久しぶりの電話だったが、真由利君は忙しいらしかった。
「沙耶も知ってるかな。最近、不審火が増えてるらしいんだ」
「不審火?」
「おそらく放火なんだけど、特定の誰かを狙ったものではないらしくてね。無作為に火をつけているらしい。そのせいかなかなか犯人が捕まらないと聞くよ」
「そういえば、消防車が走ってるのを最近よく見る気がする」
「理由がわからないものは人の恐怖を増幅する。不安の拠り所として、神様に頼りたくなる人も増えてるのさ」
「それで朝烏神社が忙しいんだ」
「お祓いの依頼として受けるけど、それよりもお祓いという名目で僕と話をして帰ることが心の安定に繋がっているように感じるね」
「カウンセラーみたいだね」
「似たようなものだよ」
真由利君の声を聞くと安心する。子供の頃、親戚で集まる度に一緒に遊んでいたのを思い出すからかもしれないし、もしくはもっと最近になって生まれた感情のような気もする。
なんだかくすぐったい気持ちで、本心ではいつまでも話していたかった。
けど忙しいなら、あまり長話に付き合わせるのは悪い。私はこれまでの梗吾との試行錯誤について簡単に説明することにした。
食べ物や、場所を色々試しているけど依代が見つからないこと。初対面の人に対する態度が悪いこと。
「それは、なかなか厳しいね……」
「でしょ? もう陰陽師の能力とか以前に、人として大丈夫なのって感じ」
「彼が目覚めるまでには、まだしばらくかかりそうだね」
「このままだと本当に許嫁にされちゃう。早くどうにかしないと」
「ははは、沙耶のその行動力があれば大丈夫だよ。僕も沙耶の声聞いてたら元気が出てきた、また様子を聞かせてよ」
「ほんと? 良かった! また何か面白いことがあったら電話するね」
通話終了のボタンを押してからも、私はしばらく画面をぼーっと見つめ続けた。
最後の真由利君の言葉が耳の中を反響している。
私は、ベッドにダイブしてクッションをギュッと抱きしめた。
「ふふ、『元気が出る』だって」
それだけで、頑張れそうな気がするから不思議だ。
***
その次の週末、またしても私たちは「アンデルセンのお菓子屋さん」に来ていた。
接客担当の瑞稀さんが手持ち無沙汰にしていた先週とは打って変わって、今日はすでに数組のお客さんがレジ待ちの列を形成している。
なぜなら今日は、月に一度の限定シュークリームの日なのだ。
「俺は奢らねえぞ」
「わかってるよ。その代わり自分の分は自分で払ってよ」
減らず口をきいてはいるけれど、今日の梗吾はやけにおとなしい。なんだかんだ言いつつ、結構ここのシュークリームを気に入っているんだと思う。
ショーケースに並ぶ色とりどりのケーキに目が奪われていたら、いつの間にか列が進んでいたらしい。「いらっしゃいませ」と呼びかけられた声が男性のものだったので、私はハッとして顔を上げた。
「あっ、沢渡さん」
レジの前に立っていたのは、いつもはガラスの向こうで腕を振るっているオーナー沢渡さんだった。
相変わらず熊のようなどっしりとしたいでたちで、案外人当たり良さそうな笑顔を浮かべている。
ケーキに対峙する真剣な時間以外は、結構優しいクマさんなのかもしれない。
「お決まりでしたらお伺いします」
「あっ限定シュークリームを二つと、ザッハトルテひとつお願いします。あの……今日は瑞稀さん、お休みですか?」
「ああ、そうなんですよ。彼女、体調を崩してしまったらしくて」
「心配ですね……」
沢渡さんは柔和な表情でショーケースの商品をトレーに集め、慎重にレジへと持ってきた。
「僕はこんなナリなので威圧感があるらしくて。お客様の前に出るのに向いてないんですよ」
「そんなことないですよっ」
「こうして見てても、愛情込めて作ってるの、わかるっすよ」
ずっと横で黙っていた梗吾が彼にしては珍しく素直な褒め言葉を口にしたので、へえ、と思った。そういうことも言えるんだ。
沢渡さんも嬉しそうに体をゆすってお礼を言ったあと、そうだ、と顔を上げた。
「そうだ、お二人はイートインスペースを利用されたことはありますか? 最近食器をリニューアルして口コミでも良く言っていただけてるんですよ」
「そうなんですか! 知らなかった。ねえ梗吾、イートインにして行かない?」
「好きにしろ」
「じゃあ決まり」
沢渡さんはにっこりと笑って「ではご案内しますね」とシュークリームたちを持ち上げた。
さすが限定シュークリームの日とあって、イートイン用のテーブルも八割程度埋まっていて、あちこちから「かわいー!」とか「おいしいね」といった弾んだ声が聞こえてくる。
私たちは出入り口の近くのテーブルに通され、向かい合って座っていた。
「梗吾ってさ」
「あ?」
「やっぱり甘いもの好きだよね」
見てい流だけで気持ちいい勢いでシュークリームにかぶりつく梗吾は、私の言葉に硬直した。しばらくしてから照れ隠しのように「うるせえ」と呟いた。
居心地悪そうにする梗吾が面白くて思わず笑っていると、ふと梗吾の肩越しにレジの様子が目に入った。
客足はひと段落を迎えたようで、幾分か忙しさの落ち着いたレジに、入り口から入ってきた一人の男の子が真っ直ぐに進んでいく。
小学生くらいに見える。一人でケーキ屋さんを訪れるには、やや違和感のある幼さの残る相貌が目に付いたのかもしれない。
レジの沢渡さんと男の子は顔見知りなのか、親しげに言葉を交わし、慣れた様子でケーキ箱を受け取って帰っていった。
職人肌の沢渡さんが、その子ににこやかに手を振って見送っていた。
「子供が好きなのかなあ」
思わずこぼれた独り言に、梗吾が眉を顰める。
「なんだって?」
「いや、なんでもない」
それよりも、限定シュークリームだ。何せ先月は梗吾に奪われたせいで食べ損ねている。
私も待望のシュークリームを食べようと口を開けた瞬間――大きな爆発音がすぐ近くに響いた。
ガラス張りになっていた店の裏手から、混乱した人々の声が聞こえてきた。
『きゃあっ』『火事だ!』『逃げろ!』
イートインスペースにいた人たちも、突然の出来事に顔を見合わせている。
「なに、火事?」
「おい、出るぞ」
梗吾が素早く立ち上がり、私の手を掴んだ。
「え、でもシュークリームが」
「死んだらシュークリームどころじゃねえだろうが!」
梗吾がその場の人たちに「おい、ここは危険だ、全員外に出ろ!」と叫んだ瞬間、ひときわ大きい爆発音が響き、ガラスの一部が爆風を浴びて稲妻のようなひび割れが走った。
一拍遅れて、ガラスが雨となって私たちに降り注いでくる。
「きゃあっ」
「っあぶねえ!」
梗吾が私に覆い被さったので、間一髪で怪我は免れた。
咄嗟に頭を庇った両手越しに、自分のものでない体温を感じる。
心臓が跳ね回っているのは、危険に出くわした驚きなのか、それとも別の感情なのか、この時の私にはうまく判断できなかった。
「あ、ありがとう」
「ふん……もたもたするなっての」
梗吾は私の手を強引に引きながら、レジで呆然とする沢渡さんにも「一旦出ましょう」と出口に向かって背を押す。
外に出ると、通りにはたくさんの野次馬が集まっていた。遠くから消防車のサイレンも近づいてくる。
幸い、お店にいた人たちに怪我はなかったらしいが、お店は臨時休業となった。
集まった人たちから漏れ聞こえてきた話を統合すると、突然公園の茂みから火が上がり、たまたま近くに停まっていたトラックに引火したとのことだった。
「どうしてこんなことに……。最近、こういう目に遭うことが多くてさ、何だか参っちゃうよね……」
ガックリと肩を沢渡さんが心配で寄り添いながらも、私はこの間の真由利君との会話を思い出していた。
「これって最近増えてるっていう放火なのかな。……梗吾?」
振り返った先で梗吾があまりにも恐い顔をしていたので、驚いて肩を揺すった。すると、ハッとして私の方を見てから、私の耳元に顔を寄せ、声を低くした。
「嫌な予感がする。この感じ、こっちの仕事かもしれねえ」
「こっち?」
「陰陽師の仕事。悪霊の類が絡んでる気配がする」
「えっ」
梗吾は鋭い目つきのまま、さりげなく辺りを観察している。誰かを探しているようだった。
「放火する悪霊がこの辺りにいるの?」
「説明するとややこしいんだけどな、悪霊ってのは実態を持たねえ。ウチで見た付喪神を覚えてるか? あんな感じで、具体的な対象を借りて、その力を発現するんだよ」
「陰陽師の依代の話と似てるね」
「仕組みは似たようなもんなんじゃねえか。だからこの辺に放火魔に憑かれた何かがあるはずだ」
「それを見つけたら……祓える、の?」
「さあな」
さあな、って……。
でも、すっかり萎れてしまっている沢渡さんや、不安そうに何かを囁きあっている街の人たちを見ていると、私の中にある気持ちが湧き上がってくるのを感じた。
困っている人がいる。私たちにはそれを解決する鍵がある。
それなら、やるべきことは決まってる。
「私たちで見つけよう。放っておけないよ。だって梗吾にはその力があるんだから」
「わかってる」
そう答えた真剣な横顔は、これまで見てきた梗吾のどの表情よりも頼もしかった。
***
梗吾は「怪我はない」と言い張ってはいたけれど、助けてもらった身としては一抹の責任感で持って彼の家まで付き添うことにした。
帰り道の私たちはどうしても言葉すくなで、爆発の瞬間の、心臓がすくむような恐怖を思い返してしまう。
悶々としたまま朔見家に到着したとき、ちょうど朔見さん――梗吾のお父さんが大きな竹箒で庭を掃いているところだった。朔見さんはどこかぎこちない私たちを一目見て、何かあったのかと察してくれたらしい
「おや、おかえり。どうしたんですか、今日は早いですな」
「実は……」
今日のアンデルセンでの出来事を簡単に説明すると、朔見さんは「ほう……」と何か考えるように拳を顎に当て、宙を睨んだ。
「梗吾、お前はとりあえず着替えてきなさい。ガラスを浴びたならまだ欠片が残っているかもしれない。危険だ」
「おん」
珍しく素直に頷き、梗吾が玄関の奥に姿を消す。やっぱり、少し元気がないようにも見える。
私は居た堪れず「私、梗吾さんに助けてもらったんです。ありがとうございました」と朔見さんに向かって頭を下げた。
「いいんですよ、女の子一人守れんでは情けないですからな」
「梗吾君が、最近増加している放火は悪霊の仕業かもしれないって言ってました。付喪神みたいに、何かに取り憑いて悪さをしてるって」
「何か、ですか……」
朔見さんはやはり難しい顔をしていた。
「確かに、良きものも悪しきものも、物や場所に居つくことがほどんどです。しかし、最近よからぬ噂を聞くことがありましてな」
「噂?」
「私ら陰陽師と似たように、この世にはあまり知られていない稼業として『傀儡師』というのがおります。元は旅の人形回しを表す名称でしたが、私らがその名を呼ぶ時、彼らの仕事道具は人形ではない。人形の代わりに扱うのが――お分かりかな?」
「悪霊、ですか」
朔見さんは静かに頷いた。
「最近この辺りに傀儡師が現れたという噂を聞いたんですわ。私には、今回の件と関係があるように思えてなりません。傀儡師は悪霊を唆し、人に憑かせることができます。本来は成仏するはずだったもの達が、人の体を借りて悪事をはたらくことがある。そうなるともはや生きる厄災と言っていい。恐ろしいことです」
「そんなこと……一体なんのために?」
「私らには分かりやしません。どうせなんらかの私利私欲に流された利己的な動機でしょう。そもそも、大昔は陰陽師も傀儡師も、人ならざるものを相手にする同じものだったのです。それが、人のために働く者と、自分の利益のために力を使う者で袂を分かった歴史があるのです」
朔見さんは、梗吾の消えていった方にふと視線を漂わせ、寂しそうに笑った。
「私がアイツの能力について躍起になっているのも、そのことが関係ないと言えば嘘になります。陰陽師は、世界の理から外れたもの達を祈りの力で良き道に正してやる。その部分をおろそかにしていては、傀儡師と変わらないと考える同業者もおりますでな。あんなドラ息子ですが、やはりアイツに肩身の狭い思いはさせたくないのです」
「で、でもっ、梗吾はそんな自分勝手に力を使うような人じゃない、と思います」
思わず勢い込んだ私を優しく見つめ「そう言っていただけると親としてもありがたいことです」と頷く。
「私たち、この事件の原因になっている悪霊を見つけ出そうと思ってるんです」
「なるほど……私にも人に憑いた状態を見極めるのは難しいですが、考え方だけならば教えて差し上げられます。何か強い怨念を抱えていたり、悪霊を近い感情を持つ人間ほど共鳴しやすい。そのような人物を探し出すことができれば、解決策は見えてくるのではないでしょうか。そのお店の近辺を調べると良いかもしれませんな」
陰陽師と傀儡師。
ルーツは同じだったはずなのに、片方は人を救う存在となり、もう片方は悪霊を手を組んだ。
そして、私の隣にいる男は「神殺し」。それがこの相反する二つの存在の、どこに立っているのか。
どうしてだろう、私を庇った時に彼に触れられた部分がまだ熱を持っている気がした。
「……絶対に、私がなんとかしてみせます」
「何の話だ?」
「わっ!」
頭上から降ってきた聞き慣れた声に思わず飛び退くと、着替えを済ませた梗吾が何か口元をもぐもぐさせながら登場したところだった。
「親父と何話してたんだよ」
「何でもいいでしょ! って、それ! 限定シュークリーム!」
梗吾の手にあったのは、私が食べ損ねた今月の限定シュークリームだった。
「いつの間に?!」
「帰りぎわに沢渡さん? だっけ、あのオーナーが持ってけって。けどあの騒動でだいぶ潰れちまってたんだよ。もったいねえから食った」
「私も食べたかった!」
「けど潰れてたんだって」
「潰れてても食べたかった!」
「あー、もううるせー。また来月行きゃいいだろ」
「今月の限定品は今月だけの販売なの! もう信じられない、私帰る」
「おうおう、気をつけて」
「コラ梗吾、女性を一人で帰らせるんじゃない、送って差し上げなさい」
「アレはそんなタマじゃねえよ」
「そうです、一人で大丈夫なので! 失礼します!」
背後でまだキャンキャンと言い争う親子喧嘩を聞き流しながら、私は寒さの深まる帰路を小走りで駆けた。
一瞬でも共感した私がバカだった。
「沙耶も知ってるかな。最近、不審火が増えてるらしいんだ」
「不審火?」
「おそらく放火なんだけど、特定の誰かを狙ったものではないらしくてね。無作為に火をつけているらしい。そのせいかなかなか犯人が捕まらないと聞くよ」
「そういえば、消防車が走ってるのを最近よく見る気がする」
「理由がわからないものは人の恐怖を増幅する。不安の拠り所として、神様に頼りたくなる人も増えてるのさ」
「それで朝烏神社が忙しいんだ」
「お祓いの依頼として受けるけど、それよりもお祓いという名目で僕と話をして帰ることが心の安定に繋がっているように感じるね」
「カウンセラーみたいだね」
「似たようなものだよ」
真由利君の声を聞くと安心する。子供の頃、親戚で集まる度に一緒に遊んでいたのを思い出すからかもしれないし、もしくはもっと最近になって生まれた感情のような気もする。
なんだかくすぐったい気持ちで、本心ではいつまでも話していたかった。
けど忙しいなら、あまり長話に付き合わせるのは悪い。私はこれまでの梗吾との試行錯誤について簡単に説明することにした。
食べ物や、場所を色々試しているけど依代が見つからないこと。初対面の人に対する態度が悪いこと。
「それは、なかなか厳しいね……」
「でしょ? もう陰陽師の能力とか以前に、人として大丈夫なのって感じ」
「彼が目覚めるまでには、まだしばらくかかりそうだね」
「このままだと本当に許嫁にされちゃう。早くどうにかしないと」
「ははは、沙耶のその行動力があれば大丈夫だよ。僕も沙耶の声聞いてたら元気が出てきた、また様子を聞かせてよ」
「ほんと? 良かった! また何か面白いことがあったら電話するね」
通話終了のボタンを押してからも、私はしばらく画面をぼーっと見つめ続けた。
最後の真由利君の言葉が耳の中を反響している。
私は、ベッドにダイブしてクッションをギュッと抱きしめた。
「ふふ、『元気が出る』だって」
それだけで、頑張れそうな気がするから不思議だ。
***
その次の週末、またしても私たちは「アンデルセンのお菓子屋さん」に来ていた。
接客担当の瑞稀さんが手持ち無沙汰にしていた先週とは打って変わって、今日はすでに数組のお客さんがレジ待ちの列を形成している。
なぜなら今日は、月に一度の限定シュークリームの日なのだ。
「俺は奢らねえぞ」
「わかってるよ。その代わり自分の分は自分で払ってよ」
減らず口をきいてはいるけれど、今日の梗吾はやけにおとなしい。なんだかんだ言いつつ、結構ここのシュークリームを気に入っているんだと思う。
ショーケースに並ぶ色とりどりのケーキに目が奪われていたら、いつの間にか列が進んでいたらしい。「いらっしゃいませ」と呼びかけられた声が男性のものだったので、私はハッとして顔を上げた。
「あっ、沢渡さん」
レジの前に立っていたのは、いつもはガラスの向こうで腕を振るっているオーナー沢渡さんだった。
相変わらず熊のようなどっしりとしたいでたちで、案外人当たり良さそうな笑顔を浮かべている。
ケーキに対峙する真剣な時間以外は、結構優しいクマさんなのかもしれない。
「お決まりでしたらお伺いします」
「あっ限定シュークリームを二つと、ザッハトルテひとつお願いします。あの……今日は瑞稀さん、お休みですか?」
「ああ、そうなんですよ。彼女、体調を崩してしまったらしくて」
「心配ですね……」
沢渡さんは柔和な表情でショーケースの商品をトレーに集め、慎重にレジへと持ってきた。
「僕はこんなナリなので威圧感があるらしくて。お客様の前に出るのに向いてないんですよ」
「そんなことないですよっ」
「こうして見てても、愛情込めて作ってるの、わかるっすよ」
ずっと横で黙っていた梗吾が彼にしては珍しく素直な褒め言葉を口にしたので、へえ、と思った。そういうことも言えるんだ。
沢渡さんも嬉しそうに体をゆすってお礼を言ったあと、そうだ、と顔を上げた。
「そうだ、お二人はイートインスペースを利用されたことはありますか? 最近食器をリニューアルして口コミでも良く言っていただけてるんですよ」
「そうなんですか! 知らなかった。ねえ梗吾、イートインにして行かない?」
「好きにしろ」
「じゃあ決まり」
沢渡さんはにっこりと笑って「ではご案内しますね」とシュークリームたちを持ち上げた。
さすが限定シュークリームの日とあって、イートイン用のテーブルも八割程度埋まっていて、あちこちから「かわいー!」とか「おいしいね」といった弾んだ声が聞こえてくる。
私たちは出入り口の近くのテーブルに通され、向かい合って座っていた。
「梗吾ってさ」
「あ?」
「やっぱり甘いもの好きだよね」
見てい流だけで気持ちいい勢いでシュークリームにかぶりつく梗吾は、私の言葉に硬直した。しばらくしてから照れ隠しのように「うるせえ」と呟いた。
居心地悪そうにする梗吾が面白くて思わず笑っていると、ふと梗吾の肩越しにレジの様子が目に入った。
客足はひと段落を迎えたようで、幾分か忙しさの落ち着いたレジに、入り口から入ってきた一人の男の子が真っ直ぐに進んでいく。
小学生くらいに見える。一人でケーキ屋さんを訪れるには、やや違和感のある幼さの残る相貌が目に付いたのかもしれない。
レジの沢渡さんと男の子は顔見知りなのか、親しげに言葉を交わし、慣れた様子でケーキ箱を受け取って帰っていった。
職人肌の沢渡さんが、その子ににこやかに手を振って見送っていた。
「子供が好きなのかなあ」
思わずこぼれた独り言に、梗吾が眉を顰める。
「なんだって?」
「いや、なんでもない」
それよりも、限定シュークリームだ。何せ先月は梗吾に奪われたせいで食べ損ねている。
私も待望のシュークリームを食べようと口を開けた瞬間――大きな爆発音がすぐ近くに響いた。
ガラス張りになっていた店の裏手から、混乱した人々の声が聞こえてきた。
『きゃあっ』『火事だ!』『逃げろ!』
イートインスペースにいた人たちも、突然の出来事に顔を見合わせている。
「なに、火事?」
「おい、出るぞ」
梗吾が素早く立ち上がり、私の手を掴んだ。
「え、でもシュークリームが」
「死んだらシュークリームどころじゃねえだろうが!」
梗吾がその場の人たちに「おい、ここは危険だ、全員外に出ろ!」と叫んだ瞬間、ひときわ大きい爆発音が響き、ガラスの一部が爆風を浴びて稲妻のようなひび割れが走った。
一拍遅れて、ガラスが雨となって私たちに降り注いでくる。
「きゃあっ」
「っあぶねえ!」
梗吾が私に覆い被さったので、間一髪で怪我は免れた。
咄嗟に頭を庇った両手越しに、自分のものでない体温を感じる。
心臓が跳ね回っているのは、危険に出くわした驚きなのか、それとも別の感情なのか、この時の私にはうまく判断できなかった。
「あ、ありがとう」
「ふん……もたもたするなっての」
梗吾は私の手を強引に引きながら、レジで呆然とする沢渡さんにも「一旦出ましょう」と出口に向かって背を押す。
外に出ると、通りにはたくさんの野次馬が集まっていた。遠くから消防車のサイレンも近づいてくる。
幸い、お店にいた人たちに怪我はなかったらしいが、お店は臨時休業となった。
集まった人たちから漏れ聞こえてきた話を統合すると、突然公園の茂みから火が上がり、たまたま近くに停まっていたトラックに引火したとのことだった。
「どうしてこんなことに……。最近、こういう目に遭うことが多くてさ、何だか参っちゃうよね……」
ガックリと肩を沢渡さんが心配で寄り添いながらも、私はこの間の真由利君との会話を思い出していた。
「これって最近増えてるっていう放火なのかな。……梗吾?」
振り返った先で梗吾があまりにも恐い顔をしていたので、驚いて肩を揺すった。すると、ハッとして私の方を見てから、私の耳元に顔を寄せ、声を低くした。
「嫌な予感がする。この感じ、こっちの仕事かもしれねえ」
「こっち?」
「陰陽師の仕事。悪霊の類が絡んでる気配がする」
「えっ」
梗吾は鋭い目つきのまま、さりげなく辺りを観察している。誰かを探しているようだった。
「放火する悪霊がこの辺りにいるの?」
「説明するとややこしいんだけどな、悪霊ってのは実態を持たねえ。ウチで見た付喪神を覚えてるか? あんな感じで、具体的な対象を借りて、その力を発現するんだよ」
「陰陽師の依代の話と似てるね」
「仕組みは似たようなもんなんじゃねえか。だからこの辺に放火魔に憑かれた何かがあるはずだ」
「それを見つけたら……祓える、の?」
「さあな」
さあな、って……。
でも、すっかり萎れてしまっている沢渡さんや、不安そうに何かを囁きあっている街の人たちを見ていると、私の中にある気持ちが湧き上がってくるのを感じた。
困っている人がいる。私たちにはそれを解決する鍵がある。
それなら、やるべきことは決まってる。
「私たちで見つけよう。放っておけないよ。だって梗吾にはその力があるんだから」
「わかってる」
そう答えた真剣な横顔は、これまで見てきた梗吾のどの表情よりも頼もしかった。
***
梗吾は「怪我はない」と言い張ってはいたけれど、助けてもらった身としては一抹の責任感で持って彼の家まで付き添うことにした。
帰り道の私たちはどうしても言葉すくなで、爆発の瞬間の、心臓がすくむような恐怖を思い返してしまう。
悶々としたまま朔見家に到着したとき、ちょうど朔見さん――梗吾のお父さんが大きな竹箒で庭を掃いているところだった。朔見さんはどこかぎこちない私たちを一目見て、何かあったのかと察してくれたらしい
「おや、おかえり。どうしたんですか、今日は早いですな」
「実は……」
今日のアンデルセンでの出来事を簡単に説明すると、朔見さんは「ほう……」と何か考えるように拳を顎に当て、宙を睨んだ。
「梗吾、お前はとりあえず着替えてきなさい。ガラスを浴びたならまだ欠片が残っているかもしれない。危険だ」
「おん」
珍しく素直に頷き、梗吾が玄関の奥に姿を消す。やっぱり、少し元気がないようにも見える。
私は居た堪れず「私、梗吾さんに助けてもらったんです。ありがとうございました」と朔見さんに向かって頭を下げた。
「いいんですよ、女の子一人守れんでは情けないですからな」
「梗吾君が、最近増加している放火は悪霊の仕業かもしれないって言ってました。付喪神みたいに、何かに取り憑いて悪さをしてるって」
「何か、ですか……」
朔見さんはやはり難しい顔をしていた。
「確かに、良きものも悪しきものも、物や場所に居つくことがほどんどです。しかし、最近よからぬ噂を聞くことがありましてな」
「噂?」
「私ら陰陽師と似たように、この世にはあまり知られていない稼業として『傀儡師』というのがおります。元は旅の人形回しを表す名称でしたが、私らがその名を呼ぶ時、彼らの仕事道具は人形ではない。人形の代わりに扱うのが――お分かりかな?」
「悪霊、ですか」
朔見さんは静かに頷いた。
「最近この辺りに傀儡師が現れたという噂を聞いたんですわ。私には、今回の件と関係があるように思えてなりません。傀儡師は悪霊を唆し、人に憑かせることができます。本来は成仏するはずだったもの達が、人の体を借りて悪事をはたらくことがある。そうなるともはや生きる厄災と言っていい。恐ろしいことです」
「そんなこと……一体なんのために?」
「私らには分かりやしません。どうせなんらかの私利私欲に流された利己的な動機でしょう。そもそも、大昔は陰陽師も傀儡師も、人ならざるものを相手にする同じものだったのです。それが、人のために働く者と、自分の利益のために力を使う者で袂を分かった歴史があるのです」
朔見さんは、梗吾の消えていった方にふと視線を漂わせ、寂しそうに笑った。
「私がアイツの能力について躍起になっているのも、そのことが関係ないと言えば嘘になります。陰陽師は、世界の理から外れたもの達を祈りの力で良き道に正してやる。その部分をおろそかにしていては、傀儡師と変わらないと考える同業者もおりますでな。あんなドラ息子ですが、やはりアイツに肩身の狭い思いはさせたくないのです」
「で、でもっ、梗吾はそんな自分勝手に力を使うような人じゃない、と思います」
思わず勢い込んだ私を優しく見つめ「そう言っていただけると親としてもありがたいことです」と頷く。
「私たち、この事件の原因になっている悪霊を見つけ出そうと思ってるんです」
「なるほど……私にも人に憑いた状態を見極めるのは難しいですが、考え方だけならば教えて差し上げられます。何か強い怨念を抱えていたり、悪霊を近い感情を持つ人間ほど共鳴しやすい。そのような人物を探し出すことができれば、解決策は見えてくるのではないでしょうか。そのお店の近辺を調べると良いかもしれませんな」
陰陽師と傀儡師。
ルーツは同じだったはずなのに、片方は人を救う存在となり、もう片方は悪霊を手を組んだ。
そして、私の隣にいる男は「神殺し」。それがこの相反する二つの存在の、どこに立っているのか。
どうしてだろう、私を庇った時に彼に触れられた部分がまだ熱を持っている気がした。
「……絶対に、私がなんとかしてみせます」
「何の話だ?」
「わっ!」
頭上から降ってきた聞き慣れた声に思わず飛び退くと、着替えを済ませた梗吾が何か口元をもぐもぐさせながら登場したところだった。
「親父と何話してたんだよ」
「何でもいいでしょ! って、それ! 限定シュークリーム!」
梗吾の手にあったのは、私が食べ損ねた今月の限定シュークリームだった。
「いつの間に?!」
「帰りぎわに沢渡さん? だっけ、あのオーナーが持ってけって。けどあの騒動でだいぶ潰れちまってたんだよ。もったいねえから食った」
「私も食べたかった!」
「けど潰れてたんだって」
「潰れてても食べたかった!」
「あー、もううるせー。また来月行きゃいいだろ」
「今月の限定品は今月だけの販売なの! もう信じられない、私帰る」
「おうおう、気をつけて」
「コラ梗吾、女性を一人で帰らせるんじゃない、送って差し上げなさい」
「アレはそんなタマじゃねえよ」
「そうです、一人で大丈夫なので! 失礼します!」
背後でまだキャンキャンと言い争う親子喧嘩を聞き流しながら、私は寒さの深まる帰路を小走りで駆けた。
一瞬でも共感した私がバカだった。