金駒刺繍がふんだんに施され、洋花の模様がちりばめられた可憐な振袖。
魚住芽依子はその素晴らしさに口角を上げた。眺めているだけで絹の滑らかな質感が伝わり、心が和む。
しかしその幸せな気持ちは、金切り声に似た叫びですぐにかき消された。
「ちょっと芽依子、ぐずぐずしないで!」
絢爛な振袖を纏っているのは、芽依子の妹の織江だった。
華やかな着物姿の妹に対し、姉の芽依子が身に付けているのはすり切れそうな木綿の絣と半幅帯。着物の裾からは、痩せ細った剥き出しの爪先が覗いている。
大正元年、帝都。
宮城にほど近い番町の一角に、アール・ヌーヴォーの香りが色濃く漂う大きな洋館があった。
界隈に建ち並ぶ他の屋敷と比べてもひときわ豪華なその館の主・魚住忠興男爵が、芽依子の父親である。
つまり芽依子は、正真正銘の華族令嬢だった。なのに置かれている状況は、裕福な娘のそれとはかけ離れている。
同じ屋根の下には男爵一家だけではなく親類縁者が他に五人ほど住んでいるが、彼らは芽依子のことを使用人……いや、それ以下の存在と見做していた。
「芽依子ったら本当に無能ね。着替え一つ満足にこなせないの?」
声を上げた妹、芽依子より六つ年下の織江は、特に容赦がない。
そもそも、芽依子と織江は異母姉妹だ。芽依子の実母は、娘を産み落としたあとすぐに亡くなっている。伴侶の死後、芽依子の父・忠興はすぐに後妻のツネ代を娶り、二人の間に生まれたのが織江である。
半分しか血が繋がっていないことを抜きにしても、姉妹の立場は極端に違う。
今いるのは、屋敷の片隅に設けられた衣裳部屋だった。集められているたくさんの着物や帯はほとんどが織江と義母のもので、芽依子のものは一つもない。
何もかも、仕方のないことだった。これが魚住男爵家の日常なのだ。
(だって私は――一族の恥だから)
唇を噛み締める芽依子に、織江はふんっと鼻を鳴らした。
「ほら、さっさと着替えさせてちょうだい。帯はその蝶の柄のがいいわ」
豪華な着物の袖口から、織江の手首が僅かに覗いている。そこには桜のような形の小さな痣があった。
魚住家の血を引く者なら、普通は身体のどこかにこれと同じ形のものが刻まれている。『祝福の印』――人々からそう呼ばれる、魚住一族の名誉の証である。
平安時代、ある貴族が不思議な出来事を日記として残した。それによれば、どんな薬を用いても快癒しなかった帝の病を、桜の痣を持つ者が治したらしい。
似たようなことが戦乱の世でも記録された。桜の印を持つ一族を味方に引き入れた陣営が、ことごとく合戦で勝利したのだ。
この桜の形の不思議な痣は、とある一族にしか発現しなかった。その一族こそが魚住家――芽依子の先祖である。
江戸時代になると、魚住家についての文献はさらに増えた。
たとえば、傾いてしまった商家に桜の痣を持つ魚住家の娘が嫁げばたちまち経営が上手くいく。大火事が起こっても、魚住の屋敷の周辺は決して焼けない。
このようなことが重なって、とうとうご一新の際、魚住家は時の権力者に認められた。新政府は芽依子の曽祖父を叙勲。魚住家は勲功華族となり、特権階級の仲間入りを果たしたのだ。
華族の地位を得たことで魚住の名は一気に広まり、繋がりを持ちたいと考える者が増えた。何せ桜の痣を持つ者と縁続きになれば、病が治ったり商いが成功したりと、それなりに恩恵がある。
中には、交流が持てるならある程度の財産と引き換えにしてもいいという者までいた。魚住家はそういう者たちと繋がることで、財産を着実に増やした。
アール・ヌーヴォーの洋館は繁栄の結晶。桜の形の痣は、まさに魚住家の誇りである。
しかし、芽依子にはその誇りが――祝福の印がなかった。
なぜか一人だけ、身体のどこにも痣が刻まれていなかったのだ。
印を持つ者なら、傍に置いた花が枯れずに長持ちするなど、赤子のうちから何らかの能力――祝福の力を発揮する。
痣のない芽依子にはその兆候すらなかった。父の忠興は当初、芽依子の生みの母である静子の不貞を疑ったそうだ。芽依子に祝福の力がないのは、魚住家の血を引いていないせいだと思ったのだろう。
しかし静子は嫁いで以来、常に誰かの監視下にあり、他の男と密会する余裕などなかった。それに、芽依子の顔立ち自体は忠興の母……父方の祖母に似ている。
間違いなく魚住家の一員であるはずなのに、桜の痣がない無能な娘――一族にとって、言ってしまえば芽依子は邪魔者だった。
無能な長女の処遇について、幾度も話し合いが重ねられた。赤子のうちなら病気などの理由をでっち上げ、たやすく『始末』することもできる。
魚住家の者たちが『そう』しなかったのは、『立っているものは親でも使え』という家訓を重んじたからである。
結果、芽依子は表向きはきちんと『魚住家の長女』として届出がなされた。
だが祝福の印を持たずに生まれる場合があることが世間に広まれば、一族の名を穢すことになる。
よって、その存在は隠された。上の娘は極度な引っ込み思案でね――周りにはそう説明して、当主の忠興は長女を屋敷に閉じ込めたのだ。
外で遊ぶ代わりに、芽依子は家の中で様々な雑用を言いつけられた。
一つ屋根の下で暮らす魚住家の親類縁者たちは、役立たずの娘を座る暇もないほどこき使う。立っている者は使えという家訓を、ここぞとばかりにしっかり守る。
だが、働かされるだけなら……屋敷の中を動き回れるなら、まだいい方だった。時には、それさえも許されない。
「織江、仕度は済んだの?」
芽依子が堅くて重い丸帯を渾身の力で結んでいると、衣裳部屋に誰かが入ってきた。
大きなひさし髪を結い、鶴の柄の京友禅を身に付けているのは、義母のツネ代だ。
「よく似合うわよ、織江。今日の宴は、お父さまが新しい事業を手掛けることになったお祝いですもの。そのくらい豪華な着物じゃないとね」
「うふふ。思いきって新調してよかった。宴にはたくさんの人が来るのよね」
「どんなに大勢の人がいても主役はあなたよ、織江。何せあなたはこの魚住家の娘。祝福の力を持つ立派な子だもの。……どこかの役立たずとは大違いだわ」
ツネ代の冷たい視線が、容赦なく芽依子に突き刺さる。
芽依子の生みの母は他家から嫁いできたが、ツネ代は父・忠興から見て従姪にあたる。つまり生まれながらにして魚住一族の者であり、祝福の印を持ち合わせている。
従姪のツネ代を忠興が後妻に迎えたのは、芽依子の件があったからだろう。祝福の印を持つ者同士が親になれば、長女のときのような『過ち』が二度と起きないと踏んだのだ。
目論見通り、父親と後妻の間に生まれた織江には芽依子が持っていないもの――桜の形の痣がしっかりと刻まれている。
「お母さま。そろそろ広間に参りましょう」
仕上げに天鵞絨のリボンを髪に結び、織江は母親を促した。
「そうね。いい頃合いだわ。ああ、そうそう。宴が始まる前に、役立たずなお荷物を『片付けて』おかないと」
ツネ代はパンと両の手の平を合わせた。
ほどなくして、お仕着せの縞木綿を纏った女中が一人、衣裳部屋に入ってきた。老いて真っ白になった髪を低い位置で結ったその女中は、ツネ代と織江に深く頭を下げる。
「お呼びでしょうか」
「ええ、呼んだわよ、キヨ。客が来る前に、そこのみっともないのを『例の部屋』へ連れていきなさい」
「……かしこまりました」
年嵩の女中・キヨは、再び真っ白な頭を下げてから、芽依子の方におずおずと近づいてきた。芽依子はその背中に従って、衣裳部屋をあとにする。
広く冷たい廊下を二人で進み、ツネ代や織江の気配が完全に消えたところで、キヨは芽依子に縋り付いた。
「ああ、キヨはとても悲しゅうございます……。芽依子お嬢さまがお辛い目に遭っているのに、何もできないなんて」
屋敷の中で、芽依子のことをお嬢さまと呼んでくれるのは、このキヨだけだ。
役立たずの穀潰しをいっぱしの華族として扱えば、魚住家の他の者たちがいい顔をしない。だからキヨはいつも人目を気にしつつ、芽依子を敬ってくれる。
芽依子はしわしわの手をぎゅっと握った。
「私なら平気よ。いつもありがとう、キヨ」
今年還暦を迎えるキヨは、もともとは芽依子の母・静子の専属の女中だった。
他家から嫁いできた静子には当然祝福の印がなく、そのことで魚住家の者たちからさんざん馬鹿にされたという。
キヨはそんな静子を慰め続けた。芽依子を生み落として力尽きる寸前だった静子は忠実な女中を枕元に呼び、「娘のことを頼みます」と囁いて不帰の旅に出たそうだ。
キヨは静子の今際の言葉をきちんと守ってくれている。ただの使用人なのでできることは限られているが、芽依子としては声をかけてくれるだけで嬉しい。
「キヨ。じきにお客さまが来るわ。『あの部屋』へ行きましょう」
「ですが……」
「お義母さまに命じられたのでしょう。早く私を連れていかないと、あなたが叱られるわよ」
眉根を寄せているキヨをさらに促し、芽依子自身が先導する形で歩き出す。
長い長い廊下の果て。広い屋敷の奥の一番じめじめした場所に、漆喰で厚く塗り固められた壁と堅牢な鉄の扉で仕切られた狭い空間があった。
三枚しかない畳の上には薄い寝具が置かれているのみ。片隅が衝立で仕切られており、そこは床に穴が開けられただけの厠になっている。
出入り口は、襖ではなく鉄格子だ。一つだけある窓には分厚い硝子が嵌まっており、そこにも錆びた鉄の柵が取り付けられている。
――座敷牢。そうとしか呼べない場所だった。
表向き、魚住家の長女は極度の引っ込み思案で、自ら部屋に閉じ籠もっていることになっている。そんな娘が屋敷内で客とはち合わせになったら大変である。さらに、祝福の印を持っていないことが露見してしまったら……。
だから屋敷に客人が訪れる際、芽依子はいつもこの牢屋に入れられる。
それだけではない。
「重たくありませんか、芽依子お嬢さま」
キヨの手で、芽依子の両足に鉄の輪が嵌められた。輪には鎖がついていて、反対側は柱に括りつけられている。足枷は螺子で足首に固定するようになっていて、螺子回しがなければ外すことはできない。
その螺子回しを握り締め、キヨは盛大に嘆いた。
「これでは、ろくに足を動かせないじゃありませんか。あまりにもひどすぎます」
ここに入るとき、忠興の命で足枷がつけられる。
鉄の輪は重く、少し動くと剥き出しの皮膚にぐっと食い込んできた。芽依子は不快感を押し殺し、代わりに精いっぱいの笑みを浮かべる。
「大丈夫よ。鎖が長いから厠には行けるし、食事や飲み物も出して貰えるもの」
本当は、大丈夫ではない。キヨの言う通り、動くことさえままならないのだ。
だが、嫌だとは言えなかった。祝福の印を持たぬ娘は『始末』されないだけで感謝しなくては……芽依子はいつもそうやって自分を納得させている。
「キヨ、もう持ち場に戻って。私と話していると、あなたまで白い目で見られる」
「分かりました。……では、せめてこれを」
前掛けの隠しから、キヨは綺麗な千代紙を何枚か取り出した。
「まぁ、素敵。ありがとう」
芽依子は無理やり作っていた笑顔を引っ込め、本物の笑みを浮かべた。青海波や小花模様が刷り込まれた可愛らしい紙片を引き寄せ、胸にかき抱く。
役立たずと罵られ、押し付けられた山ほどの雑用をこなす暮らしの中、千代紙を折っていろいろなものを作ることが芽依子の唯一の息抜きだった。差し出された色とりどりの紙が、宝物のように思えてくる。
「芽依子お嬢さま、お力になれず申し訳ありません。それでは失礼いたします」
持っていた螺子回しを前掛けにしまい、何度も振り返りながら、キヨは座敷牢を出ていった。
一人になると、鉄の足枷がより重たく感じられた。身体を動かすことができず、顔だけを窓の方に向ける。
分厚い硝子を通すと、水の中から外を眺めているようだった。
(まるで、お魚だわ)
狭い座敷牢は小さな硝子の金魚鉢。自分はそこに押し込められている痩せっぽちの魚……そう考えると、足が動かせないことがなんだかしっくりくる。
自嘲めいた笑みを浮かべ、芽依子はキヨがくれた千代紙を一枚手に取った。それをまずは半分に折り、さらにもう半分に折る。
平べったい紙はやがて立体感のある睡蓮の花へと姿を変えた。出来上がったものを手の上に載せて、しばらくそれに見入る。
一握りで潰れてしまう紙の花と、閉じ込められた魚のような自分――どちらが先に、この世からいなくなるのだろう……。
そんなことを考え、芽依子は俯いた。
狭くて薄暗い、水底のような牢の中で。
「旦那さまがお呼びです」
その日の夜遅く。宴の客たちが帰った頃合いで、若い女中が足枷を外しにきた。
なんだか妙な気がした。祝福の印を持たぬ役立たずを、一番嫌っているのは父親だ。その忠興が、自ら芽依子を呼び出すなんて……。
だが当主の言うことを拒むわけにはいかない。仕方なく、芽依子は指定された場所、父の書斎に向かう。
「――おお、よく来たな。芽依子」
立派な一枚板の扉の先で、魚住家の主は微笑んでいた。その笑顔はどこか作り物めいていて、ひどくおぞましい。
「なぜ突っ立っている。早くこちらに来い。話がある」
立ち竦んでいた芽依子は父親に促され、仏蘭西製の猫足の机の前までおそるおそる足を進めた。
机と揃いの椅子に腰かけていた忠興は、不気味な笑みを浮かべたままさらりと言い放つ。
「芽依子。お前を嫁に出す」
「……えっ?」
何を言われたのか理解できず、芽依子は戸惑った。そんな娘を、魚住家の主はじっと見据える。
「今日、うちに来た伯爵が縁談を持ち込んできたのだ。ある華族が、魚住家の娘を妻にしたいと申し出ているらしい。話を持ちかけてきた伯爵はいろいろと役に立ちそうな相手でな。無下にするのは気が引ける。縁談の相手は、皇室にも繋がりのある公爵家だ」
「公爵さま……」
公爵は、かつて殿上人と呼ばれた公家に連なる高貴な身分。華族で一番下の序列である男爵家からすれば、かなり格上の相手だ。
「件の公爵の名は、神薙志々雄。歳は二十七だ。神薙一族には悪しきものを祓う力がある。平安時代には公家に名を連ね、京の都で呪いや穢れから殿上人たちを守ったそうだ。本業は神職――言い換えれば『祓い屋』だな」
源平合戦のころ神薙一族は関東の守護を託され、帝都の片隅に神薙神社という社を建立した。神薙家は朝廷の信頼が厚く、膨大な禄が与えられており、ご一新後の今もそれは変わっていないらしい。ゆえに、相応の財がある。
「神薙家の当主は揃いも揃って代わり者でな。莫大な資産があるにもかかわらず、古ぼけた社に籠もって仙人のような暮らしをしているのだ。現当主の志々雄とやらは、歴代当主の中でも特に偏屈らしい。人嫌いで、祓い屋稼業のとき以外は誰とも関わらないと聞いている。そして……」
忠興は呆れたような口ぶりでまくし立てたあと、しばし間を置いた。そのあと、吐き捨てるように言った。
「神薙家の当主は、三十になる前に――死を迎える」
「……!」
芽依子は目を見開いた。
神薙家の当主が短命であることにはもちろん驚いたが、忠興がそれを……人の死を、笑いながら口にしたことに、おぞましさが募る。
「神薙家の祓い屋としての力は本物だ。何せ、呪いや穢れを自身の身体で受けるのだからな。悪しきものの影響で、命が削られるのだろう。このままでいけば現当主は早世する。その前に跡取りを残さねば、公爵家といえど断絶だ。なのにいい縁談が来ず、神薙家は焦っているらしい。そこで我が家が目をつけられた」
忠興は言いながら芽依子に手の平を見せた。刻まれているのは、桜の形の痣だ。
「妻を娶って子をもうけることの他に、先方の目的がもう一つある。それがこの痣――我々の持つ祝福の力だ。魚住家の娘と添えば恩恵が得られ、短命のさだめから逃れられる……神薙一族はそう考えているようだな」
そこまで聞いて、どうしようもなく嫌な予感に襲われた。忠興の指が、ゆっくりと芽依子の鼻先に突きつけられる。
「だから芽依子――お前が神薙家に嫁げ」
芽依子は弾かれたように頭を振った。
「そんな! 無理です。だって私には……祝福の印がありません」
その刹那、頬に痛みが走った。それまで椅子に腰かけていた忠興が立ち上がり、娘を打ったのだ。
「一族の恥のくせに口答えをするな。幸いにも、お前が祝福の印を持っていないことを先方は知らん。痣があると偽って嫁ぎ、さっさと子を産めばいいのだ。たとえ当主が早死にしようと、跡継ぎがいれば文句も出まい。とにかく、この縁談は断れん。芽依子はただ『はい』と頷けばいい」
「偽るなんて、そんな無茶なこと……」
「口答えをするなと言っているだろう。お前はひとまず先方の家に赴け。しばらくそこで暮らし、問題がないようなら神薙家は婚姻の仕度金を寄越すと言っている。両家が正式に姻族となった際は、さらに事業資金の提供も約束してくれた」
正式な婚姻の前に、花嫁候補の娘が相手の家に入ることはよくある。いわゆる仮初め婚だ。
ただし、忠興の意図は婚姻そのものではない。望んでいるのは神薙家からもたらされる富。要するに、娘を売ろうとしているのである。
呆然と立ち尽くす芽依子に、忠興はさらなる残酷な言葉の矢を放った。
「実は、先方は芽依子ではなく織江を嫁に望んでいたのだ。だが、あれはまだ十五の女学生。それに、大事な娘を偏屈な男の妻になどしたくない。だから芽依子、お前が嫁げ」
忠興の口にした『大事な娘』の中に、芽依子は含まれていない。
分かりきっていた事実を改めて突きつけられ、心が張り裂けそうだった。だが、「はい」以外の言葉を発すれば、きっとまた頬が痛くなる。
抵抗しなくなった芽依子を見て、忠興は満足そうな顔で手をパンと叩いた。
その途端、書斎に女中たちがぞろぞろと入ってきた。先頭に立っているのは体格のよい女中頭の竹子だ。
その竹子が後ろに控えていた三人の女中に目で合図をすると、彼女たちは芽依子をあっという間に押さえ込んだ。
「お父さま。これは一体……」
呆然とする娘をよそに、忠興は机の引き出しから何かを取り出して竹子に渡した。
竹子は前掛けに入れていた燐寸を使って卓上洋燈に灯りをともし、主から受け取ったものを火箸で挟む。
忠興が女中頭に託したのは、小さな焼き鏝だった。鉄製のそれは、洋燈の火でみるみる赤く熱せられていく。
押さえ込まれたままの芽依子に、忠興はやがて、あの作り物めいたおぞましい笑顔を向けた。
「いいか芽依子、嘘を吐き通せ。お前に祝福の力がないことが露見するとまずい。だから、手助けをしてやろう。『それ』で、偽の痣を刻む」
「偽の、痣……」
忠興は「心置きなくやれ」と女中たちに言い残し、そのまま書斎を出ていった。
主の姿が見えなくなると、女中の一人が芽依子の襦袢の襟に手を伸ばし、それをぐっと引き下ろす。
「やめて……!」
芽依子はもがいたが、押さえ込まれていたせいで抵抗できなかった。露になった胸元に、竹子が火箸で挟んだ焼き鏝を近づける。
――じゅっ。
無惨な音が、やがて書斎に響き渡った。
口を塞がれた芽依子は悲鳴すら上げることができず、偽りの印が刻まれる痛みに耐え続けるしかなかった。