憧れの剣士様と一つ屋根の下

「そう言えば、お弁当無事に届いた?」

 乃絵(のえ)の言葉に、九朗(くろう)が一瞬言葉に詰まった。
 
「……ああ。担任から渡された」

 目も合わせない。嫌な予感がする。

「美味しかった?」
「食欲がなくてな。級友にやった」
「は?」

 乃絵は呆然とした。

「そういえば、朝食のときもいなかったけど……何か食べた?」
「……食べていない」
「ダメじゃない! 育ち盛りなのに、しかも剣士なのに!」

 乃絵の剣幕に、九朗が困ったように眉を寄せた。

「食べたくないの?」
「そういうわけではないが……」

 話には聞いていたが、本当に放っておくと食事もしないようだ。

「じゃあ、家に帰ったら私が何か作ってあげる!」

 屋敷に戻ると、乃絵は強引に九朗を台所に連れていった。

「さあ、何なら食べられるの? 私、なんでも作れるわよ!」
「なんでも……? すごいな」

 月哉(つきや)の花嫁になるため、乃絵は様々な料理を作れるようになっていた。

「剣士は体が資本なんだからね! 私たちを守ってくれるんでしょう?」
「あ、ああ」
「なら、食べてよ!」
「……わかった」

 あまり気乗りしていない様子の九朗に、乃絵は雑炊(ぞうすい)を作り出した。

(卵を入れれば栄養的にもいいでしょ)

 ネギを刻み、散らすと綺麗に見える。

「はい! 病人でも食べられるご飯よ!」

 器にすくって出すと、九朗がスプーンを手にとった。

「ほら! 美味しいから! 食べて!」

 九朗が大人しく雑炊を口に運ぶ。
 乃絵はホッとした。

(よかった、食べた……)

 大人しく言われるまま食事を取る九朗を、乃絵はまじまじと眺めた。

(なんでこんなに無気力なんだろう……)
(まるで、自分なんかどうなってもいい、みたいな顔をして……)

 乃絵はお茶をいれると、そっと九朗の前に湯呑みを置いた。
 そんな乃絵を九朗がじっと見つめてくる。

「な、何?」

 女子たちが騒ぐのがわかる、美しく整った顔立ち。
 特に切れ長の澄んだ目が強烈だ。
 乃絵は思わずどぎまぎしてしまった。

「きみは公爵家の令嬢なのに、料理ができるんだな」
「ええ! だって完璧な花嫁になるのが目標だから」
「そういえば、好いた男がいると言っていたな」

 九朗がお茶に口をつける。

「そうよ! 参宮橋(さんぐうばし)月哉(つきや)様!」
「っ!!」

 九朗がいきなりお茶をふいて激しくむせる。
 思わぬ激しい反応に、乃絵は真っ赤になった。

「ちょっと! 失礼じゃない? そりゃあ、皇国の(ほま)れである月哉様と私じゃ釣り合わないかもしれないけど!」

 ゴホゴホと咳き込みながら、九朗が片手を挙げた。

「……いや、すまない。悪気はなかった。ただ驚いて」

 乃絵は口を尖らせて九朗を睨んだ。

「わかってるわよ。私みたいな、ただの十六歳の令嬢が相手にされるわけない、って」
「……」
「だから、ふさわしくなるために、勉学や家事に励んでるの。お力になりたくて……」
「……そうか」
「あなたも剣士なら月哉様のこと知ってるでしょ? 月哉様って独身よね?」

 月哉は徹底した秘密主義のうえ、あれほどのいい男なのだ。
 既婚者だったとしても不思議はない。
 ぐいっと身を乗り出すと、九朗が驚いたように少し体を引いた。

「結婚していない……と聞いている」
「やった!」

 乃絵は大きく万歳をした。

「こ、恋人は? 婚約者は?」
「……少なくとも聞いたことはない」
「よし!」

 ぐっと拳を握る乃絵に、九朗がくすっと笑う。

「そんなに好きなのか、彼のことを」
「そりゃあ、もう!! 青嵐(せいらん)組は素敵な剣士様がたくさんいるけど、私は月哉様一筋よ!」
「そうか……」

 九朗が少し寂しげな笑みを浮かべ、茶を飲み干した。

「では、町の見回りにいってくる」