一話

 思ったよりも、あっという間に年月は過ぎていくみたいだ。
 高校卒業して、成人したと思えばもう大学二年生。二十歳……酒が飲める年齢になってしまった。
 今年のクリスマスは、雪が降らないんだろうなと思っていたけど、予想は外れた。雪は積もるほど降って、ホワイトクリスマスとなり、大雪になった。
 道路は雪で凍りツルツルと滑る。寒風が腫れた頬に張り付いて、ピリッと痛む。
 傷が増える度に何度ももう次からは断ろう。そう思っているのに、酔っている時は流されてしまう。
 昨日だってそうだ。誘われた時には一夜だけの関係だと思っていたのにどうやら相手は違ったらしい。
『私達、付き合うってことでいいんだよね?』と嬉しそうな顔で問いかけられ、付き合う気が無かった俺が『え、付き合わないけど』と言えばこのざま。
 昂っている間はかわいいね、と甘い言葉を紡いでみたけれど。もう、昨日俺を叩いた女の顔は思い出せない。ありきたりな世間一般の人から見ると可愛いと言われる部類の女だったのだろう。俺は初めから興味など無かったのだ。
 誘われたから、乗っただけ。
 流されてばっかり、嫌われ役の人生だ。

 食料と酒が切れたからと言ってこんな日にまで外に出るなんて馬鹿みたいだと自分でも思う。そんな馬鹿はどうやら俺だけじゃなかったらしい。
 ぼんやりと歩いていると、雪の降り積もった公園の中に設置された、滑り台の上に誰かいることに気が付いた。こんな早朝に誰が公園にいるのだろうと、滑り台を覗き込むと、そこには真っ白の髪の男が寝転がっていた。一瞬人形かと疑うほどの容姿をしていた。
 綺麗な白髪、真っ白な肌、整った顔立ち。両耳についた黒っぽい細長いピアス。
 真っ白な肌には一筋、涙が乾いていた。その乾いた涙が残った頬に触れると、指先からぞくぞくっと寒気が走った。
 驚くほど冷たい。もう死んでいるんじゃないのかと思うほどに。
「っ、おい! 聞こえるか?」
 俺が頬をぱしぱし叩くと、眉間に皺を寄せて目を擦りながら「……うぅん、誰だよ……」と煙たそうに返す。
死んでいなかったことにほっとしてからまた質問を続ける。
「お前、名前は?」
「……ぎ」
「むぎ?」
 麦、という字が頭に浮かんだが、「違う、なぎ」と否定された。
「なぎ、家はどこだ? わかるか?」
「ん……」
 こてっと俺によっかかってくる。何度問いかけても返事が返ってこなくなった。
「……えっ?」
 まさか、まさかと思うけどこいつ……死んだりしないよな。
 もし、ここで俺が立ち去ってなぎが死んだら後味が悪い。俺はなぎをおぶって自分の家に連れて帰る事にした。
 俺の背中にいるなぎは俺と同じくらいの身長のはずなのに、全然重くなかった。まるで何も食べていないような軽さだった。
 心配になるほどに、冷たくて軽かった。


 帰るなり、すぐに暖房をつける。このまま布団に転がしたら、絶対に風邪を引くと思ったから俺はバスタオルでなぎに積もった雪を玄関で落として、そのまま一緒にお風呂に入る。
 かと言って、髪も体も洗うなんて事まではしない。だとしても、後から文句を言われても仕方がない事だ。風邪を引くよりはましだろう。
 諦めてもらうしかない。風呂から出て、俺のパーカーを着せる。なぎの着ていた服は雪でびちょびちょだったから洗濯に回した。服を脱がせた時、なぎのポケットからとある免許証が出てきた。『佐藤美穂』という名前の免許証だった。
 髪を乾かさないと、ベッドに転がせないと気付いた俺は免許証を洗面所の棚に置いて髪を乾かすと、なぎの白髪はつやつやとしていて、より綺麗さが増した。髪を乾かし終わって、なぎをベッドに転がした。
 こんなに綺麗な白髪、見たことが無かった。指に通すと、するりと解ける。触り心地が良くて、ずっと髪を触っているとなぎがぎゅっと抱きついてきた。
「うぅん……肉……」
「え、肉?」
 寝ぼけているのか、ご機嫌なまま、俺の首に口を当て、はむはむとしている。
「俺のにくぅ……食べる……」
 それは聞いてない! 流石に食いちぎられたら洒落にならない。
「は!? おいちょっと待……いったぁ!!」
 がぶっとなぎに噛まれて俺はバシバシと頬を叩く。このまま噛みつづけられていたら本当に肉として食べられるだろう。
「おい、なぎ! 起きろ!」
「いったいなぁ……誰?」
 なぎは不機嫌そうに起きる。
 いや、先に噛んできたのはそっちだろ!? 何で俺がそんなに冷たい対応されないといけないんだよ!
 そんな本音を隠して「お前、俺の体食うなよ」と静かに言うとなぎは首を傾げて「え、食ってないけど……」と不思議そうな顔で言われる。
 本当に寝ぼけていたんだな、とわかる。でもこっちには証拠があるのだ。
「食ってんだよ、証拠これ」
 噛まれてついた噛み跡をなぎに見せると、ぽかんとする。
「これは……すみません。夢で焼肉食べる寸前だったんだよ」
 なぎは「腹減ったぁ」とへらりと笑った。
「焼肉食いに行く?」
 俺も、その話を聞いてから焼肉を食べたくなってきてしまった。しばらくバイトと大学、友達の仕事の手伝いなど予定が重なって焼肉を食いに行けていないのだ。どうせ行くなら一人じゃなくて誰かと行きたいし。
「え、俺金無いから無理だよ」
 事情があるのだろう、なぎは何も持っていないらしい。その事情も、どうして公園にいたのかも知りたい。ずるいかもしれないが、奢る代わりに聞いてみることにした。
「俺が奢るよ、その代わり……ちょっとなぎの事教えてくれね?」
「別に良いけど……」
 なぎはよくわかっていない顔をしながらも、頷いてくれた。


 網の上で焼ける肉を裏返して、焼けたらなぎの皿と自分の皿に交互に置いていく。
 ある程度頼んだ肉が焼けて、焼く分の肉が無くなったら自分の肉を食べる。口の中でじわっと解ける柔らかいカルビを咀嚼する。カルビにつけた甘だれをぽんぽん白米の上に乗せると米に甘だれの味が移る。カルビと米を同時に口に放り込む。
 相変わらず、ここの焼肉屋は美味しい肉を仕入れている。ここは俺がまだ小さい時からずっと通っている、信用度の高い店だ。
 肉だけじゃなく、サイドメニューもデザートも豊富で、酒を飲んで絡んでくる面倒な大人もいない。
 店長は俺の幼馴染で、紀伊聖亜という。俺と唯一ずっと絡んでくれている相手だ。
 同い年なのに、店長として親から引き継いだ店を経営しているなんて尊敬する。
 こんな俺でも、ここには受け入れてもらえる。
 だから俺はこの店が好きだ。
「うっま!」
 なぎはもぐもく肉を頬張りながら顔を綻ばせる。さっきまでの警戒していたなぎはどこへやら。幸せが顔から滲み出ている。
「な、ここの焼肉屋好きなんだよなぁ」と笑ってみせると、なぎも「俺も好きになった!」と嬉しそうに言ってくれた。こうやって喜んでくれると、こっちまで嬉しくなる。
「本当にありがとな、えっと……なんて呼べば?」
「いーえ! そう言えば自己紹介してなかったな。俺は最上昴。最上級の最上でもがみ。昴星の星取ったやつで、すばる」
 俺は「お前は?」となぎにも自己紹介を促す。
「俺、は……雨霧梛。雨と霧であまぎり。木へんに那覇の那で梛」
「おー! 名前洒落てんなぁ」
「そうかな」
 なぜか梛は、そう言った途端表情が暗くなった。自嘲的に、ははっと乾いた笑いを溢す梛にその理由を深く問いかけてはいけないと思った。
「ところで、何で公園で寝てたんだ?」
「一緒に住んでた女の子に追い出されちゃってさ」
「別れたの?」
「いや、付き合ってない子」
 意外と、俺と似たような感じなのかもしれないな。良いのか悪いのかわからないまま相槌を打った。
 そろそろ腹が膨れてきたから、ガッツリ肉は食べられない。だから、サイドメニューのチーズボールとポテトを注文した。
 梛はポテトをつまみながら「これからどうしよっかなぁ……」と独り言つ。
 ふと、どうしようもないなら実家に行けば良いんじゃないかというアイディアが浮かんだ。それをそのまま聞いてみる。
「実家帰らねぇの?」
「俺、帰る実家無いんだよね」
 俺はそれを聞いてごくっと唾を飲み込んだ。やらかしてしまった。もしかしてそんな事情があったなんて知らなかったから。
「……これから、どうするんだよ」
「行き場無いかも、誰かしらに助けてもらえたら良いなーって感じ」
 けらっと梛は笑う。梛はこの笑い方をよくする。苦しそうな、本音を隠すその笑い方を。さっきの肉食ってた時の屈託のない笑い方はどこに行ったんだよ。
 そんな苦しそうな笑い方だけしか出来ない筈じゃないだろ。
 咄嗟だった。つい、口から出た。
「俺が助けるって言ったら、俺の所来る?」
 そう聞くと、梛は「うん、助けてくれんの?」と笑う。わかってる、お前のその返答は冗談だろ。きっと、本当に助けてくれるなんて信じちゃいない。
 それで良い、それが良い。
「おぉ、一緒に住もうぜ」
「は!? 冗談で言ったんだけど……」
 梛は驚いた顔で固まっている。やっぱり、冗談だった。そうだと思った。
「俺は本気」
 俺は梛に、にかっと笑ってみせた。
「嘘だろ、お前とは初対面だぞ? 何の関係も無いじゃん!」
 梛は、さっきまでの感情を隠したようなものとは違う態度だった。驚きがむき出しになっているような、そんな態度。
 その通りだと思う。今日が初対面で、なんの関係も無い。
 それでも、俺はどうしてか梛のことをもっと笑わせたくなった。もう、あの雪の中の公園にいる時のような梛は見たくない。
「無いけど、野垂れ死なれたら嫌なんだよ」
「……変なやつ」
 口ではそう言いながらも、梛の口元は綻んでいた。


 散々食べて、もう食べれないところまで来た。帰り支度をして、会計をしに行く。梛もその後から着いてくる。
「昴、久しぶり!」
「久しぶり、聖亜」
 レジの前には聖亜がいた。いつもはバイトの子がレジをしているというのに、今は聖亜がレジをしている。それを指摘すると、バイトの子が辞めてしまって、臨時で聖亜がやっていたらしい。
「てか、珍しいな! 昴が女の子と一緒にここ来るの」
「……?」
 梛は、何を言っているのかわからないような顔をして無言で首を傾げた。
 聖亜の勘違いに気付いた。きっと梛のことを女だと思っているんだろう、と。
「あぁ、こいつ男だよ」
 俺がそう言うと、聖亜は「嘘!? 見えない」と目を見開く。
「だよな、めちゃくちゃ綺麗だし、焼肉楽しんでくれるし。梛と一緒にいる方が楽しい説ある」
 聖亜は「女の子に夢中でしばらく来てくれなかったもんなぁ」と暗笑した。
「また来るよ、二人で」
 会計を済ませて、店を出ると、だんだん日が落ちてくる時間になってきた。
 スマホを見ると、午後六時半。友達から来ていたメッセージを見ないふりして梛に「なんかいる物ある?」と問いかける。
「どっか寄って帰るか? まだ六時だから色々店も空いてると思うし」
 梛は少し考え込んで「歯ブラシ、服、シャンプー……」と呟いた。
「歯ブラシは、新しいやつストックしてあると思う。服とシャンプーは俺ので良ければあげるよ。あ、服サイズ合わないかもしれないけど」
 そっちの方が、俺的には金を使わないで良いからありがたい。梛は「それで良いなら」と言ってくれた。

 家に帰る。二人で一緒に楽しんだ家の中に入るなんて、いつぶりだろうか。まだ実家暮らしの時、妹と登校していた五年ぶり。少し、嬉しくなった。
 俺は洗面所の下にある収納スペースから新品の歯ブラシを取り出し、クローゼットからサイズが合わなくなって着なくなったパーカーとスウェットを何着か手にして梛に渡す。
 梛はぱっと顔を明るくして、俺のパーカーを被る。ベッドの上にダイブするなり、すぅすぅ寝息を立て出した。
「寝るの早くね……?」
 まぁ、俺的には早く寝てくれた方が有難いから良いんだけれど。
 メッセージに『今から行く』と返信して俺は家を後にした。