結月(ゆづき)義姉様とこうやって顔を合わせるのにも辟易(へきえき)していたの。明日には忌み子がいなくなるなんて、せいせいするわ」

 立派な御屋敷の隅にある、誰も近寄らない物置小屋。
 その中で黒い髪を自慢げになびかせた少女は、目の前で正座してる義姉を冷ややかに見下ろしていた。

「…………」
「ねえ、返事くらいしたらどうなの? この私が、夕餉(ゆうげ)を持ってきてあげたのよ?」

 そう言ってまた(つや)のある黒髪をなびかせる。
 黒髪は巫女の一族として生まれた証。漆黒であればあるほど神力があると言い伝えられている。
 義妹──紗和(さわ)の髪は神秘的なほど黒く、見る者を魅了してやまない髪をしていた。

「……ありがとうございます」

 頭を下げる。古びて傷だらけになっている床に髪がついた。
 結月のさらりと垂れた髪は、開け放たれている扉から入ってくる夕暮れの日差しに当てられオレンジ色に輝く。
 
「その銀髪、小屋にいる時も隠してくれない? 本当、忌々しい」

 紗和は眉根を寄せ、妖でも見るかのように嫌悪を示す。
 頭を下げている結月からはその表情が見えないが、きっとまたこちらを睨みつけているだろうと、容易に想像はついた。

「ああ、いつまでもこんなことろにいたら髪も着物も穢れてしまいそう。まあ結月義姉様にはぴったりの場所だったわね。じゃあ、さようなら」

 紗和はふふっと鼻で笑い、その言葉だけを残して小屋の扉を閉めていった。
 それを確認した結月はゆっくりと頭を上げ、髪をまとめ始める。
 御屋敷から隔離された生活をしているのも、忌み子として一族から蔑まれているのも、全てこの銀髪のせいだった──。


 結月は十六年前、巫女の一族として生まれた。ただ、父と母以外の誰からも歓迎されなかった。生まれた時から銀色の髪。
 巫女の娘としてあるまじき髪色、神力のかけらもない色、一族の恥、それがこの銀髪だと、小さい時から一族の皆に影口を言われていた。

 巫女の役割は結界を張り妖から守ることと、穢れてしまった場所を浄化すること。
 母の神力はとても強大で、数人の巫女が分担して行うことを母一人だけで出来てしまうほどの力を持っていた。誰よりも黒く、しなやかで美しい髪の持ち主。
 でも決して、それを自慢したり見せびらかしたりしなかった。愛嬌があって皆から好かれていたのは幼心ながらにも理解できた。
 その子供を蔑むなんて出来なかったのだろう、直接的な嫌がらせを受けることはまだ少なかった。

 こんな髪をしていても神力がないわけではない。結界だって張れたし浄化だってできた。
 ただその規模が、力が弱かった。結界はすぐに破られてしまい、ちょっとした穢れの浄化すらままならない。それがまた一族を逆撫でたようだ。
 一つ年下の紗和はすでに巫女としての力を発揮していたので、力を全く出せない自分が悔しくて情けなくて当時はよく泣いていた。
 
「結月にだって立派な神力があるのよ。大丈夫。いつかお母さんを越えた巫女になる日が来るから」
滅妖師(めつようし)の父さんの血だって流れてるんだ。結月なら立派な巫女になれるさ」
 
 いつも暖かく微笑みながら頭を撫でて慰めてくれた父と母。
 二人がいてくれるだけで十分幸せだったのに、その温もりは十一歳の時に突然消えてしまった。
 それ以降、まともに巫女の力を使ったことはない──。
 
 
「……いただきます」

 手慣れた手つきで髪をまとめ終え、夕餉に手を合わせる。粥と漬物。質素な夕餉だった。
 小屋の隙間からご飯の炊けた匂いと魚と肉の焼けた香ばしい匂いが伝ってくる。きっと御屋敷の方では豪勢な夕餉が振る舞われているに違いない。
 なにせ明日は紗和の見合いの日。
 相手は有名な滅妖師一族である霧生院(きりゅういん)家の次期当主だと聞いた。
 代々、巫女と滅妖師は婚姻関係を結ぶものになっている。滅妖師が妖を倒し、巫女がそれを浄化する。それは自然の摂理のようなもの。だから、きっと明日のうちには婚約を結ぶまでに至るだろう。
 それと同時に、ここを出て行かなければならない。忌み子の存在は邪魔どころか巫女一族の面汚しなのだから。

 手元にあるのは両親の遺産──それでも大半は取られてしまい残っているのは五千(えん)ほど──と、母の形見である金色の(かんざし)
 母の黒い髪によく映えていた簪は、まだ一度も自分の髪に挿したことはない。ずっと型に入れて、大事に箪笥にしまっている。
 この先もきっと挿すことはないと思う。それでも絶対に手放したりしない。母が残してくれた大切な物。

 小窓から月明かりが差し込んできた。一際眩しい月明かり、ちょうど満月だった。
 明日からどうしよう、どこに行こう。そう悩んでいてもどうしようもない。もう諦めていた。自分のこれからの人生も──。
 
 結月は眠りに落ちていく。
 銀色の髪は差し込む光に照らされて星屑のように輝いていた。