「さっきの伊藤というヤツか? もしくはその上司かな?」
 悠長に構えている父を、真央さんは睨んだ。
「百人以上の男の大群がこっちに来ています!」
「何ぃ」
 ボクと父は後方を振り替えると、おぞましい光景だった。市役所の出入口から映画のゾンビのようにうじゃうじゃと市役所職員らしき男たちがこの車を目掛けて来る。
「真央さん、逃げよう!」
「ブラジャー、いやラジャー」
 真央さんは急いでアクセルを踏み込んだせいか、路面でスリップする。その発車が遅れた一瞬を捉えて、一人の男が後部トランクの上に乗ってしがみついている。

 その男は、「止まれー」と怒鳴って後部のガラスを割ろうとしているが、真央さんの急発進で車から振り落とされた。
「怖いよ」というボクなど構わずに、真央さんは楽しそうだ。いや、父も、だ。
「世古くん、前に警察官かいる!」
 市役所を出てすぐの国道で警察が三人、ボクたちを待ち構えている。赤い反射材のついた警備棒を持って、ボクたちに車を停めるよう指示していた。
「邪魔だなー。館長、やっちゃっていい?」
「行け行け!」

 まさか、嘘だろ。
 真央さんは進路を遮る警察官に向かって猛スピードで突っ込む。ぶつかる直前で逃げ出した警察官の尻をかすめて、突破した。
「あぶない! かがんで!」
 状況が分からないが真央さんの言うとおりにかがむとドラマのワンシーンで聞いたことがある音がする。

 パーン! パーン!
 背筋が凍りつく。腰が抜けて声も出せない。
 真央さんが左右にくねらせてハンドルを切ったのが、功を奏したようで、弾丸は車に当たらなかった。ようやく車は中心市街地へと逃げ込め、安堵する。
 とうとうボクたちは、本物の犯罪者として扱われるようになったみたいだ。

「秘密結社のヤタガラスって、ボクらを殺そうとするの?」
 ボクは泣きそうになりながら、父に言う。
「今、ワシらを殺そうとしたのは、賀茂氏やその賀茂氏の原理主義者やない」
「ほな、誰?」
「藤原氏や」
「なんでやねん」
「あのヤタガラス虐殺の動画は、藤原氏の陰謀というメッセージで全国の賀茂氏に伝えられたんやで。実際は陰陽師であるうちら秦氏と賀茂氏の内輪もめやのに。藤原氏からすれば、ワシらを捕まえて全国の賀茂氏に潔白を証明したいやろ?」
「ただの保身やん」
「だいたい世の中の陰謀は、権力者の保身によるものが多い」
「俊介くん、それよりさ、……」
「どうしたの?」
「今、大変な状況だよ」
「大変なのは、よく分かってるよ」
「分かってない」
「世古くんの言うとおりだな」
「館長と俊介くんは、今、秘密結社ヤタガラスと藤原氏の両方から狙われてるの。敵だらけだよ」
「もう、嫌だ。父さんのせいだよ」
「どうしようもないから、俊介くん楽しもうよ、ね。スリルっていいよ」
「ボクには無理!」
 父は冷静にグーグルマップを見ながら鴨神社にナビゲートする。

「館長、そもそも賀茂氏のルーツは、上賀茂、下賀茂で有名な京都じゃないんですか?」
「うーん、賀茂氏と名乗る以前は、ワシら秦氏も含めて忌部氏やったんやけど、その忌部としてのルーツは奈良県の山城国や。その子孫が賀茂氏となり、京都に上賀茂神社と下賀茂神社を建てたということに一般的な解釈としてはなってるんやけど、ワシは違うと思ってる」
「どう違うんや?」
「藤原氏に逆らった忌部の一部が山城国を追われて、ここへ来たんや」
「いなべ市に?」
「そや。その一部の人たちは、秘伝の裏の陰陽師カンパーラを使えたんや。そやから、秘伝を守るために藤原氏から隠れた」
「その末裔が賀茂氏?」
「そうや。賀茂氏としてのルーツはここなんや」
「じゃあ、うちら秦氏は?」
「対照的に藤原氏に従属した表の陰陽師である忌部がうちら秦氏やったり、安倍やったりする」
「そういうことか。そら、賀茂さんらからしたら、うちらが憎くなるわな」
「そや、それでカンパーラという裏の陰陽師を使って、祈祷で京の藤原を邪魔するようになったんやけど、それに藤原不比等らが焦って大工集団の猪名部族を送り込んで支配させたんや。しかも天皇を通じて漢字二文字の地名に変えろ、と命令を出した。猪名部族は伊那とか稲部とか漢字を当てたかったけど、地元民の心を掴んでいる賀茂氏を否定する訳にもいかず、やむなく員弁という忌部に読みが近い漢字をあてて、いなべと読むようになったのが真実やないかな」
「折衷案ってこと?」
「だいたい、そんなイメージやな。その後、さらに猪名部族にこの地を追われた賀茂氏が行き着いたのが京都で、今の上賀茂神社のところやな」
「それ、ホンマか?」
「それを今から確かめに行くんや」

 車は、目の前にある国道306号を鈴鹿山脈沿いに南へ向かう。
「目指している鴨神社はアレですか?」
 運転しながら、真央さんは看板を指差す。
「いや、あれは賀毛神社や。おそらく京都でいう下賀茂さんやな」
「ややこしい」
「すぐそこの青川に架かる橋を渡って、そうそこを左や!」
 国道から集落の中に入って行くと、巨木に囲まれた鴨神社にすぐ着いた。鳥居の前に車を止め、おそるおそる車外へ出る。
 空が夕暮れに染まっている。集落に人気がまったくない。静まり返っているのが不自然で、ボクたちはますます警戒してしまう。
「ここに、ヤツらは来ているはずや。賀茂氏の本当のルーツであり、いわば聖地を、ワシらに壊されたらたまらんからな」
「何で真央さん、拾った薄汚い矢を持って来てるんや?」
「薄汚くないやん。キレイよ。この矢は先が黒いから、悪魔に刺したら倒せそうやない?」
「真央さん、ロールプレイングゲームやないんやで。しかも、相手は悪魔やなくて人間の陰陽師や」
「どっちでもいいでしょ」

 鳥居をくぐって、警戒しながら境内に入る。拝殿に近づくと、突然ボクらを取り囲んで地面に閃光が走る。その光は星の図形のようだ。
「セーマンか。まずい、結界を張られた」
「父さん、どういうこと?」
「安倍晴明から名付けられたセーマンは、五芒星と言われる、陰陽師の結界や。抜け出せなくなった」
 そして、空が急に曇り出す。この世のものとは思えない、無数の青い稲妻が落ちてきた。ボクらは逃げ惑うばかりだ。
「ヤツら、ホンマに人間か?」
「残念やけど、人間や。これが最強の裏の陰陽師、カンパーラや。この神社の祭神、賀茂別雷神と同じくサンダーを自在に操れる」
 ふと、空から重そうな物体が落ちてきた。地面にぶつかった時、鈍い音がする。そして、そのぶったりから大量の赤い液体が流れてくる。
 まさか。
「キャーっ!」
 真央さんは顔を背けた。
 これは、人だ! 死んでいる。