近くて遠い四十センチ 〜それでも二人は恋したい〜

「え? で、でも。それって、妙花が納得しないとダメって──」
「いいよ」

 両手を振りあたしが遠慮したのなんて意味がないくらい、向かいの妙花がこっちをじーっと見たまま、小さく頷く。

 あっさりそう言われると、断りにくいんですけど……。
 引きつったあたしの笑顔なんて関係なしに、スマホをテーブルに置いた宇多ちゃんが感心した顔で結菜を見る。

「それいいじゃーん! 美桜っちの奥手っぷりじゃー、卒業しても進展なさそうだしー」
「そ、そんな事ありませんー」
「あのねー。そう断言できる子はー、十五年もあればとっくに答え出せてるわけ。わかる?」

 口を尖らせ抵抗したあたしに、スマホをテーブルに置いた宇多ちゃんが、ずいっと前のめりになり、指差ししながらあたしを咎める。
 でも、言われた事が正論過ぎて、あたしはそれ以上反論できなかった。

 ただ、妙花の占いって()()()()()()から、ちょっと怖いんだよね……。
 実は妙花、代々占い師の家系らしいんだけど、彼女はその中でもずば抜けて霊感──確か、スピリチュアルだっけ? それが強いんだって。

 実際、あたしと友達になってから、一番最初に占ってもらったのは、ここ二週間のハル君と帰れる日。
 これがドンピシャなだけだったら、驚きはするけど、あたしだってここまで怖くならない。
 実際何がヤバかったかっていうと、一緒に帰れない日の理由まで当たってた事。

 クラスメイトに遊びに誘われた、なんてありきたりな話だったら、当てずっぽうかもって思うじゃん?
 でも、一人で買いたい物があるから、なんて理由まで当てられた時は、流石にちょっと変な声出ちゃって、ハル君に怪訝な顔されたっけ。

「でも、何を占おっか? あんまりアオハル感なくなっちゃうのは避けるとしてー」

 ほっぺに指を当てながら、首を傾げる結菜。
 と、彼女の向かいで足を組んでいた宇多ちゃんが、ぽんっと手を叩く。

()()()は崩したくないじゃん? だからー、二人が偶然出会える場所と時間なんか良くなーい?」
「あ、それ良いかも。折角だし、二人が話したり、一緒にいられるシチュが良いよねー」
「そうそう! そういうのないと、やっぱアオハルじゃないっしょ!」

 ルールを崩さない、かぁ。
 そこを崩してくれたら、あたしはめっちゃ助かるんだけど。
 二人が得意げな顔をしてるけど、あたしは内心そんな事を思ってた。

 みんなが決めているルールっていうのは、何を()()()()かって事。

 まず、ハル君の気持ち。
 これがわかっちゃうと流石につまらないって事で、最初にこれは満場一致で決まった。
 それから、あたしが何をしたらハル君の心を掴めるか。
 そういうのは自力でどうにかしてほしいって思ってるみたいで、流石に占わないって言われたの。

 正直な所、ハル君の気持ちを占わないって話は、本気で助かったなぁって思ってる。
 あたしを好きじゃないだけじゃなく、別の人を好きだなんて知ったら、あたしはまず立ち直れないし。

 でも、ハル君の心の掴み方は、正直占って欲しかった。
 喉から手が出るくらいほしい情報だし、別にアオハルなんて、付き合ってからだって感じられるじゃん。
 今のじれじれした恋心のままいる方が、ずっと辛いだけし……その、付き合えるなら、やっぱ早いほうがいいし……。

「じゃ、占うね」

 考えこんでいるあたしの返事も待たずに、妙花が学生カバンから手のひらサイズの小さくて綺麗な水晶玉と下に敷くクッションを取り出し、テーブルの上に配置していく。

 これを見るのは二度目。
 凄く透き通った水晶玉は、小さいながら目を奪われるくらい綺麗。
 何時見てもお高そう……なんて思っていると、妙花が目を閉じ、水晶に手をかざす。

 なんか占い師って、こういう時何か言ったり、手を動かしてみたりとかするのかなって思ったけど、妙花は無言のまま微動だにしない。
 見慣れているのか。結菜と宇多ちゃんは期待の眼差しでじーっと見てる。
 でも、あたしは妙花の無表情さもあって、占ってる時の彼女にちょっと不気味さを感じちゃうんだよね……。

 恋路を占ってもらってるはずなのに、全然関係ない事を考えながら妙花を見守っていると、しばらくして彼女がゆっくりと目を開いた。

「終わった?」
「うん」

 結菜の言葉に頷いた妙花が、じっとあたしの目を見つめてくる。

「今日の帰り。本屋に寄って」
「え?」

 本屋?
 何で本屋……って、そこにハル君がいるからって事だよね。
 でも、そもそもハル君って、そんなに本読んだりしないけど、それなのに本屋にいるの?
 それに、今日この後?

 あたしの頭には、正直ハテナが浮かびまくってる。
 だけど、そんな疑問なんかより、今は妙花にもっと大事な事を聞かないと。

「本屋って、何処の?」

 そう。どのお店か知らないと、ハル君に会えないかも知れないじゃん。
 迷わずそう尋ねたあたし。だけど、妙花は真顔で衝撃的な事を言ってきた。

「わかんない」
「わ、わからない? 占いでお店の名前とか見えなかったの?」
「うん」

 相変わらずの真顔。
 妙花ってどこか竹を割ったかのような性格をしてて、こういう風に言い切られると、だいたいそれ以上の話に繋がらない。
 っていうか。店がわからなかったら、すれ違って終わっちゃうじゃん。

(たゆ)っちが占ったんだしー。流石に美桜っちが知らないお店はありえなくなーい?」

 宇多ちゃんがそう言ってきたけど、確かにあたしが知らない本屋に行って、ハル君に会うなんていう奇跡、早々起こらないと思う。
 じゃないと、占い外れちゃうし。

「うーん……」

 本屋……本屋……。
 顎に手をやり首を傾げながら、心当たりがある本屋を思い浮かべてみる。

 確かこっちの駅だと、すぐそこのショッピングモールに、一軒大きな本屋があったような気がする。
 あとは家の最寄り駅の駅前に小さな本屋があるのと、家の近所の商店街にも一軒あったかな。
 でも、こっちの本屋だったらすぐ寄れるけど、もし最寄り駅の方だったらまだ一時間も掛かる。

 今は夕方五時。
 ハル君は今日一人で帰ってったし、用事もないのに寄り道なんてあまりしないって考えたら、こっちの本屋かな?
 でも、学校帰りに本屋で三十分以上もいる?
 ハル君ってマンガは読んでそうだけど、そこまで本の虫って感じはないし。
 だいたい買い物なら、探す物を見つけたら、すぐ店を出ちゃいそうだけど……。

「まずは、美桜ちゃんが足を運びたいって思う、本屋にでも行ってみたら?」
「うーん。そうだねー。考えても埒があかないし。そうしてみる」

 結菜の言う通り。考えても仕方ないし、帰りに家の近所の本屋にでも寄ってみよう。
 そう割り切ったあたしに、妙花がぼそっとこう言った。

「ちゃんと、結果出してね」
「へ? け、結果って……こ、告白しろってこと!?」

 いきなりの要望に、あたしは思わず目を丸くすると、慌てて両手を振った。

「無理無理無理無理! まだ心構えだってできてないし、本屋で告白なんて──」
「そこまでは言ってない」

 あたしの動揺に、さらっと釘を差す妙花。
 それを見た結菜が、「そういうことかー」なんて納得してるけど、どういう事?

「え、えっと。じゃあ、どうしろっていうの?」
「この先に繋がるような結果を出そうって事だよね? (たゆ)ちゃん」
「うん」

 結菜の言葉に、妙花が迷いなく頷く。

「結果? 結果って……」
「決まってるじゃーん。例えばー、一緒にデートする約束取り付けるとかー。ゴールデンウィークに家に上がらせてもらうとか。(たゆ)っちだってー、そういうアオハルな話、期待してるっしょ?」
「うん。だから占ったし」

 にこにこの宇多ちゃんに、まるで正論と言わんばかりに妙花が真顔で頷いてる。

 いや、だから占ったって……。
 勝手にしたくせに……なんて愚痴るのは、流石によくないよね。

 結果。結果かぁ……。
 確かにあたしが一番欲しいのも、そういう少しずつ前に向かうための結果。
 だけど、そう簡単に言われても困るんですけど……。

 あたしは眉間に皺を寄せながら、ジュースの入ったカップを手にすると、困惑する気持ちをストローから入るジュースと一緒に飲み干したの。
 日も暮れた頃。
 学校から帰って家でゆっくりしていた俺は、私服に着替えて背中に愛用のリュックを背負い、一人駅前の商店街に向け歩いていた。

 普段はこの時間、自分の部屋でのんびりしながら晩飯を待っているんだけど、今日は母さんに急に買い物を頼まれたんだ。

  ──「明日のお弁当の材料、買い忘れちゃったのよ」

 っていうのが理由だったんだけど。母さんも共働きで忙しいのはわかってるし、買い忘れのひとつやふたつあるだろうと思って、二つ返事でOKした。

 で、今はスマホのメモに残した買い物をリストを見ながら、徒歩でスーパーに向かってる。
 しかし忘れた食材を見る限り、弁当の事だけ頭から抜けてた節があるな。
 まあ、今日は特に忙しかったって言ってたし、よっぽどだったんだろう。

 ……あ。忘れてたといえば。
 俺はふと足を止める。

 そういやあのマンガ、もう発売されたんだっけ?
 スマホでささっと検索してみると……あー、やっぱり。もう一巻が出てるじゃないか。
 受験でバタバタしてて情報を追えないうちに、すっかり頭から抜け落ちてたんだよな。
 買い忘れは弁当の材料。晩飯に影響はないはずだし、先に本屋にでも覗いてみるか。

 俺は目的のスーパーを一旦スルーし、そのまま商店街を進むと、昔からよく通っている馴染みの本屋に入って行った。

 思ったより人がいる店内を歩き、マンガコーナーに足を運ぶ。
 えっと、出版社は大学館。で、作家名順だと……げっ。マジかよ……。
 俺は目的のマンガ『リベロやります!』の一巻を()()()()()()、思わず舌打ちした。

 確かにそれは、マンガコーナーにあった。
 背伸びして手を伸ばしたって絶対届かない、本棚の最上段に。
 腕を伸ばしてジャンプすれば、何とか取れなくもない。だけど、それは流石に店の迷惑になる。

 はぁ……。
 こういう時に、やっぱりチビだって再認識するんだよなぁ。
 美桜と同じとは言わないけど、あいつに近いくらい身長があれば、さっと手に取れるんだろうけど……。

 ちなみにこの『リベロやります!』ってマンガは、ジャンル的にはバレーボールを題材にしたスポーツマンガだ。
 ただ、俺はバレーボールが好きなわけじゃないし、題材を理由にそのマンガを読みたいとは思わない。

 俺がこの作品にハマった理由。
 それは、主人公が俺と同じチビで、ヒロインが美桜と同じ長身だったから事だ。

 俺達と同じ、身長差約四十センチの二人。
 物語は、高校の入学式でクラス分けを確認する人混みの中、主人公が運悪くヒロインの胸に顔を突っ込んでしまう、最悪の出会いから始まる。

 知り合った二人はまさかの同じクラス。しかも、お互いバレーボールが好きで、それぞれがバレー部に入るんだけど、やっぱり身長のことで互いに歪み合うんだ。
 だけど、バレーを通じて互いの才能に驚かされ、それを認め合う中で、同時に心を許し、惹かれあっていく……って感じの物語じゃないかって期待してる。

 はっきり言い切れないのは勿論、まだ大して読めていないから。
 俺が雑誌で読んでいた時も、二人はまだラブコメっぽい感じで喧嘩してばっかりだったし、受験中は読むのを我慢してたから、その先が全然わかってないんだよ。

 でも、互いの身長差もあるけど、それぞれ互いの才能に驚くシーンはあったし、絶対二人は意識し合うはずって思ってる。じゃなきゃ、ドラマにならないしさ。

 っと。マンガの振り返りはいいか。
 さっさと店内にある踏み台でも探して──。

「何か欲しい本があるの?」
「ん? ああ。実は──」

 ん?
 突然背後からした声に無意識に反応したけど、途中ではっとして言葉が詰まる。
 この声、まさか!?

 ばっと振り返り背後を見ると、こっちと目があった制服姿の美桜が、小さく手を振っていた。

 は?
 何であいつがここにいるんだ!?

「ど、どうしたんだよ? 何か買いに来たのか?」

 心の動揺が隠せないまま、驚き交じりの問いかけをすると、あいつが頬を掻き苦笑する。

「あ、うん。実は、丁度本を買い終わって、帰ろっかなーって思ったんだけど。そうしたら、ハル君が入って来たのが見えて」
「そ、そうだったのか」

 まさか、同じ時間にここにいたのかよ。
 周りなんて見向きもせずにこのコーナーに来たから、美桜がいるなんて気づきもしなかった。

「それで。欲しい本があるなら、取ってあげよっか?」

 こっちの意図を汲みとって、そんな気遣いを見せる美桜。
 確かにあいつの身長なら、本棚の最上段にも手が届くだろう。

 こういう厚意は嬉しい。だけど、それであいつの劣等感を刺激しないか? ってのはちょっと気になる。
 でもまあ、俺がどの辺を見てたかもわかった上で、本人が親切心で言ってくれたんだ。流石に気にしすぎてもいけないか。

「ん? ああ。えっと──」

 ……い、いや。ちょっと待て。
 流石にあのマンガの表紙を、あいつに見られるわけにはいかないだろって!

 一巻の表紙は、さっきスマホで調べた限り、身長差のある二人が並んでそっぽを向きながらも、相手を気にして横目で見てるイラスト。
 それを見たら、いくら鈍感なあいつだって、『もしかして自分達を重ねてるんじゃ』って、勘づくかもしれないだろ!

 勿論俺は、この作品を知った時点で俺達を重ねてるし、だからこそこの二人にくっついて欲しいって思ってる。
 だ、だけど、美桜はそうじゃない。俺の事なんて、ただの幼馴染って思ってるんだから。

 流石に、この段階で俺の好意がバレるのはやばい!
 とはいえ、気を利かせたあいつに断りを入れるタイミングは、もう完全に逸してる。

 ど、どうする?
 ……そうだ!

「あ、あそこの『異世界のんびりまったり紀行』の三巻、取ってもらえるか?」

 俺は咄嗟に数冊隣にある、異世界ファンタジーっぽいタイトルの作品を指差した。

 正直この作品を選んだ理由は、男子が買いそうである事だけ。今までに一度も触れた事のない作品だから、話は全く知らない。
 まあ、タイトルを見る限りは異世界ファンタジーだろうし、男が選ぶなら無難な選択だろう。

 わざわざ三巻を選んだのは、並んでいる中では一番新しかったから。前から読んでて追いかけてるっていう、無難な言い訳がしやすいと踏んでの事だ。
 それに、背表紙に書かれた女の子のアップも、絵柄的には好みで悪くない。
 だからこれを機会に、ちゃんと読んでみてもいいかなって思いもある。

 『リベロやります!』がすぐ読めないのは残念だけど、今回ばかりは背に腹は代えられない。

「あれね。わかった」

 咄嗟の機転が功を奏し、迷いなくそっちの作品に手を伸ばす美桜を見て、内心胸を撫で下ろす。
 良かった。これで俺の想いは守られたな……。

「……え!?」

 と、手に取ったマンガの表紙を見た彼女が、急に目を丸くして、ぽんっと一気に耳まで真っ赤にした。

 へ? 何でそんな反応なんだ?
 疑問と共に膨らんだ嫌な予感が、さっきまでの安堵を一瞬で吹き飛ばす。
 そして、それが現実となったかのように、美桜は顔を真っ赤にしたまま、俺に白い目を向けてくる。

「……ふ、ふーん。ハル君って、こういうのが好きなんだ?」
「え? あ、うん。まあ……」
「そ、そっかー」

 あいつの妙な圧と、混乱してる俺の頭。そしてそもそもその作品を知らないせいで、何とも歯切れの悪い返事をすると、あいつは白い目のまま、顔を背ける。

「ま、まあ、確かに可愛いもんね。はい」
「サ、サンキュー」
 
 片手ですっと差し出された本を見た瞬間。
 俺はあいつに倣うように、顔を真っ赤にした。

 な、何であんなタイトルなのに、温泉前で背表紙の子のタオルがはだけそうになってる、エッチな雰囲気全開の表紙なんだよ!

 穴があったら入りたい。
 そんな恥ずかしさと、何でこのマンガを選んだんだっていう己の判断ミスにわなわなと震えながら、俺は美桜の視線を避けるように、一人でレジに向かったんだ。
 会計を終えた俺達は、本屋を出ると明かりに照らされた夜の商店街を、並んで歩き始めた。

 気まずくって何も言えない俺。
 ちらりと横目で見ると、美桜も未だ困惑したような顔で沈黙したまま俯いてる。

 さ、流石にこのままじゃ……。

「わ、悪い」

 この沈黙から逃げたくって、俺が先にそう口にすると、あいつはこっちを見て苦笑いする。

「べ、別にいいってー。ハル君だって、男の子なんだし。ああいうの好きなの、普通じゃん」
「い、いや! 表紙はあんなだけど、中身はちゃんとしてるから!」
「ふ、ふーん……」

 俺が必死に弁解すると、少し口を尖らせた美桜がまたそっぽを向き、横目に俺を見る。
 
「じゃ、じゃあ、あたしが読んでもいいんだ?」
「は!?」
「べ、別に、健全なマンガなんでしょ? だったらいいじゃん」

 げっ! マジかよ!?
 口から出まかせを言ってごまかそうとしたけど、まさかこうくるとは思ってなかった。
 あんな表紙の作品で、中身が健全ってかなり期待薄な気もするけど。本当にあいつに貸して大丈夫なのか!?

 それすら分からずOKするのは流石に危険。
 だけど、今更後戻りするのもダサ過ぎだよな……。

 こ、こうなったら……。

「お、俺が、読み終わってからな」

 俺はあいつから顔を背けると何とかそう切り返し、時間稼ぎを選択した。

 この賭け、かなり分が悪い気がする。
 ま、まあ、ぱっと見で成人指定のロゴもなかったし。きっと大丈夫だろ。
 ……大丈夫だよな?

「そ、そっか。わかった」

 俺がきょどってるのを見抜いてるのか。どこか戸惑いを感じる美桜の返事。
 結局、互いにそれ以上の言葉が続けられず、さっきより気まずさが酷くなる。
 ずっとこのままってのはお互い辛い。早く何とか次の話題を──。

「あ」

 瞬間、俺はある物が目に留まり、思わず立ち止まった。

 視線の先にあるのは、煌々と輝くスーパーの看板。
 いや、美桜に会ってすっかり忘れてたけど、俺が出掛けてる理由は、親に頼まれた買い物じゃないか。

「どうしたの?」
「あ。俺、この後そこのスーパーで買い物してくから」
「そ、そっかー」

 俺の説明を聞いて、ちょっと固い笑みを浮かべる美桜。

 助かったぁ。
 ここで別れる事になれば、この気まずい空気から解放される。
 あいつだってあんな表情をしたんだ。内心ほっとして──。

「ね。その、一緒に行ってもいい?」
「……は?」

 思わず素が出た俺に、美桜はもじもじとしながら、こっちの様子を伺ってきた。

「な、何でだよ? 何か用事があるのか?」
「う、ううん。ただ、このまま一人で帰るのも、何か味気ないし」

 いや。味気ないって何だよ?
 この微妙な空気を継続する気か!?
 そんな不満な気持ちは大きかった。

 だけど、もう一人の俺が、心でこう囁く。
 もう少し、美桜と一緒にいられるんだぞ? って。

 ……実は最近、ちょっと気になってる事がある。
 それは、あいつは俺といても、身長差をあまり気にしてないんじゃないか? って事。
 
 例のキレた日から数日後。
 あいつが急に、

   ──「ハル君が一緒に帰れない日ってある?」

 なんて聞いてきたんだけど。そこでダメって答えた日以外、結局一緒に帰ってるんだよ。
 あいつだって友達もできたし、そっちのみんなと帰れるはずなのに。

 家の近所であるこの辺は見知った人も多いから、今更身長差どうこうで奇異の目を向けられる機会もそこまでないし、幾分気が楽ではある。
 でも学校の方じゃ、まだまだ俺達はそういう目で見られる事も多い。

 だけど、それでも一緒にいようとする。
 ってことは、俺が思っているより、あいつは俺といても劣等感を感じてないって事なのか? なんて思ったんだ。

 ただ、それが俺の淡い期待で、実際には幼馴染だから気を遣ってくれてるだけな気もしてて、現状は手放しで喜べない自分がいるんだけど──。

「ハル君?」
「……わっと!」

 美桜の声にはっと我に返ると、体を前屈みにして、こっちを覗き込む美桜が見えて、思わずびくっとしてしまう。
 っていうか、流石に近いって!

「な、何だよ!?」
「あ、えっと。……やっぱダメ、かな?」

 ちょっと不安げな顔をする美桜。
 っていうか、何でそんな顔するんだよ。たかだか一緒に帰るかどうかって話だろ?
 ……まさか、家に帰りたくない理由があるとか──いや。それは流石にないな。
 美桜の家もうちと一緒で、家族仲はかなりいいし。

 ……もしかして、俺といたいのか?
 ふっとそんな事を思う。けど、流石にそれは期待しすぎだろ。
 多分、一人で夜道を帰るのが嫌なんだ。きっとそうだ。
 俺は心の中でそう割り切ると。

「まあ、いいけど。お前がそうしたいなら」

 素直になれない返事をした。

 別にさっきと違い、見られたらヤバい物を買うわけじゃないんだ。
 一緒にいたって問題ないだろ。俺としても嬉しいし。

「……うん。ありがと」

 まるでオレの心を代弁するかのように、嬉しそうに笑ったあいつに、別な意味でまたドキッとさせられ、俺は思わず目を泳がせ頬を掻く。
 ……ほんと。
 好きな奴の笑顔はやっぱり、破壊力ありすぎだって。

      ◆   ◇   ◆

 スーパーの中は、夕食時の買い物客で賑わっている。
 そんな中、買い物かごを手にした俺は、一旦人の流れを避けた隅に移動すると、スマホを片手に買い出しの品を改めて確認し始めた。
 えっと。鶏もも肉に唐揚げ粉、冷凍春巻きにプチトマトか。
 どこに何があるか、全部はわからないな。さて、どう回るか……。

「今日は何を買うの?」
「ん? ああ。母さんが買い忘れた、弁当の材料」
「へー。千景おばさんにしては珍しいね」

 やっぱり美桜も同じ感想を持つよな。
 うちの母さん、何気にキャリアウーマンなのもあってか。かなり計画的に行動するタイプでさ。
 出かける時とか買い物なんかでも、滅多に忘れ物なんてしないんだ。

「だろ? まあ、仕事が忙しいって言ってたし、そういう事もあるんだろうけど」
「ちなみにハル君って、ここにはよく買い物に来るの?」
「そんなに。母さんに頼まれ事でもされなきゃ来ないかな」
「そっか。ちょっとそのリスト、見せてもらってもいい?」
「ん? ああ。いいけど」

 ちょっと首を傾げつつ、俺があいつにスマホを渡すと「ふむふむ」なんて言いながら、リストを少しの間じーっと眺める。

「ねえ。あたしが売り場、案内してあげよっか?」
「ん? 何でだ?」
「あたし、結構ここに買い物来てるし、売り場もだいたい分かるから。変に遠回りになるよりいいでしょ?」

 そう言いながら、自信ありげに胸を張る美桜。
 こいつは家の手伝いとかよくしてるし、だからこそ今の言葉も事実だろう。

 本当は、買い物に多少時間が掛かってもいいかなって思ってる。
 そうすれば、美桜と少しでもいられるから。
 だけど、あいつは俺と違って学校帰りだし、あまり遅くなるのもよくないか。

「じゃ、悪いけど、頼んでいいか?」
「うん! 任せて! じゃあ、まずはあっちの野菜売り場からね」

 ……まったく。ここでそんな顔するなよ。
 どう見ても喜んだように見える笑顔に、こっちも内心嬉しくなる。
 けど、それをを表に出さないようにしながら、俺はあいつの指示に従い歩き出した。

      ◆   ◇   ◆

 あれらすぐ、俺は理解した。
 確かに美桜はここでの買い物慣れしてるって。

 野菜売り場に行けば野菜があるのは、流石に俺だって知ってる。
 だけどあいつは、目的の物の詳細な場所まで、迷う事なく案内してくれるんだ。
 お陰で買い物かごに、どんどん必要な物が揃っていく。

「次はあっちの乳製品コーナーね」 
「ああ。しっかしお前、本当に凄いな」
「ふふーん。どお? 見直した?」
「ああ。お陰で助かるよ。ありがとな」

 隣を自慢げな態度で歩くあいつに、素直に礼を言った。
 実際、本当に助かってるし。
 だけど、美桜にとっては意外だったのか。

「う、ううん。役に立てたなら、良かった、かな」

 俺を見下ろしていたあいつが少し驚いた後、あからさまに目を逸らし、頬を掻く。

 まったく。どうせ俺がそう口にしたのが珍しいとでも思ってるんだろ。
 俺だって感謝する時くらい、ちゃんと口にするんだけどな。
 
 普段なら、相手を茶化せる最高の機会。
 だけど、今回は流石にしなかった。
 今それをしたら、感謝を込めた言葉が嘘くさくなるし。

 ただ、そのせいでまた話題を失った俺達は、互いに沈黙したまま美桜に指示されていたコーナーを目指す。

「あーら。陽翔君と美桜ちゃんじゃなーい」

 お惣菜コーナーの方から、聞き覚えのある声がして、俺達はそっちを見た。
 あのエプロンと三角巾をした、パートっぽい人は……(かつら)さんじゃないか。

 桂さんは、俺や美桜の両親とも仲の良い、気のいい近所のおばさん。
 小さい頃から俺達にも、色々よくしてくれてるんだ。

「こんばんは。桂さん」
「こんばんは!」
「はい。こんばんは」

 俺と美桜の挨拶に、桂さんは愛嬌ある笑顔を見せる。

「二人で買い物なんて。珍しいわねー」
「ちょっと母さんに買い物を頼まれたんですけど、そこで偶然美桜と出会って」
「そうなのー。二人はもうお付き合いしてるの?」
「……え?」

 俺と美桜の声がハモる。
 い、いやだって。急に桂さんにそんな事言われたら、驚くに決まってるだろって!
 突然の一言に、俺が目を丸くしていると。

「お、おばさん! そ、そんな事あるわけないじゃないですか! あたし達、ただの幼馴染ですよ!?」

 俺と同じく驚愕した顔の美桜が、全力でそれを否定した。

「そうなの? 陽翔君」
「そ、そうですよ! 幼馴染だから仲はいいですけど。本当にそれだけですから!」
「そうなの? 勿体ないわねー。お似合いなのに」

 思わず俺も全力で否定すると、桂さんが何とも残念そうな顔をする。
 な、なんかこの空気はやばい。彼女にペースを握られてたら、色々変な事になるだろ!

「み、美桜。遅くなってもいけないし、そろそろ行くぞ」
「う、うん! お母さんも心配するもんね」

 たじたじになりながらも、この場を離れたい一心で美桜に声を掛けると、あいつも焦りながらもこくこくと頷く。

「じゃ、あたし達はこれで失礼しますね。おばさん。お仕事頑張ってくださいね!」
「ありがとー。二人共。これからも恋人として仲良くねー」
「恋人じゃありません!」

 ハモりながら全力で否定する俺達を見て、桂さんがくすくすと笑う。
 それがより恥ずかしさを加速させ、顔を赤くした俺達は、逃げるようにその場を後にしたんだ。
 買い物を済ませてスーパーを出たあたし達は、夜の商店街に戻ると家に向かい歩き始めた。
 あたし達の空気は、スーパーに入る前より悪くなった気がする。

「なんかごめんね。あたしが付いてったばっかりに……」
「別にいいって。気にすんなよ」
「う、うん……」

 落ち込むあたしに、優しい言葉を掛けてくれるハル君。
 でも、全然こっちを見てくれない彼の姿が、あたし達の距離感をはっきりと感じさせた。

 まあ、仕方ないよね。
 あたし達は幼馴染なんだし、彼は辱めにあった被害者だもん。

 きっと、ハル君は勘違いしてる。
 あたしが恋人と勘違いさせて、迷惑をかけたと思ってる。

 ……でも、ごめんね。
 あたしは別な意味で、強く後悔してるだけ。 

 もうっ! あたしの馬鹿!
 突然の事だったし動揺したよ? でも、何であたしはあそこで全力で否定して、幼馴染を強調したのよ!
 少しは好きだって、匂わせるチャンスだったじゃん!

 妙花の占いの通り、本屋でハル君を見かけて凄くびっくりした。
 ここまで当たるの!? なんて思ったけど、お陰で手に入れた折角の機会。これを逃しちゃ駄目だって、勇気を出してスーパーまで付いて行ったのに。

 桂おばさんのせいで、全部台無しじゃん。
 ……ううん。おばさんは関係ない。全部あたしのせいだ。

 あの時、冗談交じりに話を合わせる事だってできたじゃん。

  ──「えへへっ。そう見えますー?」

 照れ笑いしながら、こんな一言を言えたら、随分展開は違かったと思う。
 ハル君はきっと否定するけど、あたしが明るく受け入れるくらいの余裕ある反応ができたら、少しは意識してもらえたかもしれなかった。

 それなのに、はっきりと全否定しちゃって。

  ── 「恋人じゃありません!」

 なんて、口にする必要なかったじゃん……。

  ──「そうなの? 陽翔君」
  ──「そうですよ! 幼馴染だから仲はいいですけど。本当にそれだけですから!」

 彼も言い切ってた。あたし達は、幼馴染なだけだって。
 それってつまり、あたしはそれ以上の関係になりたいけど、ハル君はきっと違うって事だよね……。

 気持ちが萎え、しゅんっとしながら歩いているうちに、商店街を抜けて住宅街に入るあたし達。
 周囲の明かりは随分と減って、途中の街灯と家々の窓の明かりくらい。
 さっきまでと比べて、随分暗くなっちゃった。今のあたしの気持ちくらい。

 もうしばらく歩いたら、家に着いちゃうのに、結局あたしはいつもと同じまま。
 何も進展させられなかったじゃん。

「はぁ……」

 自然に漏れたため息は、自分への呆れた気持ち。
 自然に俯いたのも、憂鬱な気持ちのせい。

 もう……。
 あたしの馬鹿。意気地なし。

「美桜」
「……何?」

 とぼとぼ歩いているあたしに、ハル君が声を掛けてくる。
 それで我に返ったあたしは、足を止め隣の彼を見た。
 目が合ったハル君は、握った手の親指だけを立て、何かをツンツンと指し示す。

 え? 何だろう?
 ……あ。気づいたらもう、近所の公園の側まで来てたんだ。
 もう。あたし、ここまで何してたんだろ……。

「ったく。酷い顔してるな」

 気落ちして、思わず奥歯を噛むあたしに掛けられた、嘲笑にも似たハル君の言葉。
 でも、どこか優しいその声に釣られ、あたしはまた彼を見てしまう。

 こっちの視線を無視して、ハル君があたしの前を横切ると、すぐ側にある自動販売機に歩いて行き、迷う様子も見せず飲み物を買い始めた。
 何枚かの硬貨を入れ、流れるようにボタンを順に押す。その度に聞こえるゴトンという重い音。
 彼はそのまま取り出し口から、一本の小さめのペットボトルを手に取り、こっちを向く。

「ほら」
「え? あっ! っととっ」

 ハル君が突然、こっちにペットボトルを投げたのを見て、あたしは慌ててそれに手に取ろうとする。
 一、二度お手玉しながら何とか受け取ったのは、あたしの大好きな桃のジュースだった。

「奢ってやるから。ちょっとそこで休んでこうぜ」

 自動販売機から缶コーヒーを取り出したハル君はそう言うと、あたしの返事も聞かずに、人気のない公園へと入って行く。

 どうしたんだろ? 家はもうすぐなのに……。
 きっと何時もなら、ハル君ともう少しいられるって喜んでる。
 でも、さっきの事で気落ちしちゃって、素直にこの状況を喜べないまま、あたしはただ彼に続いて歩いて行くだけ。

 先を歩いていたハル君は、外灯に照らされたベンチまで行くと、ドカリとベンチに腰を下ろし、端にリュックを置いた。

 ちゃんと空いている、広めに取られた隣のスペース。
 あたし、座っていいのかな……。
 どうにも踏ん切りがつかなくって、ベンチの前で立ち尽くしていると。

「座れよ。立ってたら疲れるだろ?」

 きっと、あたしの気持ちを察したんだと思う。
 ハル君が普段通りにそんな優しい声を掛けてくれたから、何とか「うん」って返事をして、あたしはゆっくりと彼の脇に腰を下ろした。

 少しだけ、ハル君の顔が近くなる。身長差があり過ぎるからこそ、こんなささやかな瞬間で嬉しくなっちゃうのは、あたしがハル君を好きだからに他ならない。
 さっきまで、素直に喜べなかったくせに。あたしってほんと現金だ。

 暗い公園の中で、外灯に照らされるあたし達。
 こっちがベンチに座ったのを確認した彼が、カシュッっという独特の音を立てプルタブを開けると、そのまま目を閉じ上を向いて、一気にコーヒーを飲み始めた。
 ゴクッゴクッていう音って、何か男らしいよね……なんて、あたしが惚けながらハル君を見ていると、ふと目を開けた彼と目が合った。

「……おい。何見てんだよ」

 缶を口から離し、こっちに白い目を向けてくるハル君。
 って、やばっ! 見惚れてたとか言えないじゃん!

「え? あ、う、ううん。ハル君って、一気にコーヒー飲み干しちゃうのかなーって」

 慌ててアドリブでごまかしたあたしに、ハル君が少しだけ眉間に皺を寄せる。

 ゔ……う、嘘だってバレた!?
 内心ヒヤヒヤしながら含み笑いを向けると、彼は呆れ顔を見せながらも、それ以上詮索はしてはこなかった。
 コツンと音を立て缶をベンチに置いたハル君が、再びこっちを見上げてくる。

「美桜。覚えてるか?」
「え? 何を?」
「昔、あのスーパーでよく、遠足のおやつを買っただろ?」
「あー。うん。買ったねー。勿論覚えてるよ」

 ハル君との想い出だもん。忘れるわけなんてない。
 小学生の頃、遠足の前には両親からお小遣いを貰って、ハル君と一緒にあのスーパーに行っておやつを買いに行ってたの。
 当時からあたし、マーベラスチョコっていうアーモンドが入ったチョコが好きで、毎回それを買ってたっけ。

  ──「お前って、いっつもそれだよなー」
  ──「い、いいじゃん! 好きな物は好きなの!」

 なんて、ハル君によく呆れられたりもしたけど。買ったおやつをお互いに見せ合いっこしたりもして、今思い出しても、あの時間はすごく楽しかったなぁ。
 当時の頃を懐かしんでいると、ハル君が話を続ける。

「だったら覚えてるよな? あの頃から桂さん、あそこでバイトしてたの」
「あ、うん」

 それも覚えてる。
 いつも私達に良くしてくれて、試食のお菓子をくれたりもしたよね。

「いいか? あの頃から……いや。生まれた頃から、あの人はずーっと俺達を見てきたんだ。そりゃ、あんな反応したって仕方ないだろ。許してやろうぜ」

 あたしを責めるでもなく、桂おばさんを責めもしない。勘違いしたままのハル君の笑顔と優しい言葉。

 やっぱり勘違いしてる。
 でも、同時にわかっちゃった。
 彼はこっちの様子を伺って、あたしを元気にしようとしてくれるって。

 ……ほんと。
 あの頃から、ずっと変わらないんだから。

「そうだよね。桂おばさんだって、悪気があったわけじゃないもんね」
「そういう事」

 じわーっと、胸に広がる喜び。そのせいで頬が緩みそうなのをごまかすため、あたしはハル君に貰ったペットボトルの蓋を開け、ジュースを軽く一口流し込む。
 喉を通る冷たいジュースが、頭と心を冷やし、あたしが変なにやけ顔にするのを抑えてくれる。
 そして同時に、改めて自身の想いを思い出させてくれた。

 ……やっぱりあたし、ハル君が好き。
 ハル君とずっと一緒にいたい。
 あたし、こんなみ大きくなっちゃったけど。
 いっつも迷惑ばかり掛けてるけど。
 やっぱり、ハル君といたい。

 流石にここでいきなり告白なんて、そこまでの勇気なんてない。
 だけど、この機会を無駄にしちゃ駄目だ。

 勝手なお節介とはいえ、結菜達に手助けしてもらったから、こうやって気持ちを再確認できた。
 だから、少し。ほんの少しでもいいから、あたし達の関係を進展させなきゃ。

 ペットボトルの蓋を閉めながら、自分の心も引き締めたあたしは、飲み物を両手に持ったまま、彼に真剣な顔を向けた。
「ハル君」
「ん?」

 ハル君に声をかけると、彼がこっちを見上げてくる。
 あたしの緊張が伝わっちゃってるのか、少し真顔で。

 そんな顔されると、余計に緊張しちゃうんですけど……。
 で、でも、もう引けないし。
 こうなったら、やるしかないもんね。

「え、えっと。ハル君って、その……ゴールデンウィークって、何か予定ある?」
「ゴールデンウィーク?」
「う、うん……」

 こっちの真剣な問いかけに、ハル君がきょとんとすると、首を傾げる。
 何でそんな事を聞かれたんだ? って空気がプンプンするけど、大丈夫かな……。

「一応、家族で旅行に行く予定になってる」
「え? ゴールデンウィークに?」

 嘘!?
 思わず目を丸くしたあたしに、彼は現実を突きつけるかのように小さく頷く。

「そりゃあ、連休だし。親だってそういう時だからこそ、予定を立てるもんだろ」
「まあ、確かに……」

 なんて、表向きは納得して見せたけど、内心すごくがっかりしてた。
 確かに納得いく理由。だけどここ数年、この時期にハル君一家が旅行に行った事なんてなかったじゃん。
 折角勇気を出して、スケジュールを聞いてみたのに……。
 思わずハル君の両親を恨みそうになるけど、流石にそれは自分勝手。

 はぁ……。
 今日はもう駄目かな。色々タイミングが悪いし。

「とは言っても、旅行は三日から五日の予定だから、六日だったら空いてるけど」
「そっかー。そうだよねー。予定あるんじゃ仕方ないもんねー」
「ん? だから、六日なら空いてるけど。数日空いてないと駄目なのか?」
「そんな事はないけどさー。ハル君も予定入ってるんだし──」

 ──あれ?
 今ハル君、予定空いてるって言った?
 思わず彼を見下ろすと、ジト目でこっちを見てる。

「そうか。ま、お前がいいってなら、この話はなし──」
「ありますあります! ありますから!」

 そっぽを向こうとしたハル君を必死に引き留めると、がしがしと頭を掻いた彼がちょっとだけ苦笑いした後、真面目な顔でこっちを向いてくれた。

「で。どんな用事だよ?」

 あたしの事を気にかけてくれてる、彼の凛とした表情。その格好良さに見惚れそうになるけど、今はそれどころじゃない。

「あ、うん。えっと……その日なんだけど。その……一緒に……お昼でも、食べない?」
「……は? お昼? お前の家でか?」
「違う違う! その……どこか、外で……」

 勇気を出してみたけど、緊張で歯切れが悪いあたし。
 ハル君はそんな答えを聞いて、ちょっと不思議そうな顔をして首を傾げる。

「理由は?」
「……その、前に先輩達の件で助けてもらったのが、ずーっと引っかかってて。だから、せめてお礼に、あたしがご飯でも奢ってあげたいなぁって……」

 あたしの心底真面目な理由に、ハル君はじーっとこっちを見たまま。
 こんな理由じゃ気を遣って断られるって思ってたし、だからこそ何とか説得しなきゃって意気込んでたから、予想外の張り詰めた空気と沈黙に、余計緊張が大きくなる。

 ……あー。やっぱ無理!
 視線を逸らす口実にペットボトルを口に運んだあたしは、一気に中のジュースを飲み干す。
 でも、それでも顔の火照りは冷めなくって、結局目を泳がせたまま顔を逸らした。

「あ、あー。えっと、ついでに買い物に行って、荷物持ちしてくれたら嬉しいかなーとか。そんな事は思ってないよ?」

 空気を変えたくって、そんな冗談で真面目じゃないってアピールをしちゃったけど……こんな事言われて、ハル君は嫌な気持ちになったらどうすんの!?

 ヤバッと思いつつ、ちらちらと横目で様子を伺っていると、彼はまたくすっと笑い、あたしから顔を背けた。それがどこか小馬鹿にされたようにも見えて、あたしはちょっとだけムッとする。

「な、何よー?」
「いや。いいぜ。お前が構わないなら」
「……え?」

 嘘!? 本当に!?
 突然の言葉に、喜びより驚きが勝っちゃって、ちょっと実感が湧かない。

「おい。何でそっちが驚くんだよ?」
「だ、だってー。ハル君、前日まで旅行なんでしょ? 帰って来て疲れてない?」
「ただの旅行みたいだし。別に大丈夫だろ」
「でも、荷物持ちだよ?」
「は? そっちが本題かよ。ま、いいけど。どうせ暇だし」

 やっぱりこっちを見てくれないハル君。
 声は普通だし、嫌そうって感じはしないけど……。

「えっと、本当に? ほんとーに、大丈夫?」
「ったく……。だからいいって言ってるだろ。断られたかったのかよ?」

 ゔ……しまった。
 あたしがはっきりしないから、ハル君が呆れてるじゃん。

「ご、ごめん! そんな事ないから! じゃ、じゃあ、五月六日、空けておいてくれる?」
「ああ。わかった」

 缶コーヒーを勢いよく飲み干したハル君が、立ち上がるとリュックを背負い、こっちを見下ろしてくる。
 あたしの大好きな笑顔を咲かせて。

「さて。あまり遅くなるといけないな。そろそろ帰るか」
「そうだね。ジュース、ご馳走様」
「ああ」

 外灯に照らされるハル君も、やっぱり格好良いな。身長が低いのなんて関係なく。
 本当はこのまま彼をもっと見てたかったけど、これ以上不審な態度をとったら、また怪訝な顔されちゃうもんね。
 
 鞄を手にして、ひょいっと立ち上がったあたしを見たハル君が、ゆっくりと歩き出す。
 道に出るまでにある、所々の暗がり。普段だとちょっと薄気味悪いとか思っちゃうけど、今はそんな事なんて全然ない。
 だって、今あたしの心には、じわーっと喜びが広がっていってるから。

 ……デートの約束、取り付けられたんだよね。
 勿論、ハル君がこれをデートなんて考えてないのくらい、流石にわかってる。
 あたしが気落ちしたのを見て、元気付けるために付き合ってくれてるんだってわかってる。

 それでも、あたしは嬉しい。
 自分の力で、やっと恋に前向きになるきっかけを作れたから。
 まあ、半分は結菜達のお陰でもあるけど。

 でも、登下校とかご近所付き合いとは違う、ハル君と二人っきりの時間なんて久々だよね。
 多分、初詣を除けば、中学一年生の二学期くらいが最後じゃなかったっけ。
 あの頃は頑張ってハル君の気を引こうって、随分ファッションにも気合い入れてたけど、最近はこの身長のせいで全然だもんなぁ……って、あれ? そういえば……。

「あーっ!」
「おわっ!? な、何だよ!?」
「ご、ごめん! ちょっと虫が飛んできて。あはははっ」

 あたしの奇声に驚いた彼に、思わず苦笑いしながら必死にそうごまかす。

 うわぁ……。まだまだ問題山積みじゃん。どうしよう……。
 歩きながら、ある現実に気づいたあたしは、思わず内心頭を抱えながらも、家に着くまでの間、何とか平然を装ったの。
 美桜からデートに誘われた……っていうのは、ちょっと違うか。
 だけど、あいつと二人っきりで出かけられるんだよな……。

 翌日の放課後。
 美桜は仲の良い友達連中とさっさと教室を出て行き、俺はいつものように、一人教室を後にし、駅まで一人歩き出した。
 昨晩から抱える悩みに悶々としながら。

 本屋で偶然会って、スーパーに付き合ってもらい。
 そこで桂さんの勘違いがあって、恋人に間違われた事に責任を感じて。
 あいつが落ち込んで、慰めてたらこうなった。

 正直、誘いを受けた時はドキッとしたし、頬が緩みそうになるのが抑えられなくって、慌ててそっぽを向いてごまかしたくらいには嬉しかった。
 実際あの後、何食わぬ顔して家の前で別れたけど、玄関から家に入った瞬間、思わずガッツポーズしたくらいだ。

 ただなぁ……。

「はぁ……」

 鞄を持ってない手で頭をぐしゃぐしゃっと掻き、大きなため息を漏らした俺は、意味なく夕焼け空に目をやった。

 ──美桜の申し出を受け入れた今、俺はひとつ大きなの問題を抱えている。
 それは。当日()()()()()だ。

 私服に関しては、中学に入ってすぐに問題になり始めた。
 というのも、百四十五センチしか身長がないと、普通の男子の服じゃサイズがないんだ。
 Sより下のサイズがそもそもレアだけど、男子用でもそれだって百五十五センチくらいが適正。つまり、俺が普通に来たらダボダボってわけ。

 勿論小学生の頃は、まだ子供服も選びようがあった。
 だけど、中学に入れば子供服を卒業していくし、俺だって小学校の頃の服のままってわけにもいかない。
 とはいえ、中学時代は休みでも制服って友達も多かったし、俺も制服やジャージはサイズに合ったものを作ってもらってたから、それで何とかごまかしてきた。

 ちなみにここ数年。美桜と一緒に行動したのは、主に学校の登下校と家族同士の交流。
 登下校は制服で問題ないし、家族が一緒の時も勝手知ったる仲だったから、制服やジャージで全然良かった。
 実際美桜も、同じような理由でそういう格好が多かったし。

 例外は二人で行く毎年の初詣くらい。
 だけど、それだって真冬ならコートでごまかせるから、お互いに制服にダッフルコートなんかを着て過ごしてた。

 勿論、今回も同じように、制服で出掛ける事もできなくはない。
 だけど、できればそれは避けて、きちっとした格好をしたいってのが今の本音だ。

 考えてもみろ。久々に、美桜と二人っきりで出掛けるんだぞ?
 こんな機会は滅多にないんだ。せめて俺が隣にいても、あいつが恥をかかないようにしたいし。あわよくば、格好良いって思ってもらいたいけど……まあ、それは身長の事もあるし高望みか。
 とはいえ、美桜の前で少しはまともな格好をしたいってのはやっぱり本音だ。

 ここだけは何とか頑張りたいんだけど……やっぱりハードルが高すぎるんだよなぁ……。
 っていうのも、この身長だとどうしても、ちゃんとした服はオーダーメイドになるからだ。
 自分でそういう店で服を作ったことはないけど、学生服やジャージの支払いで、両親がちょっとしょんぼりしていたのを見てたから、間違いなく値段が高いに違いないだろ。となると、お年玉や小遣いを貯めてるとはいえ、足りるかは未知数。

 あと、そもそも家の近所にそういう店がないんだよ。
 一応、ネット通販だとオーダーメイドの店もあるけど、試着とか採寸なしに高価な服を買うのはやっぱり不安だし、避けたいのが本音だ。
 店頭で服を見てささっと買えるっていうのが、どれだけ便利で素晴らしいことか。
 ほんと。この身長にはつくづく悩まされるな……。

 もやもやした気持ちのまま歩いている内に、在校生から『地獄階段』と名付けられていたらしい、あの長い階段にたどり着く。
 そこをゆっくりと下りながら、俺は憂鬱な気持ちになりため息を漏らす。

 ……はぁ。ったく。
 何をそんなにがっかりしてるんだよ。
 諦めて制服でいいだろ、もう。

 そう思い込もうとするものの、どうしても未練があって諦めきれない自分が嫌になる。

 ……そうだ。この近辺でオーダーメイドの服屋を探してみたらどうだ?
 そう思いつき、長い階段を下りた後、スマホで調べてみる。
 だけど、学校から駅までの帰宅ルート上にも、男子向けのオーダーメイド店なんてやっぱりない。

 うーん。やっぱり男子向けって、そういう需要は少ないんだろうな。
 女子向けなら全然ありそうなんだけど。

 他に良いアイデアはないか?
 顎に手を当て俯きながら、頭を悩ませるけど、やっぱり妙案が浮かばない。
 参ったなぁ……。思わず頭を掻いた、その時。

「あれー? ハル君じゃーん」
「ほんとだ」

 ん? ハル君?
 突然あだ名を呼ばれ、思わず顔を上げる。
 あ。気づいたらもう駅前か。全然気づかなかったな……って、そうじゃない。
 俺を呼んだのは誰だ?

 あまり聞き覚えのない声に、キョロキョロを周囲を見回すけど、それらしい人影はいないよな──っ!?
 突然ぽんっと肩を叩かれ、思わずビクッとした俺の脇を抜け、左右から回り込んできたのは、学校の制服を着た女子二人組みだった。

「やっほー!」
「お久しぶり」

 見上げると、屈託のない笑顔を見せる、互いに短髪をした快活そうな美少女二人組。
 あれから二週間。声を忘れていたとはいえ、流石にまだ彼女達の事は覚えてる。

「西原先輩に東野先輩。お久しぶりです」
「うっそーっ!? ちゃんと名前覚えてるの!?」
「あ、はい。まあ」

 口に手を当てオーバーに驚く東野先輩の予想外の反応に、ちょっと戸惑いながら返事をすると、西原先輩も顎に手を当て納得した顔をする。

「ほんと。あの時もそうだったけど、やっぱりしっかりしてるのね」
「ほんとにねー」

 名前を覚えてるだけで、そんなに感心される事か?
 ちょっと首を傾げた俺に、彼女達は会って二度目とは思えないほど、自然に話を続ける。

「それより、今日は小杉さんと一緒じゃないのね」
「え? はい。そうですけど」
「ふむふむ。恋人の小杉さんは、友達に取られちゃったー、って感じ?」
「……へ?」

 こ、恋人?

「あ、あの。あいつは別に、恋人じゃないですから」
「そうなの? 何時も並んで歩いてるし、もう付き合ってるのかと思ってたけど」
「そ、そんな事ないです! 幼馴染で家が近いんで、一緒に帰ってるだけで」
「へー。じゃーあー、ハル君って今フリーって事?」

 既に顔が真っ赤になっている俺を煽るように、にんまりと目を細めながら、こっちを覗き込んでくる東野先輩。
 恋人がいるかいないかでいえば……。

「えっと、まあ、そうですけど……」
「ほー。つまりー、私が彼女に立候補してもいいってことかなー」

 俯き目を泳がせた俺に、東野先輩が追い打ちをかけてくる。
 っていうか、急に何言ってるんだこの人!?

「せせせ、先輩! こ、心にもない事を言わないでください!」
「えーっ! だってー、彼氏があれくらい自分を守ってくれる人だったらー、やっぱ最高じゃん? ね? 雫?」
「まあ、雨音の言うことも一理あるわね。幼馴染を庇う為に、あそこまではっきり言えるんだもの」
「でしょでしょー?」

 焦る俺なんて関係なしに、感心したかのように微笑む西原先輩。
 彼女の意見により笑顔を輝かせた東野先輩が、少し前屈みになりずいっと俺に顔を近づける。

「ね? あたしと付き合わない? 悪いようにはしないよ?」

 突然笑顔を消し、真剣さをアピールする東野先輩。
 綺麗な金髪より少し暗い色の瞳が、じーっと俺の瞳を捉えている。
 こうやって近くで見ると、美桜とはまた違う可愛さがあってちょっとヤバいな……じゃないって!

 俺が好きなのは美桜。
 いくら可愛い先輩が相手でも、その想いだけは譲れない。
 正直、どう返すのが正しいかわからないけど。

「えっと、その……すいません」

 俺は、困り顔を隠せないまま、短い断りの言葉と共に、ペコリと頭を下げた。
 それを聞いた瞬間。東野先輩がまたにやにやとしだす。

「ふーん。このあたしの誘いを断りますか。って事はー、やっぱあの子の事、好きなんでしょー」
「えっと、あ、その……」

 い、いや。そりゃ好きだ。
 好きだけど、わざわざ口にすべきなのか!?
 しどろもどろになり、ただただ困っていると。

「雨音。彼を困らせちゃ駄目でしょ」

 呆れ顔をした西原先輩が、彼女にそう苦言を呈してくれた。

「だってー、ハル君って真面目で可愛いしさー」
「否定はしないけど、流石に感心しないわ。ごめんね。ハル君」
「えへへっ。ごめんねー」

 悪びれた感じもなく、軽い感じで顔の前に手をやり謝罪した東野先輩の顔が離れたのを見て、俺はほっと胸を撫で下ろす。

 さ、流石に冗談だろとは思ってたし、最後にからかわれたのも正直気恥ずかしかった。
 それに、女子に顔を近づけられるのなんて、小さい頃の美桜くらいしかなかったし、そっちの恥ずかしさも相まって、緊張どころかパニック起こしそうだったし。

 でも東野先輩、この間より可愛くなってないか?
 ……あ、そういうことか。
 よく見れば、まつ毛を盛って目がぱっちりしてるように見える。
 確か今日は、水曜で部活のない日。だから、ちゃんと化粧までしてるのか。
 西原先輩も、爪にネイルしてるみたいだし。

 やっぱりこういう所は、流石女子って感じがする。
 二人とも制服も多少着崩して、可愛らしさを出してるもんな。
 きっと、私服姿もめちゃくちゃセンスがあるんだろうな──ん? センスがある?
 そこまで考えた瞬間、俺の頭にあるアイデアが閃く。

 もしかして、先輩達だったら……。
 望み薄かもしれないと思いつつ、俺は二人にある事を尋ねてみる事にした。
「あの、先輩達に聞きたい事があるんですが……」

 俺がおずおずとそう切り出すと、二人がこっちを見た。

「どーしたの? あ。もしかしてー、あたし達の連絡先、知りたかったりする?」
「え? あ、えっと、そういうわけじゃないんですけど……」
「こら、雨音。そうやってからかってばかりいたら、彼が話できないでしょ?」
「えへへっ。ごめんごめーん。で、どうしたの?」

 西原先輩に釘を刺され、苦笑した東野先輩。
 何となく彼女らしい感じがする……って、そんな事はどうでもいい。
 まずはちゃんと話をしないと。
 こっちの話を聞いて馬鹿にされたりしないかちょっと不安になりながらも、俺は本題を話し始めた。

「あの……お二人は、服をオーダーメイドできるお店とか知りませんか?」
「オーダーメイドのお店?」
「はい」

 西原先輩の復唱に頷くと、彼女は俺を見ながら「ああ……」と納得の声を漏らす。
 それでも理由までは口にしなかったんだけど、東野先輩はそうもいかなかった。

「あー。やっぱちっちゃいと、そういうの苦労しそうだよねー」
「こら! 雨音。この間の事忘れたの!?」
「やっばっ! ハル君。ほんとごめん!」

 西原先輩の今日一番の剣幕に、流石の東野先輩もバツの悪そうな顔をすると、ばっと金髪を振り乱し頭を下げる。

「本当にごめんなさい。この子も悪気はないんだけど、すぐ本音が漏れちゃうのよ」

 腕を組みながら呆れていた西原先輩も一緒に頭を下げてくれたのは、やっぱりあの日の事をちゃんと気遣ってくれたからだよな。
 まあでも、切り出そうとした話の都合上、触れないなんて土台無理な話。

「あの、気にしないでください。俺がこんな相談をしたんですから。そういう理由なのも事実なんで」

 不安にさせないよう笑顔でそう伝えると、二人は顔を見合わせた後、感心した笑顔を見せる。

「ほーんと。ハル君ってー、人が良すぎじゃなーい?」
「ほんとよねー」
「そ、そんな。別に大した事ないですよ」
「その大した事ができない男子は沢山いるわ。ね? 雨音?」
「うんうん!」

 急に褒められると、なんかくすぐったいな……。
 俺は思わず、照れ隠し代わりに頭を掻く。

「それより雫ー。本題に行こ?」
「あ、そうね。でも、オーダーメイドって言っても、男子向けって全然聞かないわよね」
「だよねー。女子向けなら何軒か知ってるけどー」

 うーんと頭を捻る二人。
 何となくファッションにこだわりがありそうだし、絶対にモテそうな二人だからこそ、こういう事を知らないかと思ったけど。やっぱりそんなに甘くないか。
 こうなったら、やっぱり足で稼ぐしかないか……。

 思わず肩を落とすと、東野先輩がぽんっと俺の頭に手をやり、頭を撫でてくる。

「こーらー。ハル君。そんな顔しないのー。力になれるかわからないけど、お姉さん達が協力してもいいよ?」
「え?」

 協力?

「雨音。どういう事?」
「耳を貸して。えっとね……」

 顔を上げた俺と同じく要領を得ない顔をした西原先輩に顔を寄せ、耳打ちする東野先輩。何を話しているかは聞こえないけど、途中から西原先輩がふむふむと頷き、次第に納得した顔になる。

「ね? どうかな?」
「確かにうまくいけば、ハル君の力になれるかもしれないね」
「でしょでしょ?」

 俺の力になれる?
 うまくいけばって……まさか、二人が手作りでもするんだろうか?
 いや、でも先輩達だって部活があるんだし、そんな余裕ないはず。ってことは、洋裁ができる人の当てでもあるのか?
 未だにピンとこない俺を見て、二人がにこっと……いや。にんまりとした顔をする。

 な、何だ? この悪巧みをしているかのような顔は……。
 思わず後ずさる俺に、二人が意味深な笑顔を崩さず話し出す。

「ね? この後あたし達に付き合ってくれたらー、ハル君の為に一肌脱いでもいいけどー。どうする?」

 独特の誘い文句……っていうか、どういうことだ?

「えっと、その。付き合うって……」
「あー。別にー、美桜ちゃんからハル君を奪うよーって意味じゃ──」
「そ、それはわかってます!」

 慌ててそう告げると、

「へー。ハル君って、やっぱり美桜ちゃんとそういう関係なのね」

 西原先輩がしてやったりと言わんばかりの顔をする。
 っていうか。ああ答えたら、そう捉えるに決まってるないか!

「ちちち、違うんです! ほ、本当に俺と美桜は、ただの幼馴染で……」

 やらかした……。
 顔を真っ赤にして否定するけど、これじゃ俺が好きだってのがバレバレだろって……。
 東野先輩と西原先輩がくすくす笑う姿を見ながら、俺は羞恥心と失態をただ受け入れる事しかできなかった。

      ◆   ◇   ◆

 で、あの後。

  ──「折角協力するんだしー。あたし達も、そのお返しして欲しいんだよねー」
  ──「だから、この後少し時間を貰えない?」

 という問いかけに、素直に頷き彼女達に付いて行ったわけなんだけど──。

「私のー、このピュアなハートにー、君の言葉は刺激的♪」

 今俺は、カラオケボックスの部屋で、東野先輩がノリノリで歌っているのを、西原先輩とタンバリンを振りながら盛り上げ役をやっている。

 実は今日の放課後、二人はカラオケに行こうとしていたみたいで、どうせだったら一緒にって事でこうなったんだ。
 勿論お金は払うって言ったんだけど、

  ──「まだうまくいくかはわかんないしー。今回はハル君の歌声でチャラでいいよ!」
  ──「そうね。うまくいったら、その時は何かご馳走になるかもしれないけど。きっと服代だって、馬鹿にならないわよ」

 先輩達は、そんな優しい気遣いをしてくれたんだ。

 ちなみに、先に歌い終えた西原先輩も今歌ってる東野先輩も、はっきり言って歌がめちゃくちゃ上手い。
 天は二物を与えず、なんて言葉、この二人には無関係と言わんばかり。
 正直それが、ちょっと羨ましくもある。

「いつかー、あなたに届きますようにー♪」

 東野先輩が最後のフレーズまで綺麗に歌い上げたの見て、俺は素直にタンバリンを叩き拍手した。

「いえーい! どうだった?」
「西原先輩に劣らず、めちゃくちゃ上手かったですよ」
「ほんと? やった! 男子に褒められるとやっぱアガるよねー。ね? 雫?」
「そうね。ハル君って凄く褒め上手よね」
「そんな事ないですよ。先輩達の歌声が素晴らしかったから、素直に感心してるだけです」
「もー。そういう所が褒め上手なんじゃーん! ほんと、ハル君を連れて来て良かったー」

 マイクをテーブルに置き、ソファーに腰を下ろした東野先輩が、スッキリした顔でコップのストローに口をつけ飲み物を飲み始める。
 
「さて。次はハル君の番ね」
「あ、すいません。すぐ選びますね」

 そういや盛り上げに夢中になってて、曲を選ぶのをすっかり忘れてた。
 
 西原先輩に促され、曲選択用のタブレットを手にした俺は、少し考え込む。
 あんまり下手な歌は歌えないし、二人が引くような曲も歌えないよなぁ。だとすれば……。

「ねえねえ。どうせだしー、美桜ちゃんに想いを伝える歌、歌ってみてよー」

 俺が選曲に頭を悩ませていると、東野先輩が楽しげにそう提案してくる。
 ちょっ!? 先輩は他人事だから軽く言うけど……。

「さ、流石に、それはちょっと……」
「えーっ!? いいじゃーん。大体人前で歌えなかったら、本人の前でなんて歌えないっしょ?」
「確かにそうね。いつどんな時に彼女とカラオケに行くかもわからないし。人前で慣れておくっていうのも、案外大事よ」

 驚いた東野先輩の一言も、西原先輩の助言も確かに納得はいくもの。
 だけど、俺だって歌が上手いわけじゃないし、気恥ずかしさだってある。
 うーん……まあ、女子の前で歌う機会すら中々ないのは確か。であれば、同じじゃないとはいえ、緊張感がある中で歌える方がいいか。

「……わかりました」

 あいつの前で歌うとしたらこれ。
 俺がそう決めて選んだ曲。それは、『マスチル』こと、マスターチルドレンの『キミの背中』。

 スマホでもよく聴いている、聞き慣れたイントロの間に大きく深呼吸をすると、家で鼻歌を歌うのとは違う緊張感の中立ち上がり、そのまま歌い始めた。
 この曲は落ち着いたバラードなんだけど、曲調以上にその歌詞が自分の中に刺さる。

 何かと一緒にいる、女友達に恋心を抱く男子。
 だけど、学校で人気の彼女と違い、自分に自信もない彼は、眩し過ぎる彼女に想いを伝えられない。

 伝えたくても伝えられない、焦ったい想いを伝えてくる歌詞。
 それが、身長差で鬱々としている自分にどこか重なって、ちょっと感情移入しながら熱唱する。

「本当はー君の背中に手ーを伸ーばしー。抱きしめてーみたーいけどー。君が眩しー過ぎーるからー、今はたた見ー守るこーと。それしかー、できーないー」

 この歌が美桜に刺さるかはわからない。
 けど、これを聴いた時に何かを感じてくれたら。そんな想いで歌を歌い切った。

「ふぅーっ」

 大きく息を()いた後、はっとあることに気づく。
 だって、先輩たちからまったく声が上がらなかったんだから。

 いくら二人からのリクエストとはいえ、空気読めずに熱唱したのがいけなかったか?
 どう反応すればよいかわからないまま、俺は二人を見ずにソファーに腰を下ろすと。

「すごっ! ハル君、めっちゃ歌上手いじゃーん!」

 と、横で目を丸くしながらそんな声を掛けてくれたのは東野先輩だった。

「確かに抑揚の付け方やサビの高音域の声量とか、本当に素晴らしかったわね」

 西原先輩もまた、素直にそう褒めてくれたけど。正直俺自身、そこまでわからないんだよな……。

「ほ、ほんとですか?」
「あたし達が嘘()いたって仕方ないじゃーん」
「そうよ。これなら美桜ちゃんも、絶対グッとくるわよ」
「うんうん! 雫の言う通り!」

 意見の一致した二人が笑顔でそう言ってくれて、俺はちょっとほっとする。
 こうやって他人の、しかも女子の評価を聞ける機会って滅多にないから、本当に貴重だよな。

 でも、二人のお陰でちょっと自信もついたし、もし美桜とカラオケに行く機会があったら、ここぞって時に歌ってみるか。
 俺はそんな事を考えながら、テーブルの下で拳を握って控えめに嬉しさを表現したんだ。
「嘘っ!? マジで!?」

 学校帰り。昨日と同じ何時ものファミレス。
 飲み物を用意し終えて、みんなが席に着いた後。アオハル会議であたしが昨日の事を報告した瞬間、最初に驚いたのは宇多ちゃんだった。

 目を皿のように丸くし、口に手まで当てちゃって、大袈裟ってくらいの驚きよう。
 これ、絶対あたしが何も進展できないだろうって決めつけてた顔でしょ。

「あのねー、宇多ちゃん。あたしだって、やる時はやるんですー」

 なんて、ふてくされながらそう言ったけど、内心はちょっと申し訳ない気持ちになる。
 だって、約束を取り付けられたのは、誘える空気を作ってくれたハル君のお陰。どう考えたってあたしの頑張りじゃないから。

 でも、最初っからどうせ進展ないでしょって決めつけられてるのは、いくら友達でも気分はよくないし。あたしだってこんな顔にもなる。

「美桜」

 と、宇多ちゃんの隣に座ってる妙花があたしを呼んだ。
 顔をそっちに向けると、

「ぐっじょぶ」

 表情に乏しい顔のまま、彼女がぐっと親指を立ててくれる。
 こ、これは流石に褒めてくれた……で、いいのかな?

「あ、ありがと。これも妙花があの日、占ってくれたからだけどね。ありがとう」
「ううん。美桜、頑張った」

 謙遜したあたしにも態度を変えずうんうんと頷いてくれる彼女に、ちょっと嬉しくなったあたしはちょっとだけはにかむ。

「後はハル君とのデートでハートをぐっと掴んじゃえば、美桜ちゃんも晴れてアオハルカップルまっしぐらだね!」

 満面の笑みで、隣りに座ってる結菜があたしの肩をぽんっと叩く。
 って、もうそんな事考えてるの!?

「ちょ、ちょっと結菜。流石にそれは気が早いってー!」
「何で? そこまでいったらもうすぐでしょ?」
「無理無理無理無理! だいたいハル君があたしを好きかもわかんないしー。まだまだ問題も山積みだし……」

 そう。あたしにはまだ大きな問題がある。
 それは、当日着る服の事。

 やっぱりハル君と一緒に出かけられるなら、あたしだってよく見られたい。
 制服とかやっぱり嫌だし、出掛ける以上オシャレしたいって気持ちはある。
 でも、代わりに着れる服があるかって言われると、それがないのが現状なの。
 女子の服で、百八十センチ以上の物なんてないし……。
 だから昨日も、ハル君の前で大声だしちゃったんだよね。しまったぁ……って。

 せめて、何処かで先に服とか用意してから誘うべきだったかなぁ。
 でも、オーダーメイドできる店の心当たりはあるけど、あたしの貯めてるお小遣いじゃ全然足りないと思うし。あの時はもう、誘わなきゃって気持ちでいっぱいだったから、そこまで考えられなかったんだよね……。

「ねーねー。問題って何? やっぱー、服装とか?」
「まあ、そんな感じ?」

 興味本位ってはっきり分かる宇多ちゃんの問いかけに、やや言葉を濁したあたし。
 勿論正解。だけど、なんかはっきりそう言い切るのは、大きい自分を認めるみたいでちょっとって気持ちもある。

「ふーん……」

 あたしの答えを聞いた彼女は、視線を結菜に向ける。

「って事はー、次は()()()()()()()って感じ?」
「うんうん! (たゆ)ちゃんだけに頑張らせるわけにいかないもん!」

 二人して急にこにこしだしたけど、あたし達の出番って、どういう事?

「えっと、どういう意味?」

 自然と首を傾げたあたしに、二人が意味深な笑みを向けてくる。

 え? え?
 状況がわからず困惑するあたしを他所に、結菜と宇多ちゃんが急にスマホを弄りだす。
 二人とも誰かにLINEしてるみたいだけど、流石に目の前にいるのに二人で内緒話、なんて事はないよね? 何が起きてるの?

「……よし。こっちは大丈夫みたい。奏は?」
「バッチシ! ママチが、当日午前ならおっけーだって」

 大丈夫? ママチ? 当日?
 結菜と宇多ちゃんから出てくるワードから、何が起きてるか見当が付かなくて、思わず首を傾げていると、結菜が声を掛けてきた。

「ねえ、美桜ちゃん。金曜の放課後って空いてる?」
「え? う、うん。今の所予定はないけど……」
「オッケー。じゃあ、ちゃんと空けといてね。家の人に少し遅くなるからーって伝えとくんだよ?」
「へ? 何で?」
「それは金曜のお楽しみ! あ、あれだったら、美桜ちゃんのママにあたしの連絡先とか教えていいからね」
「あ、う、うん。わかった」

 って、話の流れでOKしちゃったけど……結菜と宇多ちゃん、一体何を企んでるんだろう?
 言葉が悪いけど、意味深な笑みを浮かべる二人を見て浮かんだのは、そんな言葉だった。

      ◆   ◇   ◆

「うーん! 今日も楽しかったー」

 気づけば日も沈んだ頃。
 あたし達がファミレスを出ると、結菜が伸びをしながら満足そうな顔をした。

 あの後、あたしの恋バナから話が逸れ、日常の話で花を咲かせた結菜達。
 あたしも楽しんだといえばそうなんだけど、アオハル会議と言っておきながら、ずっとあたしの話だけしか話題にならないのは少々不満だったりする。

「結菜。楽しかったのはいいけど。あたしもそろそろ、みんなの恋バナとか聞きたいんですけどー」

 ファミレスから歩道に向かう階段を並んで先に降りていく、宇多ちゃんと妙花に続きながら、あたしが隣の結菜にそんな不満を口にすると、彼女はえへへっとお茶目な笑みを浮かべる。

「ごめんねー。私まだ、気になる男子もいないし」
「あーしもー。声を掛けてくる男子はけっこーいるけど、なーんかこう、ピーンとこないんだよねー」
「わかるわかるー」

 頭の後ろに手を回しげんなり顔をする宇多ちゃんの言い訳を聞き、激しく同意する結菜。
 まあ、恋って無理矢理するもんじゃないとは思う。だけど、あたしだけが晒し者みたいになってるがちょっと癪なんだよねー。

 ……あ。そういえば。

「妙花はどうなの?」

 階段を降り、駅前まで続く明るいアーケードの下を人の波に続いて歩きながら、前を歩く妙花に質問してみると、

「学校に好み、いない」

 肩越しにちらりとこっちを見た妙花が、淡々とそう返してくる。
 それを聞いて、呆れ顔をしたのは宇多ちゃんだ。

(たゆ)っちの好みの相手なんてー、学校にいるわけないじゃん」

 え? どういう事だろ?

「妙花の好みって、どんなタイプなの?」
「阿部寛」
「渋っ!」
 
 思わず本音が漏れたあたしに、妙花が「フフフ」と半笑いしながら、こっちにピースサインを向けてくるけど……いや、その。別に褒めたわけじゃないんだけどなぁ……。

 何とも言えない気持ちのまま歩いていると、急に妙花が歩みを止め、何かに気づいたかのように顔を前方に向ける。

 ん? 何かあるのかな?
 みんなの頭越しに前を見るけど、特に気になるような人もいないし、イベントをやってるわけでもなさそうけど……。

「隠れて」

 突然妙花がそう言うと、隣にいた宇多ちゃんをすぐ側にあった細い路地に押しやる。
 え? どうしたの?

「美桜ちゃん。早く早く」
「う、うん」

 彼女の言葉に敏感に反応した結菜が、あたしの背中を押して隠れるように促してきた。

 隠れるって、一体何があるの?
 困惑しながらも、あたしは皆と一緒に路地に隠れると、先に路地からちょっとだけ顔を出している妙花や宇多ちゃんに倣い、彼女達の上から少しだけ顔を出す。
 内心、ちょっとドキドキしながら状況を見守っていると、少し先のカラオケ屋さんから、誰かが出てきた。

「今日は最っ高のカラオケだったねー!」
「そうね。やっぱり男子がいると、ちょっと気合い入っちゃうわね」
「わかるわかるー」

 短い金髪のポニーテールの女子と、紺色の短髪をした女子──って、確かあの二人、あたしを部活に勧誘しに来た先輩達だ。えっと……名前、なんて言ったっけ?
 必死に名前を思い出そうとしていると、二人はカラオケ屋の方に向き直る。

「ほんと。付き合ってくれてありがとね。ハル君」

 えっ? ハル君!?
 予想外の名前に、まさかと思って店を見ていると、そこから出てきたのは……。

 う、嘘!? ほ、ほんとにハル君なの!?
 あの声。あの外見。あたしが好きな人を見間違えるはずなんてない。
 あれは間違いなくハル君だ。

 まさか、先輩二人とカラオケ!?
 何時からそんなに仲良くなってたの!?
 実は以前から付き合いがあって、よく遊んだりしてたの!? 
 
 思わず目を疑いたくなる光景に、頭で考えたくもない嫌な疑問がぐるぐる回りだす。
 だけど、こっちの混乱なんて関係なく、先輩達の後からやってきたハル君が、笑顔で二人に頭を下げる。

「いえ。こちらこそ、誘ってもらってありがとうございました」
「いいのいいのー。お陰であたし達も十分楽しめたしー。ね? 雫?」
「ええ。今度は私達が頑張る番ね。ハル君。悪いけど、週末はちゃんと開けておいてね」
「はい。すいませんが、よろしくお願いします」

 雫って呼ばれた紺色の髪の先輩が微笑むと、少し真剣な顔になったハル君が深々と頭を下げる。

 ……まさか、週末も二人と遊びに行くの?
 高校に入ってから、あたしとは一度も遊びに行ってない。だけど、知り合ったばかりの先輩達とは行くんだ……。

 なんか、頭が追いつかない。
 中学校までのハル君の周囲には、女子の空気なんてなかった。
 勿論、同じ地域の同級生。女子と会話がないなんて事はなかったけど、誰かと遊びに行くなんてのは、集団ででもなければなかったと思う。
 そんなハル君が、先輩達と……。

「じゃ、私達の家はあっちだから」
「ハル君! まったねー!」

 あたしが呆然としていると、先輩達が背後のハル君に手を振りながら、こっちに歩き出した。

「やばっ! 下がって!」

 宇多ちゃんに押されてはっと我に返った私は、慌ててみんなと路地裏の壁に寄り、先輩達が通り過ぎるのを息を殺して待つ。

「でもー、ほーんと、ハル君歌上手だったよねー」
「ほんとね」
「今度誘う時は何かリクエストしちゃおっかなー」
「あなたの好きなBee1(ビーワン)とかどう?」
「あー! それいいかもー!」

 楽しげに話す二人の横顔が路地の向こうを一瞬横切ったけど、こちらを見ることなく通り過ぎ、声が遠ざかっていく。

「……ほっ」

 四人全員がほっと胸をなでおろしたけど、安堵と同時にさっきの出来事が一気に思い浮かんじゃって、あたしはすぐ落ち込んだ顔をした。

「でもあれ……美桜っちのライバル、って感じー?」
「どうなんだろ? 美桜ちゃん。ハル君って先輩達と仲良かったの?」
「……わかんない」

 露骨に気落ちした声を出したあたしの顔を、正面に回り込んだ宇多ちゃんがじーっと覗き込んでくる。
 ちらりと目を合わせたけど、その真剣な瞳の圧に耐えられなくって、あたしは無言のまま視線を逸らす。
 と、それを見て、彼女は結菜達の方を見た。

「……結菜。(たゆ)っち。ぜーったい、このイベント成功させるかんね」
「……うん。美桜ちゃんに、ちゃんと幸せになってもらわないと。友達になった甲斐がないもんね」
「うん」

 まだ決して友達としての歴が長くないあたしのために、三人がそう言ってくれたのは正直嬉しかった。
 だけど、それ以上にさっきの光景がショック過ぎて、あたしは三人に笑顔を返せなかったの。
「はぁ……」

 授業中。
 あたしはあの日から何度目かわからないため息を漏らしながら、教科書から目を逸らし、窓の外をぼんやり眺めていた。

 ──ハル君と先輩達がカラオケをしてたのを目撃した、あの日から二日。
 あたしはずっと、心にもやもやを抱えたまま過ごしてた。

 朝はハル君と一緒に登校したけど、あの日の話なんて聞けなかった。
 でも、そんなの当たり前じゃん。
 もしハル君が先輩もどっちかが好きとか、それこそ実は付き合ってるんだー、なんて知ったら、立ち直れる気がしなかったし。
 ……あたしの恋がそこで終わっちゃうのは、やっぱり怖かったし。

 ただ、やっぱりショックのせいで、普段通りってわけにいかなくって。
 登校中の電車で、ハル君が「大丈夫か?」ってちょっと心配そうに声を掛けてくれたんだけど、そこは「ちょっと寝不足で」って理由でごまかした。

 ハル君は理由を聞いてくる事なく「無理するなよ」なんて優しく言ってくれたし、バスでも空いてた席にあたしを座らせてくれたりして、すっごく気を遣ってくれた。

 その優しさは心にじーんときたし、やっぱあたしはハル君が好きなんだなって実感したけど、だからこそ胸が痛くもなったの。
 もし先輩達を好きだとしたら、あたしが邪魔になってないかって不安だったから。
 昨日の帰りも流石にちょっと気まずくって、あたしは一人で買いたい物があるからって理由をつけて、ハル君と一緒に帰るのを避けた。

 はぁ……。何でハル君と先輩達の関係に気づけなかったんだろ。
 わかってたら、あの時誘ったりしなかったのに。

 こういう時、ハル君がどんな気持ちなのか。妙花に占ってもらえないのがちょっと恨めしくなる。
 でも、こればっかりは仕方ないよね。
 みんなで決めたルールだし。そもそも妙花だって、占った結果が酷くて、あたしが目の前で落ち込んだら困るだろうし。

 春らしい花々が咲く光景とは真逆の、落ち込んでる気持ち。
 授業中なのも関係なしに、時折漏れるため息。

 今日の帰りは結菜達に付き合わないといけないけど、正直テンションが上がらないなぁ。
 ドタキャンしよっかな……でも、あたしの恋のために頑張ろうとしてくれてるみんなを、無碍になんてできないよね。

 授業は上の空で、先生が黒板に書いている文字を写してはいるけど、正直言葉が入ってこない。
 そして、放課後の事をどうしようかと悩みながら、あたしはまた周囲に気づかれないように、小さくため息を漏らした。

      ◆   ◇   ◆

 で。放課後になったわけなんだけど。
 今あたしは、ちょっとお高そうな車に乗せられ、高速道路を移動していた。

 運転席には知らない人。
 結菜の知り合いみたいなんだけど、なんか付き人みたいな雰囲気がある。
 助手席には結菜が。後部座席には中央に座るあたしを挟んで、宇多ちゃんと妙花が座っている。

 一旦学校から駅まで戻るバスの中で、今日は何処に行くのかって聞いたんだけど。

  ──「勿論! 着いてからのお楽しみだよ!」

 なんて結菜に笑顔で言われておしまい。こうなっちゃうと本当にどこに連れて行かれるのか、全く見当がつかない。
 この間、あたしの為って言ってくれてたし、こっちが服装の話で悩んで今があるって事は、きっとそれに関する事なのかもしれない。
 でも、本気であたし、どうなっちゃうんだろ……。

 困惑しながら車に揺られていると。

「そういや美桜っちってー。週末、ハル君を()けたりするわけ?」

 いつもの軽い感じじゃなく、どこか真剣な顔で宇多ちゃんがそう聞いてきた。
 そっか。尾行すれば、確かにハル君と先輩達の関係がわかるかもしれない。でも……。

「……ううん。しない」

 あたしはまた、三人のことを思い出しちゃって、少し浮かない顔で答える。

  ──「うっそー! つまんないのー」

 宇多ちゃんの性格なら、きっとそう口にして呆れてくる。
 そう思ってたのに、彼女は大きなため息を漏らすと、

「そっかー。ま、もし万が一って事考えたらそうなるしー。今はその方がいいかもねー」

 なんて、珍しく同意された。

「奏がそんな事言うの、何か珍しいね」

 結菜がこっちに振り返りながら宇多ちゃんにそんな声をかけると、宇多ちゃんがふんっとそっぽを向く。
 三人は結構友達付き合いが長いって聞いてたけど、それでこの言葉が出るってことは、きっと本当に珍しいんだよね。

「あのねー。あーしだってー、もし美桜っちと同じ状況になったら不安にだってなるしー。気持ちは超わかるかんね」
「まーねー。しかも幼馴染でお隣同士でしょ? あたしでも、どうしていいかもわからなくなりそう……」

 宇多ちゃんの言葉に、納得して頷く結菜。
 やっぱり、みんなも自信ありげに見えてあたしと同じなんだ。
 こんな考えは自分ひとりじゃない。そう思えて、少しだけ心が軽くなる。

「美桜」

 と。今日学校帰りからまったく無言だった妙花が、あたしをじっと見上げてきた。
 無表情。だけど、何となく普段とは何か違う気がする。うまく言葉に出来ないけど。

「えっと、どうしたの?」
「約束だから、ハル君の気持ちは占えない」

 え? 何で今それを言ったの?
 あたしは思わず首を傾げた。
 こっちも約束を忘れてなんていないし、だからこそそんなお願いもしてないんだけど。もしかして、あたしに気を遣ってくれたのかな?
 表情からは、まったくわからないけどね……。

「あ、うん。わかってる。大丈夫だよ」

 あたしは笑いながらそう返す。
 うん。わざわざ妙花に気苦労かけてもいけないし──。

「でも、ハル君を信じて」
「え?」

 信じて?
 あたしは妙花の顔を見ながら、思わず動きを止めた。

 占えない。って事は、きっとあたしの事を占ってはいないよね?
 ってことは、彼女の直感? それとも、実はこっそり占ってくれた?

 少しの間、困惑して何も言えなかったけど、ふと心に浮かんだある気持ちに、私は自然と言葉を紡ぐ。

「……うん。そうする。ありがと」

 笑いはしたけど、別に不安なのは変わらない。
 ただ、妙花だけじゃない。結菜や宇多ちゃんだって、あたしのために頑張ってくれてるんだもん。だったら、せめて今はみんなに感謝して、あんまり心配かけないようにしなきゃ。

 珍しく小さく微笑んだ妙花。
 何となくそのレアな表情に心も明るくなって、あたしも自然と微笑み返した。

      ◆   ◇   ◆

 あれからすぐ高速を降りて、山沿いの道を進んだ車がある場所で止まった。
 周囲は日も傾いてきて、近くの森もちょっと薄暗くなってるんだけど。
 車を降りたあたしの目を奪ったのは、そんな所に存在するには違和感のある、真っ白で直線的な壁で構成された、どこかデザイナーズ感のある大きな建物だった。

 っていうか、ここはどこなんだろ?

「結菜。ここって……」
「うん。ママの()()()()
「アトリエ?」

 アトリエって、仕事場だよね?
 こんな所で? 芸術家とかそんな感じなのかな?
 頭にそんな疑問が浮かぶ中。

「じゃ、みんな。中に入ろ」

 なんて笑顔で言いながら、門を開けて玄関に向かい入っていく。
 まあ、付いていくしかないよね?
 宇多ちゃんや妙花が慣れた感じでその後に続いていくのを見ながら、あたしは緊張を解すために深呼吸すると、その後に続いて歩いていった。

      ◆   ◇   ◆

 海外の建物を意識しているのかな。
 玄関の入り口は二メートルくらいの高さだったから、あたしが屈まなくても建物に入れたのはちょっと嬉しかった。
 電車のドアとか教室の引き戸なんかはやっぱり小さくって、どうしても少し屈まないとくぐれないし。

 ドアを開いた先にあったのは、白壁の広い廊下。
 左右と奥に幾つかの扉。途中の壁には、何かすごい美人やイケメンの外国人モデルっぽい人の写真が飾られてる。
 なんか、すごくお金がかかってるように見えるけど。実は結菜って、お金持ちのお嬢様か何か?
 今までお互いの家の話って、妙花が占い師の家系って以外、話をした事なかったんだよね。

 前を歩く妙花と宇多ちゃんは、キョロキョロするあたしと違って落ち着いてる。
 ってことは、ここによく来てるって事かな?
 でも、結菜のお母さんの仕事場なんだよね? そんなに来る機会ってあるのかな?

 色々と考えながら歩いていると、結菜が奥のドアの前に立って、そのままノックをする。

「はい。どなた?」
「ママ。結菜だけど」
「ああ。待ってたわー。早く入ってもらって!」

 あれ?
 ドア越しに聞こえる、明るい女性の声。どこかで聞き覚えがあるような……。

 あたしが首を傾げている間に、結菜が部屋のドアを開けると、そこに待っていたのは、スタイリッシュな赤のジャケットとタイトスカートに身を包んだ、百七十センチはある結菜に似た綺麗な女性──って、嘘っ!? この人って!?