翌日、真鈴が手首に分厚いリストバンドを巻いてきた。
「あれっ、真鈴リストバンドしてる。おしゃれだねぇ」
歩美が褒めると、真鈴は手首を押さえて力なく笑った。
そのまま自分の席に着いて、ぐったりと俯いて動かない。顔には濃い影が落ちていた。
「あれ、ほんとカワイイなぁ。あたしも探してみよっと」
歩美が呑気に笑う。
何かが変だ。真鈴はスポーティなのは好みじゃないって言っていたのに、タオル地の分厚いリストバンドをしてくるなんて。
いきなり好みが変わるとは考えにくい、嫌な予感がする。
問いただしたかったが、始業のチャイムが鳴ってしまった。
一限目が終わると、廊下側の後ろの席に座ったままぼんやりしている真鈴に近付いた。
「真鈴、元気?」
「ンー、げんきげんき。ちょっと眠くってさ」
放っておいてくれとでも言いたげに真鈴が左手を振った。黒のリストバンドの下、ミミズのような長い赤い傷がちらりと見えた。けっこう深い痕だ。
まさか、リストカットでもしているのか。
「ねえ、真鈴」
「ゴメン、涼花。マジ眠い」
真鈴は机に突っ伏して、そのまま動かなくなってしまった。
揺り起こしてでも手首の傷を追求すべきか。それとも、そっとしておくべきか。
迷っていると、歩美に呼ばれた。
「ねぇ、さっきの数学わかんなかったとこあるんだけど、教えて」
「わかった」
「ありがとぉ、助かる」
歩美に数学を教えながら、真鈴を振り返る。
殻に閉じこもったように、彼女は顔を腕に埋めたまま固まっていた。
二限目、国語が始まった。山村先生の目を盗んで真鈴の様子をちらりと見る。
彼女は真っ青な顔で耳を塞いでいた。
真凛の視線が忙しなく動いている。教室の後ろの扉、掃除ロッカー、野呂紗千の机。まるで、何かを追っているようだ。
真鈴が天井を見た。ほぼ同時に、ミシ、ミシと嫌な音がした。
三年一組の教室は三階で一番上の階だ。床を踏みしめるような音が聞こえるはずがない。
あまりにも微かな音で誰も音に気付いていない。音を気にしているのは、私と真鈴くらいだ。
真鈴の顔が一層青くなる。
「やめろっつってんじゃん!」
真凛が叫んだのと同時に、フッと教室が暗くなる。
電気がいきなり消えたのだと、私は遅れて気付いた。
「こんなに天気がいいのに停電なんて、故障かしら」
山村先生は怪訝そうに首を傾げた。クラスメイトもざわざわとしはじめる。
「成海、さっきまた騒いでなかった?」
「騒いでたね。やめろとか怒鳴ってた」
「電気消えたの、真凛のせいだったりして」
「エスパー成海ってか? 笑える、やめてよー」
パンパン。山村先生が手を叩いて生徒の注目を前に集めた。
「ほらみなさん、お喋りは駄目ですよ。成海さんも、授業中に大声で叫ばないでちょうだいね。幼稚園児じゃないのよ」
どっと笑い声が起きる。真凛は黙り込んでいた。
「お天気でお外も明るいし、電気がなくても大丈夫ね」
山村先生は停電を気にすることなく、授業を再開した。
数分もすると、電気はまた勝手に点灯した。
ちょっと不思議だったけれど、そこまで奇妙なことではない。
それなのに、真鈴はこの世の終わりのような顔をしていた。
やっぱり、真鈴の様子が変だ。
私は休み時間、真鈴が一人でふらりと教室を出て行った時を狙って、歩美に小声で話しかけた。
「歩美、この学校で人が来ない場所ってある?」
「なにそれ。あ、カレシでもできた?」
「違う、真鈴のこと。何か悩みがあるんじゃないかな」
「そうかなあ?」
「絶対そうだって。今朝からぐったりしてる。不安で眠れてないのかも」
「えぇ、大丈夫だよ。スマホしてて夜更かしでもしてたんでしょ」
「たぶん違う。歩美、昨日の五限目のこと覚えてる?」
「昨日の五限目?」
「ほら、真凛が言った『紗千がいる』ってあれ」
歩美の顔がわずかに引き攣った。
死んだ野呂紗千のことで歩美も真鈴も私に何か隠しごとをしている気がする。
今年六月この中学校に私が転校しきた頃には、すでに歩美と真鈴は野呂紗千と距離をとっていたが、三人は昔、仲が良かったそうだ。
大事にしたくないという遺族の意向で野呂紗千の葬儀は家族葬となり、団体での弔問も全校集会での黙祷もなく、連絡事項のみで済まされた。
死因は心臓発作、いわゆる病死だ。それなのに、どうして遺族は紗千の死を隠匿するような真似をするのだろうか。
遺族と教師陣の口止めが功を奏したのか、いつも一人でいた野呂紗千の死を感じられるのは机に飾られた花瓶ぐらいのもので、まるで彼女の死などなかったことのように扱われている。
「真鈴はたぶん、野呂さんが亡くなったことで悩んでいるんだと思う。私と歩美で相談に乗ってあげない?」
歩美は渋っていたが、最終的には「涼花ってイイひとだよねぇ。わかったよ」と、首を縦に振った。
かくしてお昼休み、立ち入り禁止の屋上に私たちは集まった。
真鈴ははじめの内は恍けていたが、私があまりしつこく聞くから根負けしたようだ。
「何を話しても、ぜったい笑わないでよ」
「笑わない、だから何でも言って」
真鈴がぎゅっと唇を噛み、泣きそうな顔で私と歩美を見た。
「マジやばい。ワタシ、呪われてるかも―…」
思いもよらない言葉に、私は歩美と顔を見合わせた。
「呪われてるって、誰に?」
私が尋ねると、真鈴は顔をぐしゃりと歪めた。
「紗千」
「野呂さんがどうして真凛を呪うの?」
友達だったのに、という言葉は飲み込んだ。触れてはいけない雰囲気だったからだ。
真凛は私の問いには答えず、続けた。
「アイツ、ワタシに最期の最期で嫌がらせしやがった」
「どういうこと?」
「紗千から手紙もらったんだ。それ読んでから、ヘンなんだって。急に笑い声が聞こえたり、変な物音がしたり、誰もいないはずなのに、誰かいる気配がしたり……。きっと、紗千の幽霊が彷徨ってんだよ」
真鈴が自分を抱きしめて震える。
歩美が真鈴の肩を軽く叩いた。
「真鈴、いろいろ気に病みすぎだよ。だから、幻聴が聞こえたり幻覚を見たりしちゃったんじゃないかな?」
「違う、あれは幻なんかじゃないって! 歩美、アンタはなんともないわけ?」
「特に変わったことはないよ」
真鈴がじろりと歩美を見る。
「歩美。まさか、アンタ読んでないわけ?」
「う、ん。まぁ―…ない、かな」
責めるような目で真鈴に見詰められて、歩美の顔が暗くなる。二人とも見つめ合ったまま黙り込んでしまった。
一人置いてきぼりの私は沈黙に乗じて口を挟む。
「歩美、真鈴。野呂さんから手紙なんて、いつもらったの?」
「九月四日だよ」
「え、野呂さんが死んだのは九月三日の夜なのに?」
「朝の会で古賀先生から紗千が死んだって聞かされたあと、一限目の前にアタシと歩美だけ古賀先生に職員室に呼ばれたじゃん。そん時、手紙を渡されたんだよね」
「紗千の部屋の勉強机に置いてあったんだってさ」
「そうだったんだ、知らなかった」
紗千は自殺じゃない。
それなのに、どうして歩美と真鈴に宛てた手紙なんて、書き残していたのだろうか。
偶然かもしれないが気味が悪い。
「真鈴、手紙にはなんて書いてあったの?」
「わかんない」
「えぇ? 手紙、もう読んだんだよね?」
歩美が責めるように言うと、真鈴はキッと歩美を睨みつけた。
「読んだけど、わかんなかったんだって!」
「その手紙、私にも読ませてくれる?」
「ムリ。気持ちわるいから捨てちゃったし」
「あたしがもらった手紙は家にまだ封を切らずに置いてあるよ。真鈴への手紙と同じ内容かわかんないけどね」
「同じかも。ううん、きっと同じだって」
真鈴が確信したように言った。
「それじゃあ、それを読ませてもらってもいい?」
「涼花、マジで読むつもり?」
真鈴がぎろりと私を見た。
その目には異様にぎらついていて怖かった。
私に怒っているわけではなさそうだ。
どちらかというと、怯えているように見えた。
「真鈴の力になりたいから。相談に乗るには、まずは手紙の内容を知らないと」
「涼花、アンタってほんといいヤツじゃん」
「いい奴とかじゃなくて、友達だから。それだけ」
「涼花がそう言うなら、あたしも力になるよ。怖くて読めなかったけど、あたしも紗千からの手紙の内容、気になってたんだよ」
「マジ、ありがとう。二人とも、ゴメンね」
誰もいない立ち入り禁止の屋上で私たちは抱き合い、友情を確かめ合った。
偽善のつもりじゃなくて、心から私は真鈴の力になりたかった。
「あれっ、真鈴リストバンドしてる。おしゃれだねぇ」
歩美が褒めると、真鈴は手首を押さえて力なく笑った。
そのまま自分の席に着いて、ぐったりと俯いて動かない。顔には濃い影が落ちていた。
「あれ、ほんとカワイイなぁ。あたしも探してみよっと」
歩美が呑気に笑う。
何かが変だ。真鈴はスポーティなのは好みじゃないって言っていたのに、タオル地の分厚いリストバンドをしてくるなんて。
いきなり好みが変わるとは考えにくい、嫌な予感がする。
問いただしたかったが、始業のチャイムが鳴ってしまった。
一限目が終わると、廊下側の後ろの席に座ったままぼんやりしている真鈴に近付いた。
「真鈴、元気?」
「ンー、げんきげんき。ちょっと眠くってさ」
放っておいてくれとでも言いたげに真鈴が左手を振った。黒のリストバンドの下、ミミズのような長い赤い傷がちらりと見えた。けっこう深い痕だ。
まさか、リストカットでもしているのか。
「ねえ、真鈴」
「ゴメン、涼花。マジ眠い」
真鈴は机に突っ伏して、そのまま動かなくなってしまった。
揺り起こしてでも手首の傷を追求すべきか。それとも、そっとしておくべきか。
迷っていると、歩美に呼ばれた。
「ねぇ、さっきの数学わかんなかったとこあるんだけど、教えて」
「わかった」
「ありがとぉ、助かる」
歩美に数学を教えながら、真鈴を振り返る。
殻に閉じこもったように、彼女は顔を腕に埋めたまま固まっていた。
二限目、国語が始まった。山村先生の目を盗んで真鈴の様子をちらりと見る。
彼女は真っ青な顔で耳を塞いでいた。
真凛の視線が忙しなく動いている。教室の後ろの扉、掃除ロッカー、野呂紗千の机。まるで、何かを追っているようだ。
真鈴が天井を見た。ほぼ同時に、ミシ、ミシと嫌な音がした。
三年一組の教室は三階で一番上の階だ。床を踏みしめるような音が聞こえるはずがない。
あまりにも微かな音で誰も音に気付いていない。音を気にしているのは、私と真鈴くらいだ。
真鈴の顔が一層青くなる。
「やめろっつってんじゃん!」
真凛が叫んだのと同時に、フッと教室が暗くなる。
電気がいきなり消えたのだと、私は遅れて気付いた。
「こんなに天気がいいのに停電なんて、故障かしら」
山村先生は怪訝そうに首を傾げた。クラスメイトもざわざわとしはじめる。
「成海、さっきまた騒いでなかった?」
「騒いでたね。やめろとか怒鳴ってた」
「電気消えたの、真凛のせいだったりして」
「エスパー成海ってか? 笑える、やめてよー」
パンパン。山村先生が手を叩いて生徒の注目を前に集めた。
「ほらみなさん、お喋りは駄目ですよ。成海さんも、授業中に大声で叫ばないでちょうだいね。幼稚園児じゃないのよ」
どっと笑い声が起きる。真凛は黙り込んでいた。
「お天気でお外も明るいし、電気がなくても大丈夫ね」
山村先生は停電を気にすることなく、授業を再開した。
数分もすると、電気はまた勝手に点灯した。
ちょっと不思議だったけれど、そこまで奇妙なことではない。
それなのに、真鈴はこの世の終わりのような顔をしていた。
やっぱり、真鈴の様子が変だ。
私は休み時間、真鈴が一人でふらりと教室を出て行った時を狙って、歩美に小声で話しかけた。
「歩美、この学校で人が来ない場所ってある?」
「なにそれ。あ、カレシでもできた?」
「違う、真鈴のこと。何か悩みがあるんじゃないかな」
「そうかなあ?」
「絶対そうだって。今朝からぐったりしてる。不安で眠れてないのかも」
「えぇ、大丈夫だよ。スマホしてて夜更かしでもしてたんでしょ」
「たぶん違う。歩美、昨日の五限目のこと覚えてる?」
「昨日の五限目?」
「ほら、真凛が言った『紗千がいる』ってあれ」
歩美の顔がわずかに引き攣った。
死んだ野呂紗千のことで歩美も真鈴も私に何か隠しごとをしている気がする。
今年六月この中学校に私が転校しきた頃には、すでに歩美と真鈴は野呂紗千と距離をとっていたが、三人は昔、仲が良かったそうだ。
大事にしたくないという遺族の意向で野呂紗千の葬儀は家族葬となり、団体での弔問も全校集会での黙祷もなく、連絡事項のみで済まされた。
死因は心臓発作、いわゆる病死だ。それなのに、どうして遺族は紗千の死を隠匿するような真似をするのだろうか。
遺族と教師陣の口止めが功を奏したのか、いつも一人でいた野呂紗千の死を感じられるのは机に飾られた花瓶ぐらいのもので、まるで彼女の死などなかったことのように扱われている。
「真鈴はたぶん、野呂さんが亡くなったことで悩んでいるんだと思う。私と歩美で相談に乗ってあげない?」
歩美は渋っていたが、最終的には「涼花ってイイひとだよねぇ。わかったよ」と、首を縦に振った。
かくしてお昼休み、立ち入り禁止の屋上に私たちは集まった。
真鈴ははじめの内は恍けていたが、私があまりしつこく聞くから根負けしたようだ。
「何を話しても、ぜったい笑わないでよ」
「笑わない、だから何でも言って」
真鈴がぎゅっと唇を噛み、泣きそうな顔で私と歩美を見た。
「マジやばい。ワタシ、呪われてるかも―…」
思いもよらない言葉に、私は歩美と顔を見合わせた。
「呪われてるって、誰に?」
私が尋ねると、真鈴は顔をぐしゃりと歪めた。
「紗千」
「野呂さんがどうして真凛を呪うの?」
友達だったのに、という言葉は飲み込んだ。触れてはいけない雰囲気だったからだ。
真凛は私の問いには答えず、続けた。
「アイツ、ワタシに最期の最期で嫌がらせしやがった」
「どういうこと?」
「紗千から手紙もらったんだ。それ読んでから、ヘンなんだって。急に笑い声が聞こえたり、変な物音がしたり、誰もいないはずなのに、誰かいる気配がしたり……。きっと、紗千の幽霊が彷徨ってんだよ」
真鈴が自分を抱きしめて震える。
歩美が真鈴の肩を軽く叩いた。
「真鈴、いろいろ気に病みすぎだよ。だから、幻聴が聞こえたり幻覚を見たりしちゃったんじゃないかな?」
「違う、あれは幻なんかじゃないって! 歩美、アンタはなんともないわけ?」
「特に変わったことはないよ」
真鈴がじろりと歩美を見る。
「歩美。まさか、アンタ読んでないわけ?」
「う、ん。まぁ―…ない、かな」
責めるような目で真鈴に見詰められて、歩美の顔が暗くなる。二人とも見つめ合ったまま黙り込んでしまった。
一人置いてきぼりの私は沈黙に乗じて口を挟む。
「歩美、真鈴。野呂さんから手紙なんて、いつもらったの?」
「九月四日だよ」
「え、野呂さんが死んだのは九月三日の夜なのに?」
「朝の会で古賀先生から紗千が死んだって聞かされたあと、一限目の前にアタシと歩美だけ古賀先生に職員室に呼ばれたじゃん。そん時、手紙を渡されたんだよね」
「紗千の部屋の勉強机に置いてあったんだってさ」
「そうだったんだ、知らなかった」
紗千は自殺じゃない。
それなのに、どうして歩美と真鈴に宛てた手紙なんて、書き残していたのだろうか。
偶然かもしれないが気味が悪い。
「真鈴、手紙にはなんて書いてあったの?」
「わかんない」
「えぇ? 手紙、もう読んだんだよね?」
歩美が責めるように言うと、真鈴はキッと歩美を睨みつけた。
「読んだけど、わかんなかったんだって!」
「その手紙、私にも読ませてくれる?」
「ムリ。気持ちわるいから捨てちゃったし」
「あたしがもらった手紙は家にまだ封を切らずに置いてあるよ。真鈴への手紙と同じ内容かわかんないけどね」
「同じかも。ううん、きっと同じだって」
真鈴が確信したように言った。
「それじゃあ、それを読ませてもらってもいい?」
「涼花、マジで読むつもり?」
真鈴がぎろりと私を見た。
その目には異様にぎらついていて怖かった。
私に怒っているわけではなさそうだ。
どちらかというと、怯えているように見えた。
「真鈴の力になりたいから。相談に乗るには、まずは手紙の内容を知らないと」
「涼花、アンタってほんといいヤツじゃん」
「いい奴とかじゃなくて、友達だから。それだけ」
「涼花がそう言うなら、あたしも力になるよ。怖くて読めなかったけど、あたしも紗千からの手紙の内容、気になってたんだよ」
「マジ、ありがとう。二人とも、ゴメンね」
誰もいない立ち入り禁止の屋上で私たちは抱き合い、友情を確かめ合った。
偽善のつもりじゃなくて、心から私は真鈴の力になりたかった。