近くて遠い四十センチ 〜それでも二人は恋したい〜

「あの、先輩達に聞きたい事があるんですが……」

 俺がおずおずとそう切り出すと、二人がこっちを見た。

「どーしたの? あ。もしかしてー、あたし達の連絡先、知りたかったりする?」
「え? あ、えっと、そういうわけじゃないんですけど……」
「こら、雨音。そうやってからかってばかりいたら、彼が話できないでしょ?」
「えへへっ。ごめんごめーん。で、どうしたの?」

 西原先輩に釘を刺され、苦笑した東野先輩。
 何となく彼女らしい感じがする……って、そんな事はどうでもいい。
 まずはちゃんと話をしないと。
 こっちの話を聞いて馬鹿にされたりしないかちょっと不安になりながらも、俺は本題を話し始めた。

「あの……お二人は、服をオーダーメイドできるお店とか知りませんか?」
「オーダーメイドのお店?」
「はい」

 西原先輩の復唱に頷くと、彼女は俺を見ながら「ああ……」と納得の声を漏らす。
 それでも理由までは口にしなかったんだけど、東野先輩はそうもいかなかった。

「あー。やっぱちっちゃいと、そういうの苦労しそうだよねー」
「こら! 雨音。この間の事忘れたの!?」
「やっばっ! ハル君。ほんとごめん!」

 西原先輩の今日一番の剣幕に、流石の東野先輩もバツの悪そうな顔をすると、ばっと金髪を振り乱し頭を下げる。

「本当にごめんなさい。この子も悪気はないんだけど、すぐ本音が漏れちゃうのよ」

 腕を組みながら呆れていた西原先輩も一緒に頭を下げてくれたのは、やっぱりあの日の事をちゃんと気遣ってくれたからだよな。
 まあでも、切り出そうとした話の都合上、触れないなんて土台無理な話。

「あの、気にしないでください。俺がこんな相談をしたんですから。そういう理由なのも事実なんで」

 不安にさせないよう笑顔でそう伝えると、二人は顔を見合わせた後、感心した笑顔を見せる。

「ほーんと。ハル君ってー、人が良すぎじゃなーい?」
「ほんとよねー」
「そ、そんな。別に大した事ないですよ」
「その大した事ができない男子は沢山いるわ。ね? 雨音?」
「うんうん!」

 急に褒められると、なんかくすぐったいな……。
 俺は思わず、照れ隠し代わりに頭を掻く。

「それより雫ー。本題に行こ?」
「あ、そうね。でも、オーダーメイドって言っても、男子向けって全然聞かないわよね」
「だよねー。女子向けなら何軒か知ってるけどー」

 うーんと頭を捻る二人。
 何となくファッションにこだわりがありそうだし、絶対にモテそうな二人だからこそ、こういう事を知らないかと思ったけど。やっぱりそんなに甘くないか。
 こうなったら、やっぱり足で稼ぐしかないか……。

 思わず肩を落とすと、東野先輩がぽんっと俺の頭に手をやり、頭を撫でてくる。

「こーらー。ハル君。そんな顔しないのー。力になれるかわからないけど、お姉さん達が協力してもいいよ?」
「え?」

 協力?

「雨音。どういう事?」
「耳を貸して。えっとね……」

 顔を上げた俺と同じく要領を得ない顔をした西原先輩に顔を寄せ、耳打ちする東野先輩。何を話しているかは聞こえないけど、途中から西原先輩がふむふむと頷き、次第に納得した顔になる。

「ね? どうかな?」
「確かにうまくいけば、ハル君の力になれるかもしれないね」
「でしょでしょ?」

 俺の力になれる?
 うまくいけばって……まさか、二人が手作りでもするんだろうか?
 いや、でも先輩達だって部活があるんだし、そんな余裕ないはず。ってことは、洋裁ができる人の当てでもあるのか?
 未だにピンとこない俺を見て、二人がにこっと……いや。にんまりとした顔をする。

 な、何だ? この悪巧みをしているかのような顔は……。
 思わず後ずさる俺に、二人が意味深な笑顔を崩さず話し出す。

「ね? この後あたし達に付き合ってくれたらー、ハル君の為に一肌脱いでもいいけどー。どうする?」

 独特の誘い文句……っていうか、どういうことだ?

「えっと、その。付き合うって……」
「あー。別にー、美桜ちゃんからハル君を奪うよーって意味じゃ──」
「そ、それはわかってます!」

 慌ててそう告げると、

「へー。ハル君って、やっぱり美桜ちゃんとそういう関係なのね」

 西原先輩がしてやったりと言わんばかりの顔をする。
 っていうか。ああ答えたら、そう捉えるに決まってるないか!

「ちちち、違うんです! ほ、本当に俺と美桜は、ただの幼馴染で……」

 やらかした……。
 顔を真っ赤にして否定するけど、これじゃ俺が好きだってのがバレバレだろって……。
 東野先輩と西原先輩がくすくす笑う姿を見ながら、俺は羞恥心と失態をただ受け入れる事しかできなかった。

      ◆   ◇   ◆

 で、あの後。

  ──「折角協力するんだしー。あたし達も、そのお返しして欲しいんだよねー」
  ──「だから、この後少し時間を貰えない?」

 という問いかけに、素直に頷き彼女達に付いて行ったわけなんだけど──。

「私のー、このピュアなハートにー、君の言葉は刺激的♪」

 今俺は、カラオケボックスの部屋で、東野先輩がノリノリで歌っているのを、西原先輩とタンバリンを振りながら盛り上げ役をやっている。

 実は今日の放課後、二人はカラオケに行こうとしていたみたいで、どうせだったら一緒にって事でこうなったんだ。
 勿論お金は払うって言ったんだけど、

  ──「まだうまくいくかはわかんないしー。今回はハル君の歌声でチャラでいいよ!」
  ──「そうね。うまくいったら、その時は何かご馳走になるかもしれないけど。きっと服代だって、馬鹿にならないわよ」

 先輩達は、そんな優しい気遣いをしてくれたんだ。

 ちなみに、先に歌い終えた西原先輩も今歌ってる東野先輩も、はっきり言って歌がめちゃくちゃ上手い。
 天は二物を与えず、なんて言葉、この二人には無関係と言わんばかり。
 正直それが、ちょっと羨ましくもある。

「いつかー、あなたに届きますようにー♪」

 東野先輩が最後のフレーズまで綺麗に歌い上げたの見て、俺は素直にタンバリンを叩き拍手した。

「いえーい! どうだった?」
「西原先輩に劣らず、めちゃくちゃ上手かったですよ」
「ほんと? やった! 男子に褒められるとやっぱアガるよねー。ね? 雫?」
「そうね。ハル君って凄く褒め上手よね」
「そんな事ないですよ。先輩達の歌声が素晴らしかったから、素直に感心してるだけです」
「もー。そういう所が褒め上手なんじゃーん! ほんと、ハル君を連れて来て良かったー」

 マイクをテーブルに置き、ソファーに腰を下ろした東野先輩が、スッキリした顔でコップのストローに口をつけ飲み物を飲み始める。
 
「さて。次はハル君の番ね」
「あ、すいません。すぐ選びますね」

 そういや盛り上げに夢中になってて、曲を選ぶのをすっかり忘れてた。
 
 西原先輩に促され、曲選択用のタブレットを手にした俺は、少し考え込む。
 あんまり下手な歌は歌えないし、二人が引くような曲も歌えないよなぁ。だとすれば……。

「ねえねえ。どうせだしー、美桜ちゃんに想いを伝える歌、歌ってみてよー」

 俺が選曲に頭を悩ませていると、東野先輩が楽しげにそう提案してくる。
 ちょっ!? 先輩は他人事だから軽く言うけど……。

「さ、流石に、それはちょっと……」
「えーっ!? いいじゃーん。大体人前で歌えなかったら、本人の前でなんて歌えないっしょ?」
「確かにそうね。いつどんな時に彼女とカラオケに行くかもわからないし。人前で慣れておくっていうのも、案外大事よ」

 驚いた東野先輩の一言も、西原先輩の助言も確かに納得はいくもの。
 だけど、俺だって歌が上手いわけじゃないし、気恥ずかしさだってある。
 うーん……まあ、女子の前で歌う機会すら中々ないのは確か。であれば、同じじゃないとはいえ、緊張感がある中で歌える方がいいか。

「……わかりました」

 あいつの前で歌うとしたらこれ。
 俺がそう決めて選んだ曲。それは、『マスチル』こと、マスターチルドレンの『キミの背中』。

 スマホでもよく聴いている、聞き慣れたイントロの間に大きく深呼吸をすると、家で鼻歌を歌うのとは違う緊張感の中立ち上がり、そのまま歌い始めた。
 この曲は落ち着いたバラードなんだけど、曲調以上にその歌詞が自分の中に刺さる。

 何かと一緒にいる、女友達に恋心を抱く男子。
 だけど、学校で人気の彼女と違い、自分に自信もない彼は、眩し過ぎる彼女に想いを伝えられない。

 伝えたくても伝えられない、焦ったい想いを伝えてくる歌詞。
 それが、身長差で鬱々としている自分にどこか重なって、ちょっと感情移入しながら熱唱する。

「本当はー君の背中に手ーを伸ーばしー。抱きしめてーみたーいけどー。君が眩しー過ぎーるからー、今はたた見ー守るこーと。それしかー、できーないー」

 この歌が美桜に刺さるかはわからない。
 けど、これを聴いた時に何かを感じてくれたら。そんな想いで歌を歌い切った。

「ふぅーっ」

 大きく息を()いた後、はっとあることに気づく。
 だって、先輩たちからまったく声が上がらなかったんだから。

 いくら二人からのリクエストとはいえ、空気読めずに熱唱したのがいけなかったか?
 どう反応すればよいかわからないまま、俺は二人を見ずにソファーに腰を下ろすと。

「すごっ! ハル君、めっちゃ歌上手いじゃーん!」

 と、横で目を丸くしながらそんな声を掛けてくれたのは東野先輩だった。

「確かに抑揚の付け方やサビの高音域の声量とか、本当に素晴らしかったわね」

 西原先輩もまた、素直にそう褒めてくれたけど。正直俺自身、そこまでわからないんだよな……。

「ほ、ほんとですか?」
「あたし達が嘘()いたって仕方ないじゃーん」
「そうよ。これなら美桜ちゃんも、絶対グッとくるわよ」
「うんうん! 雫の言う通り!」

 意見の一致した二人が笑顔でそう言ってくれて、俺はちょっとほっとする。
 こうやって他人の、しかも女子の評価を聞ける機会って滅多にないから、本当に貴重だよな。

 でも、二人のお陰でちょっと自信もついたし、もし美桜とカラオケに行く機会があったら、ここぞって時に歌ってみるか。
 俺はそんな事を考えながら、テーブルの下で拳を握って控えめに嬉しさを表現したんだ。
「嘘っ!? マジで!?」

 学校帰り。昨日と同じ何時ものファミレス。
 飲み物を用意し終えて、みんなが席に着いた後。アオハル会議であたしが昨日の事を報告した瞬間、最初に驚いたのは宇多ちゃんだった。

 目を皿のように丸くし、口に手まで当てちゃって、大袈裟ってくらいの驚きよう。
 これ、絶対あたしが何も進展できないだろうって決めつけてた顔でしょ。

「あのねー、宇多ちゃん。あたしだって、やる時はやるんですー」

 なんて、ふてくされながらそう言ったけど、内心はちょっと申し訳ない気持ちになる。
 だって、約束を取り付けられたのは、誘える空気を作ってくれたハル君のお陰。どう考えたってあたしの頑張りじゃないから。

 でも、最初っからどうせ進展ないでしょって決めつけられてるのは、いくら友達でも気分はよくないし。あたしだってこんな顔にもなる。

「美桜」

 と、宇多ちゃんの隣に座ってる妙花があたしを呼んだ。
 顔をそっちに向けると、

「ぐっじょぶ」

 表情に乏しい顔のまま、彼女がぐっと親指を立ててくれる。
 こ、これは流石に褒めてくれた……で、いいのかな?

「あ、ありがと。これも妙花があの日、占ってくれたからだけどね。ありがとう」
「ううん。美桜、頑張った」

 謙遜したあたしにも態度を変えずうんうんと頷いてくれる彼女に、ちょっと嬉しくなったあたしはちょっとだけはにかむ。

「後はハル君とのデートでハートをぐっと掴んじゃえば、美桜ちゃんも晴れてアオハルカップルまっしぐらだね!」

 満面の笑みで、隣りに座ってる結菜があたしの肩をぽんっと叩く。
 って、もうそんな事考えてるの!?

「ちょ、ちょっと結菜。流石にそれは気が早いってー!」
「何で? そこまでいったらもうすぐでしょ?」
「無理無理無理無理! だいたいハル君があたしを好きかもわかんないしー。まだまだ問題も山積みだし……」

 そう。あたしにはまだ大きな問題がある。
 それは、当日着る服の事。

 やっぱりハル君と一緒に出かけられるなら、あたしだってよく見られたい。
 制服とかやっぱり嫌だし、出掛ける以上オシャレしたいって気持ちはある。
 でも、代わりに着れる服があるかって言われると、それがないのが現状なの。
 女子の服で、百八十センチ以上の物なんてないし……。
 だから昨日も、ハル君の前で大声だしちゃったんだよね。しまったぁ……って。

 せめて、何処かで先に服とか用意してから誘うべきだったかなぁ。
 でも、オーダーメイドできる店の心当たりはあるけど、あたしの貯めてるお小遣いじゃ全然足りないと思うし。あの時はもう、誘わなきゃって気持ちでいっぱいだったから、そこまで考えられなかったんだよね……。

「ねーねー。問題って何? やっぱー、服装とか?」
「まあ、そんな感じ?」

 興味本位ってはっきり分かる宇多ちゃんの問いかけに、やや言葉を濁したあたし。
 勿論正解。だけど、なんかはっきりそう言い切るのは、大きい自分を認めるみたいでちょっとって気持ちもある。

「ふーん……」

 あたしの答えを聞いた彼女は、視線を結菜に向ける。

「って事はー、次は()()()()()()()って感じ?」
「うんうん! (たゆ)ちゃんだけに頑張らせるわけにいかないもん!」

 二人して急にこにこしだしたけど、あたし達の出番って、どういう事?

「えっと、どういう意味?」

 自然と首を傾げたあたしに、二人が意味深な笑みを向けてくる。

 え? え?
 状況がわからず困惑するあたしを他所に、結菜と宇多ちゃんが急にスマホを弄りだす。
 二人とも誰かにLINEしてるみたいだけど、流石に目の前にいるのに二人で内緒話、なんて事はないよね? 何が起きてるの?

「……よし。こっちは大丈夫みたい。奏は?」
「バッチシ! ママチが、当日午前ならおっけーだって」

 大丈夫? ママチ? 当日?
 結菜と宇多ちゃんから出てくるワードから、何が起きてるか見当が付かなくて、思わず首を傾げていると、結菜が声を掛けてきた。

「ねえ、美桜ちゃん。金曜の放課後って空いてる?」
「え? う、うん。今の所予定はないけど……」
「オッケー。じゃあ、ちゃんと空けといてね。家の人に少し遅くなるからーって伝えとくんだよ?」
「へ? 何で?」
「それは金曜のお楽しみ! あ、あれだったら、美桜ちゃんのママにあたしの連絡先とか教えていいからね」
「あ、う、うん。わかった」

 って、話の流れでOKしちゃったけど……結菜と宇多ちゃん、一体何を企んでるんだろう?
 言葉が悪いけど、意味深な笑みを浮かべる二人を見て浮かんだのは、そんな言葉だった。

      ◆   ◇   ◆

「うーん! 今日も楽しかったー」

 気づけば日も沈んだ頃。
 あたし達がファミレスを出ると、結菜が伸びをしながら満足そうな顔をした。

 あの後、あたしの恋バナから話が逸れ、日常の話で花を咲かせた結菜達。
 あたしも楽しんだといえばそうなんだけど、アオハル会議と言っておきながら、ずっとあたしの話だけしか話題にならないのは少々不満だったりする。

「結菜。楽しかったのはいいけど。あたしもそろそろ、みんなの恋バナとか聞きたいんですけどー」

 ファミレスから歩道に向かう階段を並んで先に降りていく、宇多ちゃんと妙花に続きながら、あたしが隣の結菜にそんな不満を口にすると、彼女はえへへっとお茶目な笑みを浮かべる。

「ごめんねー。私まだ、気になる男子もいないし」
「あーしもー。声を掛けてくる男子はけっこーいるけど、なーんかこう、ピーンとこないんだよねー」
「わかるわかるー」

 頭の後ろに手を回しげんなり顔をする宇多ちゃんの言い訳を聞き、激しく同意する結菜。
 まあ、恋って無理矢理するもんじゃないとは思う。だけど、あたしだけが晒し者みたいになってるがちょっと癪なんだよねー。

 ……あ。そういえば。

「妙花はどうなの?」

 階段を降り、駅前まで続く明るいアーケードの下を人の波に続いて歩きながら、前を歩く妙花に質問してみると、

「学校に好み、いない」

 肩越しにちらりとこっちを見た妙花が、淡々とそう返してくる。
 それを聞いて、呆れ顔をしたのは宇多ちゃんだ。

(たゆ)っちの好みの相手なんてー、学校にいるわけないじゃん」

 え? どういう事だろ?

「妙花の好みって、どんなタイプなの?」
「阿部寛」
「渋っ!」
 
 思わず本音が漏れたあたしに、妙花が「フフフ」と半笑いしながら、こっちにピースサインを向けてくるけど……いや、その。別に褒めたわけじゃないんだけどなぁ……。

 何とも言えない気持ちのまま歩いていると、急に妙花が歩みを止め、何かに気づいたかのように顔を前方に向ける。

 ん? 何かあるのかな?
 みんなの頭越しに前を見るけど、特に気になるような人もいないし、イベントをやってるわけでもなさそうけど……。

「隠れて」

 突然妙花がそう言うと、隣にいた宇多ちゃんをすぐ側にあった細い路地に押しやる。
 え? どうしたの?

「美桜ちゃん。早く早く」
「う、うん」

 彼女の言葉に敏感に反応した結菜が、あたしの背中を押して隠れるように促してきた。

 隠れるって、一体何があるの?
 困惑しながらも、あたしは皆と一緒に路地に隠れると、先に路地からちょっとだけ顔を出している妙花や宇多ちゃんに倣い、彼女達の上から少しだけ顔を出す。
 内心、ちょっとドキドキしながら状況を見守っていると、少し先のカラオケ屋さんから、誰かが出てきた。

「今日は最っ高のカラオケだったねー!」
「そうね。やっぱり男子がいると、ちょっと気合い入っちゃうわね」
「わかるわかるー」

 短い金髪のポニーテールの女子と、紺色の短髪をした女子──って、確かあの二人、あたしを部活に勧誘しに来た先輩達だ。えっと……名前、なんて言ったっけ?
 必死に名前を思い出そうとしていると、二人はカラオケ屋の方に向き直る。

「ほんと。付き合ってくれてありがとね。ハル君」

 えっ? ハル君!?
 予想外の名前に、まさかと思って店を見ていると、そこから出てきたのは……。

 う、嘘!? ほ、ほんとにハル君なの!?
 あの声。あの外見。あたしが好きな人を見間違えるはずなんてない。
 あれは間違いなくハル君だ。

 まさか、先輩二人とカラオケ!?
 何時からそんなに仲良くなってたの!?
 実は以前から付き合いがあって、よく遊んだりしてたの!? 
 
 思わず目を疑いたくなる光景に、頭で考えたくもない嫌な疑問がぐるぐる回りだす。
 だけど、こっちの混乱なんて関係なく、先輩達の後からやってきたハル君が、笑顔で二人に頭を下げる。

「いえ。こちらこそ、誘ってもらってありがとうございました」
「いいのいいのー。お陰であたし達も十分楽しめたしー。ね? 雫?」
「ええ。今度は私達が頑張る番ね。ハル君。悪いけど、週末はちゃんと開けておいてね」
「はい。すいませんが、よろしくお願いします」

 雫って呼ばれた紺色の髪の先輩が微笑むと、少し真剣な顔になったハル君が深々と頭を下げる。

 ……まさか、週末も二人と遊びに行くの?
 高校に入ってから、あたしとは一度も遊びに行ってない。だけど、知り合ったばかりの先輩達とは行くんだ……。

 なんか、頭が追いつかない。
 中学校までのハル君の周囲には、女子の空気なんてなかった。
 勿論、同じ地域の同級生。女子と会話がないなんて事はなかったけど、誰かと遊びに行くなんてのは、集団ででもなければなかったと思う。
 そんなハル君が、先輩達と……。

「じゃ、私達の家はあっちだから」
「ハル君! まったねー!」

 あたしが呆然としていると、先輩達が背後のハル君に手を振りながら、こっちに歩き出した。

「やばっ! 下がって!」

 宇多ちゃんに押されてはっと我に返った私は、慌ててみんなと路地裏の壁に寄り、先輩達が通り過ぎるのを息を殺して待つ。

「でもー、ほーんと、ハル君歌上手だったよねー」
「ほんとね」
「今度誘う時は何かリクエストしちゃおっかなー」
「あなたの好きなBee1(ビーワン)とかどう?」
「あー! それいいかもー!」

 楽しげに話す二人の横顔が路地の向こうを一瞬横切ったけど、こちらを見ることなく通り過ぎ、声が遠ざかっていく。

「……ほっ」

 四人全員がほっと胸をなでおろしたけど、安堵と同時にさっきの出来事が一気に思い浮かんじゃって、あたしはすぐ落ち込んだ顔をした。

「でもあれ……美桜っちのライバル、って感じー?」
「どうなんだろ? 美桜ちゃん。ハル君って先輩達と仲良かったの?」
「……わかんない」

 露骨に気落ちした声を出したあたしの顔を、正面に回り込んだ宇多ちゃんがじーっと覗き込んでくる。
 ちらりと目を合わせたけど、その真剣な瞳の圧に耐えられなくって、あたしは無言のまま視線を逸らす。
 と、それを見て、彼女は結菜達の方を見た。

「……結菜。(たゆ)っち。ぜーったい、このイベント成功させるかんね」
「……うん。美桜ちゃんに、ちゃんと幸せになってもらわないと。友達になった甲斐がないもんね」
「うん」

 まだ決して友達としての歴が長くないあたしのために、三人がそう言ってくれたのは正直嬉しかった。
 だけど、それ以上にさっきの光景がショック過ぎて、あたしは三人に笑顔を返せなかったの。
「はぁ……」

 授業中。
 あたしはあの日から何度目かわからないため息を漏らしながら、教科書から目を逸らし、窓の外をぼんやり眺めていた。

 ──ハル君と先輩達がカラオケをしてたのを目撃した、あの日から二日。
 あたしはずっと、心にもやもやを抱えたまま過ごしてた。

 朝はハル君と一緒に登校したけど、あの日の話なんて聞けなかった。
 でも、そんなの当たり前じゃん。
 もしハル君が先輩もどっちかが好きとか、それこそ実は付き合ってるんだー、なんて知ったら、立ち直れる気がしなかったし。
 ……あたしの恋がそこで終わっちゃうのは、やっぱり怖かったし。

 ただ、やっぱりショックのせいで、普段通りってわけにいかなくって。
 登校中の電車で、ハル君が「大丈夫か?」ってちょっと心配そうに声を掛けてくれたんだけど、そこは「ちょっと寝不足で」って理由でごまかした。

 ハル君は理由を聞いてくる事なく「無理するなよ」なんて優しく言ってくれたし、バスでも空いてた席にあたしを座らせてくれたりして、すっごく気を遣ってくれた。

 その優しさは心にじーんときたし、やっぱあたしはハル君が好きなんだなって実感したけど、だからこそ胸が痛くもなったの。
 もし先輩達を好きだとしたら、あたしが邪魔になってないかって不安だったから。
 昨日の帰りも流石にちょっと気まずくって、あたしは一人で買いたい物があるからって理由をつけて、ハル君と一緒に帰るのを避けた。

 はぁ……。何でハル君と先輩達の関係に気づけなかったんだろ。
 わかってたら、あの時誘ったりしなかったのに。

 こういう時、ハル君がどんな気持ちなのか。妙花に占ってもらえないのがちょっと恨めしくなる。
 でも、こればっかりは仕方ないよね。
 みんなで決めたルールだし。そもそも妙花だって、占った結果が酷くて、あたしが目の前で落ち込んだら困るだろうし。

 春らしい花々が咲く後継とは真逆の、落ち込んでる気持ち。
 授業中なのも関係なしに、時折漏れるため息。

 今日の帰りは結菜達に付き合わないといけないけど、正直テンションが上がらないなぁ。
 ドタキャンしよっかな……でも、あたしの恋のために頑張ろうとしてくれてるみんなを、無碍になんてできないよね。

 授業は上の空で、先生が黒板に書いている文字を写してはいるけど、正直言葉が入ってこない。
 そして、放課後の事をどうしようかと悩みながら、あたしはまた周囲に気づかれないように、小さくため息を漏らした。

      ◆   ◇   ◆

 で。放課後になったわけなんだけど。
 今あたしは、ちょっとお高そうな車に乗せられ、高速道路を移動していた。

 運転席には知らない人。
 結菜の知り合いみたいなんだけど、なんか付き人みたいな雰囲気がある。
 助手席には結菜が。後部座席には中央に座るあたしを挟んで、宇多ちゃんと妙花が座っている。

 一旦学校から駅まで戻るバスの中で、今日は何処に行くのかって聞いたんだけど。

  ──「勿論! 着いてからのお楽しみだよ!」

 なんて結菜に笑顔で言われておしまい。こうなっちゃうと本当にどこに連れて行かれるのか、全く見当がつかない。
 この間、あたしの為って言ってくれてたし、こっちが服装の話で悩んで今があるって事は、きっとそれに関する事なのかもしれない。
 でも、本気であたし、どうなっちゃうんだろ……。

 困惑しながら車に揺られていると。

「そういや美桜っちってー。週末、ハル君を()けたりするわけ?」

 いつもの軽い感じじゃなく、どこか真剣な顔で宇多ちゃんがそう聞いてきた。
 そっか。尾行すれば、確かにハル君と先輩達の関係がわかるかもしれない。でも……。

「……ううん。しない」

 あたしはまた、三人のことを思い出しちゃって、少し浮かない顔で答える。

  ──「うっそー! つまんないのー」

 宇多ちゃんの性格なら、きっとそう口にしして呆れてくる。
 そう思ってたのに、彼女は大きなため息を漏らすと、

「そっかー。ま、もし万が一って事考えたらそうなるしー。今はその方がいいかもねー」

 なんて、珍しく同意された。

「奏がそんな事言うの、何か珍しいね」

 結菜がこっちに振り返りながら宇多ちゃんにそんな声をかけると、宇多ちゃんがふんっとそっぽを向く。
 三人は結構友達付き合いが長いって聞いてたけど、それでこの言葉が出るってことは、きっと本当に珍しいんだよね。

「あのねー。あーしだってー、もし美桜っちと同じ状況になったら不安にだってなるしー。気持ちは超わかるかんね」
「まーねー。しかも幼馴染でお隣同士でしょ? あたしでも、どうしていいかもわからなくなりそう……」

 宇多ちゃんの言葉に、納得して頷く結菜。
 やっぱり、みんなも自信ありげに見えてあたしと同じなんだ。
 こんな考えは自分ひとりじゃない。そう思えて、少しだけ心が軽くなる。

「美桜」

 と。今日学校帰りからまったく無言だった妙花が、あたしをじっと見上げてきた。
 無表情。だけど、何となく普段とは何か違う気がする。うまく言葉に出来ないけど。

「えっと、どうしたの?」
「約束だから、ハル君の気持ちは占えない」

 え? 何で今それを言ったの?
 あたしは思わず首を傾げた。
 こっちも約束を忘れてなんていないし、だからこそそんなお願いもしてないんだけど。もしかして、あたしに気を遣ってくれたのかな?
 表情からは、まったくわからないけどね……。

「あ、うん。わかってる。大丈夫だよ」

 あたしは笑いながらそう返す。
 うん。わざわざ妙花に気苦労かけてもいけないし──。

「でも、ハル君を信じて」
「え?」

 信じて?
 あたしは妙花の顔を見ながら、思わず動きを止めた。

 占えない。って事は、きっとあたしの事を占ってはいないよね?
 ってことは、彼女の直感? それとも、実はこっそり占ってくれた?

 少しの間、困惑して何も言えなかったけど、ふと心に浮かんだある気持ちに、私は自然と言葉を紡ぐ。

「……うん。そうする。ありがと」

 笑いはしたけど、別に不安なのは変わらない。
 ただ、妙花だけじゃない。結菜や宇多ちゃんだって、あたしのために頑張ってくれてるんだもん。だったら、せめて今はみんなに感謝して、あんまり心配かけないようにしなきゃ。

 珍しく小さく微笑んだ妙花。
 何となくそのレアな表情に心も明るくなって、あたしも自然と微笑み返した。

      ◆   ◇   ◆

 あれからすぐ高速を降りて、山沿いの道を進んだ車がある場所で止まった。
 周囲は日も傾いてきて、近くの森もちょっと薄暗くなってるんだけど。
 車を降りたあたしの目を奪ったのは、そんな所に存在するには違和感のある、真っ白で直線的な壁で構成された、どこかデザイナーズ感のある大きな建物だった。

 っていうか、ここはどこなんだろ?

「結菜。ここって……」
「うん。ママの()()()()
「アトリエ?」

 アトリエって、仕事場だよね?
 こんな所で? 芸術家とかそんな感じなのかな?
 頭にそんな疑問が浮かぶ中。

「じゃ、みんな。中に入ろ」

 なんて笑顔で言いながら、門を開けて玄関に向かい入っていく。
 まあ、付いていくしかないよね?
 宇多ちゃんや妙花が慣れた感じでその後に続いていくのを見ながら、あたしは緊張を解すために深呼吸すると、その後に続いて歩いていった。

      ◆   ◇   ◆

 海外の建物を意識しているのかな。
 玄関の入り口は二メートルくらいの高さだったから、あたしが屈まなくても建物に入れたのはちょっと嬉しかった。
 電車のドアとか教室の引き戸なんかはやっぱり小さくって、どうしても少し屈まないとくぐれないし。

 ドアを開いた先にあったのは、白壁の広い廊下。
 左右と奥に幾つかの扉。途中の壁には、何かすごい美人やイケメンの外国人モデルっぽい人の写真が飾られてる。
 なんか、すごくお金がかかってるように見えるけど。実は結菜って、お金持ちのお嬢様か何か?
 今までお互いの家の話って、妙花が占い師の家系って以外、話をした事なかったんだよね。

 前を歩く妙花と宇多ちゃんは、キョロキョロするあたしと違って落ち着いてる。
 ってことは、ここによく来てるって事かな?
 でも、結菜のお母さんの仕事場なんだよね? そんなに来る機会ってあるのかな?

 色々と考えながら歩いていると、結菜が奥のドアの前に立って、そのままノックをする。

「はい。どなた?」
「ママ。結菜だけど」
「ああ。待ってたわー。早く入ってもらって!」

 あれ?
 ドア越しに聞こえる、明るい女性の声。どこかで聞き覚えがあるような……。

 あたしが首を傾げている間に、結菜が部屋のドアを開けると、そこに待っていたのは、スタイリッシュな赤のジャケットとタイトスカートに身を包んだ、百七十センチはある結菜に似た綺麗な女性──って、嘘っ!? この人って!?
 あたしが目を丸くしたのを見て、振り返った結菜と宇多ちゃんがしてやったりの笑顔を見せる中。奥に立っていた結菜似の女性があたしの前まで歩いてくると、笑顔でこっちの手を取り顔を見上げてきた。

「いらっしゃーい。あなたが小杉さんね?」
「あ、は、はい。あ、あの──」
「私は花澤(はなざわ)雪乃(ゆきの)よ。今日はよろしくね」
「え? は、はい。よろしくお願いします?」

 え? よろしく?
 あたしが、こんな有名人に? 何を?
 っていうか、結菜ってこの人の娘だったの?

 流されて普通に挨拶しながらも、自然と語尾が疑問形になったのはこれだけの???(ハテナ)があったから。
 本名までは知らなかったけど、ファッションに興味がある女子高生なら、絶対知ってる有名人だと思う。

 人気アパレルブランド『スタトル』こと『Standing(スタンディング) Tall(トール)』のオーナーで、テレビやネットの番組にも出演している、ファッションデザイナーのYUKINOさん。
 女子高生のブランド服としてはちょっとお高いけど、可愛い系から清楚系、ちょっと大人びたカジュアルシック系まで色々な服を取り揃えてて、ほんと凄いお店なんだよね。

 あたしはこの身長だし、残念ながらお世話になったことはない。でも、中学三年の頃には周囲の友達もスタトルには注目してて、頑張ってお小遣いを貯めて着飾ってた子もいるくらい。

 そんな凄いデザイナーさんが、まさか結菜のお母さんだったなんて……っていう驚きもあるんだけど、今は正直戸惑ってる。
 これから一体何が始まるのかもさっぱりわからないし。

「じゃ、まずはこれから採寸──」
「ママ! まだちゃんと話をしてないでしょ? 時期尚早だよ!」

 あたしの手を引き何処かに連れて行こうとした雪乃さんに、両腕を組み苦言を呈した結菜。
 その言葉を聞いて「あー。ごめんなさいねー」なんて、にこにこしながら謝る雪乃さんに、テレビに出ている時のしゃんとしたYUKINOさんのイメージは全然ない。
 あたし、詐欺られてる? なんて思っていると、結菜がこっちに笑顔を向けてきた。

「えっと、今日美桜ちゃんをここに連れてきたのは、ママに美桜ちゃんの服を仕立ててもらおうって思って」

 ……え? ちょ、ちょっと待って。
 結菜。何言ってるの!?

「ちょ、ちょっと! そんなの無理だよ!」
「え? 何で?」
「な、何でって。スタトルの服だってそこそこの値段するのに。雪乃さんに仕立ててもらうなんて、幾ら掛かるかわからないじゃん! あたし、そんなお金ないし──」
「そこまで私のブランドを知ってくれてるのは光栄ね。でも、ちょっとした条件を飲んでくれたら、ただで仕立ててもいいわよ? 勿論、ちゃんと私がデザインもするから」
「……え?」

 雪乃さんがあたしの服をデザインして、仕立ててくれる!?
 降って湧いたような話は、服に困っているあたしにとって、それはもうよだれもの。っていうか、世界の女子高生が憧れる話って言ってもいいと思う。

 だけど。だけどよ? 条件って?
 やっぱり詐欺まがいな話だったりしない?

 友達のお母さん相手にそんな不謹慎な事を思いながら、だけどどう返していいかわからなくって困惑していると、先に優しく言葉を続けてくれたのは雪乃さんだった。

「そんなに身構えないで。流石に結菜の友達に、酷い事なんてしないわよー」
「で、でも。雪乃さんにデザインしてもらう時点で、三桁万円とか──」
「ビジネスならそう。でも、今回は娘のお願いだし、私にも丁度いい話なのよ」
「丁度いい話、ですか?」

 まったくピンとこない答えに、呆然としたままあたしを見て、彼女はくすりと小さく笑う。

「ええ。私は今、新たなブランドを立ち上げたいと思ってるの」
「新たなブランド……」
「そう。小杉さんみたいに、身長や体格で服に困る女性のためのブランドなんだけど。そのためのデザインをするには、やっぱりモデルが欲しいのよ」
「……モデル?」

 え? モデルって……写真誌を飾ったり、ファッションショーでランウェイを歩く、あのモデル!?

「むむむ、無理です! あたし、そういうのできませんから!」

 慌てて両手を振って否定すると、

「まったくー。美桜っちー。いくら雪乃さんに会えてパニクってるのはわかるけどー。ちゃんと話を聞きなよー」
「うん。聞いたほうがいい」

 呆れた宇多ちゃんと相変わらず感情のない妙花が、そうたしなめてきた。

「で、でも、モデルって言われたら、写真撮られたりするでしょ!?」
「一般的にはそうね。だけど、いきなり素人のあなたの写真を使って宣伝したり、ファッションショーに出てもらおうとは思ってないわよ」
「そうだよー。ママだってプロなんだから。そういう所はちゃーんと考えてるもん」

 あたしが過剰な反応をしたせいか。くすくすっと雪乃さんと結菜が似た顔で小さく笑う。
 ま、まあ、そりゃそうだよね。でも、あたしだっていきなりモデルって言われたら、勘違いだってするじゃん……。

 自分の先走った気持ちと周囲の反応にちょっと恥ずかしくなって、あたしはその場で小さくなる。

「小杉さんにはね。私の専属モデルをしてほしいの」
「え? 専属モデル、ですか?」
「ええ。私もデザインのアイデアを試作して試したいのだけど。やっぱりマネキンや海外モデルだとイメージが違うし、あなたほど大きくてスタイルもいい可愛い子って、中々いないのよ」

 へ? あたしが、スタイルが良くって、可愛い?
 まっさかぁ。こんなのお世辞に決まってる。

「えっと。あたし、その……そこまで可愛いくないと思いますけど……」
「そんな事ないわよ。結菜が目を付けたくらいだし」
「結菜が、目を付けた?」

 ……そういえば。確かにあたし、ハル君に助けられたと思うし、あれって結構アオハルだったかもって思ってる。
 でも、それを理由に結菜達が、あたしに友達になろうって誘ってきたのはちょっと違和感があったんだよね……っていう事は……。

「結菜。もしかして、あたしと友達になろうとしたの、最初っからこれが目的!?」

 お母さんの求めるモデル候補。それに合致したから声をかけられたって考えると、妙に辻褄が合うよね。
 まさかと思いつつ結菜を見ると、彼女はてへっと笑う。

「ごめんね。それも理由の一つかな」
「嘘……」
「ほんと。でも、それだけじゃないよ? 美桜ちゃんのアオハルを応援したいって気持ちもちゃんとあったもん。じゃなかったら、最初っからモデルとして誘うし」

 あたしが愕然としたのを見たせいか。何時になく真剣な顔をする結菜。

「美桜。結菜も、私達も。ちゃんと美桜の恋、応援してる」
「当たり前っしょ! それに結菜だって、ちゃーんと美桜っちの事考えてんだかんね。元々服の話だってー、困ってなかったらー無理強いはしないようにしよーねーって、三人で話してたし」

 釣られて彼女を擁護した結菜や宇多ちゃん。二人もやっぱり、結菜と同じ顔をしてる。

 ……正直、結菜が嘘を()く事もできるんじゃって思う。
 例えば、モデル目当てのために、友達から始めて外堀から固めるとか。今がそんな状況に近いし。
 でも、あたしの事も考えてくれてなかったら、妙花があたしのために占ってくれるよう、促してくれたりしなかったかも……。

「小杉さん。娘の行動が、あなたに不安を与えたのなら謝るわ。でも、小杉さんには拒否権もあるの。だから、条件を聞いてからどうするか決めるのも、そもそも聞かずに断るのもあなた次第よ。勿論、私も娘も無理強いはしないわ」

 悩むあたしに、そう言葉を掛けてきた雪乃さん。
 その表情は、テレビのドキュメンタリーで見た、仕事中の真面目なYUKINOさんそのもの。
 娘が疑われた事も受け入れながら多分、それだけ真剣に言葉にしてくれたんだと思う。あたしがそう勝手に感じただけだけど。

「……じゃあ、まずは話だけ、聞かせてもらえませんか?」
「ええ。わかったわ」

 あたしがおずおずとそうお願いすると、雪乃さんはさっきまでの笑顔を見せ、さらさらと条件を話し始めた。

「モデルについてはさっき言った通り。写真は撮らせてもらうけれど、外部に出すような事はしないわ。モデルになってもらうタイミングは、こちらにアイデアが浮かんだタイミングだから不定期。だけれど、ちゃんと小杉さんのスケジュールを調整して、日取りを決めるから安心して。それから、モデルになってもらった際に仕立てた衣装は、無償であなたにプレゼントするわ。勿論時間を拘束するのだから、バイト代もちゃんと出す。これでどう?」
「ちょ、ちょっと待ってください!」

 え? え?
 服がタダで貰えて、バイト代も出るってどおかしくない!?
 
「あ、あの! それは流石に貰い過ぎです! 雪乃さんの服っていうだけで十分価値がありますから! バイト代なんて──」
「小杉さん。これはね、ビジネスなの」

 困惑するあたしに、ピシャリとそう言い切った雪乃さんが、また真剣な顔になる。

「試作する服は、あなたに合わせて作った物。言ってしまえば私の趣味の範囲なの。あなたが服に価値を感じてくれるのは嬉しいけれど、私にとってはブランドを背負い、誰でも着られる商品になってもいないし、ショーで披露するような代物でもないのよ。そして、趣味で作った物では、モデルになってもらう報酬にならない。だからこそ、ちゃんと別にお金を払うの。これは、ビジネスとして自然な事よ」

 毅然とした態度で、はっきりと言い切る雪乃さん。
 これが、プロのファッションデザイナー……。
 予想以上の真剣さに圧倒されていると、結菜が彼女を見て呆れた顔をした。

「ママー。美桜ちゃんは私と同じ高校一年なんだから。そんな仕事モードで話をして困らせないの!」
「……あ。そ、そうだったわね。小杉さん、ごめんなさいね。ちょっと熱くなっちゃった」
「あ、いえ……」

 娘の言葉に、雪乃さんがコロッと態度を変え、苦笑いしながら平謝りしてくる。
 お陰で拍子抜けしちゃったけど。もしかしてこの人、娘に頭が上がらないタイプなのかな?

「で。私からの条件はこれくらいだけど。小杉さん、どうする?」

 っと。そうだ。今はそんな事を考えてる場合じゃないよね。
 雪乃さんが微笑みながらそう問いかけてくるけど、あたしはすぐに言葉が返せなかった。

 どんな形であれ、あのYUKINOさんの服が着られるっていうのは魅力的過ぎる。
 しかもオーダーメイドみたいなものだから、あたしに合った服になると思うし、こんな申し出、一生に一度あるかないかでしょ。

 でも、バイト代が出るのもそうだけど、やっぱりあたしからしたら、YUKINOさんがデザインした服ってすっごく高いイメージなわけで。
 結菜のお母さんとはいえ、実は詐欺られたりするんじゃとか、何かあったらどうしようって不安は、やっぱり簡単には拭えない。

「美桜っちー。大丈夫だってー。あーしや(たゆ)っちも、雪乃さんのモデルしてるしさー」
「うん。大丈夫」

 え? 二人もそうなんだ?
 あ、でも二人共、以前から結菜の友達だし、そういうのもあるのかもだけど。
 宇多ちゃんと妙花。既に同じ経験をしている二人がいるのは心強いけど……うーん……どうしよう……。
 先輩達と約束した、週末の土曜日がやってきた。
 スマホで時間を確認すると、あと十分くらいで午前十一時。
 残念ながら、天気は時折日が顔を出すものの、ちょっと雲が多くて微妙な感じだ。

 天気予報のアプリじゃ終日こんな天気だって言ってたけど、日が隠れている時はちょっと肌寒い。
 制服姿の俺は、たまに吹くそよ風にちょっと身を震わせながら、駅のシンボルでもある大きな木の下で先輩達の到着を待った。

 待ち合わせに指定されたのは、通学途中にある日野間(ひのま)駅前。
 近くに大型ショッピングモールがあって、この辺でもかなり活気があるエリアだ。
 両親ともちょこちょこ買い物に来たりするけど、一人だと中々足を運ばない場所。
 しかも、先輩達から何処に行くかをまったく知らされていないから、正直不安が大きい。

 心の不安をごまかすように、両手を頭の後ろに回し、空をぼんやり見上げる。
 ……そういや、最近の美桜、どこか変だったよな。
 ふと、ここ二日のあいつの事を思い出し、俺は神妙な顔をした。

 あいつからの誘いを受けた翌日。
 ちょっと考え事をしてるとは言ったあいつの態度は、別段普段通りだったと思う。
 だけど、その次の日の木曜から、急に元気がなくなった気がする。

  ──「ちょっと家の手伝いしてたら疲れちゃって」

 なんて、てへへって顔をした美桜の顔は、言葉通りの顔をしてた。
 だけど、同時にあいつが見せた苦笑いには影があった。

 俺だって、伊達に十五年幼馴染でいるわけじゃない。
 だから直感的にわかった。こいつは今、何かに悩んでるって。

 俺が誘いを受けた事に理由があるなら、翌日には何らか顔に出そうだよな。
 だから、こっちには関係ない事で悩んでいる──そう思いたいんだけど。時期的なものを考えると、どうしても俺に関する事じゃないかって勘繰ってしまう。

 もしかして、誘った矢先に別の予定が入って、俺と出掛ける話をキャンセルしたいのか?
 それならそれで仕方ないけど。美桜の性格なら、そういう時はささっと相談してくるような気がする。
 だとすると、俺に知られたくない事か。はたまた、俺に都合の悪い話か……。

 ……はぁ。止め止め。
 大きなため息を漏らした俺は、首を横に振る。
 本気であの誘いは嬉しかった。だけど、どうしてもこの身長のせいで、ネガティブな事を考えちゃうんだよな。そういうのは止めないといけないのに。
 まだ断られてないんだ。少しは希望を持てって。

 少しでも前向きになろうと、ぎゅっと手に拳を作る。
 同時に、雲の合間から日が差し、少し暖かな空気が俺を包んだ、その時。

「うわーっ。ハル君ちょー早いじゃーん!」

 という、太陽に負けないくらいの明るい声が耳に届いた。
 っていうか、本当にこの人は元気だよな。
 声の方を見ると、周囲より一際目を引く東野先輩と西原先輩が並んでやって来た。

 金髪をいつも通りにポニーテールにまとめた東野先輩は、少し大きめのトレーナーにミニのデニムスカート。
 対する西原先輩は、Tシャツの上にデニムジャケットと、スラッとしたデニムパンツ。
 この間みたいに化粧もしていて、かなりキメてる感じがする。実際、すれ違う男子が振り返るくらいだ。
 って、俺。こんな二人と歩くのか……。ま、まあ仕方ない。ちょっと緊張するけど。これも服装の為。我慢我慢。

「おはようございます。東野先輩。西原先輩」
「おっはよー!」
「おはよう。ハル君」

 挨拶をすると、東野先輩は大きく、西原先輩は小さく手を振り、二人とも笑顔で歩み寄ってくれた。

「ずいぶん早いのね」
「そこまでじゃないですよ。それより、お二人こそ早いですよね」
「そりゃー、先輩が遅刻したら、威厳なくなるじゃん?」
「そうね。まあ、そもそも雨音に威厳があるかは疑問だけど」
「あーりーまーすー! 今日のアイデアだって、あたしの提案だかんね!」

 皮肉交じりの西原先輩に、舌をべーっと出して反論する東野先輩。
 この二人の掛け合い、面白くってちょっと癖になるな。
 俺も自然と笑顔になると、東野先輩がふっと真面目な顔になった。

「ハル君」
「はい」
「一応言っておくけどー。この間『力になれるかわからない』って言った通り、今日のアイデアはダメ元。だからー、うまくいかなくっても、ガッカリしないでね?」
「大丈夫です。わざわざ俺のために時間を割いて協力いただいただけで、こちらも十分感謝してるんで」

 気遣いに感謝しているのは本当。
 だからこそ、笑みと共にさらっとそう返したんだけど。それを聞いた東野先輩は、こっちを見下ろしながら、またにこりと笑顔になる。

「ほーんと。ハル君ってば誠実ー。好きな子いなかったら、ほっとかないんだけどなー」
「そ、そういう冗談は止めて下さい! 流石に恥ずかしいんで!」

 い、いきなり何を言い出すんだって!
 俺がおろおろしながらそんな言葉を返した直後、彼女は少し寂しそうな顔をする。

「ふーん……。やっぱー、あたしじゃ不満なんだ?」

 な、なんで東野先輩は、ふざけてこんな顔をするんだって!
 からかうにしても迫真の演技すぎないか!?

「だ、だから、その。そういう意味じゃないですけど! 俺は、その……美桜が……」

 冗談とも本気とも取れる反応に困り果てていると、少しの沈黙の後。

「ぷっ」

 っと吹き出した東野先輩がまた笑顔になり、西原先輩を見た。

「ね? ね? どうだった?」
「彼の愛は感じられたし、良かったんじゃない? ハル君。ご馳走様」

 西原先輩もくすくす笑ってるけど……俺、また嵌められたのかよ……。
 顔を真っ赤にして小さくなっている俺に、「ごめんごめーん」って謝ってきた東野先輩。
 そんな中、西原先輩がふっと真面目な顔をする。

「さて、ハル君。今日の事を改めて話をするけれど、まずは歩きながら話しましょっか」
「はい」

 先輩達が歩き出したのを見て、俺も彼女達に並んで歩道を歩き出した。

「えっとねー、行くのは勿論、オーダーメイドもやってるお店なんだけどー。そこって、女子用のブランドのお店なんだよねー」

 え?

「えっと、もしかしてそれって、俺に女物の服を着ろって事──」
「ないない! そんなんで美桜ちゃんが喜ぶわけないじゃーん。まー、実際やったら、ハル君が新たな性癖に目覚めちゃうかもしれないけどー」

 東野先輩が流石に肩を竦めたけど、そりゃそうか。
 俺だって、そんな格好で美桜の前に立ちたくはないし。

「雨音の作戦はね。そのお店で男子用の服を作ってもらえないか、お願いしてみようって事なの」
「え? そんな事って可能なんですか?」
「わからないわ。だから、期待し過ぎないでほしいのよ」
「だからー、半分ダメ元って感じなわけ」

 冴えない顔の西原先輩。東野先輩も何時もの明るい笑みじゃなく、どこか申し訳無さそうな顔をしてる。

 初めて出会った時は、随分わがままな人達だなって思ってたけど。何だかんだでお人好しなんだな。先輩達は。
 俺は、優しい先輩達を見上げながら、自然と笑みになる。

「先輩達。そんな顔をしないでください。俺も元々ダメ元で二人に聞いてみたくらいですし、そう簡単じゃないってわかってます。それでもこうやって時間を割いて協力いただけてるだけで、本当にありがたいですよ」
「そう言ってもらえると、こっちも気が楽になるわ。ありがとう」
「ま、ハル君の美声を聴かせてもらった分、ちゃーんと頑張るかんね!」

 こっちにほっとした顔を見せる西原先輩と、力こぶを作るかのように腕を上げた東野先輩。

「はい。よろしくお願いします」

 そんな二人に頭を下げた俺は、彼女達の案内に従い歩いて行った。

      ◆   ◇   ◆

 彼女達に連れられて向かった先は、ショッピングモールの一階。
 女性向けアパレルブランドが多く出店するフロアの一角にある、やや大きめのお店だった。

 壁にシックなフォントで書かれている店名は、えっと……『Standing(スタンディング) Tall(トール)』、か?
 正直、女性物のブランドなんて全然知らないんだけど、周囲の店よりお客さんが多いし、きっと人気のブランドなんだろう。

「ここですか?」
「そ。あたし達憧れのブランドのお店だよ。やっぱ品揃えもいいしー、可愛い服も多いよねー」
「こら。今日はハル君の方優先だよ」

 東野先輩が店内の服を見て目をキラキラさせていると、呆れた西原先輩が制するように苦言を呈する。

「ごめんごめーん。でもー、話が終わったら少し見て帰ろ? 雫もそろそろ夏コーデ、気になるっしょ?」
「まあね。そのためにも、まずは話をまとめないと」
「そうだねー。あー、ちょっと緊張してきた」

 すーはーと大きく深呼吸する東野先輩。西原先輩も流石にちょっと表情が硬い。
 店員さん……多分、店長さんになるのかもだけど。大人と交渉するって、確かに大変そうだしな。
 ……俺の為に動いてくれるんだ。いざとなったら、こっちもちゃんと話せるようにしとかないと。

「……よしっ。じゃ、行くよ。雨音。ハル君」
「ええ」
「はい」

 内心緊張しだした自分を必死にごまかしながら、俺は先輩達と一緒に、店へと入って行ったんだ。
「すいませーん」

 お客や商品を避けながら、レジカウンターの隣、オーダーメイドの受付まで向かった俺達。東野先輩がそこにいる店員さんに声を掛けると、大人びた女性がこちらに笑顔を向けてくれる。

「いらっしゃいませ。オーダーメイドのご要望でしょうか?」
「あ、えっとー。そうなんですけどー。ちょっと折り入って、相談したいことがあってー」
「はい。何でしょう?」

 店員さんは笑顔を絶やさず話を聞いてくれている。
 だけど。

「あの。男性服のオーダーメイドって、お願いする事はできませんか?」
「え?」

 西原先輩が口にした言葉を聞いた瞬間、流石に驚いた顔をした。

「あの、大変申し訳ございません。こちらは女性服を専門に扱っておりまして……」
「それは重々承知なんですが。できればお話だけでも聞いてもらえませんか?」
「お願いします!」

 東野先輩が勢いよく頭を下げるのに合わせ、俺も頭を下げる。

「うーん……」

 店員さんの困った声が聞こえた後。

「少々、お待ち下さいね」

 彼女が歩き去っていく音がした。

「……ね? どう? 迫真の演技だった?」

 隣で頭を下げていた東野先輩が、姿勢をそのままにこっちを向き、ひそひそとそんな事を言う。

 いや、演技も何も。頭を下げただけじゃないか……。
 内心そう思ったけど、敢えてそこには触れず、

「そうですね」

 短い言葉で話を合わせながら、俺は苦笑しながら頭を上げた。
 彼女の隣では西原先輩が、何も言わずに呆れ笑いを浮かべてる。

 まあ、東野先輩なりに頑張ってくれてるし、苦言を呈して気分を害してもいけないよな。
 とはいえ。店員さんも困ってたし、やっぱり無理だろうなぁ。男子服は流石に畑が違うだろうし。
 さっきの反応から半ば諦め気味でいると、少しして裏からさっきの店員さんが顔を出した。

「お待たせしました。こちらへどうぞ」
「え?」

 こちらへどうぞって事は、話を聞いてもらえるのか?
 俺が驚き先輩達を見ると、西原先輩も意外だったのか。完全に虚を突かれぽかんとしている。
 唯一、東野先輩だけはぱぁっと笑顔を輝かせると、すぐさま西原先輩の背後に回り込んだ。

「ありがとうございまーっす! 二人共、行こ行こっ!」
「え? あ、雨音!? 押さないの!」
「雫が遅いからだよー! ほらーっ! ハル君も早く早くー!」
「あ。は、はい」

 戸惑う西原先輩の背を押し、強引に彼女と歩き始める東野先輩。
 これには案内してくれた店員さんも、くすくすっと小さく笑っている。

 ほんと。そんなに嬉しそうな反応をしたら、迫真の演技すら意味をなさないだろって……。
 自然と肩を竦めた俺は、東野先輩にどやされる前に、彼女の後に続きバックヤードへと入って行った。

      ◆   ◇   ◆

 短い廊下を進んだ先。『Reception room』と書かれた部屋のドアをノックした店員さん。

「はい」
「社長。店長。お客様をお連れしました」

 へ? 社長?
 店長ならわかるけど、社長って?
 俺が困惑し先輩達を見ると、二人も驚いた顔をしている。

「社長って……もしかして……」

 なんて東野先輩も呟いて──あれ? もしかしてって事は、二人はその人を知ってるのか?

「ありがとう。入ってもらって」
「はい。失礼します」

 俺達の困惑なんて関係なしに、部屋の中からした女性の声。
 その指示に従い、ドアを開けた店員さんが、俺達を見た。

「どうぞ。お話は中で」
「ありがとうございます」

 ペコリと会釈し、先に部屋に入った先輩達に続き、中に入ろうとした瞬間。

「あーっ!」
「ぶほっ!」

 急に止まった東野先輩の背中に、俺の顔がめり込んだ。

 な、なんだ? 急に大きな声を出して。
 ぶつけた鼻を押さえつつ、慌てて距離を空け二人を見ると、彼女達は部屋の奥を見て驚いている。
 ただ、二人がちょうど壁になっていて、俺の身長じゃそっちを見る事ができない。
 こういう時、この身長が恨めしくなるな……ってのは置いといて。一体、奥に誰がいたんだろう?
 そんな俺の疑問に答えるかのように、西原先輩が驚きの声を口にした。

「もしかして、本物のYUKINOさんですか!?」

 YUKINOさん?
 知り合いってわけじゃなさそうだけど。有名人なんだろうか?

「あら。私を知っているの?」
「JKなら誰だって知ってますよー! スタトルの社長であり、新進気鋭の人気ファッションデザイナー! JKの心を掴む服を沢山デザインしている、あたし達の憧れの的ですもん!」

 東野先輩が部屋の奥に向かい、興奮気味にそう話すと、奥からくすくすと笑い声がした後。

「そこまで言ってもらえるなんて光栄ね。ありがとう」

 そんな優しい声が聞こえた。

「さて。まずはお話を聞きましょうか。こちらにどうぞ」
「はい! 失礼しまーす!!

 社長と思われる声に促され、二人が部屋の奥に入って行く。それに続いて俺も部屋に入ると、手前の一人掛けソファーの所に、二人の女性が立っていた。

 一人は、店に並んでいたような服で着飾った女性。
 もう一人は、はっきりとブランド物っぽいレディーススーツを着こなしている女性。
 多分、スーツの女性が社長のYUKINOさんって人かな。今までに見た事はないけど、なんか華やかなオーラがあるし。

「ハル君は真ん中ね! 早く早く!」
「あ、はい。失礼します」

 東野先輩に促されるまま、俺は部屋の奥の長ソファーの真ん中に座り、左右に東野先輩と西原先輩が腰を下ろす。
 それを見届けると、前の二人もそれぞれのソファーに腰を下ろした。

 店長の方は物腰柔らかそうな笑みを浮かべているんだけど、YUKINOさんはさっきまでの和やかな会話から一転。じーっと真剣な顔でこっちを見ている。
 何かを見定められてるみたいで、ちょっと緊張するな……。

「ええ、まずは店長である私から、今回のお話について確認させてもらいますね」
「お願いします」
「はい! お願いしまーっす!」

 こっちの緊張を他所に、店長の言葉に元気な返事をする先輩達。
 っていうか、東野先輩の元気すぎる声に、前の二人がくすくすっと笑ってるじゃないか。
 でも、おかげで少し空気が和んだし、これは先輩様々かな。

「まず、このお店が女性服ブランドの店なのは知っていますよね?」
「はい!」
「そんなお店に、急に男子服のオーダーメイドを依頼したいっていう理由を、伺ってもよろしいですか?」
「はい! ハル君が着る服に困っててー。それで、ここにお願いしに来ました!」

 表情は真剣ながら、元気に理由を話す東野先輩だけど……流石に端折りすぎじゃないか?
 俺が思わず眉間に皺を寄せると。

「雨音。それじゃ説明不足でしょ。私が説明するわ」

 西原先輩も同じ気持ちだったのか。彼女を制し、代わりに話し始めた。

「彼は高校生なんですが、見ての通り身長が低くて、私服に困っているんです。ですが、彼の住んでいる所を見ても、男子服のオーダーメイドを行っているお店もなくって。それで、女性服でオーダーメイドも扱っている、こちらにご相談に伺ったんです」

 西原先輩の説明を聞いて、改めて店長とYUKINOさんがこっちを見る。
 来た時点でもわかってると思うけど。今だって、俺の左右には百六十センチくらいある先輩達が座って、こっちの方が背が低いってのは明白。

「身長は百四十五センチ……ってところかしら」
「そうですね」

 YUKINOさんが顎に手を当てながら、口にした身長はドンピシャ。
 見ただけでわかるとか。やっぱり、プロのデザイナーさんは違うんだなぁ。

「ちなみに、このブランドで承っている、女性服のオーダーメイドの価格は知っていますか?」
「あ、いえ。すいません。そこまでは。雨音は?」
「ぜんぜーん。でもー、スタトルだからそれなりにお高いかなーって思ってますけど。合ってますか?」
「そうですね。物にもよりますけど、女性服の上下セットで安いセットでも、七、八万は」
「えーっ! そんなにするんですかー!?」
「はい。オプションなども指定すると、十万を下らない事もありますし」

 最低七、八万、か。やっぱり結構するんだな。
 そりゃ、両親もげんなりしてたわけだ。

 先輩達は流石に驚きすぎて、それ以上の言葉がでない。
 まあ、市販品しか買ったことがないんじゃ相場もわからないだろうし、二人が知っているくらいの有名ブランド。この価格も納得かな。

「もし男性服をオーダーメイドした場合、どれくらい価格が上乗せされますか?」

 敢えてそう口にすると、店長が少し驚いた顔をする。

「ええっと……。こういったオーダーをお受けした事がないので推定ですが、デザイン料だったりも含めると、もう数万は……ですよね? 社長」
「そうね。特にあなたの場合、サイズも普段の男性の規格に合っていないから、完全なオーダーメイドになる可能性が高いわ。一着揃えるのも相当よ?」

 俺の質問に、真摯に答えてくれたYUKINOさん。
 数十万の買い物なんて、勿論今までにしたことなんてない。一応貰ってたお年玉やお小遣いを貯めてはあるけど、足りる気がしないな……。

「世の中には、ネットオーダーのお店なんかもあると思うのだけど。そっちを利用しない理由は?」
「できあがりまで、自身の目で確認できないのが不安だったからです」
「これだけ高いのだから、諦める選択もあると思うのだけど。それでも買いたいの?」

 YUKINOさんの言葉の裏には、身の丈にあってないって意味が籠もってると思う。

 確かに、たった一着じゃフルシーズン着こなすなんて無理。
 それこそすぐ夏になるわけで。美桜とのデート一つのために、貯金を(はた)いてまでする買い物じゃない。そう言われたって仕方ないくらいの話だと思う。

 だけど……それでも、俺はこう答えたんだ。

「……はい。可能であれば、このお店にオーダーメイドをお願いしたいです」
 俺の言葉に、店長が困った顔をしたけど、YUKINOさんはじっと表情を変えずにこっちを伺っている。
 その意図まではわからないけど、俺は少しでも本気だと伝えたくって、彼女から目を逸らさなかった。

 理由は単純。この機会を逃したくなかったから。
 美桜の誘いと先輩達の助力。それらが相成って得た機会。こんな事早々ないと思うからこそ、チャンスは逃したくないって思ったんだ。

 それに、世の中には人を騙してでも買わせようとする人がいる中で、YUKINOさん達は学生のわがままに真摯に向き合ってくれて、ちゃんと苦言も呈してくれた。
 それって、俺からしたら凄くありがたい事だし、信頼していいって思える事だったから。

 とはいえ、流石に高校生がこんな事を口にするのは──。

「ハル君、やっぱ格好いいー!」

 ──え?
 突然隣から聞こえた声に、俺が思わずそっちに顔を向けると、東野先輩が目をキラキラさせながらこっちを見ていた。
 って、なんで?

「えっと、格好いい、ですか?」
「うん! 格好いいに決まってるじゃーん! こんなの美桜ちゃんも絶対惚れ直すってー! ね? 雫?」
「こーら。雨音。今はそういう話をする時間じゃないわよ」
「あ。あはは……。ごめんなさーい」

 突然の東野先輩の暴走にも、西原先輩は冷静。
 さらりと釘を差した彼女に、東野先輩がはずかしそうに身を小さくする。
 そのやりとりを見て、ぷっと吹いたのはYUKINOさんだった。

「ほんと。高校生って良いわよねー。青春してて」

 笑顔でそう口にした彼女は、そのまま頬に手を当て少し考え込む。

「ただ、話が脱線し続けてもいけないし、もう少しハル君の話もちゃんと聞きたいわね」

 そこまで口にしたYUKINOさんは、再び俺を真面目な顔で見た。

「ね。少し、私と二人きりで話させてもらえない?」
「え? 俺とですか?」
「ええ。あなたが依頼人なんですもの。もう少し込み入った話も聞いた上で、判断したいのよ。どう?」

 二人っきりか……。

「俺はいいですけど。それだと先輩達を待たせちゃう事になりますよね?」
「だったらー、あたし達、お店で服を見てくる。だからー、気にしなくって大丈夫だよ?」
「そうね。どちらにしても、今日は夏物のチェックをするつもりだったし。丁度いいわ」

 二人にとっては好都合だったのか。俺の懸念にさらりと返事をすると、YUKINOさんもすぐに笑顔になる。

「それじゃ決まりね。小夜。二人をお店に案内してくれる?」
「わかりました。では、お二人はこちらに」
「はーい!」

 立ち上がった店長さんの言葉に従い、先輩達が立ち上がると向こう側に回り込む。

「ハル君。がんばだよ!」
「健闘を祈ってるわ」
「はい。ありがとうございます」

 二人は応援の言葉を残すと、そのまま店長と共に部屋から出ていき、俺とYUKINOさんだけが残された。

 とりあえず、まだ断られてないって事は、可能性は残ってるって事でいいんだろうか?
 でも、何を聞かれるんだろう? まさかと思うけど、説教されるんじゃ?

 二人っきりになり、またも真剣な顔つきになったYUKINOさんを見ながら、俺はごくりと唾を飲む。
 それでも表情を変えない彼女が、静かに口を開いた。

「さて。ハル君。ここからはできる限り、包み隠さず話してもらえるかしら?」

 え? 包み隠さず?

「えっと、それってどういう……」
「いえね。高校生がたった一シーズンしか着れないかもしれない、一着十万を超える可能性のある買い物を決断するなんて、余程の理由がないとおかしいと思ったのよ。私だって、それをビジネスと割り切るには荷が重いわ。だから、ちゃんと理由を聞かせてほしいの」

 真剣さを崩さず、落ち着いた口調で話すYUKINOさん。
 これってつまり、美桜への想いとかを話さないといけないって事だよな……。

 気恥ずかしさが膨らんで、ちょっと顔が熱くなったのがわかる。
 でも、ここで逃げたら元の子もない。

「……わかりました」

 俺が不安や恥ずかしさと葛藤しながらも、しっかりと頷くと、YUKINOさんもコクリと頷いてくる。

「ありがとう。まず、自分に合う服が欲しい理由、ちゃんと聞かせてくれる?」
「はい。あの、とある事で幼馴染を助けたんですけど、そのお礼にって、食事に誘われたんです」
「それで?」
「その……一緒に食事に行くなら、恥ずかしくない格好でって思って」
「……それだけ?」

 俺が何かを隠しているのをお見通しと言わんばかりに、念押しするYUKINOさん。
 ……まあ、話さないと、だよな。

「えっと、ちょっと待ってください」

 俺は上着の内ポケットからスマホを出すと、この間撮ってもらった入学式でのあいつとの写真を表示し、彼女に見えるようにテーブルに置いた。

「あら。随分と大きな子ね。これがあなたの幼馴染?」
「えっと、その……幼馴染であり、初恋の人です」
「そうなの。恋人ってわけじゃないの?」
「はい。幼馴染なだけです。片想いなんで」
「ふーん……」

 暫くの間、じーっとスマホの画面を見ていたYUKINOさん。

「身長差、四十センチって所かしら?」
「はい」
「そう。このコンプレックスのせいで、告白する自信が持てないの?」
「えっと……そうですね。こんな小さい俺じゃあいつに似合わないんで、告白までは考えてないです。ただ、あいつも女子としては相当背が大きいんで。俺といたら、それがより際立っちゃうじゃないですか」
「確かにそうね」
「だから、せめて一緒にいても、そう感じさせないっていうか。ちゃんとした格好をして、恥ずかしいって思わせないようにしたいなって……」

 話すほどに火照りが酷くなり、俺は自然と視線を落とす。
 でも、仕方ないだろ。こんなの独りよがりだし、人に話すようなことでもないし……。
 
「……ちなみに、彼女を好きになったきっかけは?」

 は? きっかけ?
 そこまで話さないといけないのか!?
 一瞬そんな疑問を覚えたけど、この流れで話さないわけにはいかないよな……。

 ちらりと上目遣いにYUKINOさんを見た俺は、真剣な目をしている彼女を見て、観念して昔話を始めた。

「幼馴染として、物心ついた時からずっと一緒だったんですけど。意識しだしたのは、小学一年生の時ですかね」

 そうか。もう十年前くらいなんだよな。
 あいつを好きだなって思ったのは。

「俺の部屋のベッドはシステムベッドで、上の段がベッドだったんですけど。ある日、この高さなら飛び降りれるかな? なんて馬鹿な事を考えて、それを実践したんです」
「それで?」
「飛ぼうとした時にベッドの柵に足を引っ掛けちゃって、利き腕だった右腕から落ちて骨折しちゃいました」

 今考えても、子どもとはいえドジったなぁって反省しきり。
 実際、骨折したのを知った美桜が、俺の痛々しいギブス姿を見て、泣き出してたもんなぁ。

「それだと、生活もままならなかったんじゃない?」
「はい。骨折自体は軽症で、一ヶ月くらいで治ったんですけど。やっぱりギブスをしての生活って大変でした」
「それがきっかけってことは、彼女に献身的に看護されたの?」
「はい。一緒に学校に行っている間、とにかく世話を焼いてくれたんです。周囲に一緒にいるのを茶化されたりしてもお構いなしに。ノートも代わりに書いてくれたし、お昼も手伝ってくれて。体育の時なんか、一人で見学は可哀想だーって、一緒に見学するって言いだす始末でしたよ」

 でも、あれは嬉しかったな。
 俺、体育の授業凄い好きだったから、みんなが楽しそうに運動するのを見てるだけっていうのが辛かったんだけど。美桜はそんな俺の心配もしてくれてさ。

「へー。それだけの事をされたら、流石に恋に落ちちゃうか」
「はい。ただ、結局その想いを伝えるのは恥ずかしくて、言えないまま過ごしているうちに中学になって。あいつは背が一気に伸びて、俺は逆に伸びなくなって、一緒にいてコンプレックス感じさせるのはちょっとなって思うようになって、今に至る感じです」

 ……あー。何で俺、知らない人にこんな話してるんだよ。
 昔の恋に落ちた想い出を懐かしみながら、同時に気恥ずかしさも一気に増して。俺は俯いたまま、ごまかすように頭をくしゃくしゃっと掻いた。

「十年越しの想い、伝える気はないの?」
「えっと、正直な事を言えば、恋人になれたら嬉しいです。でも、さっき話した通り、あいつが俺と一緒にいて、コンプレックスを感じるのは嫌なんで、そこまでは……」
「そう。じゃあ、私が作った服で、彼女がそんなコンプレックスを忘れさせてあげられるとしたら、あなたも少しは胸を張れる?」
「……え?」

 思わず顔を上げると、さっきまでとは一転。笑顔のYUKINOさんがそこにいた。

「ハル君は、この店の名前を知っているのかしら?」
「『Standing(スタンディング) Tall(トール)』ですよね。無知で申し訳ないですが、今日初めて知りました」
「いいのよ。で、意味はわかる?」
「いえ。すいません」

 俺が素直にそう答えると、彼女は人差し指を立て、自信ありげに口を開く。

「意味はね。『胸を張れ』よ」
「胸を、張れ……」
「そう。私達のブランドの服を着て、みんなが堂々と胸を張れるように。そんな想いでデザインしているの。だから、もしあなたが私の店で服を作るって言うなら、ちゃんと胸を張って欲しいのよ。流石にいきなり告白しろなんて言えないけれど。彼女の隣に立つ時、コンプレックスなんて気にせず、胸を張って欲しいの。あなたに、それができるかしら?」

 堂々と、胸を張る……。
 正直、それができるかと言われても、まだわからない。
 だけど、もしそれだけの想いを込めて、服を作ってくれるって言うなら……。

「……はい。できる限り、ブランド名を汚さないように頑張ります。お金もちゃんと、バイトをしてでも支払います。だから、オーダーメイド、お願いできませんか? いえ。お願いします!」

 俺は、しっかりと自分の決意を言葉にして、深々と頭を下げた。

「バイトをしてでも支払う、ね……」

 ふと、YUKINOさんのトーンが今までと違うのに気づいて顔を上げると、どこか意味深な笑みを浮かべてるけど……やっぱりお金の件が気掛かりなんだろうか?
 学生の支払い能力なんてたかが知れてるだろうし、彼女にとってはビジネスだからこそ、そこが気になったのかも知れないけど……。

 さっきまでと少し空気が変わったような気がして、俺が戸惑っていると。

「じゃあ、こういうのはどうかしら?」

 なんて言って、YUKINOさんが俺にある提案をしたんだけど。そのあまりに凄い内容に、俺は思わず目を丸くしたんだ。 
 土曜の夜。
 仕事を終えて家に戻った私は、早速自室に戻ると昨日から始めていた小杉さんの服のデザインを詰めていた。
 昨日の時点でイメージはほぼできていたし、小杉さんのはラフ画に起こして軽く着色するだけ。それができたら次はハル君の分ね。

 でも、本当に妙花ちゃんは、お母さん譲りの直感の持ち主なのね。

 私が今日の午前中、日野間モール店に行く予定なんてなかったんだけど。
 金曜の夜、小杉さんを家に送る前、妙花ちゃんがこっそり私にこんな助言をしてきたの。

  ──「明日の午前中、日野間のお店に行って」

 って。

 小さい頃から彼女の言う事って良く当たるし、それで何度か助けられた事もある。
 だから、今回も言われるがまま、店に足を運んでみたのだけど。まさか、小杉さんの意中の彼が現れたんだもの。本当に驚いちゃったわ。

 可愛い先輩を連れていた彼。
 もしかして、ハル君は小杉さんに興味がないのかって不安になったけれど、そんなのは杞憂ってくらい、彼は彼女に真っ直ぐ向き合ってたわね。

 ほーんと。二人とも素直になっちゃえば早いのに。
 まあ、大人にとっても子供にとっても、恋なんてそんなに甘くはないんだけど。

 でも、そんな恋愛事情に私が絡めるなら、しっかりサポートしないといけないわね。ここからが、デザイナーとしての腕の見せ所。
 二人がお互いに目を奪われるだけじゃなく、周囲から見てもお似合いって思えるくらい輝けるデザインにしてあげないと。
 後は明日、各方面に協力を取り付けて、一気に仕立てていかないと。あまり時間もないものね。

  コンコンコン

「はーい」
「ママ。入っていい?」
「ええ。いいわよ」

 私が結菜の声に振り返る事なく、デザインを仕上げる事に注力していると、ドアを開け部屋に入って来た娘が、隣に来てラフ画を覗き込む。

「うっわー! めっちゃ可愛い! これ、美桜ちゃんの?」
「ええ。そうよ」

 結菜の顔を見ると、目をキラキラさせてる。
 この子がこれだけの反応を見せるなら、掴みは十分ね。

「ママ! これ、私達の分も欲しい! 一緒に出かける時お揃いだったら、絶対可愛いし!」
「そうね。折角だし、一緒に作っちゃいましょうか」
「やったっ! あ。あと、奏から伝言。詠海(よみ)おばさんが、ラフができたら画像を送ってって」

 そういえばそうだったわ。
 詠海もこの件に絡むなら、ちゃんと服に合ったメイクをしてもらわないといけないもの。 

「ええ。今日には仕上げるから、明日には送るって伝えておいて」
「うん。あと、パパがご飯できたから、ママを呼んでって」

 ちらりと部屋の時計を見ると、既に夜九時過ぎ。

「あら。もうそんな時間なのね。ちなみに今日の料理は?」
「パエリア! ママが頑張ってるって言ったら、パパが張り切って作ってくれたよ」

 あらあら。直人(なおひと)さんってば、仕事明けなのに頑張ってくれたのね。
 あの人の料理は昔っから本当に美味しいし飽きないけれど、私も主婦だからって頑張っていたから、味わえるのは久々ね。

「じゃ、先に夕食を済ませましょうか」
「うん! 久々にみんなでご飯食べられるね!」

 手にしていたコピックを片付けていると、結菜が凄く嬉しそうな顔をする。
 確かに、私も直人さんもお互い忙しいから、中々みんなで食事する時間が取れないのよね。
 そういう意味じゃ、仕事以外でここまで頑張らなきゃと思えてるのも久々だし、直人さんには悪いけれど、あの人の料理を味わえるのも久々。
 これも小杉さんとハル君様々ね。

「じゃ、行きましょうか」
「うん。あ、ちなみにさっきの話だけど。私、ピンク系がいいなぁ」
「わかったわ。ちゃんとみんな、好みに合わせて色を割り当ててあげるから、安心なさい」
「ほんと? 楽しみにしてるね!」

 一緒に部屋を出て階段へと向かいながら、結菜が満面の笑顔を見せる。

 そうね。娘達のためにも、人肌脱がないとだもの。頑張らなきゃ。
 結菜に釣られ微笑みながら、私は頭の中でハル君の服のデザインを考えつつ、娘と一緒に遅い夕食を共にするためリビングに向かったの。
 あっという間に一週間が過ぎ。
 ついに五月六日。あたしの運命を決めるデートの日がやって来た。

 朝九時。
 快晴の空の下、電車の席に座り揺られ向かってるのは、ハル君との待ち合わせ場所のある日野間駅──じゃなくって。宇多ちゃんに指示された、その数駅先にある加賀野駅。
 何でそこに向かってるかっていうと、宇多ちゃんにそう指示されたから。

  ──「結菜も頑張ったんだし、あーしも、ちーゃんと美桜っちをアシストするかんね!」

 って言ってくれたけど、何をするのかは教えてくれなかった。
 ただ、この間ママチの予定を確認してたって事は、彼女のお母さんが関係してるのは間違いないよね。

 ちなみに後で聞いたんだけど。妙花のお母さんも、あのテレビで有名な霊能力者、御霊(みたま)(きよい)さんだったの。
 三人が両親繋がりで昔から知り合いだったんだって聞いて、思わず納得しちゃった。
 だから、宇多ちゃんのお母さんも多分凄い人なんだと思うけど……あたしの友達、本当にやば過ぎじゃん。
 本当に、こんな凄い子達とあたしなんかが友達でいいのかな……。

 向かい側の窓を流れる外の景色を見ていると、途中でトンネルに入る。
 景色の代わりにはっきりと窓に写ったのは、普段とはぜんぜん違う服を着た、別人のようなあたし。

 ……雪乃さんの作ってくれた服、本当に可愛いよね。
 あたしから見ても間違いなくそう感じる服は、まるでアイドルが着るかのような、白のブラウスにオレンジと白を基調としたチェック柄のベストと、同じ柄の膝丈まであるブリーツスカートに白のニーハイソックスっていう、春色っぽさ全開の一着だった。

      ◆   ◇   ◆

 金曜の夜。
 考えた末にあたしが出した答えは、両親と相談したいって事だった。
 いや、だって。雪乃さんが商品にならないって言ったって、世間的には絶対高価な服。それをタダで貰うなんて話もそうだし、バイト代まで出るなんて話をされたら、あたし一人で決めていい話じゃないと思ってたし……。

 で。それを聞いた雪乃さんが、

「だったら、私からご両親にちゃんとお話するわ」

 って言ってくれたの。
 それで、土曜にの午後にわざわざ私の家まで来てくれて、両親にちゃんと話をしてくたんだよね。

 ちゃんと契約書まで用意して、両親に事情を含めて丁寧にすべてを説明してくれたお陰で、お父さんもお母さんも納得して、あたしがいいなら構わないと言ってくれて。お陰であたしも踏ん切りがついて、雪乃さんにお願いする事ができたの。

 それで、五月五日には服ができるって聞いて、昨日また雪乃さんのアトリエに行ったんだけど……まさか、こんなに可愛いくって、だけどちゃんとサイズもピッタリの服を用意してもらえるなんて思わなかった。
 実際これを着て姿見で自分を見た瞬間、見違えるあたしに暫く惚けちゃったくらい。

 一緒に来ていた結菜達も、凄く似合ってるって言ってくれたし。
 今日これを着て駅まで来た時も、今までよく向けられてた身長の高さからくる奇異の目だけじゃなく、すれ違い際に「あれ、めっちゃ可愛くない?」なんてヒソヒソ声が聞こえるくらい、普段と違う意味で注目を集めているのを感じて、この格好に少し自信を持てたのは確かかも。

      ◆   ◇   ◆

 これだけでも十分幸せだし嬉しい。
 でも、今日はそれだけじゃダメ。ハル君と少しでも何か進展させなきゃ。

 そんな決意をしながら、窓に映る自分を見つめていると、窓の向こうの再び景色が開け、あたしの姿が薄っすらとしか見えなくなる。
 
 少しずつビルなんかが増えて、華やかになっていく景色。
 ここが今日、あたしの決戦の場になるんだよね……。

「次は、日野間。日野間。出口は右側です」

 通学中にも耳に入る、聞き慣れたアナウンス。
 今は降りない駅のホームを見ながら、あたしは不安と期待が入り混じった気持ちを落ち着けるように、大きく深呼吸をした。

      ◆   ◇   ◆

「おっはよー!」
「おはよ」
「おはよう」

 加賀野駅を出た所で、出迎えてくれた結菜達。
 昨日みんなもあたし色違いだけどあたしとお揃いの服を用意してもらってて、今日もそれを着てる。

 ピンク色の結菜に水色の妙花。そして黄色の宇多ちゃん。
 ほんとに三人も凄く可愛いくて似合ってるし、彼女達がアイドルグループって言われても違和感ないと思う。

 結菜と妙花とは挨拶を交わしたけど、宇多ちゃんだけは何も言わず、こっちを真剣な顔でじろじろ見ながら周りを一周する。
 あれ? もしかして、どこか間違った着方をしてた?

「宇多ちゃん。あたし、何か変?」 

 不安になってそう尋ねると、一周した宇多ちゃんが顔を上げ笑顔を見せた。

「ううん。美桜っちも似合ってて、めっちゃいいじゃーんって思って」
「そ、そっか。よかったぁ……」
「うんうん! あとは詠海(よみ)おばさんのヘアメイクで完璧!」

 ほっと胸を撫で下ろすと、結菜もニコニコしながらそう口に……え?

「へ、ヘアメイク?」

 今まで経験した事のないものを口にされて、あたしがきょとんとすると、宇多ちゃんがふふんと自慢げな顔をする。

「ま、結菜や(たゆ)っちのママチと一緒で、あーしのママチも凄いかんね! 期待しといて!」

 なんて言ってるけど。雪乃さんの塾の時点でもう別人なのに、これより変わる事なんてあるの?
 内心そんな疑いを持ちながらも、あたしは何とか「うん」って返事した。

      ◆   ◇   ◆

 宇多ちゃんの案内で、場所を郊外の閑静な住宅街にある、あからさまに高級そうなヘアサロンに移したあたし達。
 今日は祝日でお休み。つまり、あたしのためにわざわざお店を開けてくれてるわけで、正直申し訳ない気持ちになったけど、宇多ちゃんのお母さん、詠海さんは「そんな事気にしなくていいわよー」なんて、笑顔で出迎えてくれた。

 っていうか。あたしは彼女を見て、また目を丸くしちゃった。
 だってこの人、数々のアーティストのヘアメイクを担当してる事で有名な、ヘアメイクアーティストのSING(シング)さんだったんだもん。

「あーしのママチも凄いっしょ?」

 なんて宇多ちゃんがドヤ顔をしたけど、そりゃ驚くしかないじゃん。
 結菜や妙花に並ぶくらいの有名人のお母さんに、あたしはもう「うん。凄すぎ……」って感想しか口にできなかった。

 で、着いて早々、いきなりスタイリングチェアに座らされたあたしは、そのまま髪を少しカットされ、シャンプーやトリートメントもされ、髪を乾かした後に軽くメイクをしてもらって、最後に髪の毛も色々と整えてもらい……。

「どう? こんな感じで」

 すべてが終わって、あたしは改めて壁の姿見で自分を見たんだけど。

 ……誰よこれ? この可愛い子、誰?
 あたしはそう思わずにはいられなかった。

 やっぱり元はあたしだし、完全に別人ってわけじゃない。
 でも、ストレートだったあたしの髪は、先端の方だけふわっとカールが入ってるし、サイドで一部の髪を服の色に合った同じ模様の細いリボンで束ねてるのは、ワンポイントとしても凄く可愛い。

「肌もきれいで血色もいいから、ナチュラルメイクで良さそうねー」

 なんて言いながら、詠海さんがしてくれたメイク。
 お陰で顔も普段より明るく見える感じで、それこそあたしじゃないみたい。
 驚きと喜びの入り混じった笑顔のまま、正面から背中まで一生懸命確認する。

 これヤバい! ヤバいくらい嬉しい!
 もう喜びと興奮が抑えられなくって、くるくると鏡の前で背を向けたり、横を向いたりしながら、あたしが自分じゃない自分を堪能していると。

「どーお? ママチのメイク」

 って、ニコニコとした宇多ちゃんが、あたしに並んで笑顔を見せた。

「うん。もう、あたしじゃないみたい」
「ううん。この可愛さは、間違いなく美桜」
「そうそう! ママも褒めてたでしょ? やっぱり美桜ちゃんは可愛いの!」

 小さく笑う妙花と、相変わらずの笑顔を向けてくる結菜にはにかんだあたしは、また鏡を見た。

 みんなより頭一つ以上抜けている、鏡に映るあたし。
 だけど、今はそんな身長差なんて気にならない。
 勿論、まったくコンプレックスがないなんて事はない。だけど今のあたしは、この可愛さのお陰で胸を張っていられる。

「美桜っち。今日はガンバだよ!」
「いきなり告白なんてしなくっていいから、ちゃーんとハル君の目を釘付けにしてくるんだよ?」

 明るく声援を掛けてくれる、宇多ちゃんと結菜。
 妙花も無言だけど、そうだよって言わんばかりに小さく頷く。

「……うん。ありがと」

 うん。今日のハル君とのデート。絶対に物にしなきゃね。
 あたしはみんなに笑顔を振りまきながら、心を引き締め決意を固めたの。