こうして、『ぼんくらや』は二人を雇い入れて、また閑古鳥の鳴く日々を迎えるのだった。
賑わっている様など見たことがないこの店において、忙しなく働いているのは、結局のところ女中のりんただ一人であった。
店主と、りんに尽くす眷属。二人はと言うと……買い出しに出たりんを、店でぼーっと待ちぼうけているというていたらくだが……今日は、違った。
「それで?」
じつに不親切な会話のきっかけの言葉を、千秋が九重に投げかけたのであった。
「なにがや?」
九重は、眉をひそめて答える。その感も、互いに顔を合わせることない。
「お前……ホンマに、りんのいた村を大した理由なしに皆殺しにしたんか?」
それはりんが触れないため、触れられることはなかった話題だ。だが、誰もが釈然としていない事だった。
九重は少しの間沈黙し、やがて、ため息と共に語った。
「わしは、殺してもええ連中やと思って、やった」
「前にわしとやり合うた時も、そう言っとったな」
「ああ。健気にも皆殺しになった村人の仇をとりに来たお人好しの若様がおったなぁ……良かったなぁ、あの時の子に憎まれるどころか慕ってもらえて」
「……慕ってもらう資格なんぞあれへん。わしは、あの村を見て、竦んだだけやからな」
「ほぉ?」
九重が興味深い視線を千秋に送った。
「ただ腹が減っただの、殺生を好んでるだの、そういう理由での殺しやったら憤るだけやった。そやけど、あの時感じたのは、恐ろしいいう思いやった。それは……あの血の海が、憎しみに溢れとったからや」
「なぜ、そう思う?」
「村人全員の、目と喉笛と指が喰われとった。徹底して、な……腹を満たす以外の意図があると思たわ。そんな意図……善意であるはずがない。そやけど、他の肉を食うこともない、冷静さもあった。冷静な悪意ほど、恐ろしいもんはないやろ?」
千秋は、九重にそう問うた。九重の顔は、どこか観念したような面持ちだった。
「……りんは、昔っから村の者からいびられとった。おそらく、あの村で唯一、あやかしを見ることができたからやろうな。気味悪いて散々言われたらしい」
「『らしい』? 聞いたんか?」
「……昔、門を探して彷徨っとった頃に会うた。あやかしに対して敵意を持たん珍しい奴な上に、飯まで分けてくれた。ホンマに人のいい……」
「ほう?」
「誰も遊ぶ相手がおれへんさかい、わしのところに遊びに来るようになってな。その時によう言うてたんや。皆に睨まれる、後ろ指さされる、嫌なことを言われるて……もう皆に虐められたくない、てな。あの子と過ごすうちに少しずつ力を分けてもろてて、気付いたら人間を喰えるようになっとった。そやから、あの子の嫌がるもの全部、喰うた……大したことあれへん理由や」
「……なるほど、な」
あやかしと人間は、本来住む世界が違う。意思が通じない者が多い。幼い子どもの、なにげない吐露を、力を得たあやかしが大きな意味で解釈し、そして実行してしまった。
だから、りんの前で言ったのだ。『忘れた』と。
押し黙る千秋に、九重はぽつりと呟いた。
「……りんには、言うなや」
「あほ。言わへんわ」
真実を話して傷つくのは、りん以外にいない。それは本意ではないのだ。知己にとっても、九重にとっても。
千秋は黙って九重の肩をぽんぽんと叩いた。怪訝な顔をしつつも、九重は、頷いてそれを受けた。
「まぁ……せいぜいあの子を満腹にしたることやな」
ふんと鼻を鳴らしながら、九重は言う。
「おう。お前もせいぜい気張って、手伝うたりや」
千秋もまた、ニタリと笑いながらそう言う。
それきり、会話は途切れた。二人の話は、終わりだ。
そして別の、聞き覚えのある足音が聞こえてきた。出迎えようと思った瞬間、足音の主は店の戸を開くなり、ばたんと倒れ込んでしまった。
「なんやなんや? どないした?」
「……ほぉ、これはまた……えらい近所で引っかけてきよったな」
りんの背後に、黒い靄がまとわりついている。買い出しの荷物とあやかし、二つの大荷物を抱えてきて、へとへとといった様子だった。
そんな中でも、りんはなんとか起き上がり、そして千秋に向かって、か細い声で言う。
「若様……おなかが、すきました」
千秋は、噴き出すのを堪えて腕まくりして、いつものように、こう言うのだった。
「よっしゃ、待っとき。すぐに満腹にしたるからな」
賑わっている様など見たことがないこの店において、忙しなく働いているのは、結局のところ女中のりんただ一人であった。
店主と、りんに尽くす眷属。二人はと言うと……買い出しに出たりんを、店でぼーっと待ちぼうけているというていたらくだが……今日は、違った。
「それで?」
じつに不親切な会話のきっかけの言葉を、千秋が九重に投げかけたのであった。
「なにがや?」
九重は、眉をひそめて答える。その感も、互いに顔を合わせることない。
「お前……ホンマに、りんのいた村を大した理由なしに皆殺しにしたんか?」
それはりんが触れないため、触れられることはなかった話題だ。だが、誰もが釈然としていない事だった。
九重は少しの間沈黙し、やがて、ため息と共に語った。
「わしは、殺してもええ連中やと思って、やった」
「前にわしとやり合うた時も、そう言っとったな」
「ああ。健気にも皆殺しになった村人の仇をとりに来たお人好しの若様がおったなぁ……良かったなぁ、あの時の子に憎まれるどころか慕ってもらえて」
「……慕ってもらう資格なんぞあれへん。わしは、あの村を見て、竦んだだけやからな」
「ほぉ?」
九重が興味深い視線を千秋に送った。
「ただ腹が減っただの、殺生を好んでるだの、そういう理由での殺しやったら憤るだけやった。そやけど、あの時感じたのは、恐ろしいいう思いやった。それは……あの血の海が、憎しみに溢れとったからや」
「なぜ、そう思う?」
「村人全員の、目と喉笛と指が喰われとった。徹底して、な……腹を満たす以外の意図があると思たわ。そんな意図……善意であるはずがない。そやけど、他の肉を食うこともない、冷静さもあった。冷静な悪意ほど、恐ろしいもんはないやろ?」
千秋は、九重にそう問うた。九重の顔は、どこか観念したような面持ちだった。
「……りんは、昔っから村の者からいびられとった。おそらく、あの村で唯一、あやかしを見ることができたからやろうな。気味悪いて散々言われたらしい」
「『らしい』? 聞いたんか?」
「……昔、門を探して彷徨っとった頃に会うた。あやかしに対して敵意を持たん珍しい奴な上に、飯まで分けてくれた。ホンマに人のいい……」
「ほう?」
「誰も遊ぶ相手がおれへんさかい、わしのところに遊びに来るようになってな。その時によう言うてたんや。皆に睨まれる、後ろ指さされる、嫌なことを言われるて……もう皆に虐められたくない、てな。あの子と過ごすうちに少しずつ力を分けてもろてて、気付いたら人間を喰えるようになっとった。そやから、あの子の嫌がるもの全部、喰うた……大したことあれへん理由や」
「……なるほど、な」
あやかしと人間は、本来住む世界が違う。意思が通じない者が多い。幼い子どもの、なにげない吐露を、力を得たあやかしが大きな意味で解釈し、そして実行してしまった。
だから、りんの前で言ったのだ。『忘れた』と。
押し黙る千秋に、九重はぽつりと呟いた。
「……りんには、言うなや」
「あほ。言わへんわ」
真実を話して傷つくのは、りん以外にいない。それは本意ではないのだ。知己にとっても、九重にとっても。
千秋は黙って九重の肩をぽんぽんと叩いた。怪訝な顔をしつつも、九重は、頷いてそれを受けた。
「まぁ……せいぜいあの子を満腹にしたることやな」
ふんと鼻を鳴らしながら、九重は言う。
「おう。お前もせいぜい気張って、手伝うたりや」
千秋もまた、ニタリと笑いながらそう言う。
それきり、会話は途切れた。二人の話は、終わりだ。
そして別の、聞き覚えのある足音が聞こえてきた。出迎えようと思った瞬間、足音の主は店の戸を開くなり、ばたんと倒れ込んでしまった。
「なんやなんや? どないした?」
「……ほぉ、これはまた……えらい近所で引っかけてきよったな」
りんの背後に、黒い靄がまとわりついている。買い出しの荷物とあやかし、二つの大荷物を抱えてきて、へとへとといった様子だった。
そんな中でも、りんはなんとか起き上がり、そして千秋に向かって、か細い声で言う。
「若様……おなかが、すきました」
千秋は、噴き出すのを堪えて腕まくりして、いつものように、こう言うのだった。
「よっしゃ、待っとき。すぐに満腹にしたるからな」