生温い風に、窓際の一番前の席の白百合がそよそよと揺れる。
真っ白だった花は萎れ、葉は枯れはじめている。
九月の暑さのせいだけじゃない。
水が空になった花瓶を見て、私は今になってなんとなく、野呂紗千のクラスでの立ち位置を知った。

「やっとお昼休みだ。あぁ、お腹空いたぁ」

 歩美がだらけた声を上げて弁当箱を手に近付いてきた。
さっさと弁当を広げる歩美を横目に、私は教室の後方に目を向けた。

真鈴はただじっと廊下側の自席に座り、ぼんやりとしていた。
彼女のぱっちりした猫目からは覇気が感じられない。まるで死体が座っているみたいだ。

自分の想像にぞっとする。死体だなんて、縁起でもない。

「真鈴、元気ないな。野呂さんが死んだのがやっぱりショックだったんだね」
「いやいや、違うと思うなぁ」

歩美が苦笑いをする。
なんか、ひっかかるな。
追求したい気持ちに駆られるが、藪蛇になりそうなのでやめた。

「お~い、真鈴。お昼だよ、こっちおいでよ」

 歩美が大声で呼ぶと、真鈴はびくっと肩を跳ねさせて、ポニーテイルを大きく揺らしながらこちらを見た。その顔が一瞬だけ引き攣る。

なに、今の。私の後ろに何かいるのだろうか。

いや、違う。真鈴が見たのは私の後ろにある百合の花だ。

 真鈴は力なく笑顔を浮かべると「今行く」と返事をして、コンビニのビニール袋を手にやって来た。
 いつも通り、三人でランチタイムを過ごす。

 でも、いつもとは違う。やっぱり、真鈴に元気がない。

 ご飯を食べ終わると、真鈴がポーチから櫛を取り出した。金色の蝶々が描かれた黒塗りの素敵な櫛。
夏休み前、レトロ雑貨にはまっていると彼女が言っていたのを思い出す。

「いいね、その櫛」

 褒めると、真鈴はパッと華やかな笑顔になった。やっといつもの彼女だ。

「いいっしょ、ワタシの今イチバンのお気にだし」
「ほんといいね~。どこで買ったか教えてよ」

 歩美が身を乗りだして尋ねると、真鈴が肩を竦めた。

「わかんない」
「えぇ、なにそれ。どういうこと?」
「いつ買ったか覚えてないけど、いつの間にかあったんだって」
「ウケるね、それ。真鈴ってばお金遣い荒すぎだよ」

 あははと歩美が明るく笑い、真鈴も一緒になって笑う。
だけど、私は笑えなかった。

お気に入りの櫛の出所を忘れるなんてありえるのか。黒塗りの櫛が胡散臭い一品のように見えてきた。素敵な櫛だけど、いわくが憑いていそうな気さえしてくる。

なにはともあれ、真鈴がいつも通りに戻ってよかった。
その時は、そう思っていた。


五限目の社会の時だ。

甲高く長い悲鳴が教室の後ろの方から聞こえた。
振り返ると、真鈴が椅子をひっくり返して勢いよく立ち上がっていた。
みんなに注目される中、真鈴は黒板の方を指差して大声で叫んだ。

「紗千、紗千がっ!」
「おい成海。どうしたんだ、座りなさい」
「先生っ、紗千がいるっ、そ、そこ、座ってる!」

 社会を担当でこの三年一組のクラス担任でもある古賀先生は眉を顰め、真鈴に近付いた。

「落ち着け、成海。野呂は二週間前に亡くなっただろう」
「イヤッ、こっち来んなってば! あっちいけっ!」

でたらめに手を振り回して叫ぶ真鈴に奇異の目が向けられる。ヒソヒソとクラスメイトが内緒話をはじめる。

「ちょっ、成海さんヤバくない?」
「野呂さんがいるわけないじゃんね」
「ヤクでもやってんの、アイツ」
「あー、やってそう」

その中の一つが、私の耳に嫌にこびり付いた。

「やっぱ、野呂さんは自殺じゃないんだ」

 誰が言ったかわからない、女子の声だったことは確かだ。

 やっぱり自殺だったという、不穏な発言に私は思わず顏を顰めた。
ちらりと歩美の方を振り返る。
いつもは底抜けに明るい彼女が暗い顔で俯いていた。

 古賀先生が真鈴の肩をがしっと掴む。

「おい、成海。しっかりしろ!」
「え……、あ」
「大丈夫か、成海。野呂なんていないぞ」
「紗千、いな、い?」

 辺りを見回し困惑した表情を浮かべる真凛に、古賀先生が優しく諭すような声で言う。

「野呂のことは辛かったな。お前と野呂は昔、仲が良かったから無理もない。でも、授業中に居眠りで寝惚けるのはだめだぞ」
「寝惚けた……。そっか、だよね、夢だよね」
「今度は寝るなよ」

 古賀先生は真鈴の頭に拳骨を落とすふりをすると、教壇に戻った。
 再開した社会の授業は滞りなく終わった。
だけど、真鈴の異変はそれで終わりとはいかなかった。