その夜、私はある人に電話をかけた。

「――それで、その子が陰陽師として一人前になるために協力するってことになっちゃって」
「あはは、猪突猛進。沙耶らしいね」

 電話口から初夏のサイダーみたいに爽やかな笑い声が響く。
 電話の相手は、従兄弟の真由利(まゆり)君。私より少し年上の大学二年生で、朝烏神社を継ぐために神学を専攻している。小さい頃から私にとっては良きお兄さんで、いつも冷静で温和な振る舞いが素敵だなと実は密かに憧れている。
 密かにと言いつつ、大学の入学祝いにと誕生石の嵌まったブレスレットを選んでプレゼントしたこともある。
 そんな真由利君は、陰陽師についても「実際に会ったことはないけど、そういう仕事をしている人の話は聞いたことがある」と言って、親身になって聞いてくれた。

「でも、どうやったら、魂を救う力を見つけられるんだろう。何か修行みたいなことが必要なのかな」 
「その彼は、力が全くないわけじゃないんでしょ? 祓う能力は強いってことなら。上手く制御する方法が分かればいいんじゃないかな」
「制御……」
「たとえば、かつての陰陽師はその特別な力を扱うために“依代(よりしろ)”を使ったという話がある」
「依代? ご神木、みたいな?」
「大まかな意味ではそんな感じだけど、彼らが使ったのは、もっと身近なものだよ。手鏡とか、小刀みたいな道具だったり、思い入れのある場所や部屋を呪術の場として決めていた人もいたらしい」
「その人ごとに違うんだ」
「そう。重要なのは、その人にとって最も大切なものが、能力を具現化させる依代として相応しいってこと」
「うーん……」
 
 考え込む私の様子を察したのか、真由利君は「まあ、君たちはまだ若い。これからゆっくり探してゆきたまえ」なんて冗談混じりに笑った。

「あ、あとは好きな食べ物とかも試してみるといいかもしれないよ」
「食べ物? 食べて力を出すの?」
「そうそう、それだけ聞くとなんか深夜アニメの設定みたいだけど、案外昔の伝承にあったりするらしい。握り飯を食べて悪霊を封じる大師の話とか」

 頭の中で、おにぎり片手に悪霊と戦うおじいさんが浮かぶ。どんなふうに伝承されていったんだろう。おにぎり僧侶?
 真剣な話のはずなのに、ちょっと笑ってしまう。私たちの状況はまだ進んでないけど、笑ったら、ちょっと前向きになれた気がした。

「ありがとう、色々試してみる」
「面白いね、『神殺し』とは。また続報聞かせてよ、今後の勉強にもなりそうだし」
「うん」

 じゃあね、と真由利君との通話を終えて、私は自室のベッドで天井を見上げた。
 梗吾の依代はなんなんだろう?
 大切にしている道具、思い出の場所……次に会った時に聞いてみよう。なにかひとつくらいは効果があるかもしれない。
 
「食べ物……かあ」

 何かお気に入りの食べ物とかあるのかな。
 そこまで考えたとき、先日の顔合わせでの様子がふと浮かんだ。
 ――そういえば、手土産のカステラ美味しそうに食べてたな。

*** 

「……それで、これか」
 私の婚約回避作戦は、梗吾の苦笑いで幕を開けた。

 次の土曜日、私は両手に荷物を山ほどぶら下げて朔見家を訪れた。
 先週と同じ部屋に通してもらい、その荷物を全て開封すると――あっという間に大きな座卓は様々なスイーツで溢れかえった。
 コンビニでも買えるような定番の市販品から、有名ショコラティエのチョコレート、ケーキやパイ、キャンディ、ゼリー、変わり種でフルーツ大福なんてのも。私が友達に情報を募り、話題のスイーツ情報をかき集めた成果だった。

「とりあえず全部一回試してみて! この中に、依代にできるものが見つかるかもしれない」
「一気にこんなに食えるかよ」
「た、たしかに……」

 ここに来るまでは張り切っていた私も、梗吾の呆れ顔を見てさすがに冷静になった。

「ごめん、そこまで考えてなかった」
「ったく、しょうがねえな。お前のおすすめは?」
「お前じゃなくて、沙耶」
「チッ。……沙耶のおすすめは?」
「これ!」

 私は迷うことなくケーキショップの小箱を指差した。
 箱は、赤色のインクでミニチュアサイズの木々や女の子のイラストがぐるりと印刷されていて、中央に「アンデルセンのお菓子屋さん」と店名が書かれている。
 これは私が昔から気に入っている小さなケーキ屋さんで、パティシエのオーナー沢渡(さわたり)さんと、販売担当のお姉さんの瑞希(みずき)さんが働いている。私が何度も通うものだから、今ではすっかり顔馴染みなのだ。

「もうね、どのケーキも絶品なの! ショートケーキは甘いのにくどくないし、フロマージュは口で溶けて消えるし、季節のタルトは一期一会だから見つけたら絶対買った方がいい!」

 思わず熱く語っていたら、あれもこれもと欲張って注文してら瑞稀さんに「今日はパーティーでもあるの?」って笑われて恥ずかしかったことも思い出した。
 
「まあ、うん。つまり食べたら分かるから。ねえどれか、気になるのはある?」
「ん、じゃあ……これがいい」

 梗吾が手に取ったのは、アンデルセンの小箱……と一緒に紙袋に入っていた、個包装のシュークリームだった。

「あぁっ! それは!」
「あ? なんだよ」
「それは自分用に買ったやつなの!」
「ああ……だから一個しかねえのか」

 アンデルセンには、知る人ぞ知る名物商品がある。
 それがこの『月のシュークリーム』で、毎月一日のみ販売されるというレア商品なのだ。
 これは十一月一日限定発売の『霜月シュー』で、抹茶パウダーのかかったシューにイチゴのクリームが挟まっている。
 
「それは置いといて」
「えー、ヤダ。これがいい」

 手のひらの上に乗せたシュークリームをしげしげと眺めている姿がやけに様になるのも腹が立つ。
 そして、私を見てにやりと笑う。

「もしこれが俺の依代だったらどうする? ここで見送ったら、ずっと依代は見つからなくて、最後は俺と結婚させられるんだぜ。それは嫌なんだろ?」
「うう……」
「食ってみたら分かるかもしれねえなあ?」
「……どうぞ」

 悪魔だ。このスペシャルシュークリームだけは自分用だったのに!
 限定のシュークリームは、梗吾の大きなひとくちでみるみる消えていった。口の端についたクリームを指先で拭いながら、首を捻って私を見る。
 
「力がどうとか、何も感じねえ、これは依代にはならねえな。あと、俺はイチゴクリームより生クリームの方がいい」
「うー! 腹立つ!」

 なんだかんだ言いつつ、そんな調子で食べ進めた結果、私が持ち込んだスイーツたちはあっという間に食べ尽くされてしまった。
 私の今月のお小遣いが一瞬で胃袋の中に……。
 項垂れる私を見て、梗吾は少し同情的な気分になったらしかった。
 
「そんな顔すんなよ。まだ始めたばっかじゃねえか」
「そうだね……。とりあえずスイーツではなかったとして、あとは好きなものとか、場所とかを探そうか。お気に入りの場所とかないの?」
「普段あんま出かけることねえからな……」
「友達と遊びに行ったりとかもしないの?」
「ガキの頃から、ガッコがない日はやれ家の手伝いだなんだって駆り出されてたからな。別にどっか行きたいと思ったこともねえし」
「もしかして、陰陽師の能力が上手く扱えないのってそういう経験不足も関係あるんじゃない?」
「そもそも祈りの力なんか必要ねえよ」
「そういう問題じゃないでしょ! 解決しないと本当に結婚させられちゃうかもしれないんだから。じゃあ来週からは、力を発揮できそうな場所を探すことにしよう」

 もちろん、こちらも友達ネットワークを駆使してあらかたの下調べはしてある。……と言っても、陰陽師とか許嫁とかの変な誤解を生みそうな部分を省略して「同年代の男の子と出かける時ってどこに行けばいいかな?」なんて聞き方をしたせいで、水族館とかアミューズメント施設とか、デートみたいな提案ばかりになってしまったんだけど。
 その中でもマシなところから当たってみるつもりだ。
 びっしり埋まった行き先リストを見た梗吾は気圧されたように「お、おう」と小さく頷く。
 そして荷物をまとめる私が背を向けたのを見計らったかのように、小さくため息をついた呟きが聞こえた。

「面倒くせえことになってきたな……」

 ***

 それからは、週末ごとにあらゆる場所に梗吾を連れて行った。
 巷でパワースポットと噂されている湧水が出る山とか、実は歴史のある近所の城址公園とか、友達にデートと勘違いされておすすめされた動物園も。
 だけど、そこで梗吾の何かが突然目覚める……なんて都合の良い事態は起こらず、ただ財布と体力を削るだけに終わった。

「あーあ。梗吾って、本当に陰陽師なの? ここまでしても祈りの力が現れないとなると実は偽物なんじゃない?」
「んなワケねえだろ。こちとらこれまでもジジイの手伝いに駆り出されてんだよ」
「だってこんなに色々やってるのに何にも起こらないんだよ」
「だーかーらー、祈りなんて必要ねえの」

 この日の私たちは、近所のショッピング街をぶらついていた。何か目的地があるわけではなく、単純に、毎週どこかに遠出して肩透かしを食らうことに疲れたのだ。
 駅前のアーケード街は、いつも老若男女で賑わっている。人ごみをかき分けながら歩き回るのにも疲れたので、コーヒーショップあたりで休憩しようかと入れる店を探しているところだった。

「当の本人がこれだもんな……そんな意気込みじゃ一人前の陰陽師には一生なれないよ」
「俺が半人前みたいに言うなよ」
「だってそうじゃん。神殺しなんて呼ばれてさ」
「俺はな、もう必要な能力は備えてんの。いざって時も困らねえからいいの」
「ほんとかなあ」
「賭けてもいい」
「すごい自信だねえ」
 
 しばらく歩くと、白い壁に赤いシルエット模様が描かれた小さいながらもかわいらしい外装のお店が現れた。看板には、外壁の模様を同じ赤色で『アンデルセンのお菓子屋さん』の文字。
 
「あ、ここ! こないだ限定シュークリーム食べられたケーキ屋さんだよ」
「めちゃくちゃ根に持ってんな」
「さっきの賭けの話、もう取り消せないからね。私の尽力によって祈りの力を手に入れたら限定シュークリーム奢ってよ」

 今日は立ち寄るつもりはなかったのだが、ガラス越しに覗き込んだ先でレジ前に立っていた瑞稀さんと目が合った。
 瑞稀さんは小柄で小動物的な愛らしさがあふれる、憧れのお姉さんだ。お店のイメージである童話風の縫い取りがしてある制服も、瑞稀さんが着るとすごく可愛い。高い位置のポニーテールが柔らかな流線型を描いている。
 ちょうど客足が途切れたところだったのか、手持ち無沙汰にしていたらしく私に気がついた瑞稀さんは胸元で手を振り、おいでよーよ口パクで呼びかけてきたのが分かった。
 梗吾に断って、ちょっと世間話をしていくことにする。梗吾は渋い顔のまま、私の後ろにくっついて来た。

 自動ドアが開いた瞬間、瑞稀さんのガーリーな声が飛び込んできた。

「沙耶ちゃん! もしかしてデート?!」
「そんなんじゃないですよお、身売りされたんです」
「あはは、何それ。美男美女ですごくお似合いに見えるよー」

 私の後ろで梗吾が「ふん」と小さく鼻で笑ったので、瑞稀さんの死角になる足元でつま先を踏んでおく。

「それより瑞稀さんこそ、最近どうなんですか?」
「どうもこうも、相変わらずだよー。けどね、こないだ初めて試作品の感想聞かれたの! 緊張して何も気の利いたこと言えなかったけど」
「え、すごい! 信頼されてるってことですよ! いい感じじゃないですか」

 盛り上がる女子に圧倒されたのか、背後で梗吾が居心地悪そうにそわそわと辺りを見回し始めたので「ごめん、なんの話かわかんないよね」と簡単に状況を説明することにした。
 瑞稀さんは、現在絶賛片想い中なのだ。相手は、この店のオーナーの沢渡さん。
 ちょうどここからも、ガラスの向こうのキッチンでケーキの飾り付けを行なっている沢渡さんの横顔が見える。どっしりした体格や、白いコックコートから伸びる腕の黒さだけ見ると熊みたいだけど、商品にかける情熱は人一倍で、お客さん思いなアツい人物であるらしい。もっとも、私は直接オーナーと話したことはないからこれは瑞稀さんからの受け売りだけど。

「いやいや、いい感じとかそういうのじゃないよー。私が勝手にいいなーって思ってるだけなんだから」
「でも私、応援しますから! 瑞稀さんなら絶対大丈夫です」
「あはは、そう言ってもらえると嬉しいなー」

 瑞稀さんはまさに「恋する乙女」って感じに頬を赤らめながら肩をすくめた。
 恋っていいなあ、それに比べて私の方は……どんよりした気分で梗吾を振り返ると、彼も私を見ていたらしくバチっと目が合った。予想もしていなかった鋭い目つきに、思わずドキリとする。

「な、なに」
「やめとけ」
「なにがよ」
「人の腫れた惚れたに首突っ込むな」
「いいじゃん、邪魔するわけじゃなくて、応援してるんだから」

 これまでの梗吾のイメージだと「恋愛なんて興味ねえ」とか言いそうだと思っていたから、ちょっと意外な言葉だった。
 梗吾は大袈裟に「はあー……」とため息をついて見せ、無理やり私の手を取り店の外へと引っ張っていく。そのせいで瑞稀さんへの挨拶もそこそこに、私は渋々アンデルセンのお菓子屋さんをあとにした。
 私を外に出てから、梗吾は無言で黙々と歩いていた。店からそれなりの距離が開いた頃、出し抜けに立ち止まり、私に向き合う。
 
「あの女と関わるのはやめとけ」
「あの女って、瑞稀さんのこと?」
「他に誰がいるんだよ」
「恋バナなんて、女子にとったら世間話みたいなもんだよ? そんな毛嫌いすることじゃないと思うけど」
「あいつ……なんかムカつくんだよ」
「うわっ」

 そんな身も蓋もない理由で?!
 梗吾って……あんまり友達もいなさそうだし、外出もしないとは言ってたけど……。
 家の事情というより、それはこいつ自身の性格の問題のような気がしてきたのだった。