「できた」

 どれくらいの時間が経ったんだろう。
 藤沢先輩から、藤沢先輩がつくりだす花たちから目が離せなくて。気づけば一瞬で、完成していた。
 それは、藤の花を基調にした、華やかで煌びやかなもの。既視感がある。花の形式は違うけれど、入学式に飾られていた、私が粉々にしてしまったあの花たちだ。あまり知識はないけれど、日本史のどこかで見たことがある。今日、入学式に飾られていたのは瓶に花を挿す瓶花。今先輩が作り上げたのは、平たい器に水を引いて剣山に花を挿す盛花。
 もしかして、だけど。

「……今日、私が壊した花を、再現してくれたんですか?」
「再現じゃないよ、修復」
「修復……?」
「元々、あの花達は盛花のが合うと思ってた。何もわかってない教師たちのオーダーが瓶花だったらからそうしたけど、気に入ってなかったの。だから、修復した。花が生き返った。キミのおかげだね」

 カッと、頰が熱くなった。
 わたし、恥ずかしい。勘違いしていた。藤沢先輩が、花を壊した私のことを相当怒っているんじゃないかって。
 全然違う。全然違った。
 先輩は、花を壊した私が、そのことを気に留めることがないように、わざと新しく、入学式よりも更に豪華で素敵な花を生け、一番に私に見せてくれたのだ─────。
 入学式に飾られていたあの花も綺麗だったけど。確かに先輩の言うとおり、こっちの方が藤の花に似合ってる。それは、先輩のわかりにくい優しさなのかも、しれない。
 目が離せない。先輩が作り出す、こんな綺麗な花の世界。

「さて、これは明日国技館に送るから、そろそろ片付けるよ。こんな時間まで付き合わせてごめんね、家まで送るよ」
「せ、先輩。ふじさわ、むつみ先輩、」
「ん?」
「わざと、ですか」
「なにが?」
「わざと、こんなところ見せて……目、離せなくさせて、魅了させるなんて、ずるい、です」
「へえ、俺、キミのこと魅了してたんだ?」
「先輩の花の価値、目の前で見せられて、このまま、ありがとうございました、なんて、のこのこ帰れないです……」
「はは、何それ? じゃあ本当に身体で払ってくれるの? 100万円」

 そう、これは、もしかしたら、先輩が優しさと見せかけた意地悪でもあるのかもしれない。
 私が壊した100万の花。わかってしまった、その価値が。先輩が生ける花がどれほどの価値を持っていて、私がどれだけ大きな失態をしてしまったか。今、身をもって、痛感した。

「……払います、荷物持ちでも秘書でもなんでも」
「ふうん、一般庶民とはいえさすが入試1位の特待生だね。強い目してる」
「強い目……?」
「いいよ、じゃあ身体で払わせてあげる」

 その瞬間。
 さっきまで花を生けていた藤沢先輩の細くて長い指が私の制服の襟元までやってきて、グイッといきなり引き寄せられた。突然のことでわたしはバランスを崩して着物を着る先輩の元へと倒れ込む。
 ずっと正座をしていたせいで足が痺れる、動けない。

「知ってる? 藤の花の花言葉」
「え、と、だから、”歓迎”─────」

 藤沢先輩は自分の腕の中にいる私の顎を右手でグイっと持ち上げた。目線の先にはひどく綺麗な藤沢先輩の顔がある。少しでも動いたら鼻先が当たってしまいそうな距離。
 どうしよう、心臓の音、止まって、お願い。

「違う。もうふたつ、─────“忠実”と”恋に酔う”」

 え、なにそれ、どういう意味─────
 あまりの近さに先輩が吐いた息が唇にかかる。キスされるのかと思わずびくっと体を震わせて目を閉じると、先輩がふっと軽く笑った気がした。

 「なんてね、冗談。こんなんじゃ身持たないよ、ガキ」

 耳元で不適な笑みを浮かべた藤沢先輩はそう呟いて、私の耳をガリッと噛んだ。「痛っ……」と思わず声が出た私にふっとまた笑い、やさしく私を離した。

 「じゃあ、明日から荷物持ち兼秘書業務よろしくね。北森さん」

 北森うた、高校1年生、私立聖柳学園一般クラス、成績のみ特待生。
 平凡なはずの高校生活だったのに─────あまりにも危険な日々が幕を開けた。

 (開けてしまった、のが正しかったりして?)