた。

「永遠にあなたのもの」

 さっき昴に提供したカクテルの意味を囁かれた。

「……お前、いじってるよな? それは絶対」と言い返す。

「いじってないよ、嬉しいし」

 昴は真面目な顔で真剣に言う。

 その眼差しは本当なのだろうな、と思いつつもまだ疑いは晴れていない。

「梛は、永遠に俺の物」

 そう言って嬉しそうに笑う昴に何も言えなかった。ぎゅっと胸が締め付けられる。どうしようもなく愛おしくて、好きで、堪らないな。




——この手を、もう二度と離さない。


 夜の街灯が二人を優しく照らす。これからもずっと、どんな時も隣にいると心の中でお互いに誓った。