「あ。待って、あんた入試1位の人だよな」
昨日は一生分の注目を浴びてしまったので、今日は"極力目立たない"を目標にして。
登校ラッシュの時間帯を避けるべく、朝7時前に校門をくぐったのだけど……読みが甘かったみたい。
部活の朝練かなにかで早めに来たらしい男の子に、さっそく声を掛けられてしまった。挙句。
「やっぱそうだ、入学式で花ぶちまけてた女!」
人差し指をビシッとこちらに向けてそんなことを言われるものだから、一旦フリーズ不可避である。
ううっ。“花ぶちまけてた女“だなんて、すごいさいあくな覚え方されちゃってる……っ。
まあ私が悪いんだけどね100パーセント。
いやでも、あれは藤沢先輩の生け花が美しすぎたせいでもあるから、やはり藤沢先輩もチョット非があるのでは……!
ていうかっ、人を指差しちゃいけませんって小さいころ習わなかったんだろうか?!
「入試成績1位の北森うたチャンだろ」
「っ、あ、えっと」
「昨日はすごかったな色々と」
「すっ、すみませんでした」
つい謝罪の言葉が口をついて出る。別に私この人に対してはなんにも悪いことをしてないのにね。
「あの藤沢睦が入学式のために生けてくださった花をわざわざ転んで台無しにするなんて、あんた、ずいぶんといい趣味をお持ちのようで」
「っ、あれはわざと転んだわけじゃ……」
「ま、俺あの人嫌いだし、いい気味だったけど」
「……へ?」
─────“嫌い“
今たしかにそう聞こえたような気がしたけれど。
あの人って、藤沢先輩のことだよね。
嫌い? いい気味? ……なぜ?
……というか。初対面でずけずけと、かなり失礼では!
そもそもこの男の子はいったい誰なんだろう。見覚えがあるような、ないような。
相手の顔を改めてじっと見つめ直せば、記憶の片隅になにかが引っかかる感じがして。
「……あ、もしかして、同じクラスの……たしか特待生の、五十嵐くん?ですか……?」
おそるおそる名前を口にすると、彼はほんの少し眉を寄せた。
「なに、いま気づいたわけ」
今気づいたもなにも、私たちは知り合いでもなんでもない。
昨日女の子たちが五十嵐くんを見てやたらと騒いでいたから、なんとなく覚えていただけ(私の入学式での失態を上書きしてくれそうな人気っぷりに、こっそり感謝してたのはナイショ)。
─────五十嵐 凌くん。
確かお家は、有名リゾートをいくつも経営している会社の社長さんとかだったような。
どこか中性的で整った容姿は藤沢先輩と似た美しさを感じるけれど、瞳は少し鋭い形をしていて、こちらを射抜いてくるようでちょっと怖い。
笑っているようで目の奥が笑っていない藤沢先輩に対して、この人はその嫌味な一面を隠そうともせず───むしろわざと全面に出しているような印象である。
「つーかあんた昨日、藤沢睦と一緒に帰ってただろ。あの人がわざわざ自分から女迎えに出向くのなんか初めて見たわ」
「そ、れは色々とわけがあってですね、昨日、藤沢先輩の生けた花を……うう、おっしゃる通り台無しにしてしまったので」
「あー、それで償えとか言われた流れね。 あの人結構黒いところあるもんな、皆知らないみたいだけど」
「…………、…………」
驚いた。この五十嵐くん、藤沢先輩のダークな部分に気づいているらしい。
もしや、なにか深い繋がりがあるのだろうか。
「で。生け花壊した代償に何をさせられたわけ?」
「えっと……今後、藤沢先輩の荷物持ち、などの雑用をするという取り決めです」
兼・秘書、とまでは言わないでおいた。なんとなく。
「うわ〜、あの人らしい。相手は金持ってない庶民なんだから優しくしてやればいいのに」
こころなしか“庶民“の部分を強調して言われたような気がしたけれど、その点においてはそれほど嫌な気持ちにはならなかった。
お金持ちの彼にとってはきっと当たり前の感覚であり、私個人に向けた悪意ではなさそうだったから。
むしろ……
───『なんて言うとでも思った? クソガキ』
───『言っておくけど、値段にしたら100万円。一体キミみたいな凡人が、どうやって償ってくれるの?』
初恋不可避の王子様みたいな予感をチラつかせておいて、私みたいな凡人平民に情けも容赦もないのかと、あのときは私も絶望したものである。
ただ……。
「たしかに私も最初はイメージと違うかもって驚いたんですけど、それだけのことをしたっていう自覚はあったし……今はむしろ荷物持ちなんてぬるいくらいだなと思ってて」
「ハイハイ出ました藤沢崇拝。全肯定盲目信者まじキモ〜〜い」
「っそういうのじゃないです! 藤沢先輩は本当にすごいんです……!!」
つい大きい声が出てしまって自分でもびっくりした。
相手もぎょっとしたように動きを止める。
しまった……と焦りつつ、なぜか抑えが効かない。
「藤沢先輩、昨日の夜、私が壊したものを修復してくれたんです。あの藤の花たちは瓶花よりも盛花のほうが似合うって。入学式の状態でも綺麗だったけど、先輩が修復してくれた花たちはもっと目が離せなくて……こんなに美しい世界を作り出せる人がいるんだって、感動して」
「…………」
「それに、私のおかげで花が生き返ったって言ってくれたんです。他でもない私が、壊したのに……藤沢先輩は本当にすごくて、優し……」
言い終わらないうちに喉の奥がきゅっと締めつけられ、目の奥に熱が宿るのがわかった。
視界がじわりと滲んで、景色が急に曖昧なものになる。
この熱くてぼんやりとした感じ、昨日、藤沢先輩の腕の中に倒れ込んだときの感覚に似てる。
ふと、そんなことを思った。
───『知ってる? 藤の花の花言葉』
やだ、なんで今思い出しちゃうの。
───『“忠実”と”恋に酔う”』
耳が火照るのがわかる。
先輩の唇が触れた、ところ。
酔うって感覚、知らないけど。もしかしてこんな感じなのかなって……想像しちゃう。
よかった。よくないけれど、よかった。五十嵐くんの顔が見えなくて。きっとドン引きしているだろうから。
急に涙ぐみ始めるなんてヤバい女だもんね。
……と思ったのもつかの間。
一度瞬きをすれば視界は直ちにクリアになってしまう。
そこにいたのは、私にドン引きしている五十嵐くん……───では、なかった。
むしろ彼の顔には驚きではなくどこか温かい、優しさすら感じる笑顔が浮かんでいる。
「……知ってる」
「…………え?」
五十嵐くんの慈愛に満ちた“知ってる”に対し、頭の処理が追いつかないまま間抜けな声を返してしまった。そのときだった。
「ねえキミ。主人の俺を置いて、他の男と一体なにをやってるのかな」
背後から突如聞こえた声に、体ごとびくっと跳ね上がる。
こ、この声は……っ。
まだ記憶に新しすぎて間違えるはずもない。
幻聴ではなかったようだ。
ぎこちない動きで振り向けば、そこにはやっぱり藤沢睦先輩がいた。
「せんぱ……どうしてここに」
向かいの五十嵐くんも、再びフリーズしている。
今はまだ朝の7時。
早めに来たのは他の生徒から注目を浴びないようにするためでもあるけれど、藤沢先輩と顔を合わせないようにするためでもあった。
会いたくない……わけじゃない。
藤沢先輩の生ける花の価値を目の前でわからせられた今、むしろ荷物持ちでも秘書でもその他どんな命令でも下僕のように従います! という気概がある。
ただ……なんというか、やはり……。
昨日、先輩の美しさと優しさと才能に魅せられてしまった以上、どうしても緊張してしまうのだ。
花を生ける優美な姿が目に焼き付いているせいで、心の中であの瞬間を何度も繰り返してしまう自分がいて。
近くにいたら、先輩のどんな些細な動作にも過剰に反応してしまう気がしてならない。
ただの挙動不審だと笑ってくれる相手ならいいのだけど、 『こんなんじゃ身もたないよ、ガキ』なんて言ってからかってくる人だから。
実際、今この瞬間の私の心音は、ヘビメタのドラムかな?ってくらい激しい。
「どうしてここに、は俺のセリフだよ。朝家に迎えに行ったらいないし……やっと見つけたと思えば他の男とふたりきり。とんだ不届き者だね」
「……はぇ?」
い、家に迎えに行った……?!
あの藤沢先輩が?! 朝一番に、私の家に?!
「そんな、っ、私聞いてないですよ迎えに来るなんて」
「俺はちゃんとスマホに連絡入れたよ」
「え、スマホ……」
そういえば、荷物持ち兼秘書に任命された流れで昨晩連絡先を交換したのだった。
しかしながら、早めに学校に行くぞと思いつつ今朝は少々寝坊してしまったので、スマホをチェックするのを忘れていた。
慌ててポケットから取り出せば、たしかに。【藤沢睦】の名前で2件の通知が入っている。
「すみません……見てませんでした……」
「まったく呆れる。俺の雑用係なんだから朝から晩まで俺のそばにいるべきでしょ?」
あれまあ、荷物持ち兼秘書から雑用係なんて名称にしれっと降格(?)させられてしまった。
まあ、ここには五十嵐くんがいるからね。ヘンな誤解生まないようにってことかな。
朝から晩までそばにいるって、恋人みたいだもんね。
ウン、恋人………。
こ、恋人……かあ……。
ワンテンポ遅れて、首から上が順番に熱くなっていく。
「で、でもっ、私じゃなくても、藤沢先輩には澤村さんがいるじゃないですか」
抑えきれないどきどきを隠すように、思わず反論が飛び出した。
対する藤沢先輩は、はあ? と呆れ顔。
「あのね、当たり前だけど澤村は学校の中まで付いてくるわけじゃないんだよ。そのあいだは誰が俺の荷物持ちとスケジュール管理をするの?」
「う……」
「キミしかいないよね、北森さん」
「……ハイ」
圧に押されるままうなずけば、藤沢先輩は満足げに微笑んだ───はずだった。のに。
次に瞬きをした刹那、その笑顔はあとかたもなく消え去っていた。
「さて、この話はいったん終わり。────キミ、なんで涙目なの? 泣かせたのは凌?」
ぞくり、寒気を覚えるほど冷ややかな瞳が、五十嵐くんのほうへと静かにスライドする。
「……っ、や、オレじゃないよ。この子が勝手に泣き始めただけで」
「どうかなあ、お前は昔から口が悪いし」
「ほんとだって! てか。この子が泣いたの、元をたどれば睦君が───」
「っ、いや違います私がっ……です!」
またもや咄嗟に大きな声が出てしまった。そしてよくわからない文脈の日本語を喋ってしまった。
でもだって、知られちゃいけないんだもん。先輩の美しさやら優しさやら才能やらを思い出してたらなんか勝手に涙が出てきちゃいました、なんてこと。
「五十嵐くんの言うとおり私が勝手に泣いただけで……というか、あの、ゴミが入ったんです、目に、それがすごく痛くて!」
ベタな言い訳だけど、そういうことにしておいてよ、目にゴミなんて普通によくあることでしょ? これ以上何も言わないでねお願い、と、五十嵐くんに懇願の視線をおくる。
「…………だそうです」
沈黙ののち、五十嵐くんがぼそっとそう言ってくれた。
藤沢先輩は釈然としない様子だけれど、それ以上言及してくる気配はない。とりあえず安堵。
「ふうん、まあいいや。生徒会室に呼ばれてるから俺はもう行くよ。北森さんは放課後、裏門で待ってて」
「っえ、は」
「昨日みたく俺が教室まで迎えに行ってもいいんだけど」
「そ……れは、かなり目立つのでご勘弁いただけたら嬉し───」
「うん、でしょ? だから裏門ね。逃げたら許さないから」
最後にニコっとひと笑いして、藤沢先輩は去っていった。
………こわいっ!
あいかわらず目の奥ぜんっぜん笑ってない……!!
冷淡さが漂うのはもちろん、加えて、獲物を逃すまいとする野性的なおそろしさも潜んでいる。
先輩が去ってもなお鳴り止まない激しい鼓動に重なって「ビーッ、ビーッ」と警報が聞こえてくるよう。そして、そのすぐそばではテールランプがせわしなく点滅している。チカチカクラクラ、目眩をも覚えそうだ。
すみません。
優しいなんて言ったアレ、撤回させてください。
100万円の借金がなかったなら、なるべく関わりたくない人物ナンバーワンかもしれない。
だけどもやはり、藤沢先輩に魅せられたのは事実。花を生ける姿はもちろん、普段の彼の雰囲気をかたちづくるすべてが────洗練された所作、低く落ち着いた声、翡翠を溶かしたような髪、しまいには左目の泣きぼくろですらも────軽率に、世界で一番うつくしいと感じてしまったほどに。
ああほんとうに。“美しさは罪”だ。優れているのが容姿だけなら、こうは思わなかったはず。
先輩の周り半径1メートルは私のような凡人には触れることすら許されない聖域みたい。彼を前にすると自分のすべてが浅はかに見えてくる。
笑っているようで笑っていないから、毒舌だから、ことあるごとに私をからかってくるから……だから"苦手”なのだと思っていたけれど。
たった今、わかった気がする。完璧とは、人を惹きつけると同時に、おなじくらい人を遠ざけてしまうものなのかも。
藤沢睦先輩って、優しくないし易しくない。