【プロローグ】
「お雇い外国人?」
聞きなれぬ呼称に目を瞬かせていたのは、どうやら琴星だけではなかったらしい。
紫吹家の皆が、発言の意図を読み取れずにいた。
西洋の文化が一気に入り、制度や習慣が大きく変化しつつあったとはいえ、一般市民は民家、西洋風の建物を持つ家は富裕層との括りはまだまだ残るこの時代。
政府の役人を、ソファのある応接室で出迎えている時点で、この紫吹家がそれなりの家格を持つ家だということは誰の目にも明らかだった。
「藪から棒に何ですか、青海工部少輔」
役人を前に口を開くのは、この邸宅で最も上位に当たる紫吹家の当主・星樹。
当主であるが故に、年齢が上であろう役人に対しての不遜な物言いも許される。
相手も、それが当然だと分かっているのか腹を立てたりはしなかった。
「我が工部省は今、内務省と手を取り国家発展のための産業政策を推し進めているのだが」
「そうですね。その一環として、鉱脈師を多く抱える我が紫吹家に声がかかっていることも承知していますが」
そう言って星樹がチラリと視線を両隣に投げたところで、琴星もようやく当主以外の紫吹家関係者がこの場に呼ばれたことに得心する。
この部屋には、政府・工部省の次官に当たる「少輔」の肩書きを持つ青海准と、紫吹家の当主たる星樹、鉱山の鉱脈を読む「鉱脈師」の一人でもある紫吹琴星と紫吹颯星の四人がいて、青海を前に三人が横一列に腰を下ろしている状況だ。
つまりは鉱山開発や製鉄の事業に関して紫吹家の力が必要だと、その判断で星樹が琴星と颯星を呼んだのだと、少なくとも琴星はそう判断したし、恐らくは星樹も颯星もそう思っているはずだった。
二十代、十代、1桁代と、見た目には侮られてもおかしくない三人でも、鉱山の地脈を読むことに関しては他の追随を許さない三人だからだ。
「それが何故『お雇い外国人』などという耳慣れない言葉が出てくることに……?」
ーーお雇い外国人を一人、下宿させて欲しい。
ところが来るなり青海はそんな話を持ち出してきたのだ。
星樹でなくとも聞き返したくなるところだった。
「我が国が鎖国を止め、開国してからまだ日も浅い。国の中にいては得がたい知識・経験・技術が確かに存在していることを我々はこの数年で嫌というほどに思い知った」
「それで、海の向こうの技術者を国に雇い入れて、技術を供与させようとでも?」
星樹の顔にはありありと「短慮だ」と書かれている。何なら「馬鹿馬鹿しい」くらいには、思っているかもしれない。
けれどそれを聞いた青海は、むしろ大真面目に頷いていた。
「正確には技術だけじゃない。知識もだ。何人かは大学で教鞭を取ってもらうことになっている」
「……は?」
「実際にもう、何人かの外国人を国の事業として招聘していて、新たな招聘計画もある」
「…………」
普段は紫吹家の当主として、冷静沈着に物事にあたる星樹が二の句を告げないでいる。
ただ、琴星や颯星はあまりピンとこなかったという方が正しく、ハラハラとことの成り行きを見守っていた。
「……あれほど頑なに海の外からの来訪を拒んでいたものが、そこまで急に手のひらを返せるのか」
「手のひらを返す、というのは少し違う」
不信感も露わな星樹に、青海が軽く肩をすくめた。
「ーー上層部が変わっただけのことだ」
「……っ」
果たしてこれは、自分達が聞いていい話なのか。
心の中で冷や汗を流す琴星や颯星を、青海は微笑みを浮かべながら見つめていた。
変わったのか、変えたのか。
きっと聞いてはいけないのだろう。
「それで紫吹家には、地震研究をしている者を一人受け入れてもらいたい」
それは拒否権がないことを窺わせる口調だったのだから。
「地震研究?」
「地脈を読み鉱脈を探る、鉱山開発の第一人者たる紫吹家であれば、相互理解も早かろうとの上意もあるのだ」
「……上意」
上意。青海ですら逆らえない上層部からの意思。
「文明開化の音が聞こえないか、紫吹の当主殿? 海の向こうの者であれ、人の理を外れているかも知れぬものであれ、来たる世のためには手を取り合うべきーーというのが今の上層部の考え。私はそれを忠実に実行するだけのことだ」
「……紫吹家を愚弄するか、青海工部少輔?」
低い声で目の前の役人を睨む星樹に、青海もまた、深い笑みでそれを受け止めた。
「かも知れぬ、と私は申し上げたはずだが。そもそも『誰のこと』とも申してはおらぬが……聡明なる紫吹のご当主殿には、心当たりが?」
これは、青海の粘り勝ちというべきだろう。
こうして季節が秋にさしかかる頃、異国の人物が一人、紫吹家の門を叩くことになったのだーー
【1】
「初めまして。ハウディート・フォーレンと言います。私の言葉は通じていますか?」
青海に連れられてやって来たのは、琴星がこれまでに見たこともない、陽に映える金色の長い髪をなびかせている青年だった。
「金色……」
思わず声に出してしまった琴星に、隣に立つ星樹が「琴星」と、軽く窘めている。
「ああ、気にしないで下さい。どうやらこの国では、この髪色がとても珍しいようだと、何日か過ごしているうちに理解しましたので」
青海の隣、琴星に向かい合う形で立つ青年――フォーレンは、気分を害した風でもなくそう微笑んだ。
「す、すみません」
「いえいえ」
恐縮する琴星に柔らかい笑みを向けた後、フォーレンもあらかじめこの邸宅の主が誰なのかというのは、青海から聞いていたのだろう。
すぐに表情を引き締めると、改めて星樹の方へと向き直っていた。
「私の研究には、こちらが家業とされていることが役立つはずだとオウミから聞いています。よろしくお願いします」
「紫吹家当主・星樹だ。国の政策と言われれば、こちらも無下には出来ないからな。ある程度の協力はする。が、深入りはしないでもらいたい。研究に関する報告を国にあげるのは仕方がないにせよ、この紫吹家の中で見聞きしたことを国、あるいは青海にぺらぺらと話されるのは困る。それが滞在にあたっての条件だと心得てほしい」
つれないな、と青海は口元をひくつかせているものの、星樹はニコリとも笑わない。いたって本気だからだ。
「それと……言葉は充分に通じている。この先、言葉が分からないフリをして余計な真似をしないようにということも併せて伝えておく」
「……なるほど。通じているのならば、よかったです」
あまり星樹が歓迎をしていないことは、その態度からも明らかなのに、フォーレンの方は少なくともそれに対する好悪を露にはしなかった。
さすが大学勤めの研究者は、普段から落ち着いているのかもしれない。
「私は資金集めのための会合でこの邸宅にいないことも多い。この後もすぐに出かける。なので、用があればこの琴星に言いつけてくれ。本来ならもう一人、颯星という者を紹介すべきところだが、今は郊外の鉱山に技術者たちと出かけていて不在だ。そこは日を改めて紹介させてもらおう」
「分かりました。ええっと……お世話になります、でしたか? 青海がそう言っていました」
「そうだな。せいぜい、国に貢献してくれ」
そう言ってこの場を離れようとした星樹に、青海が「まあ待て」と、声をかけた。
「会うのは旧民部省の連中か? 戻るついでに馬車で送ろう」
もしかしたら、星樹と何か話があるのかもしれない。そう言って、青海は渋る星樹を半ば強引に表へと連れ出していってしまった。
結果として、琴星とフォーレンがぽつんとその場に残されることになてしまった。
「あ、あのっ、星樹兄さまがすみません……」
どう考えても、はるばる海を越えて技術と知識の供与のためにやってきた者に対する態度ではないことは分かる。
琴星は、身体を竦めるようにして、フォーレンに対しお詫びの言葉を述べた。
「いえいえ。えーっと……コトセさん? 貴女はセイジュの妹さんですか?」
「あっ、いえっ、そういうわけでは……えっと」
「?」
一瞬説明に困った琴星だったが、いつまでも玄関ホールに立たせたままにしておくわけにはいかないとそこで気付き、フォーレンを部屋に案内するためにくるりと身を翻した。
「さ、先に、お部屋、案内します」
「普通に話してくださって大丈夫ですよ? あまりに古典的な言い回しでなければ、理解できます」
変にカタコトになってしまい、焦る琴星にフォーレンはクスリと笑う。
「これでも、大学で教える立場の者ですし」
「あっ、そうですよね? すみません、なんか、どうしていいか分からなくて……」
「どうぞ、普段通りに」
これでは、どちらがもてなす側なのかが分からない。
まずは部屋に案内して、お茶を用意しなければと、琴星は自分の中で気持ちを切り替えた。
「ちなみに、この邸宅には使用人はいないのですか? どうにも違和感があるのですが」
一階の南向きの一角に、来客が寝泊まりするための客間がある。
事前に星樹がそこと決めていたため、琴星もそこにフォーレンを案内し、紅茶を用意して戻ったところで、荷物を解こうとしていたフォーレンが目を丸くしていた。
「食事や洗濯をしてくれる、通いの家政婦さんがいます。庭師や馬車の手入れをする者も定期通いです。馭者も、用があれば呼ぶ……といった感じでしょうか。あ、フォーレン様が大学と往復されるための馬車は、時間を決めて頼んでおくつもりだと聞いていますので、星樹兄さまが戻られたら、聞いてみていただけますか?」
家政婦は、今の時間だと夕食の買い出しに出ているため、この場でもてなせるのは琴星ひとりだ。
そういうと、フォーレンが何とも言えない表情になった。
「……では、いずれ私がコトセさんにお茶をお淹れしましょう」
「フォーレン様がですか?」
「私の国は紅茶文化ですからね。だからコトセさんも、紅茶を出してくださったのでしょう?」
「は、はい。フォーレン様がこちらでしばらくお住まいになると聞いたので、少し勉強しました」
「ありがたいことです。ですがそう、毎日毎日コトセさんに淹れていただくのも気が引けますので、時々は私も淹れさせていただくようにしますよ。お礼として」
「お礼……」
この邸宅には、人が少ない。
紫吹家の内情を必要以上に悟られないため、住み込みの使用人は一切雇わないことになっている。
だから使用人のいない時間帯は、力仕事を除いて琴星がそのほとんどを担っているのだ。
「それは、タダ働きではありませんか?」
「いえ、私もこの家の直系の人間ではありませんから……衣食住を保証される代わりに、出来るだけのことをする。それだけのことなので、お気になさらないで下さい」
「そういえば……先ほど、セイジュは兄ではないと言っていましたね? 詳しく聞いても?」
そう言ったフォーレンは、部屋にあった別の椅子を、琴星に勧めた。
本当はポットの紅茶を琴星にも勧めようとして、部屋にカップがないことに気が付いたからだ。
せめてと椅子を勧めるフォーレンに、琴星もここは折れるしかなかった。
どうせこの先下宿をしていれば、いやでも気付く話だからだ。
「もちろん、話せる範囲で構いませんよ。セイジュはあまり深入りしてほしくなさそうでしたから」
短時間で随分と星樹の持つ空気を読めたものだ。
やはり普段から、教師として色々な生徒を受け持ってきたからだろうか。
「あの……では、フォーレンさんがどうしてこの国にいらしたのかとか、地震の研究とはどういうことなのかとか、そのあたりのことは伺っても大丈夫でしょうか? その話があれば、後で聞いた星樹兄さまも納得しそうな気がするので……」
琴星が一方的に話をしてしまったと思われるのは避けたい。
「ああ、それもそうですね」
国から話すことを止められている――とでも言われたらどうしようかと思ったものの、思いがけずフォーレンは、あっさりと琴星の言葉を首肯した。
「ではやはり、コトセさんのカップも用意しましょう。きっと、途中で喉が渇きますよ」
それは話が長くなるということだろうか。
内心不安になったものの、国が招いた異国の教師に対して、琴星が上から目線で何を言えるはずもない。
とはいえ、何をどこまで話せるものなのか。
琴星は盛大に頬をひきつらせるしかなかった。
【2】
地震で妹を亡くしたのだと、フォーレンは初手からとんでもない話をこちらへと投げてきた。
「妹さんを……」
何を返していいのか分からず、それきり絶句してしまったフォーレンに「もう何年も前のことですから」と、フォーレンは片手を振った。
「私は思いました。大地の揺れは、人の命を簡単に失わせてしまうほどのものだ。それを、神罰だのなんだの、そんな非科学的なことで片づけてしまって良いのかと。この揺れに打ち克つことはできないのかと。私のような人間を、これ以上増やさずにすむ方法はないものかと」
「それが地震の研究……」
「まずは揺れの仕組みを解明しようと、地震計の改良から始めることにしました。それには鉄や鉛といった金属の存在が必要不可欠なのです」
海の向こうの国への招聘を打診された際、地震の研究をと告げたフォーレンに、青海が紫吹家の名前を出して紹介したのだと言う。
「次々に鉱脈を発見して、名だたる財閥に肩を並べんとする、勢いのある一族だと。必要な金属の提供に関して、最も要望に添えるのではないか、と……」
「それは……」
「セイジュがあまりいい顔をしなかったのは、軍事転用を危惧しているからではないですか? そこは貴女から、決してそうではないことを説いてもらえませんか。研究者は他にも何人かいます。私たちは、地震に打ち克ちたいのです」
あまりに真摯なフォーレンの目に、琴星は何も言えなくなってしまう。
元より星樹の考えなどと、琴星では推し量れないのだ。
「話は……してみます。けれど紫吹家当主たる星樹兄さまが下す判断が、紫吹家としての絶対になります。そこはご理解下さい」
「そうですか…いえ、貴女に私の思いだけでも分かって頂けたら有り難いですよ。後は祈るのみですね」
そう言って軽く十字を切るフォーレンに、思わず琴星の口元もほころぶ。
確か、海の向こうの国での祈りの仕草だと、書物で読んだ。
色々と、自分達とは異なる習慣があるのだと。
「それで……ここはどうして、これほど人が少ないのですか? セイジュとも兄妹ではない、と。何か事情があるのですか?」
「そう……ですね」
何をどこまで話したものか。
琴星は視線を彷徨わせて、考えた。
「フォーレン様は……鬼をご存知ですか?」
「オニ、ですか? いえ……まだ勉強が不足しているようです」
「ええと、そうですね……人ならざるモノと言いますか……」
「人じゃない、と言われますと、そうですね、悪魔とか妖精とか、そんな言い方を我々はしますが」
「人の姿形をしたりは?」
「上位種だと可能と言われていますが……いずれも空想上の話とされていますね」
少なくともこの目で見たことはない、とフォーレンは言った。
「それが……?」
「紫吹家は、その鬼の血を引く一族だと言われています」
それは青海も知っていることだ。
フォーレンはもちろん初耳で目を瞠っているが、琴星はそのまま話を続けた。
「その真偽はともかくとして、一族の者が鉱山の鉱脈を探る力に長けていることは事実なのです。そして、その力が最も強い者が当主となり、この邸宅に住まうことが義務付けられています」
血筋ではなく、鉱脈を探り当てる能力の有無が全てなのだと琴星は言った。
兄ではないが同じ屋根の下で暮らし、年齢も星樹の方が上であるため、いつの間にか兄と呼ぶようになったのだ。
とてもじゃないが呼び捨てにする勇気はないというのもあるし、他の一族の者のように「様」を付けるのは、星樹自身が嫌がった。
その結果、外からは歪とも言える紫吹本邸が出来上がっているのだ。
恐らくは自分達の代じゃなくなっても、この仕組みは残るのだろう。
「けれどさすがに一人では、家は回りません。なのでこの邸宅には、力のある順に3人の人間が代々住むことになっています」
「3人……」
それでも3人なのか、とフォーレンは言いたげだ。
仕方がないんです、と琴星は苦笑した。
「あまり多くの者が集まると争いを生むと、言い伝えられているのです。それに鉱山は全国にあります。各地を飛び回る者もいますから、この邸宅は常に3人。鉱脈を探り当てるための方法は秘せられているのです」
鉱山の大きさ、鉱脈の奥深さによって、派遣される者の格が変わるのだといい、大抵の鉱山はこの邸宅の3人が出ずとも良いものなのだ。
「ただ今回は、最初に派遣された鉱脈師では探しきれない箇所があったため、颯星君が様子を見に出たんです。場合によっては、私や星樹兄さまが向かうこともあります」
「鉱脈師?」
「金属となる鉱石が眠る場所を探し当てる者の総称です。その力が、人知の及ばぬところだと……故に鬼の血が流れているのだと、古来より言い伝えられているようです。別に角もないんですけどね」
やや自虐をこめて琴星は笑ったが、元より鬼の何たるかを知らないフォーレンには響かなかったようだ。
「では、貴女と鉱山に行けば、地震計の元となるかもしれない金属を探し当てて貰える……と?」
しかも反応していたのは、別の部分だ。
琴星としても面喰らわずにはいられない。
「必ず見つかるかどうかは……分かりませんけど……」
「いや、素晴らしい!」
「きゃっ⁉︎」
しかも興奮したフォーレンの両手が、いつの間にか琴星の両手を包み込んでいて、つい琴星も悲鳴をあげてしまっていた。
「ああっ、と……失礼、つい!」
「い、いえっ」
気付いたフォーレンも慌てて手を離したが、一瞬何とも言えない沈黙が流れる。
「コトセさん」
「は、はい」
「大学が休みの日にでも、どこか鉱山に連れて行ってほしい」
「え⁉︎」
「セイジュは当主として忙しいのだろう? いや、むしろ貴女に案内してもらえたら嬉しいのだが、どうだろう」
「ええっと……」
とても星樹が首を縦に振るとは思えないのだが、この様子だとフォーレンも引き下がらない気がする。
そう思ったのが顔に出たのか、そこは青海経由で自分が星樹の首を縦に降らせると、フォーレンは言った。
「お、青海様経由でですか?」
「私がいきなりセイジュに何か言ったところで、聞き入れてくれるとは思えないからね。青海なら、国家権力ちらつかせてでも何とかしてくれそうだ」
「……っ」
大学で生徒に教えようという人が、そんな腹黒いことでいいのだろうか。
いや、役人となるならそれくらい耐性はないとダメなんだろうか。
もとより琴星に効果的な反論は思い浮かばず、フォーレンの動くがまま、見守ることしか出来なかったのだ。
そして案の定、あれよあれよという間に琴星とフォーレンの鉱山見学の予定が組み上げられていた。
「ヨロシク、コトセサン。ワタシ、タノシミ」
「…………」
その頃には、フォーレンのカタコトがとてもわざとらしいものだということが、琴星にも分かりつつあった。
琴星の日常は、今やすっかりこの異国からの訪問者によって様変わりしていたのだ。
「お雇い外国人?」
聞きなれぬ呼称に目を瞬かせていたのは、どうやら琴星だけではなかったらしい。
紫吹家の皆が、発言の意図を読み取れずにいた。
西洋の文化が一気に入り、制度や習慣が大きく変化しつつあったとはいえ、一般市民は民家、西洋風の建物を持つ家は富裕層との括りはまだまだ残るこの時代。
政府の役人を、ソファのある応接室で出迎えている時点で、この紫吹家がそれなりの家格を持つ家だということは誰の目にも明らかだった。
「藪から棒に何ですか、青海工部少輔」
役人を前に口を開くのは、この邸宅で最も上位に当たる紫吹家の当主・星樹。
当主であるが故に、年齢が上であろう役人に対しての不遜な物言いも許される。
相手も、それが当然だと分かっているのか腹を立てたりはしなかった。
「我が工部省は今、内務省と手を取り国家発展のための産業政策を推し進めているのだが」
「そうですね。その一環として、鉱脈師を多く抱える我が紫吹家に声がかかっていることも承知していますが」
そう言って星樹がチラリと視線を両隣に投げたところで、琴星もようやく当主以外の紫吹家関係者がこの場に呼ばれたことに得心する。
この部屋には、政府・工部省の次官に当たる「少輔」の肩書きを持つ青海准と、紫吹家の当主たる星樹、鉱山の鉱脈を読む「鉱脈師」の一人でもある紫吹琴星と紫吹颯星の四人がいて、青海を前に三人が横一列に腰を下ろしている状況だ。
つまりは鉱山開発や製鉄の事業に関して紫吹家の力が必要だと、その判断で星樹が琴星と颯星を呼んだのだと、少なくとも琴星はそう判断したし、恐らくは星樹も颯星もそう思っているはずだった。
二十代、十代、1桁代と、見た目には侮られてもおかしくない三人でも、鉱山の地脈を読むことに関しては他の追随を許さない三人だからだ。
「それが何故『お雇い外国人』などという耳慣れない言葉が出てくることに……?」
ーーお雇い外国人を一人、下宿させて欲しい。
ところが来るなり青海はそんな話を持ち出してきたのだ。
星樹でなくとも聞き返したくなるところだった。
「我が国が鎖国を止め、開国してからまだ日も浅い。国の中にいては得がたい知識・経験・技術が確かに存在していることを我々はこの数年で嫌というほどに思い知った」
「それで、海の向こうの技術者を国に雇い入れて、技術を供与させようとでも?」
星樹の顔にはありありと「短慮だ」と書かれている。何なら「馬鹿馬鹿しい」くらいには、思っているかもしれない。
けれどそれを聞いた青海は、むしろ大真面目に頷いていた。
「正確には技術だけじゃない。知識もだ。何人かは大学で教鞭を取ってもらうことになっている」
「……は?」
「実際にもう、何人かの外国人を国の事業として招聘していて、新たな招聘計画もある」
「…………」
普段は紫吹家の当主として、冷静沈着に物事にあたる星樹が二の句を告げないでいる。
ただ、琴星や颯星はあまりピンとこなかったという方が正しく、ハラハラとことの成り行きを見守っていた。
「……あれほど頑なに海の外からの来訪を拒んでいたものが、そこまで急に手のひらを返せるのか」
「手のひらを返す、というのは少し違う」
不信感も露わな星樹に、青海が軽く肩をすくめた。
「ーー上層部が変わっただけのことだ」
「……っ」
果たしてこれは、自分達が聞いていい話なのか。
心の中で冷や汗を流す琴星や颯星を、青海は微笑みを浮かべながら見つめていた。
変わったのか、変えたのか。
きっと聞いてはいけないのだろう。
「それで紫吹家には、地震研究をしている者を一人受け入れてもらいたい」
それは拒否権がないことを窺わせる口調だったのだから。
「地震研究?」
「地脈を読み鉱脈を探る、鉱山開発の第一人者たる紫吹家であれば、相互理解も早かろうとの上意もあるのだ」
「……上意」
上意。青海ですら逆らえない上層部からの意思。
「文明開化の音が聞こえないか、紫吹の当主殿? 海の向こうの者であれ、人の理を外れているかも知れぬものであれ、来たる世のためには手を取り合うべきーーというのが今の上層部の考え。私はそれを忠実に実行するだけのことだ」
「……紫吹家を愚弄するか、青海工部少輔?」
低い声で目の前の役人を睨む星樹に、青海もまた、深い笑みでそれを受け止めた。
「かも知れぬ、と私は申し上げたはずだが。そもそも『誰のこと』とも申してはおらぬが……聡明なる紫吹のご当主殿には、心当たりが?」
これは、青海の粘り勝ちというべきだろう。
こうして季節が秋にさしかかる頃、異国の人物が一人、紫吹家の門を叩くことになったのだーー
【1】
「初めまして。ハウディート・フォーレンと言います。私の言葉は通じていますか?」
青海に連れられてやって来たのは、琴星がこれまでに見たこともない、陽に映える金色の長い髪をなびかせている青年だった。
「金色……」
思わず声に出してしまった琴星に、隣に立つ星樹が「琴星」と、軽く窘めている。
「ああ、気にしないで下さい。どうやらこの国では、この髪色がとても珍しいようだと、何日か過ごしているうちに理解しましたので」
青海の隣、琴星に向かい合う形で立つ青年――フォーレンは、気分を害した風でもなくそう微笑んだ。
「す、すみません」
「いえいえ」
恐縮する琴星に柔らかい笑みを向けた後、フォーレンもあらかじめこの邸宅の主が誰なのかというのは、青海から聞いていたのだろう。
すぐに表情を引き締めると、改めて星樹の方へと向き直っていた。
「私の研究には、こちらが家業とされていることが役立つはずだとオウミから聞いています。よろしくお願いします」
「紫吹家当主・星樹だ。国の政策と言われれば、こちらも無下には出来ないからな。ある程度の協力はする。が、深入りはしないでもらいたい。研究に関する報告を国にあげるのは仕方がないにせよ、この紫吹家の中で見聞きしたことを国、あるいは青海にぺらぺらと話されるのは困る。それが滞在にあたっての条件だと心得てほしい」
つれないな、と青海は口元をひくつかせているものの、星樹はニコリとも笑わない。いたって本気だからだ。
「それと……言葉は充分に通じている。この先、言葉が分からないフリをして余計な真似をしないようにということも併せて伝えておく」
「……なるほど。通じているのならば、よかったです」
あまり星樹が歓迎をしていないことは、その態度からも明らかなのに、フォーレンの方は少なくともそれに対する好悪を露にはしなかった。
さすが大学勤めの研究者は、普段から落ち着いているのかもしれない。
「私は資金集めのための会合でこの邸宅にいないことも多い。この後もすぐに出かける。なので、用があればこの琴星に言いつけてくれ。本来ならもう一人、颯星という者を紹介すべきところだが、今は郊外の鉱山に技術者たちと出かけていて不在だ。そこは日を改めて紹介させてもらおう」
「分かりました。ええっと……お世話になります、でしたか? 青海がそう言っていました」
「そうだな。せいぜい、国に貢献してくれ」
そう言ってこの場を離れようとした星樹に、青海が「まあ待て」と、声をかけた。
「会うのは旧民部省の連中か? 戻るついでに馬車で送ろう」
もしかしたら、星樹と何か話があるのかもしれない。そう言って、青海は渋る星樹を半ば強引に表へと連れ出していってしまった。
結果として、琴星とフォーレンがぽつんとその場に残されることになてしまった。
「あ、あのっ、星樹兄さまがすみません……」
どう考えても、はるばる海を越えて技術と知識の供与のためにやってきた者に対する態度ではないことは分かる。
琴星は、身体を竦めるようにして、フォーレンに対しお詫びの言葉を述べた。
「いえいえ。えーっと……コトセさん? 貴女はセイジュの妹さんですか?」
「あっ、いえっ、そういうわけでは……えっと」
「?」
一瞬説明に困った琴星だったが、いつまでも玄関ホールに立たせたままにしておくわけにはいかないとそこで気付き、フォーレンを部屋に案内するためにくるりと身を翻した。
「さ、先に、お部屋、案内します」
「普通に話してくださって大丈夫ですよ? あまりに古典的な言い回しでなければ、理解できます」
変にカタコトになってしまい、焦る琴星にフォーレンはクスリと笑う。
「これでも、大学で教える立場の者ですし」
「あっ、そうですよね? すみません、なんか、どうしていいか分からなくて……」
「どうぞ、普段通りに」
これでは、どちらがもてなす側なのかが分からない。
まずは部屋に案内して、お茶を用意しなければと、琴星は自分の中で気持ちを切り替えた。
「ちなみに、この邸宅には使用人はいないのですか? どうにも違和感があるのですが」
一階の南向きの一角に、来客が寝泊まりするための客間がある。
事前に星樹がそこと決めていたため、琴星もそこにフォーレンを案内し、紅茶を用意して戻ったところで、荷物を解こうとしていたフォーレンが目を丸くしていた。
「食事や洗濯をしてくれる、通いの家政婦さんがいます。庭師や馬車の手入れをする者も定期通いです。馭者も、用があれば呼ぶ……といった感じでしょうか。あ、フォーレン様が大学と往復されるための馬車は、時間を決めて頼んでおくつもりだと聞いていますので、星樹兄さまが戻られたら、聞いてみていただけますか?」
家政婦は、今の時間だと夕食の買い出しに出ているため、この場でもてなせるのは琴星ひとりだ。
そういうと、フォーレンが何とも言えない表情になった。
「……では、いずれ私がコトセさんにお茶をお淹れしましょう」
「フォーレン様がですか?」
「私の国は紅茶文化ですからね。だからコトセさんも、紅茶を出してくださったのでしょう?」
「は、はい。フォーレン様がこちらでしばらくお住まいになると聞いたので、少し勉強しました」
「ありがたいことです。ですがそう、毎日毎日コトセさんに淹れていただくのも気が引けますので、時々は私も淹れさせていただくようにしますよ。お礼として」
「お礼……」
この邸宅には、人が少ない。
紫吹家の内情を必要以上に悟られないため、住み込みの使用人は一切雇わないことになっている。
だから使用人のいない時間帯は、力仕事を除いて琴星がそのほとんどを担っているのだ。
「それは、タダ働きではありませんか?」
「いえ、私もこの家の直系の人間ではありませんから……衣食住を保証される代わりに、出来るだけのことをする。それだけのことなので、お気になさらないで下さい」
「そういえば……先ほど、セイジュは兄ではないと言っていましたね? 詳しく聞いても?」
そう言ったフォーレンは、部屋にあった別の椅子を、琴星に勧めた。
本当はポットの紅茶を琴星にも勧めようとして、部屋にカップがないことに気が付いたからだ。
せめてと椅子を勧めるフォーレンに、琴星もここは折れるしかなかった。
どうせこの先下宿をしていれば、いやでも気付く話だからだ。
「もちろん、話せる範囲で構いませんよ。セイジュはあまり深入りしてほしくなさそうでしたから」
短時間で随分と星樹の持つ空気を読めたものだ。
やはり普段から、教師として色々な生徒を受け持ってきたからだろうか。
「あの……では、フォーレンさんがどうしてこの国にいらしたのかとか、地震の研究とはどういうことなのかとか、そのあたりのことは伺っても大丈夫でしょうか? その話があれば、後で聞いた星樹兄さまも納得しそうな気がするので……」
琴星が一方的に話をしてしまったと思われるのは避けたい。
「ああ、それもそうですね」
国から話すことを止められている――とでも言われたらどうしようかと思ったものの、思いがけずフォーレンは、あっさりと琴星の言葉を首肯した。
「ではやはり、コトセさんのカップも用意しましょう。きっと、途中で喉が渇きますよ」
それは話が長くなるということだろうか。
内心不安になったものの、国が招いた異国の教師に対して、琴星が上から目線で何を言えるはずもない。
とはいえ、何をどこまで話せるものなのか。
琴星は盛大に頬をひきつらせるしかなかった。
【2】
地震で妹を亡くしたのだと、フォーレンは初手からとんでもない話をこちらへと投げてきた。
「妹さんを……」
何を返していいのか分からず、それきり絶句してしまったフォーレンに「もう何年も前のことですから」と、フォーレンは片手を振った。
「私は思いました。大地の揺れは、人の命を簡単に失わせてしまうほどのものだ。それを、神罰だのなんだの、そんな非科学的なことで片づけてしまって良いのかと。この揺れに打ち克つことはできないのかと。私のような人間を、これ以上増やさずにすむ方法はないものかと」
「それが地震の研究……」
「まずは揺れの仕組みを解明しようと、地震計の改良から始めることにしました。それには鉄や鉛といった金属の存在が必要不可欠なのです」
海の向こうの国への招聘を打診された際、地震の研究をと告げたフォーレンに、青海が紫吹家の名前を出して紹介したのだと言う。
「次々に鉱脈を発見して、名だたる財閥に肩を並べんとする、勢いのある一族だと。必要な金属の提供に関して、最も要望に添えるのではないか、と……」
「それは……」
「セイジュがあまりいい顔をしなかったのは、軍事転用を危惧しているからではないですか? そこは貴女から、決してそうではないことを説いてもらえませんか。研究者は他にも何人かいます。私たちは、地震に打ち克ちたいのです」
あまりに真摯なフォーレンの目に、琴星は何も言えなくなってしまう。
元より星樹の考えなどと、琴星では推し量れないのだ。
「話は……してみます。けれど紫吹家当主たる星樹兄さまが下す判断が、紫吹家としての絶対になります。そこはご理解下さい」
「そうですか…いえ、貴女に私の思いだけでも分かって頂けたら有り難いですよ。後は祈るのみですね」
そう言って軽く十字を切るフォーレンに、思わず琴星の口元もほころぶ。
確か、海の向こうの国での祈りの仕草だと、書物で読んだ。
色々と、自分達とは異なる習慣があるのだと。
「それで……ここはどうして、これほど人が少ないのですか? セイジュとも兄妹ではない、と。何か事情があるのですか?」
「そう……ですね」
何をどこまで話したものか。
琴星は視線を彷徨わせて、考えた。
「フォーレン様は……鬼をご存知ですか?」
「オニ、ですか? いえ……まだ勉強が不足しているようです」
「ええと、そうですね……人ならざるモノと言いますか……」
「人じゃない、と言われますと、そうですね、悪魔とか妖精とか、そんな言い方を我々はしますが」
「人の姿形をしたりは?」
「上位種だと可能と言われていますが……いずれも空想上の話とされていますね」
少なくともこの目で見たことはない、とフォーレンは言った。
「それが……?」
「紫吹家は、その鬼の血を引く一族だと言われています」
それは青海も知っていることだ。
フォーレンはもちろん初耳で目を瞠っているが、琴星はそのまま話を続けた。
「その真偽はともかくとして、一族の者が鉱山の鉱脈を探る力に長けていることは事実なのです。そして、その力が最も強い者が当主となり、この邸宅に住まうことが義務付けられています」
血筋ではなく、鉱脈を探り当てる能力の有無が全てなのだと琴星は言った。
兄ではないが同じ屋根の下で暮らし、年齢も星樹の方が上であるため、いつの間にか兄と呼ぶようになったのだ。
とてもじゃないが呼び捨てにする勇気はないというのもあるし、他の一族の者のように「様」を付けるのは、星樹自身が嫌がった。
その結果、外からは歪とも言える紫吹本邸が出来上がっているのだ。
恐らくは自分達の代じゃなくなっても、この仕組みは残るのだろう。
「けれどさすがに一人では、家は回りません。なのでこの邸宅には、力のある順に3人の人間が代々住むことになっています」
「3人……」
それでも3人なのか、とフォーレンは言いたげだ。
仕方がないんです、と琴星は苦笑した。
「あまり多くの者が集まると争いを生むと、言い伝えられているのです。それに鉱山は全国にあります。各地を飛び回る者もいますから、この邸宅は常に3人。鉱脈を探り当てるための方法は秘せられているのです」
鉱山の大きさ、鉱脈の奥深さによって、派遣される者の格が変わるのだといい、大抵の鉱山はこの邸宅の3人が出ずとも良いものなのだ。
「ただ今回は、最初に派遣された鉱脈師では探しきれない箇所があったため、颯星君が様子を見に出たんです。場合によっては、私や星樹兄さまが向かうこともあります」
「鉱脈師?」
「金属となる鉱石が眠る場所を探し当てる者の総称です。その力が、人知の及ばぬところだと……故に鬼の血が流れているのだと、古来より言い伝えられているようです。別に角もないんですけどね」
やや自虐をこめて琴星は笑ったが、元より鬼の何たるかを知らないフォーレンには響かなかったようだ。
「では、貴女と鉱山に行けば、地震計の元となるかもしれない金属を探し当てて貰える……と?」
しかも反応していたのは、別の部分だ。
琴星としても面喰らわずにはいられない。
「必ず見つかるかどうかは……分かりませんけど……」
「いや、素晴らしい!」
「きゃっ⁉︎」
しかも興奮したフォーレンの両手が、いつの間にか琴星の両手を包み込んでいて、つい琴星も悲鳴をあげてしまっていた。
「ああっ、と……失礼、つい!」
「い、いえっ」
気付いたフォーレンも慌てて手を離したが、一瞬何とも言えない沈黙が流れる。
「コトセさん」
「は、はい」
「大学が休みの日にでも、どこか鉱山に連れて行ってほしい」
「え⁉︎」
「セイジュは当主として忙しいのだろう? いや、むしろ貴女に案内してもらえたら嬉しいのだが、どうだろう」
「ええっと……」
とても星樹が首を縦に振るとは思えないのだが、この様子だとフォーレンも引き下がらない気がする。
そう思ったのが顔に出たのか、そこは青海経由で自分が星樹の首を縦に降らせると、フォーレンは言った。
「お、青海様経由でですか?」
「私がいきなりセイジュに何か言ったところで、聞き入れてくれるとは思えないからね。青海なら、国家権力ちらつかせてでも何とかしてくれそうだ」
「……っ」
大学で生徒に教えようという人が、そんな腹黒いことでいいのだろうか。
いや、役人となるならそれくらい耐性はないとダメなんだろうか。
もとより琴星に効果的な反論は思い浮かばず、フォーレンの動くがまま、見守ることしか出来なかったのだ。
そして案の定、あれよあれよという間に琴星とフォーレンの鉱山見学の予定が組み上げられていた。
「ヨロシク、コトセサン。ワタシ、タノシミ」
「…………」
その頃には、フォーレンのカタコトがとてもわざとらしいものだということが、琴星にも分かりつつあった。
琴星の日常は、今やすっかりこの異国からの訪問者によって様変わりしていたのだ。