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 腕時計を見ると既に21時を回っていた。
 あれから、出版社で着物に着替えた藤沢先輩は高校3年生とは思えないほど大人びた対応で次々と予定をこなした。雑誌の取材に写真撮影、簡単な生け花披露。私でもどこかで顔の見たことのある御一家との会食を終え、澤村さんが運転する自家用車でアトリエと呼ばれる日本家屋にやってくるまで、一度も休憩もなく。(ちなみに先輩がタスクをこなしていく横で、わたしは荷物持ちという名目にて、明日の授業の予習をしていました……)
 ていうか、本当にこんな時間まで連れ回されるとは思ってもいなかった。
 先輩が何かしらやっている間、私は部屋の隅で教科書を読んでいただけだし……(会食中に至っては車の中で待機だし……澤村さんがご飯くれたけど……)

「遅くなったな」
「いやいや……」

 そして何故か、藤沢先輩のアトリエだと思われる大きな日本家屋の和室にて、私は正座待機させられている────

「もう21時か、家に連絡は?」
「あ、大丈夫です……。わたし両親いなくて、親戚の家に預けられてて……特に気にする人達じゃないので、」

 そう、私が今住んでいる親戚の家は、そういうところはすこぶる甘い。というのも、私が常に成績上位で特待生、つまり学費免除の枠を守り続けているからなのだけれど。
 見上げると、無表情の藤沢先輩が私の横に静かに座った。そして、ばさっと模造紙に包まれていた切り花たちを畳の上に広げる。私には目もくれない。まるで「黙って見てろ」と言われてるみたい。
 着物姿の藤沢先輩は肩まであるグリーンの髪をそっと束ねた。顕になる綺麗な輪郭にごくりとする。2つしか年が違わないのに、どうしてこんなにも大人っぽいんだろう。
 ていうか、いいのかな。こんな所にのこのこ着いてきてしまって。ただでさえ藤沢先輩と関われることなんて滅多にないのに、あろうことかアトリエまで図々しく着いてきてしまうなんてどうかしてる。というか、先輩はやっぱ相当怒ってるのかも。じゃなきゃ、私みたいな一般市民をわざわざこんなところまで連れてきて、荷物持ちになんてしないはず。
 ああどうしよう。私の人生もしかしてここで終わりかも。(藤沢家の大きさを考えれば、私の存在ひとり消すくらい容易いだろうし……殺されても文句も言えない……)

「余計なこと考えてない?」
「えっ?!」
「俺だけ見てればいいから、他のこと考えないでね」
「えっ……」


 何を言ったかと思えば─────
 急に世界がしんと静まり返った気がした。藤沢先輩が、一輪花を挿したのが合図。
 一瞬で、部屋の空気が変わった。
 素人の私にでもわかる、びりびりと空気の波が変わっていく音がする。まるで神さまが宿ったような冷たい気温の中、藤沢先輩の手が動き出す。これが、日本有数の一流名家、藤沢家の跡取り息子。
 藤沢先輩が花に命を吹き込むように、丁寧に、ひとつひとつ、確かめるように花を活けていく。夜の静まり返った空気と相まって、ごくりと息を呑むのも躊躇うほど。
 その指先も、花へ注がれる真っ直ぐな視線も、段々と形作られていく花達も─────目が離せない。
 どうして、こんなに自分勝手で意地悪な人。それなのに私、目が、離せないんだろう。