「さすが暁生(あきお)様! 結月(ゆづき)の秘めていた才能をお見抜きになられたのですね!」
 顔を上げた母の顔は、欲と野心で溢れたなんとも(みにく)いものだった。 
「結月も紫明野(しめの)家を代表する素晴らしい巫女の一人です! 髪色は異端ですが、ご覧いただいた通り、巫女としての力は紗和(さわ)以上! 暁生様のお眼鏡にかなうなんて、結月も喜んでいるでしょう!」
「……お母様!? あの忌み子を差し出すつもり!? 私はどうなるの!?」 
 血眼になっている母の訴えを、紗和は怒りと焦りの入り混じった声で遮った。
「あんな銀髪より、私のほうが……!」
「紗和! あなたも紫明野家を思うのなら、大人になりなさい!」
 激昂する娘を叱責する母。
 人間の欲が渦巻く醜い光景を、暁生は呆れたように眺めていた。
 ──そういうことか。
 母はただ名誉のため。娘は己の欲のため。
 初めて式神を飛ばした時、なぜ結月が辺鄙(へんぴ)な物置小屋にいたのか。なぜ頭を布で隠していたのか。見合いのとき、なぜ『銀髪の巫女はいない』と答えたのか。 
 すべてが腑に落ちた。
 彼女はずっとこの家で疎まれ、隠されていたのだ。 
「お前たち、もう止めろ。それ以上の醜態を晒すな。それとも、紫明野家の名を地に落としたいのか?」
 暁生が二人に向けた視線はあやかしを見るかのように軽蔑で、失望したかのように冷たかった。そのあまりの威圧感に、紗和と母は次第に口を(つぐ)む。
 それでも母は、せめてもと恐る恐る暁生に頭を下げた。
「申し訳ございません。結月は土蜘蛛に両親を殺されて以来、心を病んで閉ざしてしまい、人前に出れる状態ではございませんでした。しかし鵠宮(くぐのみや)家に嫁いだ際には、それも回復なさるでしょう」
 声と肩を震わせて懇願(こんがん)する母の姿は、決して結月を思う気持ちからではない。
 嘘と打算であると、暁生はすでに見抜いていた。
 彼の眉間にしわが寄り出す。
「私からも醜態を晒してしまい、お詫び申し上げます! 結月義姉様も鵠宮家に嫁ぐことで更に巫女としての才能を開花させるはずです! なのでどうか、紫明野家に寛大なご配慮を……!」
 紗和は手のひらを返すように頭を下げたが、母同様、決して反省から来ているわけではないと暁生は確信していた。
 彼女は、鵠宮家の誰かと縁を結べればいいのだ。『暁生』個人ではない。『名門・鵠宮家』と結婚できるなら、どうせそれで満足なのだろう。
 ──なんて切り替えの早い。
 親子揃って、自己中心的な思考回路。鵠宮家も結月も、自分たちを飾りたてるための道具としか見ていないようだ。
 暁生は低く、重い声で告げる。
「結月はもうこの家の娘ではない。絶縁状を出したのはお前たちだろう? 俺からしても、お前たちは赤の他人ということだ。これ以降、紫明野家は鵠宮家との接近を一切禁じる」
 二人は絶縁状のことを知っていることに驚くよりも、接近を禁じられた事実に呆然とし、青ざめた。
 父は事態を把握するのに必死で、一人動揺している。 
 暁生は結月に視線を落とした。
 ──さぞ辛かっただろう。
 今までどんな思いで過ごしていたのだろうか。
 両親を亡くした、か弱い少女。ずっと一人で抱えていたその辛さは計り知れない。 
 腕の中で安らかな顔をしている結月を見つめ、暁生は改めて決心する。
 すると、彼女の指先が小さく動いた。
「……暁生、様……?」
 降り注がれた視線に気がついたように、結月は浅い眠りから目を覚ます。
 まだ夢現(ゆめうつつ)の彼女の声に、暁生は微笑んで応えた。
「結月、お前に伝えたいことがある。聞いてくれるか?」
 結月はまどろみながらも目線を合わせて、こくりと(うなず)く。
「結月は俺が選んだ唯一の女性だ。滅妖師(めつようし)としての力だけではなく、純粋に人を愛する心、そして共に歩む未来。俺は、結月と一緒にその物語を(つむ)でいきたい」
 優しく、そしてまっすぐ(ささや)くように言った暁生の言葉に、結月は目を見開いていく。
「暁生様……それって……」
 潤んだ彼女の蒼い瞳は宝石のように輝いていた。
 暁生は一度頷いて、微笑む。 
「俺と、結婚してくれ」

 ◆

 一瞬、世界が止まったような気がした。
 時間も音も空気も、そして感情さえも、すべてが彼の存在で包まれていく。 
 今までの苦しみや悲しみ、孤独感、絶望感。
 胸の奥からあふれ出てくる幸福感は、心の中にあった冷たい感情を溶かし始める。
 そしてそれは涙となって、結月の頬を伝い流れていった。
「……はい」
 抱えきれないほどあふれる「幸せ」という感情。
 彼を(した)う気持ちと彼から感じる温もりは、両親のそれとは少し違うように思えた。
 ──これが、人を愛する気持ち……。
 誰かを思うことがこんなにも幸福な気持ちを生むのかと、結月はまた涙を流す。 
 暁生はそっと彼女を地面に降ろし、涙を拭った。
「今までよく耐えてきたな。これからは俺が結月を守り、そして幸せにする」
 彼の言葉は、閉ざしていた未来への扉を開けてくれるものだった。
 ──私に、こんな幸せな未来があったなんて……。 
 両親を失い、忌み子として蔑まれ、いつかは生まれ育った家を追い出される。自分に訪れる未来は、夢も希望もないものだと受け入れていた。
 だから、とうの昔に『幸せ』なんて諦めていた。
 それが今。
 一筋の光に照らされ、幻であったかのようにうっすらと消えていく。こんなにも幸せな未来が訪れるなんて、考えもしていなかった。
「……暁生様、ありがとうございます」 
 目から真珠のような大粒の涙がいくつも(こぼ)れた。
 骨ばった大きな手が頬を包んでくれている。(たく)ましくも、繊細な指先から伝わってくる愛情。
 自ずと、その手に自分の手を重ねていた。
 微笑む暁生を見つめながら、結月もまたそっと笑みをこぼした。
 だが。

「……私は認めない!!」 
 縮まっていく二人の距離を引き裂いたのは、絶叫にも似た紗和の声だった。
 怒りと嫉妬を隠そうともしない涙と歪んだ表情は、どこか自暴自棄のようにも見える。 
 さすがの母も紗和をなだめに入ったが、それでも納得がいかない様子で声を荒げる。(せき)を切った感情は、そう簡単に止められるものではなかった。
 ──こんな婚約、認められるわけがない!
 ずっと感じていた、自分ではない誰かを想っている暁生の視線。その視線の先にいたのは、まさかの忌み子だった。
 どうして結月の存在を知っていたのか、どうして絶縁状のことを知っていたのか。そんなのは、もうどうでもよくなっていた。
 ──なんで私じゃないの!?
 悔しさで押しつぶされそうだった。
 紗和は感情に任せて、結月に怒りをぶつけた。
「……そうよ! 鵠宮(くぐのみや)家当主……暁生(あきお)様のお父様は、私が見合い相手だと知っているはず! 当主様のご判断もなしに私以外と婚約だなんて、そんな勝手、当主様だって納得しないはずだわ!」

 結月はハッとし、その言葉の重みを噛み締めた。
 彼女の言う通りだ。見合い相手のおおよその情報は事前に知れ渡っているはず。
 それがいきなり別人、しかも銀色の髪の巫女を連れて帰ってきただなんて、暁生だって鵠宮家から非難されてしまうかもしれない。
 不安に駆られた結月は思わず暁生から視線を逸らし、わずかに表情を曇らせる。
 すると。
「その当主が、結月と婚約すると言っているんだ」
 堂々とした声が隣から聞こえた。
 耳を疑った結月は驚き、勢いよく暁生の顔を見上げる。
 とても凛々しくて、綺麗な横顔がそこにあった。紗和を見据える黒い瞳は力強く輝いていて、何の迷いも感じられない。 
 そして、暁生の言葉が飲み込めていないのは紗和たちも同じようだった。
「その当主って……暁生様が……?」 
 何かの冗談か、聞き間違いかと困惑した様子で顔を見合わせている。
 ざわつく庭園を静めたのは、藤仁(ふじひと)だった。
 眼鏡を押し上げ、その場を制するように結月たちの前で姿勢よく立つと、紗和に向かい重々しく口を開いた。
「本日をもって、暁生様が鵠宮家の正式な当主となられました。鵠宮家のしきたりにより、婚約を結んだ時点で次期当主は現当主へと引き継がれます。もちろん、暁生様のお父様もそのおつもりで本日を迎えております。つまり、暁生様の発言は、鵠宮家当主の発言と同義なのです」
 ゆっくりと淡々に告げると、そのまま暁生の方へと身体を返し、左手を胸に添え敬礼をした。 
「……そんな、ことって……」
 紗和の全身から力が抜けていく。
 もはやこの二人の婚約を阻止する術は見当たらないと、抑えきれない絶望を滲み出しながら紗和は天を仰いだ。 
 紗和の惨めな姿を見ても、結月の心は何も満たされはしなかった。虐げられた過去が消えるわけでもないし、かといって、この状況を喜んでいるわけでもない。
 ただ、同情をするだけだった。
 浮かない顔をしている結月の肩を抱き寄せた暁生は、静かに(うなず)いて正門へと足を運んでいく。
 暁生とともに歩き出した結月だったが、途中足を止め、紗和たちの方へと振り返る。
「お世話になりました」
 腰を折り、ただ一言。呟くように言った台詞(せりふ)が紗和たちに聞こえたのかは定かではない。
 結月の脳裏に浮かんだ言葉はこれだけだった。
 紫明野(しめの)家との別れの言葉に「ありがとうございました」は、あまりにも偽善的すぎる。
 それでも、黙って出ていくのは気が引けた。
 両親が亡くなってからも、すぐには追い出さずここまで面倒を見てくれたことへの感謝。そして、両親と過ごした御屋敷とも今日で最後という思い。
 自分の中の思い出や誇りを尊厳しつつ、過去と決別し、けじめをつけるために最小限の礼儀を尽くした言葉だった。
 立ち去っていく結月たちを、もう誰も引き止めはしなかった。