スターチスを届けて

 しかし、謝罪よりも、衝撃の方に気を取られ、謝罪もそこそこに、無遠慮に、写真と目の前の人物をジロジロと見比べる。

 そんな視線に、居心地悪そうに眉を顰める小石川は、さらに驚く事を口にした。

「それから、こっちは蒼井先生だ。プライバシーの問題もあるから、本来なら言うべきではないんだろうけど……」

 そう言いながら、小石川は、優のように、髪を高い位置で結んで、ふんわりとした笑顔を浮かべている少女を指した。少女は、髪を二つに分けて縛っている背の低い少女としっかりと手を繋いでいる。

「えーっ! 蒼井ちゃんも卒業生なの!? って言うか、蒼井ちゃんかわいいー! マジ、美少女!! ね、成瀬」

 今度は、優が、驚嘆と称賛の混じったような声を上げながら、浩志に、感想を述べているのか、同意を求めているのか分からない口調で言葉を投げる。

 彼は、そんな優の言葉には答えず、驚きのままの表情で、優と小石川を交互に見た。

「ちょっと、待て。この人が蒼井……先生ってことは、コイツは……」

 浩志の言葉に、はしゃいでいた優も口を閉じて、何かに気がついたように小石川を見る。

 小石川は、2人の視線から、聞きたい事を察したようだったが、それには答えず、さらに写真の中の人物の説明を続けた。

「それから、俺と肩を組んでいるこいつは、今井(いまい)正人(まさと)。俺の友達で……蒼井先生の恋人だ」
「きゃー! なにそれ!? つまり、蒼井ちゃんは、学生の時からの恋人と結婚するってこと!? なにそれ! なにそれ! マジ、憧れるんだけど!! ねぇ。成瀬。いいよね〜」

 女子中学生に、色恋の話は禁物である。一度は収まったはずの優の興奮は、恋人というキーワードで大爆破した。本来の目的など、サラリと忘れて、1人でキャッキャと、はしゃいでいる。

 興奮気味の優の相手はせず、浩志は、小石川を問い質す。

「こいちゃん! じゃあ、こいつは? こいちゃん達と一緒に写ってるってことは、せつなじゃないのか?」

 小石川は、一度目を伏せると、優の方へと視線を送り、呆れたような声を出す。

「河合。言っておくが、この頃のコイツらは、付き合ってないぞ。付き合い始めたのは、もっとずっと後だ。この頃のアイツらは、ただの部活仲間」
「え〜。そうなんですかぁ〜? ちょっと残念。いや、でも、数年後に再会して、結婚ってのも良いですね。うん。アリです! アリ!」

 優の思考は、完全にピンク色に染まっているようだった。
 何処か浮ついた感じの優を他所に、浩志は、痺れを切らしたように、写真に写る二つ結びの少女の顔を、指でトントンと叩く。

「なぁ。こいちゃん。蒼井のカレシの話なんかいいからさ、コイツのこと教えてくれよ!」

 そんな浩志に、小石川は、渋い顔を一瞬見せる。彼は、出来ることならば、話題にしたくないという本心は、表に出さないものの、違う話題でのらりくらりと時間を引き延ばして、核心に触れるのを先延ばしにしていた。しかし、話さざるを得ないことも、また分かっては、いた。

「おい、成瀬。ちゃんと“先生”を付けろ。蒼井《《先生》》! いいな!」
「……おう」

 教師らしく、浩志に注意をしながら、彼の真実を知りたいという気持ちには、もう余裕は無いだろうと察した小石川は、話すしかないと腹を括った。

「俺と蒼井先生は、……実は、幼馴染なんだ」

 唐突に、自身の話を始めた小石川を、浩志と優は、黙って見つめる。多くの生徒たちから慕われる、彼のトーレドマークでもある潑剌とした笑顔は、今は封印され、何処か強ばった面持ちのまま、彼は話を続けた。

「家が近所でな、小さな頃から良く一緒に遊んでいた。俺と蒼井先生と、それから……この子」

 小石川が、二つ結びの少女を指す。小石川の言葉に、浩志がゴクリと生唾を飲み込んだ音が、微かに室内に響いた。

「この子も俺の幼馴染……永香(えいか)の……蒼井先生の3歳下の妹だ」
「……3つ下……じゃあ今は、こいちゃん達と同じくらいの大人……だよな……?」

 誰に聞くでもなく、浩志の口から漏れた落胆の色をした疑問に対して、小石川は静かに答えた。

「…………生きていればな」
「!! それって……」

 小石川の言葉に、浩志は目を見開く。

「……この子は……この写真を撮った3日後に、病気で亡くなったんだ」
「……そんな……まさか……」

 小石川は、未だはっきりと語らずにいたが、それでも、もしかしたらという、予想に愕然としている浩志の代わりに、優が声を上げた。

「小石川先生! この子の名前は?」

 優の問いに、小石川は、目を伏せ、静かに答えた。

「……蒼井……せつな」
 生徒指導室を後にした浩志と優は、先程、小石川教諭から聞いた話と、現実がうまく噛み合わず、どこか、地に足つかぬ感覚のまま、ぼんやりと校内を歩いていた。

「ねえ。成瀬?」

 張りのあるいつもの声はどこへ行ってしまったのか、力のない優の声は、どこかふわっとしていた。

 そんな力無い声は、ぼんやりと自分の意識下に沈み込んでいる浩志の耳までは届かず、優の口から発した瞬間に空気中に散り、溶けてしまう。

 2人の間には、お互いの声が届かない程の分厚い沈黙の壁があるようだった。

 しばらく、沈黙のまま、どこへ行くともなしに歩いていた浩志たちは、中庭の見える渡り廊下へと来ていた。

 廊下の壁にもたれ、どこを見るともなしに、ぼんやりとしている浩志の腕に、優はそっと手を当てた。

 彼は、一瞬ビクリと肩を振るわせたが、それが優の手の温もりだと気がつくと、やがて、ぼんやりとしていた焦点も合ってきたようだった。

 幾分か、浩志が表情を取り戻したのを見てとった優は、遠慮がちに彼に声をかける。

「ねえ。成瀬? 小石川先生の話が本当だとしたら、蒼井せつなさんという人は、もういないはずよね?」
「……ああ」
「でも、成瀬は、蒼井せつなさんに会ったのよね?」
「……ああ」
「しかも、15年前の姿のせつなさんに会っているのよね?」

 浩志は、何かを考えるように、優と合わせていた視線をするりと外すと、中庭を見つめた。

「……ああ。こいちゃんの話だとそうなるな」
「それって……せつなさんは、幽……」
「っ!」

 優の言葉を遮るようにして、浩志が鋭く息を呑む音がした。

 彼の視線の先を辿るようにして、優も視線を中庭へと滑らせると、そこには、肩ほどまである髪を二つに分けて縛り、幾分か大きめの真新しい制服を着た少女の姿があった。少女は、花壇をじっと見つめている。

 恐らく浩志も、少女の姿を目にしたのだろう。

 優が口を開くより早く、彼は駆け出した。優も慌てて、浩志の後を追う。

 中庭へ飛び出すと浩志は、鋭く声を発した。

「せつな!」

 浩志の声に、花壇を見つめていた少女が振り向いた。浩志の背中越しに、少女の顔を見た優は、先程目にしたばかりの、白黒の少女の写真と瓜二つの顔に思わず、目を見開き、立ち止まった。

 突然、息を切らして現れた浩志と優を、せつなは、無表情のまま見つめ続けている。

 3人の周りだけが時が止まったかのように、誰一人動くものはいない。
 どれだけ、そうして居ただろうか。

 沈黙を破ったのは、意外にも、せつなだった。

「なに?」

 無感情に、響くその声を聞いた優は、目を見開いたまま、何を言うでもなく、ただ口をパクパクと開閉している。

 浩志は、せつなの顔を見つめたまま、眉を顰め、真一文字に固く結んだ口を開こうとしない。

「俊ちゃんから、聞いたんでしょ?」

 再びせつなの声が中庭に響く。

「……俊……ちゃん?」

 ようやく重い口を開いた浩志は、聞きなれない呼び名に戸惑いながら、その名を口にした。

「小石川俊輔先生。あなたたちがさっきまで一緒にいた人」
「じゃあ、やっぱりお前は……」

 淡々と話すせつなの言葉の数々が、浩志の脳内を刺激する。

「お前って言わないでってば! せつなには、せつなって言う名前がちゃんとあるんだから!」

 なかなか感情を表さないせつなだが、唯一、自分の呼び名についてだけは、感情を剥き出しにする。

 そんないつも通りのやり取りに、つい可笑しさが込み上げてきた浩志は、ぷっと吹き出す。そして、まるで張り詰めていた糸が切れたかのように、勢いよくせつなの側へ駆け寄った。

「悪い。せつなは、せつなだよな」

 せつなの口癖を真似た浩志は、1人ケタケタと笑っている。

 そんな浩志の様子に、優の周りの張り詰めた空気も幾らかは緩んだが、それでもまだ、彼女の足元は、その場から離れる事なく地面に張り付いたままだった。

 優の様子をチラリと見やり、浩志は、少し離れた場所にいる優にも聞こえるように、ハッキリと声を出す。

「せつなは、もう知ってるみたいだけど、俺たちは、さっき、こいちゃん……小石川先生に、15年前のせつなと、こいちゃんと、それから、蒼井……先生の写真を見せてもらった。……その……せつなの事も……聞いた」
「そう」

 せつなは、浩志の話をサラリと聞き流す。せつなの目は、もう、花壇へと向けられていた。相変わらずの無表情からは、今、少女が何を思っているのかは汲み取れない。少女の気持ちを推し量れない浩志は、言葉を重ねることで、少しでも、少女の事を知りたいと思った。

「俺さ、あんま頭良くないから、何をどう言って良いのか、そう言うの、良く分からないんだ。だから、単刀直入に聞く」

 そう宣言をした浩志は、一旦言葉を切ると、大きく深呼吸をしてから、せつなの横顔をしっかりと見つめた。

「せつなは……その……幽霊なのか?」
 浩志の問いに、せつなは、少し寂しそうに微笑み、小さく頷いた。

「……一般的にはそういわれる存在だと思う」
「だと思う?」

 浩志は、少女が自身を幽体であると肯定したことよりも、曖昧に濁した言葉尻が気になった。

 そんな彼に、せつなは、寂しそうな横顔を見せながら、小さく頷く。

「周りの人たちに、せつなのことは、見えないから、幽霊と一緒。でも、正確には、今のせつなは、『ココロノカケラ』って言うんだって」

 せつなは、そう言いながら、しゃがむと、まだ生えたばかりの緑の絨毯を、愛おしそうに、そっと撫でる。地上に顔を出したばかりの青葉たちが嬉しそうに、フワリと揺れた。

「ココロノカケラ?」

 せつなの言葉を、浩志は、鸚鵡返しのように、口の中で転がした。

 そのまま、2人の間には、沈黙の幕が降り始める。

 沈黙をもって2人の会話が終わりかけた時、それを遮ったのは、2人から少し離れた場所に立ち尽くしていた優だった。

「私にも、せつなさんの姿、見えてるよ。それに、せつなさんには、足がある! せつなさんは、幽霊とは違うよ!」

 突然の優の力説に、せつなの顔は、珍しくポカンとしていて、少しマヌケな顔になっていた。

「えっと……」

 少女が返す言葉に詰まり、視線を彷徨わせているうちに、優は、それまで彼女を繋ぎ止めていた足枷が無くなったかのように、軽やかに駆けてくると、勢いよくせつなの隣にしゃがみ、ガシリとせつなの腕を取った。

「ほら! せつなさんに触れるもの。あなたは、幽霊なんかじゃない」

 そう言って、優は、ニッとせつなに笑いかける。

「あの……ありがとう」

 優に笑いかけられたせつなは、咄嗟に俯きつつ、それでも小さな声で、礼を述べる。その声は、どこか明るく、嬉しそうだった。

 そんなせつなの様子をニコニコと見ながら、優は自己紹介をした。

「私、河合優。成瀬の友達。で、これからは、せつなさんも友達」

 優の言葉に、恥ずかしそうに顔を伏せていた少女は、バッと音がするほどに、勢いよく顔を上げた。

「とも……だち……?」
「そう。ダメ?」

 目をパチクリとさせる少女に、優は、勢い良く言う。

「私、最初は、せつなさんのこと怖かった。全然得体が知れないし、小石川先生の話を聞いて、幽霊だって思って……それに、成瀬のことだって……」

 そこまで言って、優は、チラリと浩志へと視線を向ける。彼は、突然の優の行動に、呆然としているようだった。
「変な女に騙されてたら、正気に戻さなきゃって思ったけど、あなたは、多分大丈夫。なんかそんな気がする」

 優は、自身に言い聞かせているのか、それとも、せつなに言い聞かせているのか、あるいはその両方なのか、とにかく、やたらとせつなの存在を肯定している。

 そんな優の隣で、せつなは、恥ずかしそうに俯きながらも、嬉しいのか、ほんのりとはにかんでいる。

「ともだち……」
「そう! いいよね?」

 念押しのように言い寄る優に、少し困惑しながらも、せつなは、小さく肯いた。しかし、すぐに何かに気がついたように、激しく頭を振る。

「やっぱりダメ」
「どうして? 私が友達じゃ、いや? 成瀬だけがいい?」
「……そういうことじゃなくて……」
「じゃ、どうして?」

 優は、小さな子を諭すように、やけに猫なで声で、せつなの言葉を引き出す。

「お姉さんは、優しい人なんだと思う。突然現れた、せつなのことを、怖がらずにいてくれる。ともだちになろうって言ってくれる。でも……でも、どうして? どうして、そんな事がサラリと言えるの? だって、せつなは……」

 そこで言葉を切って俯いてしまったせつなの言葉を、優は引き継ぐ。

「人間じゃないのに? あなたがココロノカケラってやつだから?」

 優の言葉に、せつなは、顔を上げずに小さく肯く。

「どうしてかな? それは自分でも分からない。今でも、幽霊に遭ったら逃げ出しちゃうかもしれないし、最初はせつなさんのこと怖いと思ったし。でも、さっき寂しそうなせつなさんを見たら、声かけなきゃって思ったんだよね」

 そんな優の言葉に、せつなは、今にも泣き出しそうな顔で優を見上げた。

「せつなのこと、怖くない?」
「怖くないよ」

 優は、せつなの瞳をしっかりと捉えて、ゆっくりと首を振る。

「ほんとに、せつなと、ともだちになってくれるの?」
「もちろん! ね、成瀬!」

 力強く肯いてから、優は勢いよく振り返り、浩志を振り仰ぐ。

「お? おお!」

 突如として話を振られた彼は、ドギマギとしながらも、右手の親指をしっかりと立てて答える。

「ふふ。ありがとう」

 せつなは、瞳に溜まった宝石のような涙の粒をスッと拭うと、まるで、一瞬でそこだけ春の盛りになったのかと思うほどに眩い飛び切りの笑顔を見せた。

 3人はそれぞれ顔を見合わせると、楽しげに声を上げて笑い合う。

 ひとしきり笑ったあと、思い出したかのように、ふと浩志が声を上げた。
「そういえばさ、結局、ココロノカケラって何なんだ?」
「ああ。それは、実はせつなもよく分かってないんだけど、強く願った心の一部が、その場に留まってるってことみたい」
「心の一部?」
「せつなの場合は、お姉ちゃんたちと、お花の種まきをした時かな。泥だらけになったけど、すごく楽しくて、お花が咲くところを見たいと思ったの。せつなはそれからすぐ……」
「ああ……あの写真の時か」

 浩志は、先程小石川から聞いた話を思い出した。確か、せつなは、その3日後に、亡くなったと聞いた。

「あれ? でも、あの写真は確か、制服なんて着てなかったような……」
「そうね。確かにそうだったわ」

 浩志が首を傾げながら言うと、優もそれに同意の意を示す。

「それもせつなの心残りだったこと。せつなは、本当なら、あの春に入学するはずだったの。お姉ちゃんたちと同じこの学校に。新しい制服を用意して、入学が待ち遠しかった。中学生になったら、この制服に袖を通して、毎日学校に通うんだとそう思ってた。でも、それは、叶えることが出来なかった」

 せつなは、寂しそうな影をその幼い顔に落として、昔語りを静かに続ける。

「せつなは、体が弱くて、小学校にはあまり通えなかったの。だから、ともだちもあまりいなくて……でも、手術をして、元気になったら中学校には通えるって、お医者さんに言われてたの。だから、がんばって、お医者さんの言う通り、手術をして、もうすぐ退院だった。そんな時、お姉ちゃんが学校の花壇に種まきをするって聞いて、どうしてもせつなも一緒にやりたいとお願いしたの。少しでも早く学校に行ってみたかったから」

 せつなは、そこで言葉を切った。その隙を突いて、浩志が口を開く。

「手術をしたんだろ? もうすぐ退院だったんだろ? それがどうして……?」
「それは……せつなが……自分が悪いの」

 せつなは、目を伏せ、悔しそうに唇を噛む。

「お医者さんは、条件付きで外出許可をくれた。せつなは嬉しくて、少しはしゃいでしまったの。お医者さんは、外出の許可はくれたけど、土いじりはダメだと言っていた。まだ免疫力の弱いせつなには、土の中のバイキンは良くないからと。それなのに、せつなは、お医者さんとの約束を破ってしまったの。だって、せっかく、学校に来たのに、見ているだけなんてつまらないから。十分に気を付ければ大丈夫だと思っていた」
 花壇の間を風が抜けていく。それは、ぬくぬくとした春先の暖かくて包み込むようなそれではなくて、冬に戻ってしまったかのような、鋭く刺すような冷たい風だった。

 浩志と優は、ぶるりと体を震わせる。せつなだけは、そんな風など気にしないとでも言わんばかりに、淡々と話し続ける。

「お姉ちゃんは止めたけど、せつなは、正人くんに花壇の手入れを教わりながら作業を続けたの。俊ちゃんは、園芸部じゃなかったけど、あの日はせつなたちに付き合ってくれたんだ。お姉ちゃんは始め、せつなが土を触る事を許さなかった。でも、せつなは、絶対怪我するような事はしないし、無理もしないからって、無理矢理お姉ちゃんにお願いして、渋々みんなと同じ作業をする事を許してもらったの」

 せつなは、昔を懐かしむように少し遠い目をしている。小石川から、その時の写真を見せられていた浩志と優には、その時の光景が目に浮かぶようだった。

「土を掘り起こしたり、種を撒いたり、そんな事、今までしたことがなかったから、もう楽しくて、夢中でやった。気がつくと、服は所々汚れていたけれど、それでも、怪我をする事もなく、無事に作業を終えることができたの。その時に、新聞部の人がちょうど校内新聞のネタを探しているから、写真を撮らせてほしいと来て……その時の写真が、さっき2人が見てたやつ」

 浩志と優は、せつなの話に無言で頷いた。

「お姉ちゃんには心配をかけてしまったけれど、特に怪我をする事も、体調が悪くなる事もなくて、最後は、みんなで楽しく笑って病院へ戻ったの。同級生より一足早く中学生を体験したみたいで、その日のせつなは、少し興奮しすぎたみたい。みんなが帰った後、せつなは、熱を出したの。そして……」

 せつなは、後悔と悔しさを噛み殺すように、唇を噛み締めた。

「そして、元々、他の人よりも抵抗力の弱いせつなは、その熱が原因で、さらに抵抗力を弱めてしまったの。確かに、どこにも怪我なんてしなかった。だから、ちょっと油断していた。まさか、空気中の微生物が原因で死ぬことになるなんて……」

 せつなの言葉に、ハッとして息を呑む浩志と優に向けて、少女は寂しそうな笑顔を見せた。しかし、次第に、その顔を歪ませ、声を震わせ始めた。

「病気を甘く見てた。自分の病弱さを分かっていなかった。完全にせつな自身が悪いの」
 せつなは、宝石のような涙をいくつもいくつも頬に伝わせながら、悔しそうに言葉を紡ぐ。

「せっかくお花が咲いても、お姉ちゃんと一緒に見ることができなかった。中学校へ行けなかった。制服が着られなかった。それは、全部自分が悪いの」

 次から次へと溢れ出す涙を手の甲で拭いながら、一生懸命に話すせつなの声は、浩志と優の鼓膜を震わせ続ける。

 優は、せつなの声と涙に耐えられなくなったのか、瞳を潤ませ、もらい泣きをしていた。浩志は、泣くまいと、顔を歪ませ、必死に涙に耐えている。

 まだ、経験の浅い2人は、せつなに掛ける言葉など、全く心に浮かばず、ただ黙って、せつなの声に耳を傾けることしか出来なかった。

 せつなもそれを分かっているのか、胸の内を全て吐き出すかの如く、話し続ける。

「ものすごく心残りで、せつなは、熱に浮かされながら、ずっと願っていたの。新しい制服を着て、学校に行きたいって。お姉ちゃんとお花を見たいって。そしたら……」

 そこで、せつなは言葉を切る。涙の溜まった瞳のままで、困ったようにはにかんだ。

「あまりにも強く願ったからかな? 気がついたら、せつなは、制服を着て、ここに居たの。……それからずっと、せつなは1人でここにいるの」

 せつなの言葉を拾い、ようやく浩志は、口を開いた。

「それからって……? もしかして、15年前からか?」
「多分、そう。せつなには、もう何年とかそう言う、時間経過はわからない。ただ、わかるのは、アレから、ずっと独りぼっちだった。だって、誰にもせつなの事は見えなかったから」
「じゃあ、どうして、私たちには、せつなさんのことが見えるの?」

 もらい泣きで瞳を赤くしながら、優が訊ねると、せつなは首を横に振る。

「詳しいことは、分からない。でも、お姉さん……優ちゃん……は、せつなの存在を認識していたから、見ることが出来たんじゃないかなって思う」
「確かに、そうかもね」

 優は、1つ肯いて、浩志の方を見る。

「じゃあ、成瀬はどうして、せつなさんのことが見えたの?」
「それが、全く理由が分からないの。実は、最近になってもう1人、せつなのことが見える人が現れたんだけど、その人はちょっと特殊な人で……その人の推測では、成瀬……くんは、せつなの心に共鳴したんじゃないかって」
「共鳴?」

 せつなが初めて、浩志の事を名前で呼んだため、浩志は目を丸くして驚きながらも、せつなの話に聞き入っている。