美佳はとにかくお見合いをした。
何人もの人と仮交際をして、病気を受け入れてくれる人を探す。美桜も可能な限りついていく。
やがてひとりの男性と出会う。右腕が少し不自由な三十路の男、桂木創治。
公認心理士の資格を持ち、精神病に理解がある。自身は脳梗塞で倒れ、後遺症で右腕に障害が残った。利き腕は左なので助かった、と笑っていたところが印象的だった。
美佳が事情を話し、グループデートを提案した時も嫌な顔をせず受け入れてくれた。
そこで婚姻を目指し本交際となったのである。
グループデートの日、東京近郊でデートならここ! と大人気のテーマパークにやってきた。
気合いの入った猛者は開園二時間前には現地にいるというが、美佳が不眠症の影響であまり早起き出来ないのでのんびり開園と同時に来た。
まずキャラクターの耳を象ったカチューシャを四人分買い求め全員でつける。
巽と創治は恥ずかしいようで、ふたりで顔を見合わせ照れ合っていた。
「学校行事の時、先生が言っていたのだけどパンフレットの番号と逆順に回るといいのですって」
ということでパンフレットの逆順から回ってみたのだがアトラクションは長蛇の列である。お金を出すと早く乗れるらしいのだが、そういったものはあまり使わないようにしようと約束していた。
どこかスムーズに乗れるところがないか探していると、小型船に乗ってVRで遊覧するアトラクションが比較的空いていた。
これなら障害があっても問題なく乗れるだろう。
カップルで一艇に乗り、数分間のクルーズを楽しんだ。
降りると美佳は映像美に感動していた。激しいアトラクションが苦手なので、とても喜んでいる。創治が優しい目でそれを見ていた。
こうして空いているアトラクションを探して乗って、時にパレードを見て楽しんだ。あちこちにキャラクターが隠れていて、それを探すのも楽しかった。
「美桜先輩、美佳さん、写真撮りましょう」
「あら、嬉しい。美桜ちゃん、あっちのキャラクターのパネルがいいわ。終わったら美桜ちゃんと白狼さんの写真も撮ってあげる」
「じゃあ、わたしがお姉ちゃんと桂木さんを撮ってあげる」
順番に写真を撮り、メッセージアプリで写真を交換する。
それからピークから時間をずらしレストランに入った。キャラクターフィーチャーの食べ物を頼みこれも写真を撮って食べる。
創治は片手で器用にプレートを食していた。指先は少し麻痺があるが動くそうで、パソコンも問題なく使えるらしい。それでプログラマーをしているそうだ。
Webシステムの組み込み、運用を生業としている巽とは話が合うようで時々仕事の話をしている。
「保守は別の人がやってくれるのか、いいね巽くん」
「とりあえず作っては投げ、作っては投げです」
「うふふ、そういう仕事出来る人に仕事持って行くの楽しかったわ」
「無茶振り案件が降ってくるのってもしかしてわたしだけ……?」
ちなみに美桜はWebデザイナーで必要に応じてコーディングまでやっていた。姉のサポートをしているのでシビアな納期対応はキツいという話は上にしてあるのだが「坂本さんは仕事出来るから大丈夫ですよー」という謎の言葉と共に仕事が割り振られる。心の支えは来月のボーナスが四か月であることだ。弾んだ。来月六月は年金支給月でもあり、美佳とちょっといいご飯を食べに行くことにしていた。
「美桜先輩のデザイン評判いいんですよ。最近指名も多いし」
「僕も美桜さんに画面設計書のデザインやってみてほしいかも」
「嫌ですよ創治さん。創治さんまで美桜ちゃんを仕事責めにしないでください」
そんなことを話しながら食事を終える。
近くでパレードがあるということで、既に人混みが出来ていたがそちらに向かった。
巽と並んで歩いていると、突然人にぶつかられる。謝りもせずに去って行く姿に何だったんだろう、と思った時だ。
「美桜ちゃん、バッグ!」
美佳の声を聞いた瞬間、巽が引ったくり犯目掛けて走り出す。
巽に買ってもらったショルダーバッグにはクレジットカードとキャッシュカードが詰まっていた。あまりのショックに見ているしか出来ない。
引ったくり犯は足が速かった。引き離されそうになった巽がキレる瞬間を見る。狼の姿に変じていたのだ。
たったった、と跳躍し引ったくり犯に飛びかかっていく。取り押さえるとすぐに人の姿に戻った。だが、たくさんの人に見られた。
美桜は巽に駆け寄る。好奇の視線から巽を守るために、視線を遮るように立つ。
「あれって神様か?」「うそ、初めて見た」とざわざわしている。
少し遅れてやってきた美佳と創治も困惑した顔をしながら、巽を庇うように立ってくれた。
テーマパークの警備に引ったくり犯を引き渡しバッグを回収する。今日はもうここにはいられないだろう。
「すみません、今日は帰りましょう」
全員が頷き、テーマパークを後にした。
巽がどこかへ電話すると、タクシーを拾って乗った。港区の高級住宅が密集している地帯を指示し、四人は車に揺られる。
「俺の両親のところへ行きます。きちんと説明した方がいいでしょう」
「それがいいと思うわ、白狼くん」
幸い時間はまだ昼過ぎである。予定ではもっと夜遅くまでいるつもりだったので時間はたくさんあった。
美佳と創治を見るとふたりとも頷く。
車で三十分ほど揺られると、一軒の大きな邸宅の前に止まった。
「俺の実家です」
タクシーから降り、美桜と美佳と創治はぽかんとした。
伝統的な日本家屋が視界の端から端まであり、立派な門がある。
巽がインターフォンを押すと、女中と思しき人が出てきた。
「坊ちゃん、お待ちしておりました。旦那様も居間でお待ちですよ」
「ありがとう」
女中に先導され門の中へと入る。広大な日本庭園が広がり、枯山水は侘び寂びというやつだろうか。美桜にはちょっとよく解らなかった。
家の中に入ると一室の和室に通される。その中には巽より一周り大きな狼がいた。
「なにしてるんだよ、父さん」
「なにって、客人を持て成すユーモアだよ」
巽は呆れたように嘆息した。彼は座卓につくよう声を掛ける。
座椅子に座ったところで茶菓子とお茶が出された。突然の来客だったろうに、丁寧な対応をされてこれが家格か、となる。
美桜は巽で慣れているので「お父様なのね」といった感覚だが、美佳と創治は白い狼を穴が空きそうなほど見つめたり目を逸らしたり忙しかった。
「いい加減、人間に戻ったらどうだ」
「うん、そうだね」
瞬きした次の瞬間、巽があと二、三十年歳を取ったらこんな感じだろうという和装の美丈夫が現れる。
「やあ、白狼家当主の白狼颯だ。悪いんだけど皆さんのことは事前に調べてあってね。美佳さんと創治さんは話の途中で体調悪くなったら遠慮なく言うんだよ。いいね」
有無を言わせぬ迫力に、美佳と創治は「はい!」と背筋を正した。もしかして座布団ではなく座椅子が用意されていたのも気遣いかもしれない。
「まずね、巽くん。情報化社会ってやつで拡散され掛かってたから、君の写真とか動画は握りつぶしておいたよ。投稿した人にも接触してデータを消してもらいに行ってる。早くに連絡してくれて助かったよ」
「人前で狼化したことにはお咎め無しで?」
申し訳なさそうな巽に、颯はからからと笑う。
「自分があげた番の持ち物、それも金品を奪われてキレなかったら男じゃないよ」
ほ、と息を吐く様子に気に病んでいたのだな思った。
「ありがとう、白狼くん。お礼言いそびれちゃってた」
「美桜さんが頑張って貯めたお金が入ってるんです。許せる訳がない」
優しい気持ちになっていると、颯が咳払いをする。
「美桜ちゃん、僕はね。番の障害者の親族なんて面倒だから、美桜ちゃんを隠してしまえばいいと言った」
「隠す……神隠し、ですか」
噂には聞いたことがある。神様は番を自分の世界に閉じ込めて、自分だけのものにしてしまう。この世界からは痕跡を残さず消えてしまうのだ。
「そう。だけど巽は全部面倒見るから、美桜ちゃんには人間の世界で生きていてほしいと言った。人の世界で生きている美桜ちゃんが好きだからって」
「白狼くん……」
そんな風に想ってくれていたなんて知らなかった。
「巽は一等変わり者だ。僕も柔軟な方だとは思うけれど一族の者はそうじゃない。今回のことも気に入らないだろう。美桜ちゃん、美佳さん、創治さん、君たちへの風当たりは強い」
美佳と創治がごくりと息を呑むのがつたわってくる。ふたりにとっては今日のことは青天の霹靂で、冷静でいようとしているが混乱が顔に出ていた。
「僕たちは見ての通り神狼の一族だ。神の一柱。日本で言う“神様”ってとにかくバリエーションが多くて格がばらばらなんだけど、うちはまあ中級? だと思う。同族意識が強くて、身内を守るけど外敵には容赦ない。美佳さんと創治さんは外敵かもしれない、美桜ちゃんは外敵を引き込むかもしれないってね。でも美桜ちゃんを隠してしまっても反発はある」
何が言いたいのか大体想像はつく。これはごく一般的な障害者差別の話だ。
「恐らくだけど坂本家には精神病あるいは発達障害の家族歴がある。違う?」
「……仰る通りです。亡くなった祖父がそう言った傾向があったらしいと伝え聞いております」
美佳が絞り出すように言う。顔が真っ青だ。
話を続けようとした颯を巽が止める。
「父さんの言いたいことは解る。障害のある血筋を白狼に混ぜるのに長老たちが反対してるんだろう。けどな、俺たちは神であると同時にこの国の国民だ。考え方が古い」
「障害者は……その家族は恋愛すら許されないのでしょうか」
絞り出すように美桜は言った。それでもわたしはこの人と一緒になりたい。そう願う。
座卓の下で巽が手を握ってくる。
「情報の拡散を阻止してくれたのには礼を言う。ただ、白狼が煩いことを言うなら俺は縁を切る。美桜先輩が一番大事だから」
「よく言いました、巽さん」
突然襖の向こう側から声がした。すっと襖が開き、着物姿の貴婦人が現れる。
「母さん」
巽の言葉に全員が貴婦人を凝視した。
「香苗と申します。わたくしが白狼へ嫁ぐときも似たような詮議に遭いました。ですが、ご安心なさい。一番煩い長老は遠くないでしょう」
「おー、怖いねぇ」
からからと颯が笑う。笑い事か? いや、安心して本当にいいのか? と皆で首を捻る。
「障害者も健常者も人は人。自分に責任の取れる範囲で好きに生きたら良いのです。わたくしと颯さんはそう思っていますよ」
「そうだね、香苗」
したり顔をしている巽の両親に、彼は脱力した。
深く深く嘆息し、呆れたとばかりに首を振る。
「父さん、母さん。俺たちを試したな」
「予行演習、予行演習。こんなの世間の悪意のほんの一欠片だよ。まあ、巽くんと美桜ちゃんは大丈夫そうかな」
美桜は深く脱力した。反対されているわけではないらしい。
「美佳さんと創治さんは、こんな家が親戚でも付き合っていけそうかい?」
ふたりは顔を見合わせる。創治は口を開いた。
「はい。驚きっぱなしでしたが、変に取り繕われるよりずっといいです。美佳さんは美桜さんが大好きですから、ぼくも美佳さんを助けて差し上げたい。そしたらきっと美桜さんと巽くんの助けにもなると思うんです」
「創治さん……。私も障害者であることに甘んじることなく助け合って生きていきたいです」
その答えに香苗がにっこり笑う。
「あなたがたも大丈夫そうですわね」
「はあ。みんな、趣味が悪い両親ですまない。本当はちゃんと神狼の話をしたかっただけなのに」
気苦労を感じている顔で巽は肩を落とした。
その肩をぽんぽんと叩く。
「わたしはいいご両親だと思うよ」
息子が大事で、ちゃんと相手や相手親族を見極めようという考えには賛同出来た。
「美桜先輩……! そういうところ好きです!」
がばっと抱きつかれる。
あらあら、という目線に晒されながら背中に腕を回した。
「これからもよろしくね」
「はい!」
身体を離すと、颯が口笛を吹く。
「じゃあ、このあとはお酒でも呑もうか。肝心の神狼の話してあげよう」
香苗が部屋を出ると、しばらくして女中と一緒に食事と酒を運んできた。美佳用にいくつかフルーツジュースもある。
それから神話を酒の肴に宴会と相成ったのであった。