「ったく! 次の電車逃したら遅刻確定じゃねえか!」
「ごめん! ごめんって!」
俺の名前は大瀬陽翔。
今は幼馴染の小杉美桜と、爽やかな晴れ空なんて眺める暇もなく、家から駅まで猛ダッシュで走っている。
高校入学二日目で、いきなり寝坊した美桜。
美桜のお母さんの桜さんは、先に行っていいって言ってくれたけど。昨日一緒に行くって約束したし、置いていく後ろめたさもあったから、もう少し待つとは言ったけどさぁ。
まさかこんなギリギリまで、学校の支度に時間を掛けてくるなんて予想外だろって。
内心もっと愚痴りたかったけど、今はそれどころじゃない。
俺はあいつに引き離されないよう、必死に走り続けた。
何気に美桜は、体に似合わず運動神経がいい。
今だって俺は、あいつと並んで走るので精一杯だ。
俺だって別に走るのは苦手じゃないし、運動神経なら美桜にも負けないと思ってる。
だけど、同じ速さで走ろうとしたら、俺はあいつに敵わない歩幅を埋めるべく、必死に足を早く動かさないと差をつけられる。だから、そりゃもう必死だ。
ここまで必死なのは、走りで負けたら男として格好つかないっていう、変なプライドだけ。
大体好きな女の前で、ダサい所なんて見せられないだろ?
だから俺は、今日一日の体力を使い切る覚悟で必死に美桜に食らいつき、根性で駅まで走り抜いたんだ。
◆ ◇ ◆
プルルルルルルー
駅のホームで、出発のチャイムが鳴り始めた瞬間。俺達二人は何とか電車に飛び込んだ。
「はぁ……はぁ……。間に、合った……」
「はぁ……はぁ……。ハ、ハル君。ほんと、ごめんね……」
「はぁ……いいって。待つって決めたの、俺だし……」
互いに前屈みになって、息を切らす俺達。
電車のドアが閉まったのを確認した後、美桜はドア側にある席の仕切り板に寄り掛かり、天を仰ぐように深呼吸する。
まだ朝早めの電車。
通路に立つ人は少ないけど、残念ながらぱっと見たかぎり空席はない。
数日前。お試しでこれよりもっと早い電車に乗った時は、もう少し空いていて座れたんだけど。やっぱり、電車数本でこうも変わっちゃうのか。
何とか呼吸を落ち着けた俺は、一気に疲れが出た重い体を無理矢理起こすと、片手を伸ばして通路の吊り革を掴んだ。
ピンと伸び切るわけじゃないけど、かなり伸ばされる腕。こうする度、自分がどれだけチビかを理解させられ、少し悲しくなる。
すぐそこにいる美桜は、真新しい制服も似合ってるし、栗毛色の長い髪もめちゃくちゃ綺麗だし、スタイルも良くって、正直言ってめちゃめちゃ可愛い。
ただ、俺の低過ぎる身長と、美桜の高過ぎる身長のせいで、あいつを見上げないと顔を見て話せない。
それが俺の中にある罪悪感を刺激し、チクリと胸が痛む。
そんな事あるわけないけど、美桜に抱きしめられたら、俺の顔はあいつの大きめの胸にもろに埋まる。
それだけの身長差があるからこそ、こうなるのが現実味を帯び始めた中学二年くらいから、俺は美桜を少し避けていた。
と言っても、幼稚園、小学校、中学校と、ずっと一緒に学校に通ってたし、流石に露骨に避けてたら、あいつに気づかれ色々勘繰られる。
だから、普段はなるべく自然体で通学して、学校の帰りだけ男友達と帰ったり、帰る奴がいない日なんかは逃げるように、一人で帰ったりもした。
美桜も女友達は多かったから、ある意味自然な流れにはなってたと思う。
だけど、あいつを避けるようにそそくさと教室を出るのは複雑な気分だったし、正直胸も痛かったな……。
本当は高校だって、あいつと登校しなくて済むように、こっそり離れた高校を受験したってのに。
母さんの奴、俺に内緒で美桜に話すとか。余計な事をしやがって……。
正直な話。
俺なんかを追いかけて、同じ高校を受験してくれた美桜の行動は嬉しくもあったし、こうやって一緒に登校できるのだって、俺自身はめちゃくちゃ嬉しかった。
それでも、あいつを避けてるのは……俺といたら、あいつが周囲により大きく見られて、より強くコンプレックスを感じさせてしまうって思ってるから。
中学一年を過ぎた頃から、俺より背が高くなった美桜。
同時期に俺の身長が伸びなくなって、少しずつ身長差が開いていった。
ある日、学校帰りのファーストフード店でお茶をしながら、互いにそれを愚痴りあった事があるんだけど。
──「女の子なのに、もう百七十あるって。最悪じゃん……」
そう言っていた美桜の切なげな顔が、今でも忘れられない。
──「まあまあ。モデルは身長高い方が良いって言うし。気にすんなよ」
当時はそう言って慰めてやったけど、あそこから更に身長が伸びたわけだろ?
その分、よりコンプレックスも強くなってるのは間違いないだろうし、俺との身長差でそれをより際立たせるのは、やっぱり忍びなくってさ。
……一応これでも、毎日牛乳飲んだし、暇な日はランニングしたりして運動もしたし、飯だって沢山食ったし、睡眠だってしっかり取って。身長が伸びそうな事を、めちゃくちゃ頑張ったんだけどなぁ。
まあ、うちは父さんも母さんも背が低いし、しっかり遺伝したとしか言えないか……。
別に、両親を恨みたいわけじゃない。
けど、もう身長が伸びるのが期待薄にも感じて、少しだけ恨めしい気持ちになる時もある。
「うー。自業自得とはいえ、朝からこんなに汗掻くなんて。最悪……」
まだ汗が引かないのか。
手を団扇代わりにパタパタと仰いでいる美桜。それは普段の彼女らしさがあって、鬱々とした俺の気持ちを和らげてくれる。
って、やっぱり俺、こいつを好き過ぎだろ。
改めてそう気づかされ、思わず自嘲しそうになるけど、それを無理やり呆れ顔に変えた。
「ほんとだよ。通学二日目から寝坊とか」
「し、仕方ないじゃん。あたしだって、寝られない日くらいあるの」
「ふーん。で? 何か考え事でもしてたのか?」
俺は普段通りに聞き返したつもりだった。
だけどあいつは、一瞬ギクリとした後。
「ハ、ハル君には関係ないし……」
口を尖らせながら、歯切れ悪くそう言って目を泳がせる。
……こいつ、隠し事が苦手だから、こういう反応は本気でわかりやすい。
つまり、寝不足の理由は、間違いなく俺に関する事。
同じ高校に行っただけじゃなく、まさかの同じクラス。
きっとあいつのことだ。クラスメイトに、身長のことで色々言われるのを気にしてるんだろ。
で、多分だけど。俺が幼馴染ってわかったら、お互いの身長の事で、より一層馬鹿にされるって不安になってるのかもしれない。
でも、あいつが話したくない事を、わざわざ話させたくはない。
だから、俺はあいつとこの会話を続けるのは避けた。
「そっか。まあ、何か悩みで辛くなりそうなら、その時は話せよ」
……本当は、話してほしくない。
話されたら、俺があいつの邪魔になってるかもって劣等感が、より強くなりそうだから。
でも、幼馴染だし好きな奴。
だからこそ、俺は気持ちをごまかし笑ってやったってのに。あいつは、そんな好意をあっさり不意にした。
「……へー。珍しく優しいね」
「は? 珍しくないだろって」
「珍しいってー。最近そんな事、全然言ってくれなかったじゃん」
「いや、言ってただろ」
「へー。じゃあ何時よ?」
「うっせー。お前こそ、最後に言われたのが何時なのか、覚えてないのかよ?」
会話が少しずつ険悪になっていく中。美桜の言葉にすこしカチンときて、俺が思わずそう尋ねたら、あいつは一旦ぐっと何かを言いかけそうになるのを堪えた後。
「覚えてるけど……秘密」
と、ぼそっと答える。
「は? 秘密って。ばっかじゃねーの?」
「ば、馬鹿はそっちじゃん」
「あっそ。じゃ、さっきの話はなしな」
「うっわー。ひっど! そんなんじゃ、女の子にモテないよ?」
「ふんっ。別に。モテなくなっていいって」
腕を組んだ俺はそっぽを向くと、車窓から流れるまだまだ見慣れない景色に目をやった。
……きっと美桜の隣には、あいつほどとは言わないけれど、背が高い奴がいる方がいいに決まってる。
その方が、あいつのコンプレックスも軽くなるはずだしな。
……本当は、お前に好きって言われたいって思ってる。
俺はお前が好きだって、言いたいって思ってる。
お前以外の女にモテたって、何の意味もないって思ってる。
でも、そんな事なんて口にはできるわけない。あいつの心の負担になんて、なりたくないしな。
結局、こんな気持ちのせいもあって。
今はこうやって小言を言い合うのが、俺の限界だった。
「ごめん! ごめんって!」
俺の名前は大瀬陽翔。
今は幼馴染の小杉美桜と、爽やかな晴れ空なんて眺める暇もなく、家から駅まで猛ダッシュで走っている。
高校入学二日目で、いきなり寝坊した美桜。
美桜のお母さんの桜さんは、先に行っていいって言ってくれたけど。昨日一緒に行くって約束したし、置いていく後ろめたさもあったから、もう少し待つとは言ったけどさぁ。
まさかこんなギリギリまで、学校の支度に時間を掛けてくるなんて予想外だろって。
内心もっと愚痴りたかったけど、今はそれどころじゃない。
俺はあいつに引き離されないよう、必死に走り続けた。
何気に美桜は、体に似合わず運動神経がいい。
今だって俺は、あいつと並んで走るので精一杯だ。
俺だって別に走るのは苦手じゃないし、運動神経なら美桜にも負けないと思ってる。
だけど、同じ速さで走ろうとしたら、俺はあいつに敵わない歩幅を埋めるべく、必死に足を早く動かさないと差をつけられる。だから、そりゃもう必死だ。
ここまで必死なのは、走りで負けたら男として格好つかないっていう、変なプライドだけ。
大体好きな女の前で、ダサい所なんて見せられないだろ?
だから俺は、今日一日の体力を使い切る覚悟で必死に美桜に食らいつき、根性で駅まで走り抜いたんだ。
◆ ◇ ◆
プルルルルルルー
駅のホームで、出発のチャイムが鳴り始めた瞬間。俺達二人は何とか電車に飛び込んだ。
「はぁ……はぁ……。間に、合った……」
「はぁ……はぁ……。ハ、ハル君。ほんと、ごめんね……」
「はぁ……いいって。待つって決めたの、俺だし……」
互いに前屈みになって、息を切らす俺達。
電車のドアが閉まったのを確認した後、美桜はドア側にある席の仕切り板に寄り掛かり、天を仰ぐように深呼吸する。
まだ朝早めの電車。
通路に立つ人は少ないけど、残念ながらぱっと見たかぎり空席はない。
数日前。お試しでこれよりもっと早い電車に乗った時は、もう少し空いていて座れたんだけど。やっぱり、電車数本でこうも変わっちゃうのか。
何とか呼吸を落ち着けた俺は、一気に疲れが出た重い体を無理矢理起こすと、片手を伸ばして通路の吊り革を掴んだ。
ピンと伸び切るわけじゃないけど、かなり伸ばされる腕。こうする度、自分がどれだけチビかを理解させられ、少し悲しくなる。
すぐそこにいる美桜は、真新しい制服も似合ってるし、栗毛色の長い髪もめちゃくちゃ綺麗だし、スタイルも良くって、正直言ってめちゃめちゃ可愛い。
ただ、俺の低過ぎる身長と、美桜の高過ぎる身長のせいで、あいつを見上げないと顔を見て話せない。
それが俺の中にある罪悪感を刺激し、チクリと胸が痛む。
そんな事あるわけないけど、美桜に抱きしめられたら、俺の顔はあいつの大きめの胸にもろに埋まる。
それだけの身長差があるからこそ、こうなるのが現実味を帯び始めた中学二年くらいから、俺は美桜を少し避けていた。
と言っても、幼稚園、小学校、中学校と、ずっと一緒に学校に通ってたし、流石に露骨に避けてたら、あいつに気づかれ色々勘繰られる。
だから、普段はなるべく自然体で通学して、学校の帰りだけ男友達と帰ったり、帰る奴がいない日なんかは逃げるように、一人で帰ったりもした。
美桜も女友達は多かったから、ある意味自然な流れにはなってたと思う。
だけど、あいつを避けるようにそそくさと教室を出るのは複雑な気分だったし、正直胸も痛かったな……。
本当は高校だって、あいつと登校しなくて済むように、こっそり離れた高校を受験したってのに。
母さんの奴、俺に内緒で美桜に話すとか。余計な事をしやがって……。
正直な話。
俺なんかを追いかけて、同じ高校を受験してくれた美桜の行動は嬉しくもあったし、こうやって一緒に登校できるのだって、俺自身はめちゃくちゃ嬉しかった。
それでも、あいつを避けてるのは……俺といたら、あいつが周囲により大きく見られて、より強くコンプレックスを感じさせてしまうって思ってるから。
中学一年を過ぎた頃から、俺より背が高くなった美桜。
同時期に俺の身長が伸びなくなって、少しずつ身長差が開いていった。
ある日、学校帰りのファーストフード店でお茶をしながら、互いにそれを愚痴りあった事があるんだけど。
──「女の子なのに、もう百七十あるって。最悪じゃん……」
そう言っていた美桜の切なげな顔が、今でも忘れられない。
──「まあまあ。モデルは身長高い方が良いって言うし。気にすんなよ」
当時はそう言って慰めてやったけど、あそこから更に身長が伸びたわけだろ?
その分、よりコンプレックスも強くなってるのは間違いないだろうし、俺との身長差でそれをより際立たせるのは、やっぱり忍びなくってさ。
……一応これでも、毎日牛乳飲んだし、暇な日はランニングしたりして運動もしたし、飯だって沢山食ったし、睡眠だってしっかり取って。身長が伸びそうな事を、めちゃくちゃ頑張ったんだけどなぁ。
まあ、うちは父さんも母さんも背が低いし、しっかり遺伝したとしか言えないか……。
別に、両親を恨みたいわけじゃない。
けど、もう身長が伸びるのが期待薄にも感じて、少しだけ恨めしい気持ちになる時もある。
「うー。自業自得とはいえ、朝からこんなに汗掻くなんて。最悪……」
まだ汗が引かないのか。
手を団扇代わりにパタパタと仰いでいる美桜。それは普段の彼女らしさがあって、鬱々とした俺の気持ちを和らげてくれる。
って、やっぱり俺、こいつを好き過ぎだろ。
改めてそう気づかされ、思わず自嘲しそうになるけど、それを無理やり呆れ顔に変えた。
「ほんとだよ。通学二日目から寝坊とか」
「し、仕方ないじゃん。あたしだって、寝られない日くらいあるの」
「ふーん。で? 何か考え事でもしてたのか?」
俺は普段通りに聞き返したつもりだった。
だけどあいつは、一瞬ギクリとした後。
「ハ、ハル君には関係ないし……」
口を尖らせながら、歯切れ悪くそう言って目を泳がせる。
……こいつ、隠し事が苦手だから、こういう反応は本気でわかりやすい。
つまり、寝不足の理由は、間違いなく俺に関する事。
同じ高校に行っただけじゃなく、まさかの同じクラス。
きっとあいつのことだ。クラスメイトに、身長のことで色々言われるのを気にしてるんだろ。
で、多分だけど。俺が幼馴染ってわかったら、お互いの身長の事で、より一層馬鹿にされるって不安になってるのかもしれない。
でも、あいつが話したくない事を、わざわざ話させたくはない。
だから、俺はあいつとこの会話を続けるのは避けた。
「そっか。まあ、何か悩みで辛くなりそうなら、その時は話せよ」
……本当は、話してほしくない。
話されたら、俺があいつの邪魔になってるかもって劣等感が、より強くなりそうだから。
でも、幼馴染だし好きな奴。
だからこそ、俺は気持ちをごまかし笑ってやったってのに。あいつは、そんな好意をあっさり不意にした。
「……へー。珍しく優しいね」
「は? 珍しくないだろって」
「珍しいってー。最近そんな事、全然言ってくれなかったじゃん」
「いや、言ってただろ」
「へー。じゃあ何時よ?」
「うっせー。お前こそ、最後に言われたのが何時なのか、覚えてないのかよ?」
会話が少しずつ険悪になっていく中。美桜の言葉にすこしカチンときて、俺が思わずそう尋ねたら、あいつは一旦ぐっと何かを言いかけそうになるのを堪えた後。
「覚えてるけど……秘密」
と、ぼそっと答える。
「は? 秘密って。ばっかじゃねーの?」
「ば、馬鹿はそっちじゃん」
「あっそ。じゃ、さっきの話はなしな」
「うっわー。ひっど! そんなんじゃ、女の子にモテないよ?」
「ふんっ。別に。モテなくなっていいって」
腕を組んだ俺はそっぽを向くと、車窓から流れるまだまだ見慣れない景色に目をやった。
……きっと美桜の隣には、あいつほどとは言わないけれど、背が高い奴がいる方がいいに決まってる。
その方が、あいつのコンプレックスも軽くなるはずだしな。
……本当は、お前に好きって言われたいって思ってる。
俺はお前が好きだって、言いたいって思ってる。
お前以外の女にモテたって、何の意味もないって思ってる。
でも、そんな事なんて口にはできるわけない。あいつの心の負担になんて、なりたくないしな。
結局、こんな気持ちのせいもあって。
今はこうやって小言を言い合うのが、俺の限界だった。