華々しい装飾で彩られた人力車が、屋敷の前に到着した。

「美しい車ね」

 白無垢を着た蓉花は、陰陽司宮家が遣わした人力車を満足気に見遣る。

「私にふさわしいわ」

 車夫の手を借り、蓉花が乗り込む。
 美しい飾りのある二台の車には、先頭に当主が一人、そしてその次の車に蓉花と彼女の母が乗った。
 
 その後ろには飾りのない人力車に乗った、三人に使える侍女。
 彼女たちはそれなりの家の出なので、歩くことはない。
 そうしてそこから後ろは、使用人たちが徒歩で従っていく。

 常ならば詠も後ろを歩かされていたが、今日はどこぞへ売るためにもそれなりに着付けられ、侍女たちの車の一番後ろに乗るように指示された。
 隣に座る者もなく、ただ一人座る。
 その後ろに、良く知っている使用人たちが歩くので、居心地が悪いことこの上なかった。

 人力車はゆっくりと進み、神楽陽歌家を出たときからさらに、太陽は傾き夕闇が迫ってきている。
 まるで何かを惜しむかのように、太陽は空を藍闇に溶かしていく。
 やがて、蓉花の白無垢が夕暮れに浮かび上がるほどに陽が落ちると、陰陽司宮家の屋敷に到着した。
 
「蓉花、あちらが陰陽司宮家のお屋敷ですよ」
「まぁなんと大きく、そして美しいのでしょう」

 花で飾られた人力車は、時折その台座から花びらを零す。
 それが後ろにつく詠の車まで届き、彼女の頬に張り付いた。
 ほんの少し眉間に皺を寄せ、指でそれをとると、手のひらにのせ吹き捨てる。

「花嫁御寮のおなぁりぃ」

 陰陽司宮家の門番が、大きな声で告げると、先頭の人力車が通る度に、門から玄関までの道の左右に並べられた松明に火が灯る。
 道中を美しい花々が彩り、夕暮れの庭を華やかに見せた。
 火の周りには、青と白の蝶が何頭も飛び回っている。
 それはまるで、青白い炎の火の粉のようだ。

 玄関の前には多くの使用人が並び、神楽陽歌家の当主たちを出迎えた。
 すでに屋敷の中には、多くの賓客が詰めかけており、楽しげな声が聞こえてくる。

「ようこそお越しくださいました。さぁさ、神楽陽歌家のみなみなさまは、奥の間へ」

 番頭と思わしき男が平身低頭にて挨拶をすると、人力車に乗っていた人間を案内した。
 後ろを歩いてきた使用人たちは、別の棟に案内され、そこで足などを綺麗にしてから婚姻の式へと向かう。

 大広間には正面に花嫁花婿が座る場所が設けられ、その左右に両親が並ぶかたちとなっていた。
 詠は親族の末席に座ることとなった。
 蓉花は花嫁の席に座り、花婿であり彼女の夫となる陰陽司宮家当主を待つこととなる。

 貴族としての地位が圧倒的に陰陽司宮家が高いため、神楽陽歌家の面々は全員が指定された席で伏して待つこととなる。
 それは神楽陽歌家が下に見ている詠であっても、かの家の当主や本日の主役といえる蓉花であっても同様だった。

「当主、陰陽司宮飛陽さまが入られます。皆様あらためて、頭をお下げください」

 普段偉そうに家の中にいる神楽陽歌家の当主たちも、外の世界の身分差には逆らえない。
 蓉花は、この婚儀が終われば自分も頭をこうして下げさせられる立場だと信じ、床に向けた顔は笑いを押し殺していた。

「皆、待たせたな。どうか顔を上げてくれ」

 人がぞろと入ってくる気配がした後、最後に男の声がする。
 それをきっかけに、皆が顔をあげた。

(この声。あぁ、やはりあの方は飛陽さまだった)

 僅かに人違いを期待していた詠は、飛陽の声を聞き、改めて絶望の淵へと突き落とされていく。
 それでもここは、めでたい場だ。けして顔には出さず、ただじっと飛陽の顔を見ていた。

 飛陽は漆黒の着物をその身に纏い、この国の陰陽師の正式な衣装である薄絹の衣を、その上に羽織っている。
 それが彼の美しい顔を殊更に印象づけた。

「ようやく、直接会うことができたな」
「飛陽さま……」

 涼やかな目元を細め、うっすらと笑みを浮かべていた飛陽は、だが蓉花が名を呼んだ瞬間、ぴたりとその動きを止めた。

「……そなたは、誰だ(・・)

 飛陽は自身の胸元に手を入れ、月光玉石を取り出すと、二人の間に置かれていた三方にそっと置く。
 しかしその石はなんの反応も起こさない。

「神楽陽歌家の当主よ」
「……はい」

 何か証が必要だったのか。
 そう気付いた蓉花は、名を呼ばれた父をそっと振り向く。

「俺は『神楽陽歌家の一の姫』を嫁御と望んだのだが?」
「我が神楽陽歌家の正妻が一の姫は、間違いなくここにいる蓉花にございます」
「なるほど? では、俺が神より賜った神言に背いていないと、誓うのだな?」

 飛陽の言葉に、詠は息をのんだ。

「飛陽さま! 私が正妻の一の姫にございます」
「正妻の、ねぇ。まぁ良い。で、あれば娘よ。我が前で歌を」

 大広間から開け放たれた庭に見えるのは、夜の闇。
 飛陽を待つ間に、太陽はすっかり山間に隠れてしまっていた。
 月も雲におおわれ、辺りは薄暗い。
 この状態で、陽の力を持つ蓉花が歌っても、何の力を示すこともできない。

「う、歌にございますか? ですが、太陽はすでに落ちており」
「ほう? ではそなたは陽の力のみを有していると?」
「当然にございます。私は神楽陽歌家の者でございますれば」

 今、ここで。
 歌うべきは誰であるか。

 詠だけは分かっていた。