異世界あるある早く言いたい。



僕が出掛ける支度をしているとスイが不安そうに尋ねる。
「にぃに……いつかえってくるの?」
「明日には帰って来るよ」
「あしたのいつ?」
「夜までには戻って来れるかな……」
「やくそくだよ?」
「うん。だから一晩だけ、お留守番お願い」
「わかった。スイ、がんばっておるすばんするから、にぃにもがんばってね」
「ありがとう、スイ」
この世界に来て初めて泊まりがけのクエストへ向かうその日、寂しそうなスイと別れるのは心苦しかったが、妹をもう2度と1人にしない為にも再度気合いを入れ直した。

今回のルーシー王女の護衛クエストにクロノワールから参加するのは僕の他にロゼッタとアリエルの計3名だ。王様の話ではあ2名同行者がいるらしいのだが、その人達とは当日に王城で合流する事になっており、それが誰なのかはまだ知らされていない。そして僕は王城へ向かう前にハブリット武具店に寄り、新しい相棒を手に入れていた。
「見てよロゼッタ! この剣超カッコいいでしょ?」
店主のハブリットが打ったその剣は、柄から剣身まで全てが銀色に統一された西洋の片手剣だった。
「男ってホントこういうの好きよね。何がいいのか全然分かんないわ」
「女の子がオシャレが好きなように、男は武器とかカッコ良い装備に憧れるもんなんだよ」
「まぁなんでもいいけど……ちゃんと守ってよね?」
後ろで腕を組みながら前屈みでそう言ったロゼッタに、僕は不覚にも少しドキッとしてしまった。
「あ、うん……」
「私も頑張るから安心してロゼッタちゃん♪」
アリエルは得意げに両の拳を胸の辺りで握った。
「そう言えばアリエルってどんな魔法が使えるの?」
「私は特に風の魔法が得意だよ!」
アリエルはそう言って人差し指の先に小さな竜巻を発生させた。
「すごい! 初めてアリエルを尊敬したよ!」
「へへへ〜。そんなに褒めないでよ〜」
アリエルは調子に乗ってその竜巻を大きくすると周囲の風が強くなり、ロゼッタのスカートが捲れ上がった。
(し、白っ……)
「ちょ、ちょっとアリエル! やめてー!」
「ごめんロゼッタちゃん、やりすぎちゃった。えへへ……」
ロゼッタは赤面しスカートを押さえながらシルバに問う。
「み、見た……?」
「み、見てません……」
もしもこの時のロゼッタのパンツがいちご柄だったなら、僕はきっと西の方角を向きながら校庭で懸垂をしていた事だろう。

朝っぱらから人生初のラッキースケベを経験し少し大人になった気がしていた僕が王城行きの馬車へ乗り込むと車内には先客がおり、それはお爺さんと中学生くらいの女の子の2人組だった。その2人はどちらも長い銀髪を後ろで括っており、高貴な服装でどこかの貴族のような身なりをしていた。

王城へ到着するとその2人組も僕達と共に馬車を降りた。
「皆、揃っているようだな」
出迎えてくれた王様がそう言った事で、この2人が同行者なのだと理解する。
「ランス、紹介しよう。彼らがクロノワールの冒険者達だ」
王様が僕達を紹介すると、お爺さんが僕達の方を向く。
「君達が護衛の冒険者じゃったか。儂はランス・アキレスで、こっちは孫のジャンヌじゃ。よろしく頼む」
「ら、ランスってあの大将軍の……?」
ロゼッタが驚いた様子で尋ねる。
「今はただの隠居老人じゃよ」
「ロゼッタ、この人知ってるの?」
僕が小声で尋ねる。
「『軍神』の二つ名で知られる王国の伝説の大将軍よ」
「へぇー、それは心強い援軍だね」
準備を終えたルーシー王女を交え、挨拶も程々に済ませると早速出発することに。

一行は馬車の中で今回の旅のルートを確認する。
「このボナール王国を北上していくと膨大な魔国領がある訳じゃが、この国境ギリギリの位置ならば魔力のオーロラを観測出来る。馬車で片道半日といったところじゃ」
ランス将軍が地図を広げ詳しい地理を説明した。
「魔国領に近付くと魔族に襲われたりするんですか?」
「魔国領の外れは魔族の集落からは離れておるから大丈夫だとは思うが油断は禁物じゃ。今は魔族の魔力が高まる時期じゃから、凶暴化しておるかもしれん」
「でも10年に1度のオーロラってどんな景色なのかしら」
「ルーシー王女、オーロラ楽しみですね!」
シルバがそう話しかけると青ざめた表情の王女。
「よ、酔ったわ……」
「だ、大丈ですか? 一旦馬車止めましょうか?」
僕がそう言って近付いた瞬間だった……。
「お゛ロ○ゔゲぅ#オボぼ☆」
王女は僕の顔面めがけて、その口から盛大に高貴なもんじゃ焼きを召喚した。

馬車を一旦止めて、川で顔を洗っていた僕の隣にやって来たルーシー王女は申し訳なさそうに言う。
「本当にごめんなさいシルバ……」
「いえいえ、そんなに気にしなくて大丈夫ですよ」
「まさか異性に嘔吐している姿を見られただけでなく、それを顔にかけてしまうだなんて……とんだ初体験だわ」
王女は恥ずかしそうに手で顔を覆う。
「本当に僕は全然気にしてませんから!」
「でもこのままじゃ私の気が収まらないわ……そうだわ、シルバも私に向かって吐いてちょうだい!」
「は? 何言ってるんですか王女!」
「それでおあいこじゃない!」
「そんなのおあいこにしたって誰も得しませんし、王女にそんな事したら僕、打首ですよ!」
「私は王女だからって特別扱いされるのが嫌いなのよ! いいから早くあなたのを顔にかけて!」
「ちょっとその言い方やめてもらって良いですか!?」
「早く出してってば!」
「姫様に何をさせようとしているんだ貴様」
この最悪なタイミングでランス将軍が顔を出す。
「ご、誤解なんです将軍。これは……」
シルバは慌てて弁明しようとするが、王女がそれを遮る。
「ランス! シルバが私の初めてを奪ったくせに顔にかけてくれないのよ!」
「ちょっと姫様黙ってマジで!」
「おい貴様ちょっとこっちへ来い」
ランス将軍に木陰へと連れられるシルバ。
「いいか貴様、姫様はともかく……もし儂の可愛いジャンヌに指1本でも触れてみろ。その時は骨も残らんと思え」
「は、はい……」

その後、僕は恐怖のあまり放心状態だった。再度動き出した馬車の中で、何故かこの世界で流行っているというマジカルバナナを暇つぶしに皆でやる事になった。
ロゼッタ「マジカルバナナ〜、バナナと言ったら黄色♪」
アリエル「黄色と言ったらマヨネーズ♪」
ルーシー王女「マヨネーズと言ったら酸っぱい♪」
ジャンヌ「酸っぱいと言ったら……お爺様の枕」
ランス将軍「お爺様の枕と……ちょっと待ってくれジャンヌ……お爺ちゃんの枕は酸っぱい匂いなのかい?」
「ごめんなさいお爺様。慌てていてつい本音が……」
「皆すまんが、前で少し風に当たってくる……」
その大将軍の背中は憂いに満ちていた。
「じゃ、じゃあ気を取り直して、ジャンヌが枕から始めましょう」
ジャンヌ「枕と言ったら白♪」
シルバ「白と言ったらロゼッタのパンツ……」
放心状態だった僕はつい、やってしまった。
「……や、やっぱり見てたのね……」
ロゼッタは顔を赤くさせプルプルと震えていた。
「ち、違うんだ! ロゼッタならきっと白だろうなと想像しただけで……」
「そっちの方が気持ち悪いわよ!」
「やめてロゼッタ、気持ち悪いって言葉で思い出しちゃったわ……」
再度青ざめた顔をする王女はゆっくりと立ち上がる。
「だ、大丈夫ですか?」
慌てて駆け寄ったシルバの顔に向けて調理を始める王女。
「お゛ロ○ゔゲぅ#オボぼ☆」
「くぁwせdrftgyふじこlp」
 
 


「シルバ……大丈夫?」
「お兄さん、しっかりして下さい」
目が覚めるとアリエルとジャンヌが僕の顔を覗き込んでいた。
「まったく酷い目にあったよ……」
「まず顔を洗ってきたら?」
「むしろ早く顔を洗って出直して下さい」
二人は鼻をつまんでいた。
「そ、そうだね……」
馬車の外へ出ると気持ち悪そうに下を向くルーシー王女と、それに付き添い背中をさするロゼッタの姿があった。このような休憩で何度も停車した為、当初の予定よりも遅れており辺りはすっかり夕方になってしまっていた。

「お兄さんは転生者なんですよね?」
僕が顔を洗っていると、ジャンヌが声をかけて来た。
「あ、あぁそうだよ」
「お兄さんの元いた世界には、どんな音楽があったんですか?」
「そうだなぁ……僕は流行りには疎くて、アニメソングばっかり聴いてたよ」
「あ、あにめそんぐってなんですか?」
「え、えっと言葉で説明するのは難しいな……そうだ!」
僕は久しぶりに能力を発動させ、自分が前世で使用していた小型の音楽プレイヤーを生み出しジャンヌへ手渡した。
「これを耳につけてみて!」
「なんですかこれ……」
「いいからいいから!」
ジャンヌは警戒した様子で耳にイヤホンをつける。
「……っ!!」
その小さな豆粒のような物体から聞こえる、耳馴染みのない音楽にジャンヌは心を撃ち抜かれた。
「お兄さん! これは何ですか?」
「僕の世界にある音楽の魔法だよ」
「すごい……異世界にはこんな素敵な音楽があるだなんて……」
「良かったらそれあげるよ」
「え!? こんな貴重なもの貰ってもいいんですか?」
「いいよ。僕はいつでも作れるから」
その時のジャンヌの無邪気な笑顔は、まるで光を放っているかの如く眩しかった。

「お兄さん! これはなんていう曲ですか?」
馬車に戻ってからもジャンヌは音楽を聴き続け、事あるごとに僕へ話しかけて来た。
「あの2人、いつの間に仲良くなったのかしら……?」
ロゼッタが不思議そうな顔でアリエルに尋ねる。
「さぁ……でもさっき川辺に2人でいるとこ見たよ」
ジャンヌが僕に気を許してくれた事は嬉しいのだが、先程から僕を見るランス将軍が、まるで親の仇でも睨みつけているかのような恐ろしい視線を送ってきていたのだ……。
「シルバお兄さん! この曲最初から聴きたいです!」
そう言ったジャンヌがプレイヤーを持って僕に寄り添ってきた。
「じゃ、ジャンヌ……やり方を教えるからちょっと距離が近いかも……」
僕がそう言った理由はランス将軍が腰に差してある剣に手を伸ばし、少しだけ剣身を覗かせていたからだ。
「え? だって、近付かないと画面が見えません」
そう言って僕の手元を覗き込んでくるジャンヌ。
「きゃっ!」
その時、馬車が大きく揺れた為ジャンヌがバランスを崩し僕の体にもたれかかった。咄嗟に受け止め抱き寄せたジャンヌの顔が赤くなっているのを見て、僕は慌てて目線を逸らす。
「だ、大丈夫だった?」
「あ、ありがとうございます、お兄さん……」
次の瞬間――ザクッ――という音が響き、目線を横に移すと、僕の頭の横にはナイフが突き刺さっていた。
「……」
命の危険を感じた僕はジャンヌを起こし上げるとすぐにその手を離した。

こうして敵に襲われる事こそなかったが、道中で何度も命の危機に遭遇した事で目的地に到着した頃には、僕はほとほと疲れ切っていた。
「見通しの良いここを拠点にキャンプを設営しよう」
予定より遅れていた事もあり、到着して早々に役割を分担してキャンプの設営を始める事になった。
「すみません! ロゼッタは料理以外の担当でお願いします」
と、僕が手を挙げる。
「はぁ? ちょっとそれはどういう意味よ?」
「そのまんまだよ。ここまで来て人数が減るのは命取りだ」
すると次にジャンヌが挙手する。
「お爺様、私はお兄さんと同じ班がいいです」
「なっ、ジャンヌ……お爺ちゃんと一緒は嫌かい?」
「一緒でも良いですけど、お兄さんも同じがいいです」
「貴様っ、ジャンヌをたぶらかしおって……!」
「やめて下さいお爺様、シルバお兄さんは悪くありません。私が一緒に居たいのです」
「じゃ、ジャンヌ……あんなもやし男のどこが気に入ったんじゃ……」
「私の知らない世界を教えてくれます」
「ぐっ……仕方ない。では儂ら三人は簡易テントの設営と料理の下ごしらえをしておる。ロゼッタとアリエルは薪を拾って来てくれ」
「ランス! 私は?」
王女は自分を指差す。
「姫様は休んでいて下され」
「嫌よ! 私も手伝うわ!」
「で、では儂らと一緒にここで作業を……」

テントを2人で組み立てている最中にも、ジャンヌは僕の世界の音楽について、いくつか質問をしてきた。
「ジャンヌは……音楽が大好きなんだね」
「私は……大将軍の孫として日々、軍事学や戦術学の勉強をしています。勉強漬けの毎日を過ごしていると、いつの間にかまるで世の中が白と黒だけになってしまったような、つまらない風景に見えてしまっていたんです。そんな私の日常に彩りを与えてくれたのが、音楽でした」
「そっか……」
「だから、色んな音楽に触れられるお兄さんの世界が羨ましいです」
「僕も、もっと沢山のものに触れておけばよかったな……」
「私はいつか、自分で歌を作ることが夢なんです。その時は私の歌、聴いてくれますか?」
「もちろん! この世界での楽しみが一つ増えたよ!」
「ありがとうございます……」
ジャンヌは嬉しそうに、だけどどこか恥ずかしそうに僕を見つめた。

夕食はさすが王族といったところで、豪華絢爛な食材を使用したバーベキューだった。
「ロゼッタ! それ僕が育ててた肉だよ!」
「いいじゃない。あたしが焼くと何故か炭になるのよ!」
「ロゼッタちゃん、私が焼いてあげるから喧嘩しないで?」
「あんたも少しはアリエルを見習ってあたしに優しくしなさいよ、パンツ見たくせに!」
「覗いたみたいに言うなよ! あれは完全に不可抗力だろ!」
一行は騒がしくも和やかに、笑顔の絶えない食事を楽しんだ。
「ゔぅッ……食べ過ぎたわ……」
王女が聞き馴染みのある嗚咽を発する。
「おいあんたまたですか? 前回からそればっかりですよ?」
「仕方ないじゃない。出すもの出してお腹減ってたんだから」
「それでまた出したら一緒でしょうが! あとその言い方だとうんこみたいに聞こえるんで王女は控えて下さい」
「食事中にうんこだなんて、あなたには常識はないの?」
「食事中にでかい声で嗚咽しだす人に言われたくありませんよ!」
「二人とも、落ち着いて!」
ロゼッタが止めに入ったことで気付いたが、僕は一国の王女様に向かって大層無礼な言葉を吐いていた。
「す、すみません王女様!」
「良いのよ。そうやって友達みたいに接してくれた方が私は嬉しいわ。出来ればこれからも、私にはそのままの態度でいて欲しい……いいかしら?」
「王女様がそれでいいのなら……」
「じゃあ今日からみんなは私のお友達ね――」
王女はとても嬉しそうな顔でそう言った。
「――お゛ロ○ゔゲぅ#オボぼ☆」
「おい結局かよ!!」

そして遂にその時はやってきた――目的だったオーロラの見える時間帯だ。焚火の火を消すと、暗闇の中で僕達は一斉に空を見上げた。
「……」
皆は言葉を失った。ここにいた全員がそれを言葉で表す事が野暮だと思える程の感動的な空の様子に、まるで不思議な引力で吸い込まれているかのように見入ったのだった。するとジャンヌが、綺麗な透き通った声でメロディを口ずさんだ。その歌詞のないメロディは紛れもなく、ジャンヌがこの旅を通して感じた気持ちと、一生忘れる事のないであろうこの景色を観た事で受けたインスピレーションから生まれたものだった。皆はジャンヌが奏でる素敵なメロディを耳で楽しみ、目ではオーロラをじっと見つめ、それぞれの想いに耽っていた。

――その時シルバは元いた世界で聞いた事のある、とある言葉を思い出していた。
『長い旅行に必要なのは大きなカバンじゃなく、口ずさめる一つの歌さ』
 


皆が神秘的な景色に目を奪われている間に、いつの間にか夜は更けておりジャンヌが大きな欠伸をする。
「ふぁぅ……」
「もう遅いし、テントに入って眠ったら?」
「そうします……」
「ロゼッタもいつでも寝ていいからね。見張りは僕とアリエルで交代してやるから」
「ありがと……私ももう眠たいし、そうさせて貰うわ……」
そう言ってジャンヌとロゼッタは女性用のテントへ入っていった。
「王女様はまだ寝ないで大丈夫ですか?」
「私はもう少し、この景色を観ているわ……」
王女は空から目線を外さずに答えた。
「どうですか? ご待望のオーロラは?」
「えぇ、圧巻の景色だわ。本当に来られて良かった」
「僕も……これを観られて良かったです」

しばしの沈黙の後、王女が口を開く。
「……ねぇあなたには夢ってある?」
「そうですね……。最終的な夢は元の世界に戻る事ですけど、今のところはこの世界で出来た新しい家族を笑顔にすることでしょうか」
「素敵な夢ね……」
「どうしてそんなこと聞くんです?」
「私は生まれながらに将来が決まっているもの。その道以外の夢を持つ事は許されない。だからあなたたち冒険者が少し羨ましく見えるのよ」
「王女様は、もし王女じゃなかったら何がしたいですか?」
「そうね……あなた達みたいに冒険者になって色んな所にも行ってみたいし、小さい頃はお花屋さんにもなってみたかった。それにみんなみたいに普通に恋愛して、普通に結婚して、そんな普通のお嫁さんにも憧れたわ……」
「僕の目にはルーシー王女は普通の女の子に見えますよ」
「えっ……」
「ちょっと他の人よりリバースし過ぎですけど……」
「それは言わないでよ……! あなたには私が普通の女の子に見えるの?」
「僕の元いた世界にはあんまり身分の差ってのがなくて、慣れてないので時々失礼なこと言っちゃってすみません」
「あなたの世界が羨ましいわ……。もしあなたが元の世界に戻る時、私を一緒に連れていってくれないかしら?」
「1人で異世界に行くのは、意外と心細いですよ?」
「あなたがいるじゃない」
「いや……それに住む場所とかどうするんです?」
「あなたの家にしばらく住まわせて貰うわ」
「そんなの……両親になんて説明すればいいんですか?」
「もしこのお願いを聞いてくれるなら、あなたのお嫁さんにだってなってもいいわよ」
「な、何を言ってるんですか!」
「あら、何かご不満でも? 自慢じゃないけど私、結構可愛いと思うんだけど」
「それはそうかもしれませんけど、からかわないでくださいよ!」
「冗談よ……でも、気が向いたら教えてちょうだい……」
その時の王女は、どこか悲しそうな表情を浮かべていた。

「そろそろ寝るわ……お休みなさいシルバ」
そう言ってルーシー王女はテントに戻っていった。
「姫様は眠ったか?」
このタイミングを見計らったかのように、ランス将軍が隣にやって来た。
「はい……」
「姫様には2年後、既に結婚が決まっておるんじゃ」
「そうだったんですか……」
「庶民には庶民なりの悩みがあるように、王族には王族なりの悩みがある。恐らく、それまでにやりたい事を全てやっておきたかったんじゃろうな」
「みんなが望むように生きる事は出来ないんでしょうか?」
「それを実現する為には、多くの犠牲が必要になるじゃろうな……。君の世界ではそうだったのか?」
「僕は自分のいた世界の全てを見ていた訳ではありません。でも僕の見える範囲では、きっとそうだったんだと思います……」
そうだ。僕がひたすらに他人のせい、環境のせいにしていただけで、世界は僕の事を何も否定などしていなかったんだ。勝手に僻んで勝手に腐って、何も行動に移さなかったのは……僕自身だ。
「それはきっと……先人達が大きな犠牲を払ってくれたお陰で成り立っていたのだろうな」
「その通りだと思います。そんな大切なことをあの世界にいた時には気付く事すら出来ませんでした……」
「自分の無知を知る事を、成長と言うのじゃよ」
「成長、出来てるのかな……。でもこの世界に来たおかげで、本当にいろんな事に気付かされました」
そこへ僕より先に眠りについていたアリエルがテントから出てきた。
「ふぁあ〜。シルバ〜よく寝たから見張り交代するよ〜」
「ありがとうアリエル。じゃあよろしくね」

シルバが眠りについたその頃、暗躍する2つの影が遠くからキャンプの様子を伺っていた。
「ねぇレイキ、あれってヒューマンだよね?」
「そうだねマキナ、あれはヒューマンだよ!」
1人はショートヘアの桃色の髪、もう1人は薄い青色の髪をポニーテールにした少女のような見た目だが、ヒューマンとは明らかに違う2本の角と悪魔のような先端の尖った尻尾をそれぞれが持っており、その目は赤く光っていた。
「食べてもいいかな?」
「でもあのお爺さん、ヒューマンのくせにちょっと強そうだよ?」
「ホントだ、魔力に満ちてる。益々食べたくなっちゃった」
「じゃあ明日までに狩りの準備をして、明日のお昼ご飯にしちゃおうよ」
「そうだねレイキ。そうしよう」
何かを企む2人組は、笑みを浮かべ闇の中へ姿を消した。

翌朝、簡単な朝食を済ませた僕達はすぐに後片付けをして、出発の用意をした。ここまでは順調に進んでいたが決して油断をしてはいけない。家に帰るまでが遠足だと、小学校の担任だった先生が言っていた……ような気がする。
「これで荷物は全部じゃな」
「はい!」
「では早速出発するとしよう」
一行は昨日の興奮冷めやらぬ様子で馬車に乗り込んだ。
「ねぇマジカルバナナやりましょうよ?」
ロゼッタが暇を持て余し、皆に声をかけるがジャンヌは音楽に夢中で、王女は昨日あまり眠れなかったのかうとうととしていた。
「みんな疲れてるんだから、アリエルと2人でやりなよ」
「2人じゃつまんないわよ!」
その時、急に馬車が止まり御者が大きな声で呼びかける。
「ランス将軍大変です!」
「何があった!?」
「前方がゴブリンの大群に塞がれています!」
ランスが窓から外の様子を確認すると馬車の前方には、恐らく悠に百を超えるゴブリンの大群が。
「たとえゴブリンと言えど流石にこの数は異常じゃな……引き返せるか!?」
「や、やってみます!」
御者が馬車をくるりと反転させ、再度走り出すとゴブリン達は走って追いかけてくる。
「荷物を窓から捨てろ! 少しでも馬車を軽くするんじゃ!」
ランスの指示を受け、皆は馬車の窓から荷物を投げ捨てた。
「な、まさか、なんで……」
御者が絶望を帯びた声で呟く。その理由は引き返したその先にも、先程と同じかそれ以上の数のゴブリンが現れたからだった。

「シルバ、アリエルよく聞け。知能の低いゴブリンにここまでの統率がとれているという事は魔族が絡んでいる可能性が高い。最悪の場合、儂らは既に奴らの狩場に足を踏み込んでおる……」
「ど、どうすれば……」
「お主ら2人は馬車の上に登って常に周りを観察するのじゃ。儂が前に行き、奴らを跳ね除け道を作る!」
「わ、分かりました!」
そしてランスは御者に、再度方向を変え最短ルートで王都へと戻るよう指示を飛ばした。
「隠居したおいぼれを働かせおって、小鬼共が……」
馬車の御者席へと移動したランスはそう呟くと、次の瞬間前方へと高く跳躍してゴブリンの大群の中に飛び込んだ。
火焔獄(フレアプリズン)
ランスがそう発すると、術者周辺が一面火の海に包まれた。近くにいたゴブリンはたちまち業火に焼かれ一筋の道が出来る。
「儂めがけてこのまま突っ切るのじゃ!」
その言葉を聞いた御者は更にスピードを上げてその道を目指す。馬車が近付いて来るとランスは再度飛び上がって乗車し、ゴブリンの包囲網を突破した。
「す、すごい……道を作るだけじゃなく、炎で発生した煙で目眩しまで……」
「安心するのはまだ早いぞシルバ。恐らくこれは陽動に過ぎんじゃろう……」
「もしそうなら、次は何を仕掛けて来るでしょうか?」
「分からんが、なんとしてでも姫様を守りきる事が最優先じゃ」
シルバは馬車の上部から窓を覗き込み乗客の無事を確認する。
「みんな大丈夫!?」
タイミング悪く青ざめた顔の王女が窓の傍におり、汚ねぇはかいこうせんをシルバの顔面に放った。
「お゛ロ○ゔゲぅ#オボぼ☆」
「きゅうしょにあたった! じゃないよ! もういい加減にしてくれ、今シリアス展開だから!」
「だって……こんなに激しく揺れたらそりゃ酔うわよ」

「流石にゴブリンじゃ足止めは無理だったかぁー……」
その声と共に突如馬車の上部に1人の少女が降り立った。


「お、お前、どこから……」
青い髪の魔族がシルバに明るく話しかける。
「こんにちは♪ ってかなんかあなた臭くなーい?」
「動くなっ! そこを1歩でも動けば黒焦げにするぞ魔族の小娘」
ランスがその手を構えて威嚇する。
「そんな事したら差し違えてでもこの馬車の客車を攻撃しちゃうよ? こんなに厳重に守っているなんて、きっとこの中には殺されちゃまずいヒューマンがいるって事でしょう?」
「何が狙いだ?」
「お爺さん、1番強そうなあなたにこの馬車を降りて欲しいの。私と2人っきりで楽しみましょうよ!」
ランスはしばし考え、2人に指示を出す。
「シルバ、アリエル、恐らくこやつにはまだ仲間がおるじゃろう。たとえ手足がもげようと、なんとしてでも守りきれ。それがお前達がここに居る意義じゃ」
「ランス将軍……」
「皆を頼んだぞ……」
「話が早くて助かるよ〜お爺さん♪」
そして2人は一斉に馬車から飛び降りた。
「お爺様ぁー!」
窓からその様子を見ていたジャンヌの叫び声が虚しく響いた……。

「御者さん、出来る限り飛ばして下さい!」
「言われなくてもやってますよ!」
「相手は僕達の分断を図ってる。これ以上相手の思うようにさせちゃダメだ」
「でも、どうすればいいんだろう……」
「アリエルは風魔法が得意なんだよね?」
「うん、そうだよ」
「その魔法で馬車を軽くしたり追い風を作り出して少しでも速度を上げられないかな?」
「分かった! やってみるよ!」
「ジャンヌ、ちょっと知恵を貸してくれないかな?」
シルバがそう呼びかけると、不安そうなジャンヌが窓から顔を出す。
「お兄さん……」
「将軍は絶対に大丈夫、すぐに追いついて来るよ! 僕達は今これからどうするか考えなくちゃいけない。日々ジャンヌが勉強している成果を見せて、戻って来た将軍をビックリさせようよ!」
「は、はい……! 分かりました!」
「まず、この計画的な襲撃の目的は何だと思う?」
「あの人の言動からして、明確なターゲットはいないと思います。少しずつ戦力を削いで私たち全員を捕食するのが狙いかと……」
「そうか……じゃあ相手が何人いるか分からない現状だと、次に分断を図られた場合は遠距離攻撃が可能なアリエルが残った方が良さそうだね」
「でも、それだとお兄さんが……」
「心配してくれてありがとう。でも僕だって冒険者の端くれで、帰りを待ってる妹もいる……それにジャンヌの完成した歌も、まだ聴いてないからね」
「他に私に出来る事はありますか?」
「将軍が持ってた地図があると思うんだけど、もしさっきのように道が塞がれたりした時の為に御者さんに道案内が出来るように現在地を把握しておいて欲しい!」
「分かりました!」

シルバが皆に的確な指示を飛ばした事に一番驚いた人物はシルバ自身だった。彼は自分が臆病者だと知っているからこそ、考えられる不安要素を見つける事に秀でていたのだ。優れたリーダーに求められる力は、武力でも財力でもなく危機管理能力なのだ。シルバはこの状況下においては、一番それを持ち合わせている人物だった。
「アリエル! 魔力の使い過ぎには注意してね!」
「うん! 分かった!」
「王女様とロゼッタ! 馬車にもしもの事があった時の為になるべく身軽に、走りやすい状態にしておいて!」
「わ、分かったわ!」
「このまま何もなければいいんだけど……」

しばらく進んでいくと馬車がギリギリ通れるような細い1本道に辿り着いた。向かって左側には岩壁、右側は高さ3メートル程の崖になっていた。
「もしこの先で襲われたらマズイ。ジャンヌ! 迂回出来る道はありそう?」
「あるにはあるんですが、かなり遠回りになってしまってお馬さんの体力が持たないそうです!」
「進むしかないか……」
やむを得ずその道を進んでいくと、案の定そこには巨大なモンスターが待ち構えていた。
「くそっ、やっぱりか……」
「あれはB級モンスターのトロールだよ!」
その大きさは先日シンが討伐したオーガと同等であり、その手には棍棒を持っていた。

「シルバ、アイツ倒しちゃう?」
「ここで派手にやり合って、もし岩壁が崩れでもしたら先に進めなくなる……」
「そっか……あの大きさじゃ流石に私の風魔法で崖下に落とすのも難しいし……どうしようシルバ」
「僕がアイツと一緒に崖下へ降りるよ……」
「でも、どうやって?」
「僕がアイツに突っ込むから、アリエルは風魔法で後押しして欲しい」
「そんな……危ないよ!」
「考えてる時間はないよ! やって!」
棍棒を振り上げながら向かってくるトロールに、全速力で走り出すシルバの背中へアリエルの風魔法が後押しし、更に勢いを増して突進する。
「うぉぉおお!!」
シルバの決死の体当たりの結果、トロールを崖下に落とす事に成功した。
「シルバ大丈夫? 今引き上げるよ!」
アリエルが風を操りシルバを持ち上げたが、トロールがシルバの足を掴み、膠着状態になる。
「アリエル、もういい! 先に行って!」
「でも……!」
「後で必ず将軍と追いつくから! 僕らの仕事はみんなを無事に帰すことだよ!」
「わ、分かった……絶対追いかけて来てね!」
そして馬車は再び走り出す。

アリエルの風魔法が解かれると、トロールに掴まれていたシルバは宙ぶらりんになった。逆さまのシルバはトロールと目が合う。
「あの……降ろしてもらっていいですか?」
そんな言葉を聞いてくれる筈もなく、トロールはシルバを振り回し壁に叩きつけた。
「ぐわはっ……」
頭から岩壁に激突したシルバは、今まで感じた事のない衝撃に意識が飛びそうになった。
(もうヤダ……帰りたい……けど)
トロールが再度腕を振り上げた反動を利用してシルバは背中の剣を抜き、自分を捕らえていたその大きな手に突き刺した。
「グルァアア」
トロールが叫び声を上げ、握力が弱まった隙になんとかこの危機的状況を脱する。
「ごめんだけど、今回は全力で抗わせてもらうよ」

シルバよりも先に馬車を降りたランスは、魔族の少女レイキと戦闘の真最中だった。
「2人で勝負と言っておらんかったか?」
「あれれー? おっかしいぞー? そんな事言ったっけ?」
レイキの元には先程切り抜けたゴブリンの大群が援軍に駆けつけていた。その数はおよそ200――圧倒的な数的不利の状況でもランスは落ち着いていた。
「隠居の身とは言え甘く見られたものじゃな……儂を削りたいのなら、同じ数のトロールくらいは用意して貰わんと」
「へぇ……随分強気だね、お爺さん」
「周りを気にする必要がないのなら、力を抑える必要もないじゃろう。今更泣いても遅いぞ」
「そういうのはさぁ、こいつら倒してから言いなよ」
「そうじゃな、そうしよう……『火焔黒龍波(ブラックドラゴンフレア)』」
ランスは龍の姿を模った漆黒の炎を生み出した。
「焚け……」
ランスがそう命ずるとその炎はあっという間に辺り一面をまるで貪り食うように焼き尽くし、さっきまでの数的不利を一瞬にして対等にまで持ち込んだのだった。
「な、何それ……そんなの聞いてない……!」
先程までの余裕を無くしたレイキは突如慌て出す。
「もう遅いと言ったじゃろうに……」
そう言って近付いてくるランスにレイキが反撃する。
「ふざけんなぁー! 『氷槍時雨(スピアグラス)』!」
レイキは無数の氷柱をランスに向けて放つが、その攻撃はランスへと届く前に蒸発し消える。
「儂に氷魔法は相性最悪じゃよ」
それを見たレイキは更に広範囲、高威力の技を繰り出す。
「そんなの知るかぁあー! 『氷山一塊(ロックグラス)』!」
ランスの頭上にとてつもなく大きな氷塊が現れ落下する。盛大な地響きが鳴り響くと、その場に発生した水蒸気によって深い霧が立ちこめた。
「何が相性最悪よ! 流石にこれじゃあ――」
レイキの言葉を掻き消すように辺りの霧は一瞬で晴れ、ランスが姿を現すとその場に灼熱の空気が蔓延した。
「儂は早く孫に会いたいんじゃ。終わりにするぞ」
レイキは蹲りながら、焼けるような熱さに悶え苦しむ。
「あ、熱いぃ……水、みずを……ちょうだい」
レイキの願いは叶わず、その体は瞬く間に氷のように溶けて蒸発した。その様子を見たランスは今まで戦っていたレイキは氷で作られた分身体だった事を確信する。
「やはりか……。はやく合流せんと……」


ランスがレイキの分身体を撃破したその頃、馬車はあの細い1本道を抜けていた。
「結局私1人になっちゃったよ……」
アリエルが不安そうに呟く。
「アリエル! 私達に出来る事があったら言ってね?」
と、ロゼッタが窓から顔を出す。
「ありがとうロゼッタちゃん!」
「な、なんだこれは!!」
御者が驚いた様子で声をあげると、そこには氷で作られた大きな壁によって馬車の行く手が完全に塞がれていた。すると後方から、先ほどとは違う少女の声がする。
「お疲れ様〜。残念だけどココが終点だよ!」
桃色の髪をした魔族の少女が姿を現す。

アリエルは即座に馬車の上部から降り、手を前に出し構える。
「私があの子をなんとかするから、みんなはそこから動かないでね!」
「あれ〜? その耳、あなたエルフね? 今日はごちそうだあ。食べるのが楽しみ♪」
凱旋風(ヴァンフルート)!」
アリエルは風魔法で突風を起こし先制攻撃を仕掛ける。
「うぉっと!」
魔族の少女マキナはそれを横に飛び上がって避けた。
「もう、せっかちだなぁ。私はモンスター使いだから、あなたの相手はこの子達がするよ? ゴブリンちゃん達、おいで〜♪」
マキナが呼びかけるとゴブリンの大群がマキナの背後に続々と集まってくる。
「なんて数なの!?」
ロゼッタが馬車の中から驚嘆の声を上げる。
「大丈夫だよロゼッタちゃん。私だって、元はBランクの冒険者だったんだから!」
「ゴブリンちゃん! やっちゃえー!」
マキナの号令で一斉に走り出すゴブリン。
鎌鼬旋律(ジャックフルート)!」
そのアリエルの攻撃によって発生した無数の風の刃が、次々とゴブリンを切り裂いていく。
「さすがエルフ! すごい魔法だね。でも……いつまで持つかな?」

その時、アリエルの死角から風の刃の合間を縫って1匹のゴブリンが馬車へと近付いた。
「あ! ちょっと、そっちはダメぇー!」
アリエルは慌てて叫び声を上げるがゴブリンが馬車の窓から客車の中へ侵入しようとする。だが、そのゴブリンは車内から伸びてきた1本の剣によって貫かれた。
「私だって、クロノワールの一員なんだから! 黙ってやられたりなんてしないわよ!」
と、ロゼッタが車内から高らかに宣言する。
「良かった……ありがとうロゼッタちゃん!」
アリエルは安心してほっと胸を撫で下ろす。
「こっちの事は気にしないで、アリエルは目の前の敵に専念して!」
「ありがとう! そうさせて貰うね!」
アリエルはさらに魔法の威力を上げてゴブリンの大群を殲滅した。
「すごいすご〜い!」
マキナが拍手をしている。
「次はあなただよ!」
「だから言ってるじゃん。私はモンスター使いだって……」
マキナはおもむろに手を空に掲げる――すると空からやってきたのは1頭のワイバーン。
「わ、ワイバーンですって!?」
ロゼッタが驚くのも無理はない。ワイバーンのモンスターランクはA……たとえ一流の冒険者であったとしても決して油断の許されない相手だったからだ。
「この子はワイバーンの『オリバ』ちゃんだよ! 私の1番のお気に入りなんだから♪」

鎌鼬旋律(ジャックフルート)!」
アリエルがワイバーンに向けて先ほどの魔法を繰り出すが、その硬い鱗に守られている体に傷一つつける事が出来ずに弾かれてしまう。
「そんな攻撃、オリバちゃんには効かないよ〜?」
「う、うそ……?」
ワイバーンが翼を大きく広げアリエルに突進する。
「きゃぁああ……」
その衝撃に吹き飛ばされ倒れ込んだアリエルは、尚も向かってくるワイバーン目掛けて、そのままの体制からすかさず魔法を繰り出す。
凱旋風(ヴァンフルート)!」
突風を起こしワイバーンの追撃を抑え込み、その隙に起き上がる事には成功したが、ダメージを与えた様子はない。
「今降参すれば、痛くしないで殺してあげるよ?」
「降参なんてしない……みんなを守るって約束したんだから……」
「そっか……。もうお腹が減って我慢できないから、ちょっと乱暴にしちゃうかも――オリバちゃん!」
ワイバーンが猛スピードでアリエルに突進する――。

「アリエルー!!」
ロゼッタの叫び声が響くと、ワイバーンの突進によって辺りは砂煙に包まれた。
「だから降参すれば良かったのに……ぺちゃんこになっちゃったら食べられる部分も減っちゃうじゃん」
砂煙が晴れるとそこには、間一髪でアリエルを助け出し抱き抱えるシルバの姿があった。
「シルバぁ……! 死ぬかと思ったよぉ……」
「間に合って良かった……」
「あのトロールは?」
「あ、あぁ……倒したよ、一応……」
彼はトロール相手に左手の指5本を犠牲に手榴弾5発をお見舞いし、オーバーキル気味にその場を切り抜けていたのだった。
「すごい! シルバって強かったんだね!」
「ま、まぁね……」
(あまり良い勝ち方とは言えないけど……)
「あのワイバーン、すっごく強いの!」
「そうみたいだね。協力しよう、アリエル」

その頃、馬車の轍を頼りにこちらへ向かうランスは、シルバがトロールと戦闘していた場所へと辿り着いた。
「これは一体……誰がやったんじゃ……」
崖下に倒れていたトロールの周囲に無数に残る爆発の痕跡に驚きの声を上げた。
「もうこんな所まで来ちゃったの?」
そこへ再度姿を現すレイキ。
「また分身か?」
「だってお爺さん強すぎるんだもん。だからまだ、あそこには行かせないよ――」

「私のトロールまで倒しちゃったの? もう許さないから!」
マキナは苛立った様子でワイバーンに攻撃を命じた。
「アリエル、少しの間僕を浮かせられる?」
「分かった!」
空から襲いくるワイバーンに対抗して、シルバもアリエルの力を借りて宙に浮かび上がると、剣を構え正面から向かっていく。正面衝突の衝撃で鈍い音を立てると、その後はワイバーンの鼻先に剣を押さえつけ力比べになった。
「シルバ……これ以上は、キツイかも……」
アリエルが辛そうな声を上げると、シルバは右の小指を犠牲に手榴弾を生み出しワイバーンの口の中へ投げ入れた。
「アリエル! 降ろして!」
シルバが降下するとすぐに爆発が起こり、ワイバーンは口から煙を吐き出す。
「な、何したの!? オリバちゃんが痛そうじゃない!」
このシルバの攻撃を受け、ワイバーンの目つきが変わった――空中でぐるりと回転して勢いをつけるとシルバ目掛けて降下する。シルバはその攻撃を避ける為にギリギリまで引きつけるが、ワイバーンは突如急ブレーキをかけて旋回し、その長い尻尾を鞭のように打ちつけた。
「ゴフッ……」
その攻撃を一身に受けたシルバは、口から血を吐き出しながら吹き飛ばされる。
「シルバぁー!」
アリエルが風魔法で着地のショックを和らげたが、シルバはピクリとも動かない。居ても立っても居られなくなった馬車内の3名は、思わず外に飛び出して様子を伺う。

アリエルはシルバに駆け寄ると涙を流しながら抱き寄せる。
「ごめんね……助けてもらったのに……私は助けてあげられなかった……」
「泣くのは……まだ早いよアリエル……」
シルバがゆっくりと目を開く。
「シルバっ! 良かった……」
「僕の右手をこの剣に縛ってくれないかな……?」
「分かった」
アリエルは自らの髪を括っていた紐を外し、シルバの右手と剣を縛りつけた。
「僕たちはまだ、負けてないよ……」
「うん……」
アリエルは涙を拭う。
その様子を見たマキナが痺れを切らす。
「もういい加減降参しなよ! どっちにしろ死ぬんだから楽に死ねた方がいいじゃん!」
「僕は死なないよ……」
アリエルに支えられながら、ゆっくりと立ち上がろうとするシルバ。
「そんな状態で何が出来るっていうの? この期に及んで強がったって惨めなだけだよ」
「本当に惨めなのは、やる前から諦めてしまう事だよ……。それがたとえただの強がりだって、本当は怖くてしょうがなくたって、逃げたまんまで後悔するよりマシだって事を、僕は嫌というほど知ってるんだ……」
「結局死んだら同じじゃない!」
「同じな訳ないだろ。これは僕の人生なんだ! 自分で自分をかっこ悪いと思う生き方なんて、もうしたくない!」
彼はこの悲観すべき状況下でも決して諦める事なく、真っ直ぐな目で力強くそう言い切った。

「じゃあ存分にカッコ悪く殺してあげる!」
マキナは腕を振り上げワイバーンを突撃させる。
「アリエル! トロールの時みたいに僕を加速させられる?」
「でも、もう魔力が残り少ないよ?」
「じゃあ今出せるありったけをお願い! いくよ!!」
「うん! 私のありったけ、もってけドロボー! 『精霊大槍弓(エリオンフルート)』!」
シルバが走り出すと、アリエルは残りの全魔力を込めてシルバを加速させる――その様子はまるで大きな弓からシルバという槍が放たれたようだった。
「貫けぇーー!!」
 


シルバがワイバーンと激突すると、胴の辺りに剣を突き立てる。硬い鱗の隙間に刺さった剣をとっかかりに体を回転させて更に勢いをつけると、巨大な敵の体を貫通した。
「嘘……オリバちゃんが……負けるなんて……」
お気に入りのペットが苦しみながら息絶える姿を見たマキナは、力が抜けたようにその場に座り込む。
「僕等の勝ちだ」
シルバがマキナの首元へ、スッと剣を向ける。
「ふざけんじゃないっつーの……! よくも私の……」
小走りで駆けつけたアリエルは不安そうに尋ねる。
「シルバ……この子、殺しちゃうの……?」
「殺さないよ……」
シルバはこう答えたが本当は、「殺せない」が正しかった。意思の疎通が出来ないモンスターならともかく、会話が出来る上に見た目もヒューマンと遜色のない魔族を殺す事には、さすがにまだ抵抗があったのだ。
「なんのつもりなの? 私はあなた達を食べようとしたのに」
「これ以上危害を加えないなら、僕は君に手を出さない。だから今日の所は大人しく帰ってよ」
「馬鹿にしないでっ! 私は魔王軍四天王ヴェリアム様の従者、マキナよ! 私を生かして返せばあなたなんて、すぐに主様に殺されちゃうわっ!」
「やっぱり、四天王っているんだね」
ファンタジー世界でお決まりの肩書の登場にシルバは思わず笑ってしまう。
「何が可笑しいのっ! どこまで私を侮辱するつもり!?」
「ごめんごめん、そんなつもりはないんだ。多少痛い思いはさせられたけど、僕は君に恨みがある訳じゃない……。これで痛み分けって事にして、仲直り出来ないかな?」
シルバは笑顔で、マキナに手を伸ばす。
「あなた……変なヒューマンだね……」
今まで食糧としてしか見ていなかったヒューマンに負け、更には手を差し伸べられた事に、マキナの心には不思議な感情が生まれていた。

「お前達無事かっ!?」
その場に心配そうな表情のランスが現れた。
「将軍……良かった」
その姿を見たシルバは安堵する。
「ここにもう1人、青い髪の魔族は来ていないか?」
「いえ、来ていません……」
ランスが辺りを見渡すと、馬車の影から王女へ近付き、魔法を放とうとしているレイキの姿を発見する。
「姫様っ! お逃げ下され!」
ランスがそう声をかけると、ロゼッタが咄嗟にルーシー王女の前に出る。
「やめてレイキ! 今回は私達の負けだよ!」
「えっ?」
マキナはそれを止める為に声を張り上げたが、レイキの氷による攻撃は既に放たれた後だった。
「ロゼッタぁあ!!」
シルバ達は馬車から距離が絶妙に離れており、その瞬間を目にするも、声を上げる事しか出来なかった。
(くそっ!! 油断したっ……)
シルバは悔やみながらその場へと走りだすが、すぐさま氷のツブテが直撃する鈍い音が響く――。

だがその音は幸いにも、レイキの攻撃がロゼッタに当たった音ではなかった。
「怪我はないかい? マイラブリーキューティプリティシスターロゼッタ……」
王女達の前に立ち、敵からの攻撃を防いでいたのは、まるでアメリカのコミックヒーローのような鎧のスーツに全身を包んだ金髪碧眼で美形の男性。
「クリフ兄さん……なんでここに?」
「君の顔を見に久しぶりにギルドに戻ったのに姿が見えないから、シンさんを問い詰めたんだ。気付いた時には全てを投げ出して走り出していたよ……。でも、その判断は正解だったようだね……」
「勝手に街の外に出た私を……怒らないの?」
「君が選んだ道ならば、僕は怒らない……だけど……」
ロゼッタの兄クリフはシルバを指差す。
「君が新人のシルバだな! 何故何よりも最優先に人類の宝を守らない! もう少しで彼女が怪我をする所だったじゃないか!」
「す、すみません……」
それを見たロゼッタが口を挟む。
「私がルーシーを守る為に勝手に前に出たの! シルバは悪くないわ!」
クリフは跪きながら最愛の妹の両腕を掴み、諭すように優しく声をかける。
「こんなじゃじゃ馬娘の為に君が危険な目に遭う必要はないんだよ?」
「ちょっとクリフ、それはどういう意味かしら?」
ルーシー王女は眉間にシワを寄せながら尋ねた。
「分からないのかい? ガサツで大食いの君よりロゼッタの方が何億倍も可愛くて尊い存在だと言ったんだよ。ごめんよロゼッタ、比べるのもおこがましかったかな?」
王女は拳を握りプルプルと小刻みに震えている。
「いいわ……昔みたいにかかって来なさいよ」
一触即発な雰囲気の2人の間に入るロゼッタ。
「2人共! 今は喧嘩してる場合じゃないでしょ?」
「そうだね……妹との再開を喜ぶのは、こいつら3人を始末してからにしよう」
「それ、たぶんだけど私も人数に入ってるわよね? 上等よクリフ……」
王女は尚も喧嘩をふっかけてくるクリフを睨んだ。

「レイキ! 今日の所は一旦引こう!」
「そうだねマキナ。そうしよう」
王女達が言い争っている隙に魔族の少女達が近寄り互いに手を握り合うと、レイキが霧を発生させその場を離れようとする……去り際にマキナは尋ねた。
「ねぇ銀髪のヒューマン、あなたの名前は?」
「シルバだよ」
「ふーん。オリバちゃんの仇、絶対とりに行くから……」
「分かった……次も負けないよ」
「ホント、変なヒューマン――」
こうして霧が晴れた頃には、少女達の姿はなかった。

そして彼らは、1人も欠ける事なく(むしろAランク冒険者1名を追加して)王都へと帰還した。
「じゃあ僕は投げ出してきたクエストに戻るとするよ」
そう言ってクリフは先に馬車を降りる。
「兄さん、今日は助けてくれてありがとう」
「僕は自分の為にやっただけだよ。もし君が傷付く事があれば僕も同じように痛いんだ。そんな思いをさせたくないし、したくもない――ただそれだけさ」
「兄さん……」
久しぶり会った兄に優しい言葉をかけられて、いつもなら他人には見せないであろう"警戒心のない笑顔"とでも言うのだろうか……初めて見る表情のロゼッタに、側から見ていてた僕自身も心が温かくなったような、むず痒い感覚を味わった。
「それとシルバ、もし次ロゼッタを危険に晒せば……分かっているね?」
去り際に耳元で囁かれた死刑宣告。一昔前のシルバなら、それを恐怖としてしか受け取らなかっただろう。だが今の彼には、どこか励ましの意を含んでいるように聞こえた。
「はい……次は必ず最後まで守りきります……」
「頼んだよ……」
王女はクリフの去り際の背中へ、小声で一言だけ呟く。
「ありがと……」
「……何か言ったかい?」
「早く行っちゃえって言ったのよ」
「君とは次に会った時にでも決着をつけようか。種目はそうだなぁ……君の得意分野の大食い勝負でどうだい?」
「あら、随分と余裕ね?」
「もちろん途中で吐くのは禁止だよ?」
「えぇ。負けて悔しがるあなたの顔を見るのを、楽しみに待っているわ」
「あぁ。せいぜいその時まで、その何も考えていなさそうな馬鹿面で待っているといい」
二人はそのまま、ひと時も目線を合わせる事なく別れを告げたのだった。

「ねぇ、ロゼッタ――もしかしてあの2人って……?」
「――」
ロゼッタは何も答えなかった……だから僕はそれ以上は何も聞かずに、口に出しかけた言葉を飲み込んだ――。

――魔国領中心部にある魔王城の一室。
「お腹減ったね……マキナ」
「そうだねレイキ……まさか私達が負けるなんて……」
机に頬を付けて空腹を訴える少女達の元へ、1人の女が近付いた。
「あなた達、そんなに辛そうにしてどうしたの?」
「あ、ヴェリアル様……狩りに失敗して、ヒューマンを食べそびれちゃったんです……」
「あなた達2人が失敗だなんて珍しいわね。でも、無事に戻って来てくれて嬉しいわ……」
「聞いてくださいヴェリアル様! そのヒューマン、変なんです」
魔王軍四天王の1人、『ヴェリアル・ジミィ』はマキナの話を興味深く聞いた。
「そう。マキナはそのヒューマンの事、気に入ったの?」
「分かりません。でも……少し興味が湧きました」
「お礼もしなくちゃいけないし、近い内に一緒に会いに行きましょうか?」
マキナは楽しそうに目を輝かせて返事をする。
「はい!」
シルバが異世界に転生して2ヶ月と少し……とうとう魔王軍に目をつけられ、四天王と顔を合わせる日も近い。
 

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