授業が終わり、乃絵(のえ)は校門に向かった。
 昨日と同じように、九朗(くろう)が女の子たちの視線を集めながら(たたず)んでいる。

「お待たせ!」

 乃絵が駆け寄ると、九朗が軽くうなずく。
 家に向かう道すがら、乃絵は九朗に尋ねてみた。

「ね、妖魔を斬ったことがあるんだよね?」
「ああ」
「怖くない?」
「ああ。怖いと思ったことはない」
「ふうん」

 妖魔とは『人知を超えた超常的な(あやかし)』と『人の怨念などの邪悪な魔』が結びつき、人に(あだ)なすものの総称である。
 そのため、不気味な外見をしているものが多い。
 去年の夏、乃絵を襲ったのは長い黒髪の女の妖魔だった。

「私ね、去年妖魔を初めて見たんだけどすごく怖かった……。今も時々夢に見るの」

 間近で見た女の顔はねじれて歪み、おどろおどろしい怨念に満ちていた。

「でもね、月哉(つきや)様に助けてもらったの。だから、月哉様を思い出すとあの時の恐怖が上書きされるんだ……」

 部屋に飾ってあるポスターやブロマイドは魔除けのようなものだ。

「月哉様はね、私の命だけじゃなくて心も救ってくれたんだ。恩人なの……」
「……」

 九朗は無言のままだが、話に耳を傾けてくれているのは伝わってくる。

「だから、私、月哉様と結婚したいの!」
「ゴホッ!!」

 九朗が突然むせる。

「なに、どうしたの?」
「いや、いきなり結婚なんて言うから――」
「いいでしょ、私の夢なんだから!!」
「そうか……」

 ふっと九朗が微笑んだ。
 その表情があまりに優しくて慈愛に満ちていて、乃絵は思わず顔をそむけた。

「どうした? 顔が赤いぞ」
「べ、別に!!」

 目を合わせられず、乃絵は早足で歩いた。
 そのとき、ふっと日が(かげ)った。

「なんで……?」

 まるで嵐の前触れのように、空には灰色の雲が立ちこめる。
 冷たい風まで吹いてきた。

「乃絵さん!!」

 ハッと顔を上げると、目の前に巨大な手が現れた。
 その手が乃絵をつかもうとする前に、刀を抜いた九朗が立ち塞がった。

「乃絵さん! 逃げろ!」

 九朗は刀で自分の体より大きい手を弾く。

「で、でも!」

 あまりの恐ろしい光景に、体が強張(こわば)って動かない。
 手の攻撃を、九朗が刀で受けて(はじ)く。

「くっ……強い『妖』と混じったか……! 固い!」

 そのとき、乃絵は気づいた。

「その手……(たけし)くん!?」

 無骨な分厚い手のひら――なんとなく剛を思い出したのだ。
 その言葉に、手の動きが止まった。
 まるで正体を言い当てられて、動揺したように見えた。

「今だ!!」

 動きを止めた手に、九朗が大きく上段から斬り伏せる。
 真っ二つになった巨大な手は、一瞬して消えた。


「やった!」
 乃絵はホッとして九朗に駆け寄った。

「倒したのよね?」
「ああ。思ったより呆気なかったな。名前を呼ばれた瞬間、硬度が変化した」

 納刀した九朗が乃絵を見る。

「あの手、剛という奴の手なのか」
「私にはそう見えたけど……」
「ふん……。そんな呪力の持ち主には見えなかったがな。妖術師でも雇ったのかもしれんな」
「剛くんがなんで……」
「おそらく振られた腹いせ――」

 急に寒気がし、ふたりは振り返った。
 頭に笠をかぶった男の剣士が立っている。闇のような黒装束――その気配から人ではないのが乃絵にもわかった。

「乃絵さん! 逃げろ! こいつはヤバい!」

 九朗が再び抜刀(ばっとう)した。
 素人の乃絵でも肌で感じとれた。先程の巨大な手とは格が違う。
 乃絵は走った。
 無力な自分がそばにいれば、足手まといになるのがわかっていたからだ。
 背後で剣を交わす鋭い音がする。
 九朗が戦っているのだ。
 自分を守るために――。
 乃絵は足を止めた。

(わかってる。助太刀(すけだち)なんかできない。でも、さっきみたいに何か不意をつけるかも……!)

 乃絵はそっと戻り、木陰から九朗の戦いを覗いた。
 目にも止まらぬ速さで斬撃を交わす九朗と、黒装束の妖魔の戦いを固唾を呑んで見守る。

(あっ……!)

 妖魔の剣が九朗の左の肩筋を斬った。
 苦痛に九朗の顔が歪む。
 そして、九朗がだらりと左手を下げた。
 片手で制服のボタンを外して上着を投げ捨てる。

(もしかして、大怪我を……!?)