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「17時終業後、社用車で〇〇出版社まで、雑誌の取材が1時間、巻いて18時半には〇〇ビル56階で茶道名家の花澤様御一家とご会食、21時帰宅後明日国士舘へ納品予定の生花製作────」
「ああ、大体把握した。ありがとう、澤村」
「いえ、本日は少し余裕がありますね、睦様」
「授業が早く終わったからね」
「ところで睦様、隣に座るそのお方は……」
「ああ、気にしないで。これから荷物持ち兼秘書にする予定だから」
「左様でございますか……」
はて、私はいったいどうしてこんなところにいるんだろうか……。
入学式後。国内偏差値上位の聖柳学園は入学式でも抜かりなく、午後からみっちり初回授業があった。やっと授業が終わった放課後16時45分。あろうことか私の教室までずかずかとやってきた藤沢睦先輩は、そのまま私を校門まで連行し、有無を言わさず大きくて綺麗な車の後部座席に突っ込んだのだった。(藤沢先輩が突然現れた私の一般クラスが一瞬にして大騒ぎになったのは無理もない話だけれど、ここでは割愛させていただく)
藤沢先輩が躊躇いもなく後部座席の私の横に座ったかと思えば、車は否応なく発信し、さっきから運転手とこのような会話を繰り広げているというわけだ。会話から察するに、どうやらこの運転手は澤村さんという方で、藤沢睦先輩の付き人か何かなのだろう。
というか、高校3年生ですよね?
雑誌の取材に会食って、どんなドラマの世界線?
そして聞き捨てならない言葉があった。
『これから荷物持ち兼秘書にする予定』って───今日の保健室での先輩の表情を思い出して身震いする。
そうだ、あの後、先輩は私を通り越して保健室を出て行って。扉を通りすぎる瞬間、『身体で償いなよ』と言ったのだった。
私はそれを冗談だと受け取り、助かった、とヘナヘナ力が抜けたのは言うまでもなく。ところが放課後、こんなことが待ち受けているなんて思いもしなかった。
「で、名前は?」
「へっ?!」
「だから、名前」
ゆっくりと走る車の中で。突然横から掛けられた声にびくりとする。恐る恐る藤沢先輩を見ると、これまた表情ひとつ変えずに参考書を読んでいた。話しながら文字が読めるのか。天才はやっぱり違う。
今気づいたけれど、後部座席はカーテンで仕切られている。いくら薄壁だろうと狭い空間に2人きり。藤沢先輩の大人っぽい香水に目が眩みそうになる。急に心拍数があがってきた。
それに、あまりにも綺麗な横顔。
「え、っと、私の、ですよね」
「それ以外誰がいるの?」
「す、すみません……」
「質問に全然答えないね、キミ」
「ご、ごめんなさい、えっと、私は、き、北森うた、と申します……へ、平凡な名前ですみません……」
「なんで自分の名前言っただけで謝んの、変わってるね」
「すみません……」
「また謝ってる」
深々と頭を下げる。ふ、と。初めて先輩が笑った気がした。
「あの、先輩、怒ってますよね……」
「怒る?」
「先輩のお花、台無しにしちゃって……先輩の歓迎挨拶も、私のせいでなくなってしまったし……。それで今日、保健室で償えって、」
「ああ、そうだった」
「わ、私、バイトでもなんでもして絶対弁償します! なので、少し期間を頂けないでしょうか、で、できれば1年……いや、半年でも……」
「高校1年のくせに、100万なんて半年で貯まると思ってるの?」
「ど、どうにか、なんとかします、なのでどうか許してください……」
「別に怒ってないけど」
え、と。下げていた頭を上げて先輩を見る。
変わらない表情で参考書を見つめる先輩。もしかしたら、マルチタスク能力が半端じゃないのかな。この状況で勉強できるなんて末恐ろしい。私にもこの美貌と能力をひとつでも分けていただけないだろうかと口から手が出そうになった。
って、そんなこと考えてる場合じゃないんだけど。
「別にいいよ、あの花気に入ってなかったし。歓迎挨拶とかもだるかったし。そもそも入学式の為にわざわざ花を生ける程、あの学園に思い入れもないしね。頼まれたから作っただけだよ」
「えっ、でも、あんなに綺麗だったのに……」
「綺麗?」
「はい。わたし、新入生代表挨拶が終わって、緊張がやっと解けて……目に入ってきた先輩の生花がすごく綺麗で見惚れちゃって。あ、あれってもしかしてですけど、私たち新入生に“ようこそ”ってメッセージがあるのかなって。だって、藤の花の花言葉、”歓迎”ですよね」
思い出す。薄紫の藤の花を基調とした、あまりにも豪華で煌びやかな、まるで生きているかのような花。先輩が名家出身であり、実力派の御曹司だということにも頷ける、圧巻の一作だった。
「思わず見惚れていたら、わたし、足を滑らせちゃって……。でも、先輩の花のおかげで、私本当に緊張がほぐれたんです。なんて素敵なんだろうって……。あ、でもこんなの言い訳ですよね、本当にごめんなさい。私、本当に勿体ないことしてしまいました、先輩が気に入ってなかったとしても、すごく素敵なお花だったのに……もう見れないなんて」
「……」
少し話しすぎたかも知れない。先輩は私の言葉に目もくれず、じっと参考書を読んでいる。何を考えているのかさっぱりわからない。私はそこで口を噤んだ。
やがてキキッと急ブレーキをかけて車が止まった。出版社についたみたい。先輩は「荷物持ちでしょ」と言って私を一緒に連れ出した。