友だちになろう、と桃真と握手をした翌日から、希色の日常は一変した。

 桃真はたくさんの同級生に慕われているようで、席の周りにひっきりなしにクラスメイトがやって来る。モテモテという言葉がぴったりだ。
 その中でも、男子の川合(かわい)佐々木(ささき)とは特に仲がよさそうだ。ふたりはほとんどの休み時間に、桃真の席へ訪れる。
 希色には名前で呼ぶようにと何度も言ったのに、他の同級生たちや彼らにだって名字呼びを許しているのは不思議だけれど。
 他のクラスメイトの前でも、桃真はなにも気にする素振りなく希色に話しかけてくる。それどころか、川合たちとの会話を希色に振ってくることすらある。こんなナリをしている自分と友だちであることを、恥ずかしいだとか隠したいと思うこともないようだ。
 桃真の人の良さに憧れを深くし、それでいて居た堪れなくもあった。桃真はよくても、川合たちは自分と関わりたくないだろうと思ったからだ。
 だが、類は友を呼ぶ、ということなのだろうか。川合も佐々木も希色を邪険にすることはなく、自ら話しかけてくるようにまでなった。話す時間は日に日に増え、今や昼休みには、四人で集まって昼食をとるのが常だ。


「望月の弁当、今日もちっちゃ! そんなんで足りんの?」
「足りるよ。川合くんのはいつもすごく大きいよね」
「まあな。なんなら朝練後に、こんなでっかいおにぎり二個食ってる」
「ザ・野球部って感じだよな。あれ、望月は部活どこだっけ? ちなみに俺はバスケ」
「部活はやってないよ。えっと、バイト、してるから」
「そうなんだ。土屋も帰宅部だよな」
「だな、俺もバイトしてるし。希色、口のこっち側、米粒ついてる」
「え。あ、ほんとだ。ありがとう桃真」

 野球部の川合は豪快で、毎日ハードな朝練をこなしているらしいのに、いつも元気を持て余している。佐々木は今どきの男子高校生といった風貌で、ゆるく着こなしたブレザーがよく似合う。
 自分にこんな学校生活があるなんて、と希色は毎日不思議だ。そう思う度に、そのきっかけとなった桃真をマジマジと眺めてしまう。目が合うと笑ってくれて、今日も推しの笑顔の眩しさを噛みしめる。

 弁当を食べ終わり、ごちそうさまと手を合わせ、本日二本目の水のペットボトルを開封する。水分はこまめに摂るといいと翠に教わって以来、すっかり習慣になっている。

「希色、これ一緒に食わない?」
「なに?」
「チョコのお菓子。今朝コンビニで買った。これ好き?」
「う……好き」
「じゃあ半分こな」
「え、ちょっとでいいよ」
「希色と食べようと思って買ってきたからいいんだよ。はい」
「ええ、ほんと? じゃあ、いただきます」

 希色のほうに椅子ごと寄ってきて、桃真がお菓子を差し出してくる。プレッツェルにチョコレートがかかったお菓子だ。半分ももらうなんて、と気後れするが、桃真はこうなったら譲らないことを希色はもう知っている。肌や体形維持のために甘いものは食べすぎないように気をつけているのだが、桃真が誘ってくれると断りたくなくて。希色の貴重なお菓子タイムは、今やすっかり桃真とのものになっている。

「明日はオレが買ってくるよ。どんなのがいい?」
「甘いのはなんでも好き」
「特に好きなのは?」
「んー……希色が選ぶヤツならマジでなんでも」
「はは、なにそれ」
「だってマジだし。あ、希色、最後の一本だぞ。ほら、口開けろ」
「え、いやそれは桃真が……」
「いいから、ほら」
「ええ、あー……」

 戸惑いつつも、言われるがままに口を開ける。桃真が買ってきたのだから、最後の一本は自分で食べればいいのに。それに、推しにあーんなんてされるこっちの身にもなってほしい。
 ぎこちない動きで咀嚼していると、いつの間にか川合と佐々木がこちらをじいっと見ていることに気づく。

「なんつうか、お前らほんと仲良しな」
「な。割と見慣れてきたけど」
「このクラスになって一ヶ月しか経ってないのにな」
「たった一ヶ月で見慣れるくらい、毎日こんなってことか」

 ふたりの会話に、希色は目を丸くする。

「いや、そんな言うほどでは……」

 希色にとっては間違いなく、いちばん仲が良いのは桃真だ。今まで誰とも友人関係を築いてこなかったのだから、必然的にそうだろう。まさか推しとそうなるなんて思ってもみなかったが、こればっかりは紛れもない事実。
 だが桃真にとってはそうとも限らないわけで。誰もに好かれて、色んな人と会話をしている。だからそんなことを言われても、桃真は返答に困ってしまう。そう思ったのだが。

「え、希色は俺と仲良しじゃないの?」

 眉をしゅんと下げて、寂しそうな色の瞳に希色を映してくる。そんな顔をさせたいわけではなかった。希色は慌てて桃真の言葉を否定する。

「え……いや! そうだよ! オレにとってはそうだけど……」
「マジ? よかった。俺も仲良いと思ってるから」

 桃真の手が希色の頭に伸びてきて、ぽんぽんと撫でられてしまった。桃真の行動に呆気にとられ、希色はぽかんと口を開けてしまう。手は自ずと撫でられた頭に伸びて、噛みしめるようにそこに触れる。
 コーヒーショップでの桃真はスマートで、大人の雰囲気を纏っている。だが学校での桃真は年相応の無邪気さが垣間見え、スキンシップが多いところがある。希色の兄もスキンシップが激しいタイプでよく抱きつかれたりしているから、そういったこと自体には慣れてはいるのだが。友人なんて存在が希色には奇跡で、桃真はなんといっても“推し”だ。触れられたり距離が近いなと感じる度に、希色はひとつひとつきっかりとドキドキしてしまう。
 とは言え、桃真にとっては普通のことなのかもしれない。それこそ、希色の兄のように。桃真にとっての“仲良しの友人との距離感”がこうなのなら、気にするほうがおかしいのかも。そう思っていたのだが――

「こんな土屋、今まで見たことなかったよな」
「な。基本ドライだしな。誰とでも話すけど、いつも受け身だし」
「そうそう。でも望月には自分からぐいぐい行ってるよな」

 どうやらそうでもないらしいと、今この場で希色は知ってしまう。
 ドライ? 桃真が?
 コーヒーショップの桃真を思い返しても、今隣で笑っている桃真を見ても。そのワードは希色にはしっくりこない。優しくて、こんな風に触れてくるほどフレンドリーで――
 ひとり首を傾げる希色を置き去りに、佐々木が更に衝撃的な言葉を発する。

「なに、望月は特別な感じ?」
「うん、そう」
「なるほどな」
「そんな感じするわ」
「…………」

 なんてことを言うんだと思う暇もなく、問われた本人が肯定してしまった。希色の心臓は、そのひと言に丁寧に跳ねる。
 だとしたら、あれだ。友人関係がほぼ初めてだから慣れないだけで、世間一般的に“特別な友だち”とはこういうものなのだ。特別な友だちとはそもそも何なのか、それ自体が希色には分からないけれど。
 希色が必死に自分を納得させていると、桃真がどこか満足そうに、川合と佐々木は楽しそうにこちらを見ていることに気づく。

「え……なに? どうしたの?」
「いや、別に。希色と友だちになれて嬉しいなって噛みしめてた」
「そ、そっか……」
「うん」

 何気ない平日の、なんてことのない昼の一コマのはずなのに。希色にとってはどうしたって未だにイレギュラーだ。自身に起きていることなのに、どこか客観視している自分もいて、桃真たちと過ごしているこの光景はキラキラと眩しい。
 モデルを始めて、まだ少しだが仕事が入るようになって。次第に高校なんてどうでもいいと思うようになった希色に、周りの大人たちはよく言ったものだ。高校だけは出ておいたほうがいい、思いきり楽しんでと。父も母も兄も、それから翠やマネージャーの前田も。それがどこか面白くなかったのに。少しずつ変わり始めている自分に、希色は出逢っている真っ最中だ。
 大人たちの言う通り、やめたりしなくてよかったのかもしれない。友だちができたことをきっかけに、学校に来るのが楽しいと思えるなんて。
 こんな風になるとは、それこそつい一ヶ月前までは考えもしなかった。

「オ、オレも! その、桃真と友だちになれて、嬉しいよ」
「うん、さんきゅ」