神薙家に来て三日が過ぎた。
 その間、若き主と顔を合わせたのは数回だけ。いずれも廊下ですれ違う程度で、食事はやはり別々にとっている。
 志々雄はたいてい本殿の中にいた。今日も朝からそこに籠もり、何かをしているようだ。
 芽依子は粂治と屋敷の雑巾がけをしたあと、箒を持って一人外に出た。境内を掃き清める前に本殿の賽銭箱のところまで行き、箒を傍に立てかけて柏手を叩く。
 ここ、神薙神社の主祭神は泰山府君だと粂治に教えてもらった。神薙家は(いにしえ)の時代から陰陽師として殿上人たちを守っており、泰山府君も陰陽道にまつわる神だという。
 二礼二拍手一礼を済ませたあと、芽依子は閉ざされている本殿の扉を見つめた。
 中にいる志々雄のことが、少し気になる。芽依子を歓迎していないのは確かだろう。しかし積極的に追い出すつもりもなさそうだ。
 一体、何を考えているのか分からない。そもそも、顔すらまともに合わせていないのだから無理もないが。
「あの、よろしいかしら」
 ふいに呼びかけられて振り向くと、身なりのいい若い男女が寄り添うようにして立っていた。声をかけてきたのは、可憐な桃色の振袖を纏った娘の方だ。
「わたくし、高津(たかつ)子爵家の典子(のりこ)と申します。あなたはこのお社のお手伝いさんかしら。参道には俥が入れないのね。えんえん歩かされて疲れたわ。……今日、お祓いをしていただくことになっているのだけれど、神主さまはいらっしゃる?」
 掃除をしようとしていたため、芽依子は前掛けを身に付けている。それを見て、典子は女中か何かと勘違いしているらしい。
 典子の隣には青白い顔の青年がいた。薄灰色の着流し姿で、なんだか具合が悪そうだ。
「うっ……気分が……」
 そうこうしているうちに、青年は口元を押さえてよろめいた。
「まぁ、一朗太(いちろうた))さん、しっかりなさって!」
 典子が悲痛な面持ちで声を張り上げる。
 大変だ。ひとまずどこかで休んでもらった方がいい。屋敷の中へ案内しようか、その前に粂治を呼んでくるべきか……。
 芽依子が慌てつつ考えあぐねていると、閉ざされていた本殿の扉が突然開いた。
「おい。ここで、何をしている」
 中から出てきた狼――志々雄が、ぎろりと鋭い目を向けてくる。
 今日の志々雄はいつもの神主姿ではなく、雪のように白い狩衣に漆黒の指貫袴を合わせ、銀髪をきっちりと後ろに撫でつけていた。
 立烏帽子を被ったその姿は、おそらく神職としての正装。あまりの神々しさに、芽依子は思わず溜息を吐く。
「お前らは誰だ」
 やがて志々雄は典子たちに向き直った。恰好は凛々しくても、狼神主の強すぎる眼力と、牙のような犬歯は健在である。
 若い男女は互いの身体を抱き寄せ、がくがくと震え始めた。志々雄がもう一睨みしたら、尻尾を巻いて逃げ出しそうだ。
「お二人とも、大丈夫です。この方は、ここの神主さまです」
 芽依子は咄嗟に前に歩み出て、ひとまず典子たちを落ち着かせた。それから志々雄に目を向ける。
「志々雄さま。こちらの方々は今日、お祓いをしに来られたそうです。お約束があったのですか?」
 すると、志々雄は眼光を少しだけ緩めて頷いた。
「ああ。祈祷の用意はできている。まずは本殿の中で話を聞くから、入れ」
 志々雄が狩衣を身に付けているのは、これからお祓いをするためだったらしい。朝からちゃんと、準備を整えていたのだ。
「さぁ、お二人とも、中へどうぞ」
 芽依子は尻込みしている二人の背中をそっと押した。お祓いの邪魔になると思い、そのまま踵を返そうとしたが、そんな芽依子の腕に典子がしがみつく。
「お待ちになって。あなたも一緒にいてくださらない? わたくしたちだけでは神主さまとまともにお話ができそうにありません。その……こ、怖くて」
 桃色の振袖を纏った令嬢は涙目だった。志々雄のことがよほど恐ろしいのだろう。隣にいる着流しの青年も、芽依子に不安そうな顔を向けてくる。
「……志々雄さま。私も同席していいでしょうか?」
 芽依子が伺いを立てると、志々雄は顎を引くように頷いた。
 本殿の中に入るのは初めてだった。天井がとても高く、床一面に板が張られている。
 最深部には扉付きの祭壇が設置されていた。内陣と呼ばれるその一帯は、他より一段高くなっている。
 芽依子たちは内陣の手前、外陣の部分に腰を下ろした。客人と向かい合った志々雄が、すかさず問う。
「俺は何を祓えばいい。事情を説明しろ」
 典子は一瞬びくりと肩を竦めたが、芽依子の身体に隠れるようにして話し出した。
「こちらに伺ったのは、呪いを解いてもらうためですわ。一朗太さんが、大変なことになってしまったのです」
 令嬢の説明によれば、お祓いを必要としているのは典子ではなく、隣にいる青白い顔の青年――藤園(ふじぞの)一朗太だという。
 藤園家は華族ではないが、かなりの名家だった。江戸時代に当主が踊りの流派を興し、今では数千もの門下を抱えているらしい。
 一朗太はその藤園流の跡取り。現在の宗家である父親に手ほどきを受け、名取になったのは(とお)のころだ。
 一方、子爵令嬢の典子は稽古事の一環で藤園流の踊りを習っていた。
 いずれ宗家になる青年と華族の娘。二人の間に縁談話が持ち上がるのは、ごく自然な成り行きである。
 二十五歳の一朗太と十七歳の典子は、すでに婚約を済ませているとのこと。華やかで快活な典子と比べて、隣に座る一朗太はひどく頼りなさそうに見えた。説明の大半を許嫁に任せ、彼がようやく口を開いたのはしばらくしてからだ。
「僕はもうじき、『藤園千寿(せんじゅ)』の名と宗家の地位を父から引き継ぐことになっています。典子さんとの祝言は、襲名披露を終えてから……」
「襲名披露の舞踊会は三月(みつき)後ですわ。でもその前に、もう一つ大きな舞台がありますの。――実は一朗太さんは、宮家の園遊会に招かれているのです!」
 一朗太が言い終えるのを待たずして、典子はまた話の主導権を奪ってしまった。
 問題の園遊会で、一朗太は一曲踊ることになっているという。宮家の主催とあって、見物人の多くはやんごとなき方々だ。失敗の許されない大舞台――現在の宗家ではなく、一朗太がそれを任されることになったのは、襲名後の立場を盤石にするためである。
 流派の看板を背負い、高貴な者たちの前で素晴らしい踊りを見せれば箔がつく。これから藤園流を率いていくのは一朗太であると、数千名の門下に示すこともできる。いわば、この園遊会に次期宗家の運命がかかっているといっても過言ではない。
 しかし大役を任されている一朗太は、がくりと肩を落とした。
「園遊会は十日後です。だけどまだ、踊りが仕上がっていません……。僕は最近、少しおかしいんです。踊り込んでも踊り込んでも納得がいかない。足を踏み出せばふらつくし、回ろうとすれば転んでしまう」
「一朗太さんは今日のお稽古でも簡単なところで躓いて……ああ、おかわいそうに!」
 打ちひしがれてしまった許婚約者の身体を支え、典子も眉間に皺を寄せた。
 志々雄は一朗太をまっすぐ見つめる。
「踊りが上手くいかないのは、実力が足りないからじゃないのか」
 手厳しい一言だった。
 一朗太は目を見開いて硬直した。典子も同じ顔をしたが、気を取り直したように少し身を乗り出す。
「神主さま。ひとまずお話を聞いてくださいまし。一朗太さんは――狐に呪われてしまったのです。あれは、一月(ひとつき)ほど前のこと……」
 踊りの稽古を終えた一朗太は、許嫁の典子と一緒に散策をしていた。散々踊ったあと俥を使わず自らの足で歩くことが、彼にとっての気晴らしなのだ。
 特にその日の稽古には熱が入り、一朗太は半分ふらふらだった。二人は途中で小さな稲荷神社の鳥居をくぐり、境内で休むことにしたという。
「お賽銭箱の前に、大きなお狐さまの石像が二体ございました。お参りを済ませたあと、わたくしたちは来た道を引き返すつもりでしたの。でも……」
 言葉を濁した典子の代わりに、一朗太が続きを口にした。
「典子さんが足を滑らせたんです。僕はなんとか彼女の身体を支えることができたんですが、はずみで狐の像にぶつかって、それが地面に落ちて、少し傷が……」
 稲荷神社に神主は常駐しておらず、管理をしているのは近所の者たちだった。一朗太はその中の一人に連絡を取り、事の経緯を正直に話した。
「管理人さんは笑って許してくれました。石像もちゃんと元の位置に戻しましたし、詫び料としていくらか収めました。だけど、お狐さまが怒っているのではないかと典子さんがしきりに心配するんです。その不安が、どうも的中したようで……」
 稲荷神社の一件があってから、一朗太の周りで奇妙な出来事が続いた。
 まず、踊りの稽古で使う扇子が一つなくなった。
 それはしばらくして藤園家の庭から泥だらけの状態で発見されたが、扇面――扇子に張られている地紙に、獣の足跡のようなものがついていたという。
「誰かが、狐の足跡だと言い出しました。そのあとも失せ物が続いたり、なぜか稽古場に狐の面が落ちていたりして……。僕が上手く踊れなくなったのもこのころからです。次第に、狐の呪いなのではないかと囁かれるようになりました。そして三日前、とうとう決定的な出来事が起こったんです」
 一朗太はそこで一旦口を閉じ、ごくりと喉を鳴らした。
 志々雄は鋭い目をぐっと眇め、無言で続きを促す。
「僕の夢の中に、大きな白狐(しろぎつね)が出てきました。その狐は尖った歯が並ぶ口をくわっと開けて、僕の身体をあっという間に飲み込みました。そこで目が覚めて布団から起き上がったんですが、枕元に、白い獣の毛が……」
 話を聞いていた芽依子は、思わず身震いした。
 一朗太は床に両手をついて、まるで土下座をするように大きく項垂れる。
「典子さんが心配していた通りになった。これは、お狐さまの呪いです。悪夢が怖くてよく眠れず、身体がどんどん重くなって、僕はさらに踊れなくなりました」
「ああ、一朗太さん。しっかりなさって!」
 典子は眉根を寄せ、ひれ伏すような恰好になった婚約者に縋り付いた。一方、一朗太は床についた手を真っ白になるほど強く握り締める。
「僕は……僕は、踊らなくちゃいけないんです。代々の宗家が築き上げてきた藤園流の看板に、泥を塗るわけにはいかない。誰よりも優雅に舞って、見る人すべてに納得してもらわなければ……!」
「仰る通りですわ。一朗太さんは今までお父上と一緒に多くの舞台に上がったでしょう。宮家の園遊会ではお一人で踊ることになりますけど、目の肥えたみなさまの前で、立派に大役を果たしてくださいますわよね?」
「典子さん……ぼ、僕は……僕は……」
「ねぇ、一朗太さん。宮家の方々だけでなく、門下全員があなたに注目していますわ。演目は『葵の上』。あの六条御息所を演じなければならない、とても難しい曲です。襲名披露でも同じ演目をやるのでしょう」
「うぅ……」
「わたくしも、わたくしのお兄さまも、一朗太さんがどんな風に踊るかとても楽しみにしていますの。どうか頑張ってくださいまし。――失敗は、絶対に許されなくてよ」
 典子は一朗太の背中をゆっくり撫でながら、紅が差された唇の端を持ち上げた。
 すると、黙って腕組みをしていた志々雄がふいに口を開いた。
「兄がいるのか」
 典子はしばらくぱちぱちとまばたきをしていたが、問いかけられているのが自分だと気付いて首肯した。
「ええ。わたくしには兄が二人おります。長兄は我が家の跡取りで、今は米国に留学中ですわ。次兄は一朗太さんと同じ歳で、子供のころから踊りをやっておりましたの。もちろん、藤園流ですわよ」
 典子の次兄、高津雄介(ゆうすけ)には踊りの才があるらしい。藤園流の宗家……一朗太の父親に見初められ、物心つく前から熱心に稽古を重ねてきたという。
 二人で踊る演目では雄介が一朗太の相手役を務めることが多かった。新しい宗家の襲名披露の際も、雄介は一朗太の後見……つまり補助をこなす。
 典子が説明を終えると、項垂れていた一朗太はゆるゆると顔を上げた。
「神主さま。僕は確かにまだまだ力量が足りません。ですがお稲荷さまの一件以来、明らかにおかしなことが続いているのも事実……。ここに来れば、どんな呪いも祓ってくれると聞きました。もう神主さましか頼る人がいません。お願いです。どうか……どうか、僕を助けてください!」
 見ている芽依子まで胸が張り裂けそうになるほど悲痛な面持ちだった。一朗太は全身全霊で、助けを請うている。
「――分かった。呪いの件は、俺がなんとかする」
 志々雄ははっきりと頷いた。
 続けて、ぴしゃりと言い放つ。
「どんな呪いなのか、しばらく様子を見たい。だから一朗太。お前は今夜、この社に泊まれ」
「ええっ! ここに……泊まるんですか?」
 本殿の中に一朗太の素っ頓狂な、そして不満げな声が響き渡った。
 志々雄がそれをぎろりと一睨みする。
「そうだ。ここにいれば、狐の呪いで何かが起きても俺がすぐに対処できる。一番安全な場所だろう。――異論はあるか」
 薄灰色の着物を纏った青年は、次の瞬間、ぶるぶると首を横に振った。
「いえっ、異論なんてありません。お、お世話になりますっ……!」


 話が済むと、典子はそそくさと帰途についた。
 一人残された一朗太のために、芽依子は粂治と協力して寝場所を整えた。
 ……といっても、普段から質素な暮らしをしている神薙家には余分なものなどない。物置になっていた部屋を一つ空けて即席の客間とし、なんとか探し出した布団を敷くのが精いっぱいである。
 せめてものもてなしとして、庭に咲いていた花を床の間に活けた。夕餉に出した膳は、芽依子たちより品数を多くしている。
「失礼いたします。一朗太さん、お茶が入りました」
 食事のあと、芽依子は湯呑みを持って急拵えの客間に顔を出した。
「ああ、芽依子さん。ありがとうございます」
 濡れ縁に腰を下ろしていた一朗太が、ゆるりと振り返る。
 その顔に微かだが笑みが浮かんでいて、芽依子はほっとした。夕餉を運ぶときなどに他愛のない話を交わしたおかげで、一朗太はだいぶ打ち解けてくれたようだ。
 通いの使用人の粂治はすでに自宅に戻った。主の志々雄は本殿に籠もっている。濡れ縁の先は、夜のしじまに包まれた庭だ。
 芽依子は小さなお盆をそっと置いた。眠りを妨げないように、緑茶ではなく香ばしいほうじ茶を淹れた。一緒に出したのは、小豆と砂糖を一緒に煮詰めたぜんざいだ。
 一朗太はそれらをゆっくりと味わったあと、お盆の端に目を留めた。
「あれ、これは何でしょう。とても綺麗ですね」
「千代紙で作った扇です。お盆の上が少し空いていたので、飾りの代わりに」
 これも、小さなもてなしの一つだ。
 綺麗な千代紙は、芽依子が魚住家から持ってきた。同じ扇を、志々雄の夕餉の膳にも添えている。今日も一人、夜遅くに食事をとるという彼のために、本殿の前に置いた器にはしっかり皿で蓋をしてきた。
 一朗太は小さな扇を見て顔を綻ばせる。
「踊りには扇……舞扇(まいおうぎ)が欠かせません。かわいい扇を見ていたら、なんだかやる気が出てきました。今なら、できるかもしれない」
「一朗太さん、一体何を……?」
 芽依子が首を傾げると、一朗太はすっと立ち上がった。
「葵の上を踊ります。地方(じかた)がいないので、唄は恥ずかしながら僕が口ずさみます。少しお粗末かもしれませんが、見ていてください」
 地方とは、曲や唄を担う者たちのことだ。踊る者は立方(たちかた)という。
 いつでも稽古ができるように、一朗太は扇を肌身離さず身に付けていたようだ。それを手にして濡れ縁に立つ。
 葵の上とは、源氏物語の主役・光源氏の正妻のことだろう。キヨから本を見せてもらったことがあるので、芽依子も源氏物語の内容は知っている。
 気位が高い葵の上はある日、己の立派な牛車で源氏の年上の愛人・六条御息所の乗った牛車を押し出してしまう。
 いわゆる車争いの段だ。これによって公衆の面前で恥をかかされた御息所は、恨みや嫉妬から生き霊となって葵の上を苦しめる。
 典子は『六条御息所を演じなければならない』と言っていた。つまりこの曲の主役は、怨霊と化した源氏の愛人だ。
 ほどなくして、一朗太の声があたりに響いた。

「――三つの車に法の道 火宅の門をや出でぬらん」

 濡れ縁を舞台に、一朗太は踊り始める。
 さすがは次期宗家だ。一つ一つの動きが洗練されていて、芽依子の目を否応なく引き付ける。

「華やかなりし身なれども 衰えぬれば朝顔……の……つっ」

 だが、すぐに舞扇がぽろりと転げ落ちた。足がもつれたのか、一朗太はその場に倒れ込む。
 芽依子は慌てて駆け寄った。
「一朗太さん、大丈夫ですか」
「ううっ……やはり踊れません。どこからか白狐が僕を見ている気がするんです。芽依子さんは、何かおかしなものを見たり、物音を聞いたりしませんでしたか」
「私は何も。不安なら、志々雄さまを呼んできますが」
「いや、神主さまの手を煩わせるほどのことではありません。僕の勘違いかもしれないし。そもそも、いい踊り手なら――現宗家の父なら、呪われていようがいまいが扇を落としたりしないはずなんだ。僕は駄目なんですよ、本当に」
「一朗太さん……」
「芽依子さん、申し訳ない。少し、僕を一人にしてください」
「……承知しました」
 どう励ましたらいいか分からず、芽依子は湯呑みの載ったお盆を持って客間から辞した。重たい足取りで、一人お勝手へ向かう。
「――志々雄さま」
 最低限のものしかないお勝手に、志々雄がいた。すでに正装は解かれており、声をかけた芽依子の方を素早く振り向く。
「粂治はもう帰ったようだな」
 どうやら粂治に用があったようだ。
 今までで一番近い場所で、銀の髪が輝いている。
「一朗太の様子はどうだ」
 そう聞かれ、芽依子ははっと我に返った。一朗太が踊ろうとして上手くいかなかったことを説明してから、手にしていたお盆を置いて溜息を吐く。
「昼間より少しだけお元気になりましたが、まだ本調子ではないようです……。少しでも早く狐の呪いが解けて、一朗太さんがまた踊れるようになるといいのですけど」
 すると、志々雄が静かに口を開いた。
「呪い――か。本当に狐の仕業だったら、むしろ気が楽だ。ただ祓えばいいだけだからな」
「本当に狐の仕業だったら……? 志々雄さま。それは一体、どういうことですか」
 芽依子は首を傾げた。
「この世には、呪いよりおぞましいものが存在する。それが何か、お前も今に分かる」
 志々雄はそれだけ言うと、素早く立ち去った。
 呪いよりおぞましいもの――その言葉が、芽依子の胸に暗い影を落とした。