しばらく悪天候が続いていたからか、久しぶりに晴れた週末の街は、冬の寒さを感じさせないほど人で賑わっている。
 私は父親の運転する車の後部座席の窓から、そんな行き交う人たちを見るともなしに眺めていた。
 
 そして、ふと不思議な気分になる。
 
 これだけたくさんの人がいて、その全員に今日までの人生があって、ここに居る人の数だけの未来がある。
 それってすごいことだなあ、なんて。
 
 こんな妙な感慨にふけってしまうのは、きっと心が落ち着かないせいだ。
 普段は着ないような上質なワンピースを着せられて、目的地も知らされずどこかに連れていかれているこの意味の分からない現状から目を逸らそうとしている……ような気もしなくもない。
 私の人生が、これまでと違う方向に動き始める第六感めいた予感。

「ねえ、これどこに向かってるの?」

 痺れを切らして、ハンドルを握る父、朝烏(あさがらす)源二郎に声をかけたけれど、ちょうど対向車線を消防車がけたたましくサイレンを鳴らしながら通り過ぎたせいでよく聞き取れなかったらしい。お父さんは「ん? なんだって?」と声を張り上げた。

「どこまで行くのか聞いたの!」
「もう少しで到着する!」

 そのやりとりの間にも、消防車や救急車が何台か走り抜けて行った。
 最近、緊急車両のサイレンをやたら聞く気がする。

「だから到着ってどこによ……」

 私は釈然としない思いでため息をついた。
 こういう時はどうせ、また“本家”のおつかいに決まってるのだから。

 私、朝烏沙耶(さな)の父方の実家である朝烏家は、代々この地域を守る朝烏神社に奉祀する社家一族である。
 普段はお父さんの兄である長男一家、つまり叔父の一家が神職を担っているので、私たち一家はごく普通のサラリーマン家庭と変わらない。
 けれど、たまにこうして“おつかい”を頼まれることがあった。

(これまでも御神札(おふだ)を届けるとか、神社のご案内みたいなことはしてたけど……)

 今回は、なんだか嫌な予感がする。
 改めて自分達の格好を見た。
 私はウチの小さなクローゼットのどこにあったのか分からない瑠璃色の触り心地の良いワンピースを着せられているし、いつもはせいぜいジャケット姿のお父さんは珍しくネクタイなんか締めているのだ。
 さすがに、今回のおつかいは何か違う、と感じずにはいられなかった。
 
 車は繁華街を抜けて、静かな高級住宅街へと入っていく。
 この辺りは、何百年も前から代々受け継いでいる土地でござい、みたいな由緒あるお屋敷が立ち並ぶいわゆる「家柄の良い」エリアで、私にはあまり馴染みがない。
 しばらくすると、ある屋敷へ到着した。

 お父さんが躊躇いなくチャイムを押すと、着流し姿の小柄なお爺さんが出迎えてくれた。
 
「朝烏神社から参りました」
「お待ちしておりました。朔見(さくみ)でございます。おぉ、あなたが朝烏のところのお嬢さんですね」

 上品そうなお爺さんが私を見てニコリ、と微笑んだ。よくわからないまま、小さく会釈を返す。
 そして車から降りる時に持たされていた手土産の存在を思い出した。
 
「あ、あのっ、これ、よろしければ」

 有名店のカステラを手渡すと、お爺さんは「おお、これはこれは」と相好を崩した。

「あいつが喜びそうだ」
 そう呟くと、くるりと背を向けて「こちらへ」と私たちを案内する。

 ……あいつ?
 何の話だろうと横に立つ父の顔を見たけれど、わざとらしく視線をそらされた。
 
「いやあ、朝烏さんに良いお返事を貰えて助かりましたよ。なにせこの辺りでは一番歴史ある神社でいらっしゃるから」
 
 朔見さんはホクホクしてるけど、私はその言葉にちょっと引っかかるものがあった。
 気づかれないように、隣を歩くお父さんの腕を急いでこっそり引っ張る。
 
「ねえ、お父さん次男じゃん。私たち朝烏の本家じゃないって言った方が良くない?」
「本家の方の子どもは三人とも息子だろ。それでウチに要請が来たんだ」
「はぁ……?」
 意味がわからない。
 
 私たちは、広い和室の応接間に通された。
 床の間には鮮やかな南天の生花の奥に高そうな掛け軸がかかっている。
 若干の居心地の悪さを感じながら、促されるまま座卓についたところで、お父さんがようやく口を開いた。
 
「それで、例のご子息というのは……」
「時間までには用意を済ませるように言っていたはずですが……少々お待ちください。お恥ずかしい限りです」
 
 朔見さんはそう言って立ち上がると、襖を開けて廊下に向かって――これまでのイメージから想像できないような鋭い声で叫んだ。
 
「梗吾っ、お客様が来てるぞ! 早く来んかっ」 
「家の中でギャンギャンうるせえなあ……聞こえてるっつの」
 
 襖越しで姿は見えないが、返事は予想よりも近い場所からあった。寝起きみたいな、ぶっきらぼうな低い声。
 
「今起きたのか? もう昼前だぞこのボンクラがっ!」
「オヤジこそ、お客サマの前でそんな取り乱すなっての」

 そう言いながら、ふらりと姿を見せたのは――私と同じくらいの年頃の、目つきの悪い男だった。

「ああ、アンタが朝烏さん? どーもハジメマシテ」
 ニヤリと笑う。
 ビジュアル系バンドと言われても納得してしまいそうな端正な顔立ち。なのに、目つきがやたらと鋭いのと、日本家屋の中でのレザージャケット姿が、なんだかチグハグな感じがした。
 なんか、上手く言えないけど……。
「ガラ悪……」
 思わず口から溢れてしまった。
「んだとコラ」
 すぐさまギロリと睨まれる。
 朔見さんが慌てて割って入った。
「こらやめんか。大切なお客様なんだぞ」
「うるせえな、勝手に話進めやがって。俺は納得してねえからな」
 
 ……えっと、なんの話?
 状況が把握できていないのは私だけらしい。
 隣で空気になっていたお父さんを突いて「どういうことよ」と詰め寄ると、視線を泳がせながらボソボソと話し始めた。
 
「こちらは、朔見梗吾さんだ。朔見さんのお宅は、代々この地を護る陰陽師の血を引いていらっしゃる」
「陰陽師?」
「うちが代々神社なように、他のお家にも代々引き継いでいる役割があるんだよ」
 
 さも当然、と言った口ぶりだが、この現代に陰陽師と言われても……時代劇じゃあるまいし。
 
「だから彼が次代の陰陽師になるわけだが、まだ力が不安定とのことで、うちに相談を受けたというわけだ」
「ええ、ええ。そうなんです。烏朝神社のお嬢さんを梗吾の将来の花嫁としてお迎えしたいとお願いしたんですよ。いやあ、快諾頂けて本当に良かった」
 
 ……ちょっと待て。
 このほんわかお爺ちゃん、いま、何かとんでもない事を言わなかった?

***
 
 この世界には、知られざる一面がある。

 かつての日本では情をかけた道具などに宿ると言われる「付喪神(つくもがみ)」や、人間の暮らしに悪さやいたずらをしかける「妖怪」と呼ばれる存在が、生活のすぐそばにあった。時代の流れとともに人々の意識からその存在は薄らいでゆき、いまや彼らを認識している者は少ない。
 
 けれど、サラリーマンが忙しく行き交うオフィスビル、学生や家族で賑わうショッピングモール、現代の景色の中にも、それらはひっそりと、しかし確かに存在している。

「人知れず悪事を働く悪しき霊を祓い、より良き魂の輪廻へと導くため浄化の祈りを捧げる。それが、現代の陰陽師の役割なのです」

 朔見さんはそう言って、湯呑みを静かにおろした。

「はあ、なるほど……」
「たとえばですな、この湯呑みなんかはもうかなり長い間使っております。そのためいつからか自我が現れ始めたわけですな」

 そのまま流れるような手つきで湯呑みを座卓の外へ払いのけた。
(そんなことしたら割れちゃう!)
 私は陶器が床にぶつかる鈍い音を想像して咄嗟に身を引いた――けれど、不思議なことが起こった。
 湯呑みは床にぶつかる直前、見えない手足が生えたているかのようにぐん、と空中で踏ん張ったかと思うと、くるりと向きを変えて何事もなかったかのように床に正立したのだ。
 朔見さんは落ち着いた様子で湯呑みを拾い、「驚かせてしまいましたね」と優しくその表面を撫でた。

「この子はかつては粗野に扱われた恨みを晴らそうと、他の食器と共鳴して色々やらかしたものですが、今はこうして良い道を見つけていますので、もうかれこれ数十年、ヒビのひとつも入っておりません」
「すごいですね」

 素直に関心してしまう。
 まるで手品を見ているようだった。
 
「こうして、私たちは実は人ならざるものと寄り添って生きているのです。そんな世で、陰陽師の本質は間違った場所に居着いた悪霊を良い道に導くこと。その名の通り、隠と陽、二つの両方の要素が求められるというわけですな。それがこの梗吾ときたら、悪霊を祓う能力は飛び抜けているのですが、祈りの方がからっきしでして……」
 
 朔見さんの白い目を察知して、梗吾は天邪鬼な猫みたいにそっぽむいた。
 中庭から射し込む陽の光が浮かび上がらせるその横顔が、ハッとするほど美しくて思わずしげしげと見つめてしまう。
 チラリと目があった。

「……んだよ」
「あ、いや、なんでもない、です」

 朔見さんは私たちのそんなやり取りには気づかず、何度目かわからないため息を繰り返している。
 
「しまいには仲間内でこやつのことを『神殺し』なんて揶揄されるまでになってしもうて」
「神殺し……」
「祓うだけで救済できんからです、なんとも不名誉な……」
「別に他人から何て呼ばれようと関係ねえだろ」
「良いわけなかろうがっ」

 梗吾は激昂する朔見さんを「ハッ」と軽く笑い飛ばして、他人事みたいな顔でお皿に出されたカステラに手を伸ばす。
「お、これうめえな。アンタも食えば?」
「あ、うん……」
 マイペースな親子を前に、どういう表情で座っていればいいのか分からなくなってきた。
 
 さて、跡継ぎが「神殺し」なんて呼ばれ始めて、いよいよ困った朔見さんは考えた。
 陰陽師として、祈りの力を高める必要なのは他者との深い交流であると言われている。人を思いやる気持ちが、ひいては神や妖怪を救う力に通じるのだ、と。
 
「こいつは普段フラフラしてばっかりで、人と関わることをしてなかったんです。遅くに出来た子だからと甘やかしてしもうて、ろくに躾けてやらんかった私も悪いのですが」
 朔見さんが恨めしそうに梗吾を見る。 
 そして、このたび荒療治として許嫁を取ろうということになったそうだ。
「大切な人を持って、思いやる気持ちを持てば、こいつの陰陽師としての素質も改善するのではと……」

 そして突如背筋を伸ばし、真剣な表情で私に頭を下げた。
「烏朝神社のお嬢さんなら、こんな妙な話でもご理解いただけると思いお願いした次第です。快諾頂きましてありがとうございます」

 快諾もなにも、私は全部初耳の話だ。
 隣で涼しい顔をしているお父さんを見る。
 
「ねえ、こんな大事なこと、勝手に安請け合いしちゃったわけ?! ていうか、私まだ高校生だよ? 結婚とかそういう年齢じゃないでしょ!」 
「そうは言っても……本家から謝礼を貰ったからな。ほら、沙耶がずっとスマホ新しくしたいって言ってたからちょうど良いと思ってさ。こないだ新しくしただろう?」 
「私スマホのために婚約させられたの?!」

 言葉も出ない。
 絶句する私をどんな風に誤解したのか、お父さんと朔見さんは頷き合うと、にこやかに立ち上がった。
 
「これはあれだな、あとは若い二人でごゆっくり……って感じで」
「ち、ちょっと!」
 
 止める間もなく取り残されてしまった。
 広い応接間に、気まずい沈黙が流れる。
 
「ねえ、私たち結婚するってこと?」
「……変なことに巻き込んじまって悪かったな」
 
 梗吾は手元のカステラをつつきながら、伏目がちに呟いた。
 見た目は怖いけど、根っから悪いヤツではないのかもしれない。ちょっと安心した。

「いいけど。いや、良くないか。初対面でいきなり婚約とか決められるのは、ちょっとね」
「そもそも、勝手に相手を決められた婚約で陰陽師の能力が変わるかってんだよ。それならペットでも飼ってる方が情も湧きそうなもんなのによ。……年寄りどもはなんも分かってねえのに知った口を聞きやがる」
「そういう事ってあるよね」

 古い風習やしきたりに振り回される大変さは、父方の神社関係で経験があるのでよく分かる。
 下の世代がその流れに抵抗することの難しさも。
 発言力のない若手がなにか主張するには、それまでの慣習を断ち切るだけの実績がなくちゃいけない。
 
「でもさ、要は陰陽師の素質を満たせればいいんだよね?」
「まあ、そういうことになるな」
「じゃあ、協力してなんとかしよう! なんとしても、アンタに祈りの力を手に入れさせる!」
「は? マジで言ってる?」

 だって、結婚なんて大切なこと、勝手に決められたくない。
 
「だからアンタも協力してもらうからね。さっさと一人前になって謎のしきたりをぶっこわそうよ!」

 梗吾は目をぱちくりさせて、しばらく私を眺めていたが、次第に「ふふ、ははは」と笑い声を漏らし始めた。

「由緒ある神社の娘さんが来るって聞いてたから、どんなお嬢様が連れて来られるのかと思ってたら……こんな跳ねっ返りなヤツだったとはな。いいじゃん、お前とは気が合いそうだ」
「……ねえ、お前って呼び方、やめてくれない?」
「注文が多いやつだな。じゃあ、アサガラスさん」
「それだとなんか本家のしがらみを思い出しちゃうから沙耶でいいよ。私も梗吾って呼ぶから」
「好きにしろ」
「じゃ、よろしくね。梗吾」

 やってやろうぜ、と梗吾と私は少年漫画みたいに熱い握手を交わした。
 こうなったらなんとかするしかない。

 何はともあれ、陰陽師として何をすればいいのかも分からなければ、梗吾という人がどんな人なのかもわからない。そこは時間をかけてヒントを探していくしかない……ということで、私たちは毎週土曜日に時間を作って会うことを約束した。
 
 帰りの車で、お父さんにその事を告げると「通い妻ってやつか、ははは」なんて呑気な顔をしているので赤信号の停車のタイミングで一回拳を打ち込んでおいた。