無事に隣の男子校の教師にお弁当を渡し、乃絵は一仕事を終えた気分で授業を受けた。
(本当に自分のことに興味がないのね……)
乃絵には五つ上の兄がいる。
兄の食事量は乃絵の倍以上で、三食では足りずいつもおやつも所望していた。
若い男性とはそういうものだと思っていた。
(お弁当、ちゃんと食べたのかな……)
授業を終えて校門に向かった乃絵は、人だかりがあるのに気づいた。
「何の騒ぎ?」
女学生たちがきゃあきゃあと騒いでいる。
その視線の先にいたのは、制服姿の九朗だった。
軍服に似た凜とした制服を着た九朗は、息を呑むような清廉さを醸し出していた。
(うわあ……)
思わず見とれてしまった乃絵は、周囲の嬌声に我に返った。
「すっごい美形!」
「かっこいい! あんな人いた?」
女学生たちの熱い視線をものともせず、九朗が足を進めて乃絵の前に立った。
「迎えにきた」
「えっ……」
女学生たちの羨ましそうな視線を浴びせかけられ、乃絵は硬直した。
「なんで……」
「俺はきみの護衛でもある。屋敷まで送り届ける」
「い、いいよ、そんなの。まだ明るいし……」
妖魔が出現するのは日が沈み、辺りが暗闇に包まれてからだ。
日があるうちに出てくることいは滅多にない。
「最近狙われているのは女学生ばかりだ。きみの無事を確認したい」
口ぶりは素っ気ないが、気遣ってくれるのは伝わってきた。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
「乃絵さん!」
いきなり大声で呼び止められ、乃絵は驚いた。
声の主は幼なじみの後藤剛で、九朗と同じく隣の男子校の生徒だ。
剣道と柔道で鍛えた彼は大柄で、周囲より頭一つ背が高い。
「その男は誰だ……?」
「彼は剣士で、妖魔退治の用心棒として雇った人よ」
「は? もしかして住み込みなのか?」
「え、ええ……」
剛は顔を露骨に歪めた。
「不快だな。そんな剣士風情と同居なんて」
「これはお父様が決めたことで――」
「僕はきみと婚約したいと思っている! 他の男を近づけないでほしい!」
通学路での突然の告白に、女学生ばかりか男子学生までもがわっと盛り上がる。
「求婚よ!」
「すごいわね、桜小路さん。ふたりの男性に取り合われて……!」
好奇の視線に耐えられず、乃絵は思わず叫んでしまった。
「私、他に好きな人がいるからお受けできないわ」
「好いた相手って? まさかその男じゃ――」
血相を変えて剛が近づいてくる。
その形相に恐れをなして息を呑んだとき、すっと目の前に九朗が立ちはだかった。
「それ以上、彼女に近づくな」
初めて見る九朗の険しい表情に、乃絵は目を見張った。
細い体から、炎のようなオーラが立ち上っている気がした。
体格のいい剛が思わず怯むほどの迫力だ。
「なんだおまえは!」
「聞いただろう? 彼女の護衛だ」
剛の視線が、腰元の日本刀にいく。
さすがに人間相手に刀を抜くとは思わないまでも、剛を怯ませるには充分だった。
「くっ……。剣士風情が! 覚えていろ! 僕の父は侯爵なんだぞ!」
捨て台詞を吐いて剛が去っていく。
乃絵はホッと息を吐いた。
「大丈夫か?」
「え、ええ」
「念のため聞くが、きみの好いている男はあいつではないんだな?」
「もちろんよ!」
乃絵は語気を強めた。
「誰があんな人……! 剛さんって私だけじゃなくて他の人にも声をかけてるのよ。そのたびに振られて……」
まるで乃絵のことだけを想っていたような言葉に苛つく。
彼がいろんな女性の粉を掛けているのは周知の事実だ。
「それならよかった」
九朗が歩き出したので、乃絵は慌てて後を追った。
乃絵を気遣ってか、九朗の足取りはゆったりしているのですぐ隣に並べた。
(そういえば、親族以外の男子とふたりで街を歩くなんて初めてかも……)
乃絵はちらちらと周囲を伺った。
公爵家が腕の立つ剣士を引き取ったことはもう知れ渡っているようで、街の人たちの視線も柔らかい。
乃絵は密かにホッとした。
「ねえ、貴方は将来、やっぱり青嵐組に入隊するの?」
優れた剣士は皆、青嵐組に入るのが常だ。
「……そうなるな」
一拍置いた返事が少し引っかかる。
「本当は別の道に進みたかったりするの?」
妖魔がはびこる世界で、戦える剣士は引っ張りだこだ。
当然、報酬も地位も高い。
出自ではなく実力でのし上がれるので、貧しい家庭の者が目指す職業となっている。
家族のために、危険な仕事に就く者も珍しくはない。
(彼の出自は教えてもらえなかったけど……)
十六歳で親族以外の家に引き取られるということは、あまり裕福な家の出とは考えづらい。
(苦労してるんだろうな……)
正直、同い年の男子との同居は気が重い。
寝起きや風呂上がりなど、他人に見せたくない姿だってある。
こっちは年頃の娘なのだ。
(でも、仕事で来てくれているんだから……)
いつまでも拗ねているわけにはいかない。
(それに……次の犠牲者が出る前に妖魔を退治しないと……)
最近は夕暮れ前に人々は家に帰り、店も閉まっていく。
活気を失った町を見るのはつらかった。
(私もできることをしなくちゃ……)
つまり、九朗のフォローだ。
(本当に自分のことに興味がないのね……)
乃絵には五つ上の兄がいる。
兄の食事量は乃絵の倍以上で、三食では足りずいつもおやつも所望していた。
若い男性とはそういうものだと思っていた。
(お弁当、ちゃんと食べたのかな……)
授業を終えて校門に向かった乃絵は、人だかりがあるのに気づいた。
「何の騒ぎ?」
女学生たちがきゃあきゃあと騒いでいる。
その視線の先にいたのは、制服姿の九朗だった。
軍服に似た凜とした制服を着た九朗は、息を呑むような清廉さを醸し出していた。
(うわあ……)
思わず見とれてしまった乃絵は、周囲の嬌声に我に返った。
「すっごい美形!」
「かっこいい! あんな人いた?」
女学生たちの熱い視線をものともせず、九朗が足を進めて乃絵の前に立った。
「迎えにきた」
「えっ……」
女学生たちの羨ましそうな視線を浴びせかけられ、乃絵は硬直した。
「なんで……」
「俺はきみの護衛でもある。屋敷まで送り届ける」
「い、いいよ、そんなの。まだ明るいし……」
妖魔が出現するのは日が沈み、辺りが暗闇に包まれてからだ。
日があるうちに出てくることいは滅多にない。
「最近狙われているのは女学生ばかりだ。きみの無事を確認したい」
口ぶりは素っ気ないが、気遣ってくれるのは伝わってきた。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」
「乃絵さん!」
いきなり大声で呼び止められ、乃絵は驚いた。
声の主は幼なじみの後藤剛で、九朗と同じく隣の男子校の生徒だ。
剣道と柔道で鍛えた彼は大柄で、周囲より頭一つ背が高い。
「その男は誰だ……?」
「彼は剣士で、妖魔退治の用心棒として雇った人よ」
「は? もしかして住み込みなのか?」
「え、ええ……」
剛は顔を露骨に歪めた。
「不快だな。そんな剣士風情と同居なんて」
「これはお父様が決めたことで――」
「僕はきみと婚約したいと思っている! 他の男を近づけないでほしい!」
通学路での突然の告白に、女学生ばかりか男子学生までもがわっと盛り上がる。
「求婚よ!」
「すごいわね、桜小路さん。ふたりの男性に取り合われて……!」
好奇の視線に耐えられず、乃絵は思わず叫んでしまった。
「私、他に好きな人がいるからお受けできないわ」
「好いた相手って? まさかその男じゃ――」
血相を変えて剛が近づいてくる。
その形相に恐れをなして息を呑んだとき、すっと目の前に九朗が立ちはだかった。
「それ以上、彼女に近づくな」
初めて見る九朗の険しい表情に、乃絵は目を見張った。
細い体から、炎のようなオーラが立ち上っている気がした。
体格のいい剛が思わず怯むほどの迫力だ。
「なんだおまえは!」
「聞いただろう? 彼女の護衛だ」
剛の視線が、腰元の日本刀にいく。
さすがに人間相手に刀を抜くとは思わないまでも、剛を怯ませるには充分だった。
「くっ……。剣士風情が! 覚えていろ! 僕の父は侯爵なんだぞ!」
捨て台詞を吐いて剛が去っていく。
乃絵はホッと息を吐いた。
「大丈夫か?」
「え、ええ」
「念のため聞くが、きみの好いている男はあいつではないんだな?」
「もちろんよ!」
乃絵は語気を強めた。
「誰があんな人……! 剛さんって私だけじゃなくて他の人にも声をかけてるのよ。そのたびに振られて……」
まるで乃絵のことだけを想っていたような言葉に苛つく。
彼がいろんな女性の粉を掛けているのは周知の事実だ。
「それならよかった」
九朗が歩き出したので、乃絵は慌てて後を追った。
乃絵を気遣ってか、九朗の足取りはゆったりしているのですぐ隣に並べた。
(そういえば、親族以外の男子とふたりで街を歩くなんて初めてかも……)
乃絵はちらちらと周囲を伺った。
公爵家が腕の立つ剣士を引き取ったことはもう知れ渡っているようで、街の人たちの視線も柔らかい。
乃絵は密かにホッとした。
「ねえ、貴方は将来、やっぱり青嵐組に入隊するの?」
優れた剣士は皆、青嵐組に入るのが常だ。
「……そうなるな」
一拍置いた返事が少し引っかかる。
「本当は別の道に進みたかったりするの?」
妖魔がはびこる世界で、戦える剣士は引っ張りだこだ。
当然、報酬も地位も高い。
出自ではなく実力でのし上がれるので、貧しい家庭の者が目指す職業となっている。
家族のために、危険な仕事に就く者も珍しくはない。
(彼の出自は教えてもらえなかったけど……)
十六歳で親族以外の家に引き取られるということは、あまり裕福な家の出とは考えづらい。
(苦労してるんだろうな……)
正直、同い年の男子との同居は気が重い。
寝起きや風呂上がりなど、他人に見せたくない姿だってある。
こっちは年頃の娘なのだ。
(でも、仕事で来てくれているんだから……)
いつまでも拗ねているわけにはいかない。
(それに……次の犠牲者が出る前に妖魔を退治しないと……)
最近は夕暮れ前に人々は家に帰り、店も閉まっていく。
活気を失った町を見るのはつらかった。
(私もできることをしなくちゃ……)
つまり、九朗のフォローだ。