「水、汲んできてんか。それと、お(ひつ)に残っとる飯、持ってきて。それとこの魚の身、ほぐしてんか」
「は、はい!」
 お茶を出したかと思うと、あっという間にあれこれと用事を言いつけられ、りんの頭は混乱していた。
 そんなりんとは対照的に、千秋は、粛々と料理を進めている。滑らかな手つきで、野菜を切り、魚や卵を茹でていた。
 次いで深めの鍋を竈に置くと、そこに何やら白い塊をぽとんと落としていた。
「それ、何ですのん?」
「これか? これはバタァいうもんや」
「ばたぁ?」
「牛の乳から脂分を取りだして固めたもんや。西洋では、よう使われてるらしいで」
「その塊が、ですか?」
 りんの知る油は、どろどろした形のないものだった。どちらかと言うと切り出した石に近い形の『バタァ』とやらが、本当に油の役目を果たすのか、少し怪しんでいた。
「何年か前に、東京にある農場で実験として作られとったんやけど……なんでも西洋料理にはえらい合うて聞いたもんやから、人づてにいくらか分けてもらえんかって掛け()うたんや。なにせまだ、商品として作れる者がおらんからな。貴重な品やし、ホンマ、運がええわ」
「……もしかして、とってもお高いんやないですか?」
 その問いに、千秋は明確な答えを示さなかった。その代わり、ニヤリと笑った。
「持つべきもんは、太い実家……ちゅうことや」
 りんは思わず、顔をしかめるのを、止められなかった。そんな言葉、生涯で一度でいいから言ってみたいものだ。
「でもそんなに大事なら、使(つこ)てしもて良かったんですか?」
「何言うてんねん。料理のために使(つこ)てこその食べもんやろ。ここは、客に料理を出す店やで」
「そう……ですね」
「ほれ、ぼやぼやせんと。魚、ほぐせたんか?」
「はい、できました!」
 言われたとおり、ほぐした魚の身を皿ごと手渡す。受け取った千秋は、鍋に向き合った。 鍋の傍には、既に冷や飯と切った野菜と、茹でた卵を刻んだものが揃っている。
 千秋はそれらより先に、まず魚のほぐし身を鍋に投入した。そして鍋の中を大きくかき回し、いつの間にか形をなくしてとろりとしているバタァと混ぜ合わせていくのだった。
 バタァと魚がよく合わさったところへ、ご飯を入れ、また混ぜ合わせる。ほんのり香ばしい香りがしてきて、どんな料理になるのか気になってきた。
「まだやで。次は、これや」
 そう言い、白い汁の入った器を手に取った。
「これは……何ですのん?」
「牛の乳や」
 事もなげにそう言うと、中に入っていた乳をちょろちょろと鍋に注いでしまった。
「わ!? せっかくのご飯や魚が台無しやないですか」
「これがケズレーいうもんや」
 そう言いながら塩や胡椒を振って更に野菜と刻んだ茹で卵を入れ、また混ぜている。
 りんは、その手元を横からそっとのぞき見た。熱い鍋からは、香ばしい香りとほのかに甘い香り、両方が香ってくる。白っぽかった鍋の中が、徐々に淡いきつね色に変わると、その香りは一層強くりんを惹き付けるのだった。
(せっかくのご飯やお魚を、えらいけったい(・・・・)な料理にするて思たけど……なんや、美味しそうや)
 ふと気付くと、席についていた紳士がこちらを向いていた。
 今なら、何を思っているのか、なんとなくわかる。料理の出来上がりが、楽しみなのだ。
「すぐ、お持ちしますよって」
「かましまへん」
「? 食べはらへんのですか?」
(ちゃ)(ちゃ)う。たぶん、お気になさらずとか、ありがとうとか、そういう意味や。あやかしのほとんどは、人間の言葉がわかれへんよってな」
「え! だから、あんな片言に……」
「そや。あのお人は、まだよう話さはる方や。昼に憑いたアレなんかは、何を言おうとしとるんか、一つもわからんかったやろ」
「確かに……」
 千秋は鍋の中身をさっと器に盛る。ご飯の白と卵の黄色、野菜の緑や橙……それらが器の中で均等にちりばめられ、彩りも豊かに見えるのだった。
 りんはその器に、大きめの匙を添えて、紳士に差し出した。
「どうぞ、お召し上がりください」