会計を終えた俺達は、本屋を出ると明かりに照らされた夜の商店街を、並んで歩き始めた。

 気まずくって何も言えない俺。
 ちらりと横目で見ると、美桜も未だ困惑したような顔で沈黙したまま俯いてる。

 さ、流石にこのままじゃ……。

「わ、悪い」

 この沈黙から逃げたくって、俺が先にそう口にすると、あいつはこっちを見て苦笑いする。

「べ、別にいいってー。ハル君だって、男の子なんだし。ああいうの好きなの、普通じゃん」
「い、いや! 表紙はあんなだけど、中身はちゃんとしてるから!」
「ふ、ふーん……」

 俺が必死に弁解すると、少し口を尖らせた美桜がまたそっぽを向き、横目に俺を見る。
 
「じゃ、じゃあ、あたしが読んでもいいんだ?」
「は!?」
「べ、別に、健全なマンガなんでしょ? だったらいいじゃん」

 げっ! マジかよ!?
 口から出まかせを言ってごまかそうとしたけど、まさかこうくるとは思ってなかった。
 あんな表紙の作品で、中身が健全ってかなり期待薄な気もするけど。本当にあいつに貸して大丈夫なのか!?

 それすら分からずOKするのは流石に危険。
 だけど、今更後戻りするのもダサ過ぎだよな……。

 こ、こうなったら……。

「お、俺が、読み終わってからな」

 俺はあいつから顔を背けると何とかそう切り返し、時間稼ぎを選択した。

 この賭け、かなり分が悪い気がする。
 ま、まあ、ぱっと見で成人指定のロゴもなかったし。きっと大丈夫だろ。
 ……大丈夫だよな?

「そ、そっか。わかった」

 俺がきょどってるのを見抜いてるのか。どこか戸惑いを感じる美桜の返事。
 結局、互いにそれ以上の言葉が続けられず、さっきより気まずさが酷くなる。
 ずっとこのままってのはお互い辛い。早く何とか次の話題を──。

「あ」

 俺はある物に目が行き、思わず立ち止まった。

 視線の先にあるのは、煌々と輝くスーパーの看板。
 いや、美桜に会ってすっかり忘れてたけど、俺が出掛けてる理由は、親に頼まれた買い物じゃないか。

「どうしたの?」
「あ。俺、この後そこのスーパーで買い物してくから」
「そ、そっかー」

 俺の説明を聞いて、ちょっと固い笑みを浮かべる美桜。

 助かったぁ。
 ここで別れる事になれば、この気まずい空気から解放される。
 あいつだってあんな表情をしたんだ。内心ほっとして──。

「ね。その、一緒に行ってもいい?」
「……は?」

 思わず素が出た俺に、美桜はもじもじとしながら、こっちの様子を伺ってきた。

「な、何でだよ? 何か用事があるのか?」
「う、ううん。ただ、このまま一人で帰るのも、何か味気ないし」

 いや。味気ないって何だよ?
 この微妙な空気を継続する気か!?
 そんな不満な気持ちは大きかった。

 だけど、もう一人の俺が、心でこう囁く。
 もう少し、美桜と一緒にいられるんだぞ? って。

 ……実は最近、ちょっと気になってる事がある。
 それは、あいつは俺といても、身長差をあまり気にしてないんじゃないか? って事。
 
 例のキレた日から数日後。
 あいつが急に、

   ──「ハル君が一緒に帰れない日ってある?」

 なんて聞いてきたんだけど。そこでダメって答えた日以外、結局一緒に帰ってるんだよ。
 あいつだって友達もできたし、そっちのみんなと帰れるはずなのに。

 勿論、家の近所のこの辺じゃ見知った人も多いから、今更身長差どうこうで奇異の目を向けられる機会もそこまでないし、幾分気が楽ではある。
 でも学校の方じゃ、まだまだ俺達はそういう目で見られる事も多い。

 だけど、それでも一緒にいようとする。
 ってことは、俺が思っているより、あいつは俺といても劣等感を感じてないって事なのか? なんて思ったんだ。

 ただ、それが俺の淡い期待で、実際には幼馴染だから気を遣ってくれてるだけな気もしてて、現状は手放しで喜べない自分がいるんだけど──。

「ハル君?」
「……わっと!」

 美桜の声にはっと我に返ると、体を前屈みにして、こっちを覗き込む美桜が見えて、思わずびくっとしてしまう。
 っていうか、流石に近いって!

「な、何だよ!?」
「あ、えっと。……やっぱダメ、かな?」

 ちょっと不安げな顔をする美桜。
 っていうか、何でそんな顔するんだよ。たかだか一緒に帰るかどうかって話だろ?
 ……まさか、家に帰りたくない理由があるとか──いや。それは流石にないな。
 美桜の家もうちと一緒で、家族仲はかなりいいし。

 ……もしかして、俺といたいのか?
 ふっとそんな事を思う。けど、流石にそれは期待しすぎだろ。
 多分、一人で夜道を帰るのが嫌なんだ。きっとそうだ。
 俺は心の中でそう割り切ると。

「まあ、いいけど。お前がそうしたいなら」

 素直になれない返事をした。

 別にさっきと違い、見られたらヤバい物を買うわけじゃないんだ。
 一緒にいたって問題ないだろ。俺としても嬉しいし。

「……うん。ありがと」

 まるでオレの心を代弁するかのように、嬉しそうに笑ったあいつに、別な意味でまたドキッとさせられ、俺は思わず目を泳がせ頬を掻く。
 ……ほんと。
 好きな奴の笑顔はやっぱり、破壊力ありすぎだって。

      ◆   ◇   ◆

 スーパーの中は、夕食時の買い物客で賑わっている。
 そんな中、買い物かごを手にした俺は、一旦人の流れを避けた隅に移動すると、スマホを片手に買い出しの品を改めて確認し始めた。
 えっと。鶏もも肉に唐揚げ粉、冷凍春巻きにプチトマトか。
 どこに何があるか、全部はわからないな。さて、どう回るか……。

「今日は何を買うの?」
「ん? ああ。母さんが買い忘れた、弁当の材料」
「へー。千景おばさんにしては珍しいね」

 やっぱり美桜も同じ感想を持つよな。
 うちの母さん、何気にキャリアウーマンなのもあってか。かなり計画的に行動するタイプでさ。
 出かける時とか買い物なんかでも、滅多に忘れ物なんてしないんだ。

「だろ? まあ、仕事が忙しいって言ってたし、そういう事もあるんだろうけど」
「ちなみにハル君って、ここにはよく買い物に来るの?」
「そんなに。母さんに頼まれ事でもされなきゃ来ないかな」
「そっか。ちょっとそのリスト、見せてもらってもいい?」
「ん? ああ。いいけど」

 ちょっと首を傾げつつ、俺があいつにスマホを渡すと「ふむふむ」なんて言いながら、リストを少しの間じーっと眺める。

「ねえ。あたしが売り場、案内してあげよっか?」
「ん? 何でだ?」
「あたし、結構ここに買い物来てるし、売り場もだいたい分かるから。変に遠回りになるよりいいでしょ?」

 そう言いながら、自信ありげに胸を張る美桜。
 こいつは家の手伝いとかよくしてるし、だからこそ今の言葉も事実だろう。

 本当は、買い物に多少時間が掛かってもいいかなって思ってる。
 そうすれば、美桜と少しでもいられるから。
 だけど、あいつは俺と違って学校帰りだし、あまり遅くなるのもよくないか。

「じゃ、悪いけど、頼んでいいか?」
「うん! 任せて! じゃあ、まずはあっちの野菜売り場からね」

 ……まったく。ここでそんな顔するなよ。
 どう見ても喜んだように見える笑顔に、こっちも内心嬉しくなる。
 けど、それをを表に出さないようにしながら、俺はあいつの指示に従い歩き出した。

      ◆   ◇   ◆

 あれらすぐ、俺は理解した。
 確かに美桜はここでの買い物慣れしてるって。

 野菜売り場に行けば野菜があるのは、流石に俺だって知ってる。
 だけどあいつは、目的の物の詳細な場所まで、迷う事なく案内してくれるんだ。
 お陰で買い物かごに、どんどん必要な物が揃っていく。

「次はあっちの乳製品コーナーね」 
「ああ。しっかしお前、本当に凄いな」
「ふふーん。どお? 見直した?」
「ああ。お陰で助かるよ。ありがとな」

 隣を自慢げな態度で歩くあいつに、素直に礼を言った。
 実際、本当に助かってるし。
 だけど、美桜にとっては意外だったのか。

「う、ううん。役に立てたなら、良かった、かな」

 俺を見下ろしていたあいつが少し驚いた後、あからさまに目を逸らし、頬を掻く。

 まったく。どうせ俺がそう口にしたのが珍しいとでも思ってるんだろ。
 俺だって感謝する時くらい、ちゃんと口にするんだけどな。
 
 普段なら、相手を茶化せる最高の機会。
 だけど、今回は流石にしなかった。
 今それをしたら、感謝を込めた言葉が嘘くさくなるし。

 ただ、そのせいでまた話題を失った俺達は、互いに沈黙したまま美桜に指示されていたコーナーを目指す。

「あーら。陽翔君と美桜ちゃんじゃなーい」

 お惣菜コーナーの方から、聞き覚えのある声がして、俺達はそっちを見た。
 あのエプロンと三角巾をした、パートっぽい人は……(かつら)さんじゃないか。

 桂さんは、俺や美桜の両親とも仲の良い、気のいい近所のおばさん。
 小さい頃から俺達にも、色々よくしてくれてるんだ。

「こんばんは。桂さん」
「こんばんは!」
「はい。こんばんは」

 俺と美桜の挨拶に、桂さんは愛嬌ある笑顔を見せる。

「二人で買い物なんて。珍しいわねー」
「ちょっと母さんに買い物を頼まれたんですけど、そこで偶然美桜と出会って」
「そうなのー。二人はもうお付き合いしてるの?」
「……え?」

 俺と美桜の声がハモる。
 い、いやだって。急に桂さんにそんな事言われたら、驚くに決まってるだろって!
 突然の一言に、俺が目を丸くしていると。

「お、おばさん! そ、そんな事あるわけないじゃないですか! あたし達、ただの幼馴染ですよ!?」

 俺と同じく驚愕した顔の美桜が、全力でそれを否定した。

「そうなの? 陽翔君」
「そ、そうですよ! 幼馴染だから仲はいいですけど。本当にそれだけですから!」
「そうなの? 勿体ないわねー。お似合いなのに」

 思わず俺も全力で否定すると、桂さんが何とも残念そうな顔をする。
 な、なんかこの空気はやばい。彼女にペースを握られてたら、色々変な事になるだろ!

「み、美桜。遅くなってもいけないし、そろそろ行くぞ」
「う、うん! お母さんも心配するもんね」

 たじたじになりながらも、この場を離れたい一心で美桜に声を掛けると、あいつも焦りながらもこくこくと頷く。

「じゃ、あたし達はこれで失礼しますね。おばさん。お仕事頑張ってくださいね!」
「ありがとー。二人共。これからも恋人として仲良くねー」
「恋人じゃありません!」

 ハモりながら全力で否定する俺達を見て、桂さんがくすくすと笑う。
 それがより恥ずかしさを加速させ、顔を赤くした俺達は、逃げるようにその場を後にしたんだ。