「うわ、あんたも来てたのか」

 ────結婚式当日。
 澤村さんの車に乗せられやってきた結婚式場にて。
 きらびやかな会場のエントランスの隅の隅に身を縮こめながら座っていたら、声を掛けられた。
 花嫁さんの弟、五十嵐凌くんである。

「私はただの荷物持ちとして強引に連れてこられただけで……っ、もちろん式には出ないし、ここで大人しく待たせてもらってるだけで」
「べつに咎めてるわけじゃねぇよ」
「…………」
「そんで、睦君は?」
「先輩は、あいさつ回りに……いろんな人たちから引っ張りだこで、あっという間に見えなくなりました」
「あー……だろうな」

 五十嵐くんは苦笑いしながら、なぜか私の隣に腰を下ろした。

「睦君さ、2年前オレの姉貴と付き合ってたんだよ。そんで、ちょうど半年で別れた」

 そして突然そんなことを言い始めるのでびっくりする。
 私は澤村さんとの約束であの話は聞かなかったことになっているので、とりあえず「うん」とだけ返事をした。

「睦君が振ったんだよ」
「っ、え」

 今日はわりと平静を装えているな、と思った矢先にそんなセリフ。
 私の口から、かなり上ずった声がこぼれ落ちる。

「姉貴は本気で睦君のこと好きだったのに、睦君は姉貴に婚約者がいること知って、あっさり捨てた。だったらいいや、って感じで」
「……、……」
「オレ、そっからずっと睦君のことだーっきらい」

 いったいなんと返したらいいのか。驚きと戸惑いで言葉がつまる。
 勝手に、藤沢先輩が振られた側だと決めつけていた。ふたりのこと、私は何も知らない。何も知らないけれど、ただひとつ確信をもって言えることがある。

「藤沢先輩はユカさんのこと大事に想ってたし、今も想ってるよ」
「はあ? なんも知らないくせに……うざ」
「……たしかに知らないけど、わかるもん。結婚式の花を生けるとき、先輩すごい真剣だった。私が壊した花を修復してくれたときももちろんそうだったけど、昨日は特別だったっていうか……大事に想ってなきゃ、あんな風にはできないと思う」

 今度は五十嵐くんが言葉をつまらせた。
 認めたくないって顔。
 それだけお姉さんのことが大切なんだろうな。

「少なくとも、藤沢先輩は恋人を捨てるような真似は絶対しないと思う……んですけど」
「……もういいわ。萎えた」

 そう言って五十嵐くんか立ち上がる。
 その手を、私は無意識に掴んでいた。

「なに」
「あ……えっと、花を」
「花?」
「藤沢先輩が今日のために生けた花を見たらわかると思う……! 五十嵐くんってたしか、先輩に憧れて華道始めたんだよね?」
「っ、───はあ!?!?」

 勢いよく振り向いたかと思えば、とてつもなく大きい声を出して私に詰め寄る五十嵐くん。
 ─────その顔は真っ赤である。

「おまっ……、なんでそれ知って……!!」
「ええっ!? なんかごめんなさい!?」
「……なに、この前の仕返しのつもり?」
「へ? ……やっ、違うよ! 性格はさておき、私も藤沢睦先輩の才能のファンなので、素晴らしさをわかち合えたらいいな……って」
「は、なめてんの? あんたみたいなど素人に睦君の本当のすごさがわかるわけないっつーの」
「えっ!」

 もしかしてもしかすると。
 ─────『知ってる』
 あの笑顔を見たときからもしやとは思っていたけれど。
 五十嵐くんって、藤沢先輩のこと相当大好きじゃない……?(かなりこじらせてるみたいだけど……)

「五十嵐くん、私華道のことちゃんと勉強するから」

 掴んでいた手を思わずぎゅっと握りしめたときだった。

「はいアウト。借金二倍決定」

 斜め後方から飛んできたのは、藤沢先輩の声。
 深いグレーの羽織袴でハーフアップにした髪をなびかせながらこちらに歩いてくる姿はなんとも優美で。借金二倍の絶望よりも先に、その姿に見惚れてしまったのはナイショ。
 あたりまえに目の奥は笑っていないけどね。それも悪くないって思っちゃったから、いよいよ危ない。
 一方で五十嵐くんは、脱兎のごとく走り去ってしまった。

「ちょっと目を離した隙に、また余所の男とコソコソと。キミってほんと人のいうこと聞かないね」
「ほんの少し話してただけですよ」
「俺がアウトって言ったらアウト。借金二倍になったんだから、きっちり身体で払ってもらうよ」
「いくらなんでも横暴すぎでは……!?」

 抗議の声を丸無視して、藤沢先輩は私の手を引っ張った。

「ええっ、あの、どこに行くんですか」
「ゲストルーム。澤村に一部屋貸切るよう頼んでおいたんだよね。式までまだ時間あるし、そこでキミの反省会でもしようか」
「ひっ」

 慌ててつま先にブレーキをかけるも、止まってくれない。
 体の線は細いのにすごい力だ。腕もげちゃうよ。

「ところで、凌と何話してたの?」
「……先輩と五十嵐くんのお姉さんの関係について少々……すみません」
「うん。ここで嘘をつかなかったのは賢明な判断だね」
「万が一見透かされて、これ以上借金増えたりしたら困るので……」

 小さく笑われた。
 それからしばらくして、とある部屋の扉前で先輩が足を止めた。

「……ユカには幸せでいてほしいと思ってるよ。恋ではなくとも、キミが言うように今も昔も大事な人だから。……ありがとう」

 急にトーンの落ちた声にドキッとして。
 それからワンテンポ遅れて、もしや会話はすべて聞かれていたのではと思い、さらにドキッとした。
 首から上がじわじわと熱くなっていく。心臓もうるさい。ヘビメタ級。

「むつみ、せんぱい─────」

 真っ赤になりながら呼びかけた名前は、

「藤沢先生―っ、ご無沙汰しております!」

 前方から飛んできた野太い声にかき消され。
 直後、すぐ近くでチッと鋭い舌打ちが響いた。

「残念。続きはあとでね。俺が戻ってくるまで大人しくそこの部屋で待ってるように」

 人前用の完璧な笑顔を一瞬で張り付け、呼ばれたほうへすたすたと歩いていく。
 本当に器用だ……。
 一周回って感心していた矢先、ふいに先輩がこちらを振り返った。
 その動作に操られるように心臓が跳ねて、周囲の喧騒がスッと消え去る。
 広い会場に愛想を振りまいていた彼が、私だけを捉えるほんの一瞬。
 その瞳が、不敵に弧を描くのを見た。


「─────逃げんなよ、うた」



不敵にdanger【完】